74. やさしいレイシスト Ai Milchstrasse, meine erste Liebe.
「――じゃあ何で戦うと思う?
絶対に負けるのに。
なんで生きてると思う?
絶対に“人生に”負けるのに。
……何でおれがテメェみてぇなゲロクセェ“対話”する価値もねぇ糞売女とベラベラ喋ってたと思う?」
そこでアイは間を置いて言った。
「絶対に敵わねぇヤツに勝つ準備をしてたからだよ。
テメェはもう既に負けている。」
「何故ならおれは――」
◇◆◇
「――アイ・ミルヒシュトラーセだからだ。誰よりも醜いからだ。“戦いってのぁ悪者が勝つ”って決まってんだよ。いいヤツが使えねぇ汚い手をなんでも使えるからなぁ。
……じゃあ、準備も整ったし、そろそろ死ねや。」
ハナシュが憎悪を込めた目で、軽蔑に歪んだ口で吐き捨てる。
「わかっとるやないのぉ……アンタはんほど“醜い”人間はおらんでぇ?
馬鹿なヤツらは皆アンタを“うつくしい”と吹聴するけど、本当のうつくしさってもんは“こころ”からくるもんやろ?いくら見た目がかわいらしゅうてもなぁ。
……塵滓みたいなこころをしとったらそれが滲み出てくんねん。気色悪いわぁ。」
◇◆◇
フッとアイが小馬鹿にしたように笑う。
「分かってんじゃあねぇか。テメェの顔面にも出てるぜぇ?厚化粧でも隠せてねぇその傷跡がなぁ?醜い心根がなぁ?それに――」
その言葉が地雷だったらしい。
「――黙れ!うるっさいねん、いちいち、このボケがぁ!!」
言い終わる前に堪忍袋の緒が切れたハナシュが、侮蔑の煙を纏いながら、アイを自分の心が届く射程範囲におさめようと前進する。
――そして、“心を込めた言葉”を叫ぼうとする。
「“嘲笑の――!!」
それ以上声が出なかった。ハナシュは舌が万力で引っ張られているような感覚を覚えた。それは問答の間に配っていた、アイの怒りの、氷の心によるものだった。
「あ!?あぁああううあ!?」
「――馬鹿、しんどけ滓。地獄じゃあ嘘つきの舌は引っこ抜かれるらしいぜぇ?」
舌が引っ張られて千切れそうなので、慌てて一歩一歩前に進むしかない。
――その先では拳と肘に心を溜めたアイが待っている。
「おーおー、自分から敵の心の射程距離に入るなんて、テメェみてぇな塵糞にしては殊勝な態度じゃあねぇか。」
進んではいけないのは分かっている、だが舌を引っこ抜かれないためには断頭台に向かって歩くしかない。
「――おれの敬愛する先生が言ってたんだよなぁ、
『キミたちみたいに、まだ“心を込めた言葉”を言えない子たちが強者に勝つには……そもそも言わせないことだ。』
ってなぁ。」
ハナシュは身体をできるだけアイに近づけないように腰を引いて、舌と顔だけ突き出しているので、屠殺場に引き摺られる豚のようであった。
「そうしてもう一人、まだ性別が決まる前に家庭教師をしてくれていた、尊敬する先生が言っていた。
『お前はこれから、自分よりも強い者と戦わされることもあるだろう。
だが必ずしも強いものが勝つのではない。そういう相手と相対することになってしまった時は逃げろ。恥も名誉も書き捨てて逃げろ。
だが、護るものが後ろにいて絶対引けない時は……自身より圧倒的に強い者に勝つ勝ち筋が、一つだけある。それは――』」
「あえろ!ああせ!!」
ハナシュがアイの射程距離に入った。
聖別の儀のときに見た、春日春日のように、肘の怒りを爆発させる。
――そして、その勢いで拳に纏った心を思い切りハナシュの顔面にブチ込む――!!
「あぎゃあぁ!!!」
ハナシュが顔から勢いよく吹き飛び、砂にまみれて地面を転がる。
「――その者に“実力”を出させる前に、倒すことだ。』
いやぁやっぱ先生ってのは尊敬するべきだぜぇ、その通りになるんだからなぁ。
……テメェみてぇな心を込めた言葉を言えるヤツらはなぁ、それが使えなくなると焦って本来の実力が出せなくなる。なんせ“必殺技ありきで戦術を組み立ててきたんだから”なぁ?それが使えねぇとなるとそりゃあビビるわなぁ。」
「あ゙……がぁ……アンタ、みたいな、か……滓に……。」
憎々しい声でハナシュが吠える。
「テメェはおれがベラベラと喋ってる間に、気づくべきだったなぁ?おれがテメェみてぇな“対話”する価値もねぇ糞滓と喋ってやってたのは……“心を配る”時間稼ぎだってなぁ?
