71. 誰が為に鐘は輝く For Whom the Bell Shines
「僕は――」
「俺は――」
「「最高の気分だ……！！」」
びっこを引いた2人の迷い犬が月に吠えた――
彼らの月に。
彼ら“思い思いの月たち”に。
――しかしそれは、同じものを指しているのかもしれない。
◇◆◇
「……波ぃ……ですねぇ？貴方の心は。奇しくも俺と同じだ。」
ローブの男が落ち着いた声で言う。
もう息が整ったのか……！……早いな。
流石にバレたか。
「――というよりは“音”、ですね？
舌打ちをした時からおかしいとは思ったんですねよねぇ……。
でも其れは平時の……普段の習慣を行うことで、戦闘という異常な場所でもできるだけ落ち着きを保たうとしているのか、
……とも思ってしまいましたよ。」
ニヤリと笑う男。
でもニンゲン共に嗤われできるような厭な気分にはならない。
高揚感さえある、しかし――
「――ハァハァ……其処まで気がついたのか。バレたとしても、僕の心が何でできいるかまでだと思っていたが……。」
「ふーむ、そうですねぇ。貴方はまだ生徒ですし、例え話をしましょうか。
例えば、相手の機嫌を損ねないことをだけを考えて、ヘラヘラ笑いながらずっと一緒にいるだけ友人たちよりも、拳を交えた敵同士のほうがずっと分かり合う。
当たり前でしょう？
まだ習っていませんか？
……それが心者同士なら尚更ですよ。お互いの“こころ”を相手に、直接ぶつけ合ったんですから、相手の“こころ”と真正面から向かい合ったんですですからね。」
なるほど……ナウチチェルカ教官が教書を使いながら言っていたのはこういう事だったのか……。やっぱり書を読むよりも習うよりも、実際に街に出ないと分からないことだらけだ。
そして、此奴は……いや、この人は……其れが僕よりも遠大なぐらい豊富なんだろうか……。でもそれも……。
「おもしろい……！」
その人は破顔した僕に驚いたようにしたあと、すぐにまた、クククと笑いだした。もしかしたら僕も声を出して笑っているのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
――僕の人生は人に嗤われることだった。
人を笑わせたことなんかなかった。
最初のうちは勘違いしていた。
皆僕のことをみてニコニコと笑ってくれているんだって。
でも違った。
皆僕を指差してニヤニヤと嗤ってるだけだった。
今この時が初めてだったかもしれない。
生まれて初めてだったかもしれない。
いや、お父さんとお母さんと妹は、笑ってる。
笑ってくれている。
いつもこころのなかで。
だから学校で厭なことがあっても。
この世の全部が地獄だとは思わなかった。
人間がみんながみにくいとは、世界のみんながうつくしくないとは。
思えなかった。
思わずにすんだ。
そう思わせてくれた。
家に帰ったらやさしいお母さんと、ちょっと無口なお父さんと、いつでも誰かにくっついていたがる妹がいた。
――だから、僕は生きている。
生かされている。
僕の愛する人々に。
僕を愛する人々に――。
――だから初めてだったかもしれない。
外の世界では初めてだったかもしれない。
人に嗤われるんじゃなくて、人を笑わせたのは。
この人が初めてだったかもしれない。
アイちゃんだって違ったんだから。
敵が初めてだったかもしれない。
――家族と敵……そして、友達。
“家族と敵”は“味方”で。
“友達は皆”、“敵”。
……どういうことだ？
そもそも何に対する味方なんだ？
誰に対する敵なんだ?
