73. 甘やかされて育ったクズと殴られて育ったクズ a Spoiled Garbage and an abused Garbage
クレジェンテは愛情に包まれる。
あの日カーテンの隙間から見た木洩れ日に――
……静かな声が、でも確かな声聞こえた。
春の陽だまりのような声――
夜のような黒髪がクレジェンテの前で流れている。
夜が視界の全てを抱擁していた。
夜に包まれているような気がした。
だが膝を抱え丸くなる寂しい“独りの夜”ではなく、鼻歌でも口ずさんでしまいそうな“心地良い一人の夜”だった。
◇◆◇
「――わたくしが、助けます。
クレく……カタルシスさん。
ごめんなさい、お嫌だとは思いますが、今はわたくしの、愛のなかにいてください。」
「……アイ……ちゃん……?」
顔見えない、だがしなだれた紫陽花に育花雨の降ったような声がした。
「わたくしを、また……そう呼んでくださるのですか……?こんな罪深きわたくしを。」
アイちゃんが振り返って、教室のカーテンの隙間を流るる幼い光のように微笑んだ。
「安心してください。そこはわたくしの、愛のなかは“絶対安全領域”だと誓います。貴方以外のどんな者にもその場所は犯させません。」
母のように笑う。
あんしんなお母さんのお腹のなかに還ったような気がした。
「そのなかにいれば痛みも和らいでいくので、あんしんな気持ちでいてくださいね――
――よぉ、糞売女。
……よくもおれのクラスメイトをいたぶってくれたなぁ?あぁ?
テメェの目をくり抜いてぶっ潰してやるよ。塵滓野郎が……。」
前を向いたアイの顔には、もう慈しみはなかった。
慈悲も愛慕もやさしさも。
そこにはただ闇があった。
黒き怒りの闇が瞳を染めあげて、漆黒に光っていた。
「アンタ……ウチにこんな事をして只ですむとでも思っとんか……!
いきなり顔を蹴りつけるなんて、ミルヒシュトラーセ家は随分と高尚で高貴な教育をしてはるんやねえ……?」
ハナシュが顔を抑えて怒りに満ち満ちた声音で嫌味を言う。
「あぁ?人語が話せたのかよ。ゲロ糞の臭いがプンプンしてるから、てっきり糞かと思ってたぜぇ。でもクセェからペラペラ喋んな滓が。
……おれがミルヒシュトラーセって分かってるってことは、もうどうなるか分かってるよなぁ?」
アイは嫌味ではなく、直接的な罵倒を返す。母にいつもそうされて育ってきたからだ。
「あらあら、そないな可愛らしい顔をしてはるから、性格は悪いちゃうかと思ったら……性格も口もよくてうらやましいわぁ。やっぱり育ちがいいといいなぁ……。
ミルヒシュトラーセ家の忌み子は言うことも素晴らしゅうてかなわんわぁ……。」
「あぁ?“人語は話せる”のに、“言葉は解せねぇ”ってどういうことだよ?『クセェから喋んな』っつったよなぁ?おれぁよ。
テメェの面ぁ見てればわかるぜぇ。随分と親に愛されてきたみてぇだなぁ……?
だからそんなゲロカスみてぇになっちまったんだよなぁ?可哀想になぁ。誰にも愛されねぇテメェに、俺だけは“共感”してやるぜぇ?」
人差し指と中指をクイクイと丸めて、嗤いながら、共感という言葉で煽る。
「……あらあら、恵まれた
“アイ・エレクトラーヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ様”
にウチの気持ちが分かるかなぁ……?
あぁ!ごめんなさいねぇ、母親に捨てられて、今は
“アイ・サクラサクラーノヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ様”
にってしまはったんやったねぇ……?うっかりしとったわぁ、堪忍なぁ?
それとも“売女マグダラのサクラの子”アイ・ミルヒシュトラーセとお呼びしたほうがお好みやろか?」
「親のことなんか知らねぇよ、産みの母親はおれを売り、育ての母親はおれを捨てた。いや、もう母親じゃあなくなったが。……父親は……おれを殴って育ててきた。
――そんな塵滓がおれだ。」
ハナシュがここぞとばかりにまくしたてる。
「あらあらあらっ!急にそないな話ししてもうて!どうしたん?よしよしと慰めたろかぁ?同情でもされたいのぉ?