まぁ、こころをもつもので心が多いことが俺の唯一の強みだからなぁ?そこで勝負しねぇとなぁ?
『戦闘では相手の得意分野では絶対に闘うな、頭と心を使って自分の土俵に引きずり込んで倒せ。』
こりゃあおれの最愛のお兄様の言葉だ。覚えとけ阿呆が。」
◇◆◇
「んでぇ……?おれの最愛の姉を襲って、しっぽ巻いて逃げたクソ野郎はどういう状況だ?テメェら味方同士じゃなかったのかぁ?」
満身創痍のジョンウの方を振り返り、話し出すアイ。
「……どうやら、仲間だと思ってたのは俺の方だけだったみたいでしてね……。後ろから刺されてこの通りですよ。」
「……動けねぇ相手を攻撃するのは趣味じゃねぇが……お前はおれの愛する姉の心を殺そうとした。
……テメェもここで死ぬか……?」
「どちらでも貴女の思うままに……。俺はそうされるだけの罪がありますし、何より俺は戦士です。仲間にならともかく、敵に殺されるなら本望ですよ。」
「そこで転がってるゲロ女と違って……お前は“真なる戦士”の瞳をしている……。
……だがおねえさまを襲ったのだけは許せない。その心意気に免じて、ひとおもいにお前の心を殺してやる。おれぁまだ“心で人を殺す方法”を習ってねぇからな。」
「ええ、貴女にはこころを殺す権利がある。どうぞ、思うままに。
……叶うなら、貴女のような兵と万全の状態で闘り合いたかった……。」
「まって!!アイちゃん!」
◇◆◇
「クレくん……?」
「クレジェンテ……。」
ジョンウとアイは2人とも同じように驚いて、声のしたほうを振り向く。そこにはアイの愛に包まれてある程度回復したクレジェンテが座り込んでいた。
「……その方を赦してとは言わないよ。敵だから。でも……もう満身創痍で何もできない。だから、今は――」
◇◆◇
――まただ、また家族と友がぶつかる。
この男は“わたくしのおねえさまを襲った”。
だけど、友は……いやわたくしにクレくんの友を名乗る資格はない……“元友達は見逃してやれと言う”。この者が輩であるかのように。
もし今よりももっと単純に、家族と友を“どちらかしか救えない”とき、家族と友が“対立した”とき……わたくしはどちらの側につくのだろう?
――どちらを愛するのだろう?
どちらを愛するべきなのだろう?
愛する者同士が憎しみ合ったとき、わたくしは――
◇◆◇
「……分かったよ。クレく……カタルシスさん。
……わたくしのおともだ……彼の慈悲に感謝してください。彼への恩を努々忘れることないように。」
アイちゃんは心を収め、此方に駆け寄ってくる。
「クレくん!大丈夫!?痛いところはない?あぁ、こんなにボロボロになっちゃって……ごめんねぇ、わたくしがもっと早く来られてたら……!」
泣きそうな瞳で心配をしてくれる。こころからのしんぱいを――。
アイちゃんだ……あの頃の……。でもじゃあなんで差別をする?獣神体至上主義委員会の委員長なんてやってる?
――“やさしい差別主義者”なんてこの世に存在するのか?
「……ありがとう。アイちゃんの愛情のおかげで……痛みは随分と和らいだよ。むしろお母さんに抱きしめられてるみたいな心地よさすらあるよ。」
そう答えるとアイちゃんはパァァァっと向日葵が咲うような笑顔になって、抱きついてきた。
――身体が華奢だなぁ、こんな身体で守ってくれたのか。
――てかっ!
◇◆◇
「ア゙……アイちゃん……一旦離れよう。一旦ね!……一旦。」
「あっ!ごめんなさいっ!痛かったですよね……。」
紫陽花のしなだれるようにシュンとする。
「……いや、そうしゃなくて、別の問題が。いや、問題というよりむしろうれしいんだけどっ!
……っじゃなくて!」
「……?」
――奥でアイちゃんへの恋心を見透かしたように『クククッ』っとジョンウが笑うのが聞こえた。
彼奴……やっぱり、ぶっ飛ばしてもらえばよかった。




