(Side)守護者と聖女の話
Side:スメル
「以上がジャック先輩の様子です、ルイナ先輩」
「そう、分かったわ。教えてくれてありがとう」
キルヒ王国の王都バザー、その王城離れの尖塔の頂上。
今は彼女の居室となっているその部屋の奥。外側に広く突き出しているテラスに、魔王ルイナはいつもいた。
彼女は柵越しに地平の先をずっと眺めている。今もこうして僕が背中越しに話しかけていても、顔を半分振り向かせるだけで真っすぐ見ようとしない。
あの時を境に、彼女も彼も計画も全て狂ってしまった。誰のせいか———考えるのも億劫だ。
「何か言いたげね。どうしたのかしら?」
彼女の目は相変わらず僕を向かない。が、見透かされていたことに気づく。その口調は既に、オグストの村で向けてくれていたものから遠ざかっていた。
そうして問われたことに咄嗟に答えようと口を開いて、息を吐いて首を振った。
「いえ、詮無いことです」
「そう」
そうして彼女は前に向きなおり、再び地平を眺め始めた。話は終わったということなんだろう。
———どうして彼へかけた洗脳があれほど歪なのか。もう一度かけ直すことは出来ないのか。
そう問いかけようとしたが、やめた。もしそれで好転するのであれば彼女がそれをしないはずがない。
洗脳をかけた後の彼女の表情を思い出す。きっと彼女は彼がどういう状態でいるか把握しているに違いない。僕に様子を見てくるよう依頼したのはあくまでその確認。
だから今は平静であり、だからこそ早く1人になりたいと思っているだろうと推測する。
「それでは失礼します———ルイナ先輩」
だから僕は退出の声だけかけて部屋を出た。今、他人を慰めるほどの余裕はない。
扉を閉める直前に乾いた笑い声が聞こえてきた。どうでもいい、と思うことにする。
ため息を吐く。本当に、頭痛の種はこれ以上いらない。
「よう、小僧! 戻ってきたぜ」
「っ、アーセンさん! イリア様っ!」
魔王ルイナの居室からの帰り道。間借りしている王城の部屋に戻ろうとしていたところ、待ちわびていたひと達が廊下の向こうから姿を現した。
流離の傭兵アーセンさん。そしてその腕に抱かれた灰色髪の赤子、イリア様。
彼らの帰還はここ最近で唯一の嬉しい出来事だ。僕は思わず駆け寄ってしまう。
「すみません、アーセンさん。この度はこちらがお願いしたことにも関わらずとんぼ返りさせてしまいました」
「いや、何、気にすんな。必要なことだったんだろ? というよりも、なんだ。色々あったと思うがお前にもう一度会えて嬉しいぜ」
「私もです。まあ、おっしゃる通り諸手を挙げて喜んでいられない状態なのが残念ですけどね」
そう言って苦く笑みを浮かべてしまいながらも、差し出されたイリア様を受け取る。小さくなったその手に、優しく指を添える。
イリア様は僕の指を見つけてくれたようで握り返してくる。それを待ってから僕は口を開いた。
「イリア様、ご無事で何よりです」
魔王を封印するはずの天球封印が破られてしまった今、教会の上層は間違いなく荒れる。そんなところへ赤子のイリア様を単身で送るわけにはいかない。
早馬を出してアーセンさんに引き返してもらうよう頼んでいたが、間に合ってよかった。
「ちなみに、どこで早馬と合流できたんですか?」
「ヒヒトネスコだ」
国境に隣接する都市の名だった。
「―――本当に、ギリギリのところだったのですね…」
「ああ、既に大教会の使者とも合流していてな。引き返そうとしたら馬を抑えられて大変だったぜ」
「それは、とんだお手間をかけてしまって」
「まあ普通に走って帰ってきたがな。ちょっと聖女さんにはきつい行軍になっちまったかもしれねぇけど、許せ」
「いえ、イリア様も楽しい旅だったと笑っております」
「……そうか、聖女さんも案外肝が据わってんだな」
そう言ってアーセンさんは、僕の指を握ったままのイリア様の手を目を細めて見つめた。
「―――それで。話は変わるが小僧、お前らいつまで王国にいるつもりだ?」
「分かりません。これからイリア様と相談しようかと思っています。魔王ルイナとジャックさん、お二人をどうすべきか考えねばなりませんので」
「ジャックーーーたしか、オグストで唯一生き残ったやつ、なんだよな?」
そう言葉にしたアーセンさんの口は、口惜し気に歪んでいた。僕は首を振ってそれを諫める。
