76. 王女と美の、愛情と友情 Of Princesses and Beauty, Love and Friendship.
アイは疾走っていた。
身体能力が著しく低いので、脚に心を纏いながら、地面を蹴り飛ばし風すらも置き去りにする。人間体も中でも特に虚弱なアニマ・アニマであるアイにそこまでさせるのは、友への情であった。
――其れを友情と呼ぶのか愛情と呼ぶのかはアイ自身にもまだ分からなかった。
とにかくアイはラアルを独りにはさせたくなかった。確かにユスカリオテのイダに、“自分が狙われている”とは聞いた。しかしこのパントラ公国の公王の娘であり、覇権国家ファンタジア王国の国王の孫である、ファンタジア王女となれば、ラアルも狙われている可能性も高い。
――なにより“自分の大切な友”を護りたかった。
◇◆◇
ラアルは焦っていた。
その獣神体としての強大な膂力や脚力を活用して、なによりこの国の王女として学友たちを助けながら、アイを探していた。母のようにやさしく、しかし母のように強くはない彼女をどうしても護りたかった。
――其れは紛れもなく恋をした娘への愛情であると、ラアルは大声で叫ぶことができるほどに確信していた。
何にせよラアルはアイを独りにはさせたくなかった。こんなマンソンジュ士官学校のたかが一年生しかいない合宿所が狙われたのはきっと“この国の要人”である自分を狙ってのことだろう。そしてその次に可能性狙われる可能性が高い人物を考えた。
そうすると、この国の守護を一任されている、エレクトラ・アガメムノーンナ・フォン・ミルヒシュトラーセ辺境伯爵の娘であり、こころをもつものでもあるアイが一番に考えつく。
しかしそんなことよりも、周りが突然爆炎に包まれたときに、ラアルの“いちばんにこころに浮かんだ人”はアイだったのだ。自分自身の安全など考えなかった。アイにこころを占められていて、そんな些事を考慮する暇はなかったのだ。
就寝用の合宿棟はクラスごとに分かれているので、アルターク・デイリーライフとアイが同室であるということは知っていた。しかし、ラアルは誰よりも、自分自身の手でアイを護りたかった。
――なにより“自分が恋い焦がれている娘”を護りたかった。
◇◆◇
「あなた達！！
とにかく煙を吸い込まないようにして、口に布か何かを当てて！
姿勢を低くして、炎と煙の広がらない風上の方へ走って！！
そこで防御陣形を組むのよ！！」
そうラアルが叫びながら、アイをさがしていると、みな王女を置いて我先にと逃げていく、士官学生とはいえ人間の本性などこんなものだ。
「アイ！！アイ……アイ！！
アイ・ミルヒシュトラーセ！
聞こえる！？どこに居るの！
聞こえたら返事をして！！
……お願いよぉ……！！」
「……《アイ》！！」
思わず“心を込めた言葉”が溢れる。
「……！《ラアルさま》！！」
声が聞こえ振り返ると、アイが此方に向かって走ってきていた。
想い人を見つけて安心したのも束の間、ラアルを見つけて安心しきったアイに突如、陽炎のように揺ら揺らと揺れ姿を現した敵が、心を向けるのが見える。
「……え……！？きゃあ！？」
アイがそれに気がついたときにはもう遅かった。完全に意識外からの心を込めた飛び蹴りをかわす余裕も、心を纏って防御する余裕もなかった。とにかくラアルを護ろうと、ラアルに愛情の心を向けていたからだ。
「……！！」
アイが目を瞑って痛みに備える。
――そして、心で人にぶつけた時の爆音が響き渡る――！！
しかしアイにはいつまでたっても、待ち構えていた痛みは来なかった。座り込んで恐る恐る目を開けると、男が遠くに転がっていて、ラアルがアイを護るように、仁王立ちしていた。その大きな背中に、いつかみたエゴおねえさまの面影を見る。
「アイ……無事……！？」
「ラアルさま！ラアルさまぁ……。」
見たところどこも怪我をしていないと判断したラアルは、アイをぎゅううと、もう二度とはなしはしないというように抱きしめる。
「ラアルさま……。」
「あぁ……アイ……無事でいてくれて、ありがとう。」
――“エレクトラとオイディプス”のように、死ぬことを願われるのではなく。生きているだけありがとうと言ってくれる。