惨めな人間の自分語りが一番心地良いわぁ……!惨めな阿呆はなぁ、どいつもこいつも
『自分は被害者です〜』
って顔で親の悪口を言うからおもろいんや。
一番の被害者はアンタはん達みたいな、人間まがいの出来損ないつかまされた親やぁ言うのも分からずになぁ!!
……ふふふっ。
まさか他の子たちみたいに可愛らしゅうて愛する価値のある子供が生まれると思ったら、アンタらみたいなぁ人間未満の残りカスが生まれるとはなぁ?ほんまに親の気持ちを思うと可哀想で涙ちょちょぎれるわぁ。」
「……ああ、そうだな。」
アイの語気が弱まる。しかしそれはハナシュの言葉に何かを感じたからではなかった。そんなの産まれたとしから母親に何千回と言われてきた。他のことに“心を配って”いたのだ。
「あははっ!何も言えなくなっちゃってぇ!アンタはんみたいなヤツらの阿呆なとこはなぁ?
いつまでも何歳になっても、
『親がー、親がー』
って言ってるとこやねん。
アンタもう5歳やろ?
あと数年で成人やん?
みっともないで〜成人したヤツがいつまでも、
『親に虐待されてたからー』
『親にお金をかけてもらえなかったからー』
って言ってんの。もうすぐ成人の5歳が言うてるだけでもう気色悪ぅてかなわんわぁ。
やめときや?いつまでもでなんもかんも親のせいにすんの。」
アイが落ち着き払って応える。
「――人はな、暴言を吐くときは、無意識に自分が一番傷つくことを言うらしいぜぇ?
こころが勝手になぁ。自分には効くんだったら相手も傷つくだろうってなぁ?」
「あらあらあらっ!そんなことしか言えなくなっちゃって!
ごめんやけどウチは愛されてお金もかけて育っててもらったからなぁ?なんでもお願い聞いてくれたわぁ。欲しいものはなんでも買ってくれたしなぁ?したいって言ったことはさせてくれたし。」
アイは得心が言ったようにポンと掌の上に握った手を落とす。
「……あぁ。それでか、オマエがそんな感じになっちまったのは。
つーか、“もうすぐ成人の5歳”っておれのことを馬鹿にしたが、テメェこそ今までの人生で人を嗤いすぎて、“嗤いジワ”が隠せてねぇぜ?そのクソ厚化粧でもなぁ?」
アイの言葉はハナシュの逆鱗に触れた。口撃はどうやらアイの勝ちのようだ。
「黙れ誰れ黙れ……!!アンタら、此奴を殺せ!!今すぐに!!!」
部下達が当惑したようにかえす。
「でも……命令はこのアイ・ミルヒシュトラーセの――」
「――そうです!“この兵器の鹵獲”が俺たちの任務では!?」
「黙れ!!今すぐ殺せ!じゃなきゃあアンタらも爆弾にして殺してやるからなぁ……!はよう殺せ!!」
「「「はっはい!」」」
だが3人は一步踏み出した瞬間に倒れた――
――光の心によって――!!
「……ジョンウぅ……この裏切り者がぁ……!」
「ハァハァ……先に俺たちを裏切ったのはアンタたちでしょう?
俺を後ろから刺していたぶったのは許せても、コイツラがザミール様の理想を嗤ったのは許せねぇ……!!ゲホっ……!!」
「この……死にぞこないがぁ!!」
◇◆◇
「――余所見してていいのか?」
アイが嗤いながら言う。
「何やアンタまだウチに勝てるとでも思っとんか……?戦闘経験も上、心と技術も上……それに“こころが籠もったことば”まで使える。それに比べてアンタは?こころをもつものであるだけで、只の士官学生がウチに勝てるとでも?」
「――確かに俺は心の量以外の全てでテメェに劣ってる100回闘ったら100回負けんだろうなぁ……。
じゃあ何で戦うと思う?
絶対に負けるのに。
なんで生きてると思う?
絶対に負けるのに。
……何でおれがテメェみてぇなゲロクセェ“対話”する価値もねぇ糞売女とベラベラ喋ってたと思う?」
そこでアイは間を置いて言った。
「絶対に敵わねぇヤツに勝つ準備をしてたからだよ。
テメェはもう既に負けている。」
「何故ならおれは――」