家族は僕の味方。友達は僕の敵。
じゃあこの人は……？
もし敵とこころが通じ合うのなら。
敵が味方だと云うのなら。
誰のために争っていて、何に向かって肩を寄せ合うんだ？
国か？思想か？信条か？
――人は何のために争う？
僕が今この国の兵士として闘うなら、僕は“国のため”に戦っているのか？
今まではずっと自分の味方でいるために戦ってきた。でも家族以外に味方がいるのなら？敵のなかに輩がいるのなら？
もしこのまま士官学校を卒業して、兵士になって戦うのならば――
国を守りたいのか？
家族を護りたいのか？
輩を殺してまで、家族以外に敵しかいないこんな国を守るのか？それが兵士なのか？
戦場で闘う、命を賭して戦う……“僕ら”の、“彼ら”の上で嗤ってる偉い奴らのために死ぬのか？
お互いの家族を護るために、何かを守ろうとするために、輩同士で殺し合う？
そんなものが戦争か？
そんなものが、人生か？
そんなことのために、僕とこの人はこの世に生まれてきたのか？
親に産んでもらったのか？
殺し合うために、生まれてきた。
死ぬために、産まれた。
――何かがおかしくはないか？
この世界は――。
こんなクソみてぇなモノが、僕が生まれた世界か？
友には“虐め”られ、上でのうのうと嗤ってるニンゲン達のために戦って、輩を殺して――好きだったあの人は人でなし。
人を差別し、馬鹿にして、虐めて、襲って、いたぶって、殺す？
こんなものが世界なのか？
もし世界がそうであるのならば、こんな世界。
そうだ。こんな世界は――
◇◆◇
「貴方の御名前をお伺いしても宜しいですか？」
もうお前とは呼べなかった。呼びたくなかった。
彼は驚いたように、でも嬉しそうに。
「名前を聞かれるなんて久方ぶりです。俺のことなど、殆どの人は“路傍の石”とでも思っていますからね。
……俺の名は、ジョンウ。
ヤコブという糞売女から生まれたので、“ヤコブの子ジョンウ”とよく呼ばれます……仲間がよく馬鹿にしてね。
……フフッ……貴方も馬鹿にしていいんですよ？敵ですからね。」
◇◆◇
「……失礼ですが、クレジェンテさん……？貴方の名前をお伺いしても……？先ほど学友からそう呼ばれていましたが、貴方の口から言いたいのです。
……名前という、この文学界でもっとも、神聖なるものを。」
俺の前に立ちはだかる生徒は少し、でも確かに微笑みながら言った。
「……ジョンウさん。御名前を教えてくれてありがとう。
僕の名は、クレジェンテ。“クレジェンテ・カタルシス”。獣神体のくせに出来損ないだから、よく御友達共からは馬鹿にされます。
……貴方も馬鹿にしていいんですよ？
敵、なんですから。」
ジョンウが笑う。
「あははっ、獣神体のクセに出来損ない、なんですかぁ……それはいけませんねぇ……？
でも家名を待ってるなんて羨ましいなぁ。」
クレジェンテが微笑む。
「ふふふっ、でしょう？
僕には胸を張って名乗れる家名があるんだ……すごいだろう？家族だけが僕の誇りなんだ。それ以外は皆敵だからね。」
「「あははっ！」」
2人は竹馬の友のように笑い合って……“イジり”あった。お互いのこころの深いところを。
「このまま笑い合ってるわけにもいきませんし、そろそろ決着をつけなくてはねぇ？」
「あぁ、そうだな。きっと僕が勝つけど、そんなにボロボロで大丈夫か？僕はまだ“心のこもった言葉”が言えないんだよ。習ってないから……それズルだからな？」
「ふふっ……そんなに土に塗れて、這いつくばって、もう俺が勝ってるみてぇなモンでしょう。
……それにズルじゃありませんよ、生まれが塵滓のヤツの努力の結果です。
それに名前をお教えした時の貴方の『ありがとう』には……“こころがこもって”、ましたよ。」
両手の人差し指と中指をクイクイと丸めて、“こころがこもって”という台詞を強調するジョンウ。
◇◆◇
笑いながら、舌打ちをしてその音に心を乗せて周りを確認するクレジェンテ。
……すると先刻の話し合いの間にずっと練っていたであろう、雲に隠された太陽の光のような心が、クレジェンテにだけは視えるようになった。
ジョンウは自身の身体には、彼の右腕にだけ、心を纏っていた。あとは彼とクレジェンテの間に道を作るように2列の光が、右と左に5個ずつ配置されていた。戦闘経験の差が如実に表れている。
奇しくもクレジェンテが心を込めていたのも右の拳だけだった。彼にはもう心の限界がきていたので、ジョンウのように腕全体ではなく、拳にしか音を握れなかったが。
「……まっすぐ突っ込んで来いって、言ってるようなものだな。」
「最後、ですからね。正々堂々殴り合いといきましょうや……。」
お互いが相手に向かって全速力で、走り迫る。先刻の戦り合いでダメージを軽減することに気を配れていたジョンウの方が速い。
そのまま2人とも相手を殴りつけようと拳と拳が近づく――！
「“光明の敬意”！！」
光と音がぶつかる――！！
◇◆◇
「何をしてはんのぉ、塵共が。」
その直前に女の声が聞こえた。