「……！……。……ラアルさまこそほんとうに、ほんとうによかったぁ……！」
アイを抱きしめていて、五感の全て彼女で埋め尽くしていたラアルは気づかなかったが、アイの目には殴り飛ばされた。男が立ち上がるのが見えた。
「いってぇなぁ……！！王女殿下は手癖が悪いとみえる。その美貌を利用して、男漁りも非道いって聞くしなぁ……！」
男が腕をラアルとアイの方へ向け、心を飛ばす姿勢にはいる。
「……ラアルさま！……お下がりください！！わたくしがお守りします……！！」
――“お母様”のように、自らの命を賭してラアルを護ろうとしてくれる。
ラアルは『わたくしがお守りします』という自分の危険も顧みずにラアルを守ろうとするアイの言葉を聞いて、『ふふっ』と愛おしいものを見る瞳で笑う。
「大丈夫よ……アイ。アイツは先刻の一撃でもう倒したから。」
「……？」
「……！？！？……ぎゃあああ！！！？」
男が悲鳴を上げて座り込む。ラアルに殴られた顔面から毒液を浴びたように、焼けただれて朽ちていく。そのまま口から泡を吹き地に付して倒れ込んだ。
◇◆◇
「……ラアルさまの……心。」
「そうよ、アイ。私の心は一発でも心を纏っていない箇所に当たったら仕留められるの。まぁ、対処法を知ってる強者には対策されちゃうこともあるけど。
それ以外のヤツらには……文字通りの“必殺技”よ。
……私を一目見れば誰もが恋に落ちるのと同じでね。」
ふふんっ！とラアルが誇らしげに語る。
「確かに……ラアルさまの美と心よく似ていますね。……もしかしたら、ラアルさまの心はその美に起因しているのかもしれませんね？……いや、そもそもラアルさまの美が“こころのうつくしさ”からきているのかも……？」
「ふふんっ！もっと褒めていいのよ私の“うつくしさ”をね！
……まぁ、貴女だけは初めて会った時も……私を一目見ても恋に落ちてはくれなかったけど……。教室に乗り込んだあの日に。むしろ貴女に巡り逢った時に、私が一目で“一番下まで”堕とされてしまったけどね……。」
ラアルが最後はアイに聞こえないように、殆ど音を発さずに、こころの中で拗ねたように溢す。
◇◆◇
「とにかく、無事でよかったです。ラアルさまを安全な所に……。」
「そうだ！貴女こそよ！
どこが怪我はしてない！？
痛いところは？
“身体の傷”も、“心のき疵”も！」
「わわ！だいじょぶですよぉ。どこも怪我をしていないですし、ラアルさまこそ……どこも怪我、してませんか……？」
「私は大丈夫よ！なんせ高貴なる私だからね！うつくしい私をどうにかできるのは、世界で……貴女だけよ……アイ。」
「ラアルさま……あの、お顔が近いと言うか……なんというか。……その！」
「へっ……？……あぁ！ごめんなさいね！危ない危ない。また呑まれるところだったわ……。
あぁ、こんな状況じゃなければ……！くそぅ……！」
「……？こんな状況じゃなければ、なんなんですか……？」
「いやいや！気にしないで！とにかく今はこの命を懸けてアイを安全なところまで逃さないと！！」
「いやいや！わたくしのほうこそ！ラアルさまを安全なところへ！！」
「「……！」」
「「……あははっ！」」
「なんだか似たもの同士ねぇ私たち。」
「そうですね。いや！高貴でうつくしいラアルさまをわたくしなんぞと一緒にするのは申し訳ないのですが……！」
「何を言ってるのよ。高貴なる生れで、この世界で一番のうつくしい貴女と、二番目にうつくしい私。こんなにお似合いな2人はいないわ！」
「……いやいや！ラアルさまのほうが――！
……というか……とりあえず避難、しませんか？」
「確かにっ！」
◇◆◇
アルタークは焦っていた。
傷もアイの愛情の心である程度と収まって、動けるようになった。ユスカリオテのイダは『アイが狙われている。』と言っていた。
それにそんな言葉がなくても、こんな状況で一番の親友を独りにさせたくなかった。
――お互いに“いちばんの親友と想い合っている子”を護りたかった。
だから走っていた。
そうして……自分の“こころを壊す光景”を目にすることになる――。