「…アーセンさん。申し訳ないのですがジャックさんと魔王ルイナについては私達預かりとさせてください」
予想はできたが、そう言うとアーセンさんはますます顔を歪めた。
だけどそれをそのまま言葉に表すことはせず、思案気に顎をさすった。
「……仲間がいた。そりゃ、金で繋がってるだけの仲間だったけどよ。それでも一矢報いてぇって思っちまうわけよ」
「今は、ご容赦ください。迂闊に手を出せば逆鱗に触れます」
「わーってるよ、クソッ」
アーセンさんは床を蹴る。そのまま振り返って後ろ手を振る。
「憂さ晴らししてくらぁ。また顔を出す」
「分かりました。この度は本当にありがとうございました、アーセンさん」
そうして頭を下げて大きな背姿を見送った後、誰もいなくなった王城通路を眺めて思う。
魔王を恐れて王が逃亡。上級騎士や兵士も少なくない数がオグストで死亡。
今回の作戦はデリケートな問題が絡み合った為、秘匿されたものだった。犠牲となった騎士兵士については死因どころか死亡すら未だ公表されていない。
問題は山積し、王国は泥船と化している。
「終わり、か……」
元々が暮れの災厄で最も被害の大きかった国だ。
国土のあちこちで地割れが発生し、ヒトも多く死んだ。物も不足している。災厄から1年経って最も絶望的な状況から脱したといっても復興には程遠い状況。
そこへ神の封印すら破り、ヒトの身で抵抗できるはずもない強大な存在が王城に入り込んだ。しかも精神状態が不安定で、いつ虐殺を起こすかも分からない存在だ。
当然最初は抵抗を示した。その意として近衛で囲ませ———次の瞬間には全員殺されていた。
魔王の意に背く者は殺される、己の身を守れる者は誰もいない。逃げ出した王がどのような心境に至ったかは察して余りある。
炎上はしないだろう。この国には既に燃えるほどの薪は残されていない。あとは燃え残ったものが崩れていくだけ。
誰かが何とかしてくれなければこの国はこのまま滅ぶだろう。そしてその誰かとは誰か、何とかとは何か。
英雄が魔王を倒してくれさえすれば状況は好転する。この国にとっても、大陸全土のヒトにとっても。
自分たちにとっても。
「……早く、来い…」
だから待つ。英雄がこの王城へ来るのを———いや、おびき出されるのを。
Side:イリア
世界から私は隔離される。
目を開けても見ることはできず、聞こえてくる音も意味あるものとして捉えることができない。
そう、私はまた死んだのだ。そして生き返った。
誰かに抱きかかえられ、自分の身体が運ばれているのを感じる。目を開けようとしても、未だ見ることに慣れていない目では光も色も眩しすぎて、全てが黒にひっくり返る。
手を伸ばしてみた。私を運ぶ者は握り返してくれない。
———そうよね。私を許してくれるあの子は、もういないのだから。
腕をたたむ。誰も手を握ってくれないのであれば、今の私にできることは何もない。
世界は一旦閉じられる。教会の誰かが生贄を見繕うその時まで。
私は、私に心を侵される哀れな子を待っていれば、それでいい。
そう思っていた、でも。
「ーーーーーー」
あ———嘘。勘違いじゃない。誰かが私の手を触っている。さすがにまだ大教会にはついていないだろうしスメルの代わりをあてがわれるには早すぎる。
……私のことを知らない子かしら。
手に触れている誰かの指。私は戸惑いながら、その指を握り返す。
「ーーーーーー」
そして私に何かを語りかけてくれる。
瞬間、数多の情報が頭に飛び込んでくる。
私の手を握っているのがスメルで。なぜ彼が生きているのか、今私がどこにいるのか。
あの村で起こった出来事の顛末。ルイナさんやジャック君達の今の状況。
それを受けてスメルがどう感じたか、どう思ったか、どう考えているか、どうしようとしているのか。
最後に心を侵してから今までに蓄積されたスメルの記憶の全てが私の中に入ってくる。
………なんという、こと……
———絶望、に落ちてしまうほどに状況は悪い。あまりにひどい状況だった。それは世界にとっても、私にとっても。
でも、スメルは考えてくれていた、打開の策を。
だから私は思念で答えた。
(…やりましょう、スメル)
まだ言葉すら発せない赤子の身。
頼りになるのは私を許してくれるこの子だけ。




