(Side)ユーテル神聖国での話
Side:ツォンギン
ロールキンでの異端騒動が終わって数ヶ月が経ったある日。そいつはそれを突然持ってきた。
「これは、なんだ?」
思わず眉間に皺が寄ってしまったのをほぐす。執務机に頬杖をつきながら、俺は目の前に立つ奴を見上げる。
奴は至って真面目腐った顔をして、一方で緊張感の欠片もなさそうに見える顔つきで宣った。
「異動願いです、ツォンギン隊長!」
「………」
そんなことは分かっとる。受け取った羊皮紙の標題にデカデカと書かれている『異動願い』の文字と、目の前の顔を再度見比べてため息を吐いた。
「……、あー……」
そうして言おうとしたことがまとまりきらず、頭の後ろを掻きむしって言葉を探し直す。
だが結局見つからず、手のひらを膝に下ろした。
「ひとまず、受理する」
「ありがとうございます! ご検討よろしくお願いします!」
俺が検討するわけじゃないんだよ、こういうのは。そう言ってやりたがったが勢いよく下げられた頭の前では苦く顔を歪めることしかできず、そのまま手を振って退室を認めた。
部下が出ていった後の部屋で、椅子に深く座り直す。窓の外を見ると空は昼下がり。白い雲がのんびりと宙を流れている。
平和な空模様だった。
「あ~……そうか。サラがねぇ…」
しみじみ言ってみてから、サラが持ってきた手元の羊皮紙へ視線を戻す。
『異動願い 聖都キヴェヤスクへの配置替えを望む。職種は異端審問官のままで』
脚色を省くとおおよそそんなことが書かれているそれを読み返し、胸をつくのは複雑な思いだった。
俺とサラは単なる上司部下の関係でしかない、と周りには思われているだろうが、そうではない。ちょっとした奇縁がある。
サラは、俺が初めて異端でない者を異端にした者の、妹だった。
今でも容易に思い出せる。十数年前に異端を庇った長身の村娘。不可抗力で異端を庇ってしまっただとか、情けで世話をしてしまっただとか、その娘が抱えていたのはそんな事情とはまるで違った。
『あたしは、あたしが正しいと思ったことに殉じるだけよ』
異端を背に庇うその娘の顔に怯えや悔いは全くなく、あろうことか異端の烙印も先輩異端審問官の手から奪って自分で頬につけた。
当時、新任といっても過言ではなかった俺はその全てに圧倒されてしまい、世にはこんな風に異端を庇う者もいるのだと衝撃を受けた。
間違いだった。その後異端審問官を続けても、あんな莫迦げた異端はその一人きりだった。
そして、そんな異質な異端には妹がいた。莫迦げた姉の行いを、幼いながらに非難する妹が。
その姉妹の最後のやり取りは鮮烈に記憶に残っている。泣きながら姉の過ちを糾弾する妹が哀れで仕方がなかった。その後、聖都含めてあちこち拠点で経験を積んで何人か異端でない者を異端にしてきたが、どうしてもあの姉と妹のことは忘れられなかった。
そうして10年ほど経った後、その姉とそっくりの顔をした娘が部下として配属されてきた。
『サラ=マインレソンです! 異端により不幸になる民を少しでも減らせるよう粉骨砕身努めます!!』
一目であの時の妹の方だと分かった。そいつは莫迦でかい身長で、莫迦でかく声を張り上げて、莫迦みたいに綺麗ごとを宣った。
若いな。真っ直ぐだな。こいつは異端審問官のつらさを知って心が折れたりしないだろうか? 当時の俺はそう不安に思った。
ただサラは職務に非常に忠実だった。異端に対しても、異端に手を差し伸べようとする者へも、極めて厳しい態度を取った。そして目の前の者を異端と断じるか否か、その線引きも幕引きも非常にうまかった。
その原動は、やはり姉のことがあったからだろうと思う。それとなく聞くことができたが、どうやら姉が異端となった時に周りにいた異端審問官のことなど大して覚えていないようで、それでなくても10年も経てばこっちも顔つきが変わる。ばつの悪さもあって、俺は単なる上司として接することにした。ただ、どうにもフォローを手厚く入れがちになっているようで他の部下に『女に甘い』、『若手に甘い』、『嫁に怒られますよ』などと弄られてしまう。
それでも、周りも本気で弄ったり妬んだりしているわけではないことは知っている。俺や部下にとってサラとは、優秀だが目が離せない部下後輩だった。直情的であり、ちょっとした壁にぶつかってもダメージを受けながら突き破るくらいの気概がある。ただ、目の前の壁が厚すぎた時、へこたれるくらいであればいいが突然明後日の方向に暴走し始めたりする。この間の異端騒ぎの時なんてまさしくそうだった。
変な奴ではない。ただ目が離せない。これが娘に対する親心のようなものか———なんて、そんなことを口にしようもんなら妻と息子が怒るだろうな。
「さて、どうするか」
それはともかく異動願いだ。今、窓の外では平和な空模様の下、直属の部下含め教会関係者が多く街の復興に駆り出されている。瓦礫の除去、炊き出し、新しい生活を築くための地盤作り。そういったところに人手を割かれている。
おかげで煩雑な事務手続きや人員再編等、検討の前段階的な資料が手元に溜まる。いつもは決済するだけだった事務作業に時間がかかってしょうがない。今宵も家に帰れるかどうか、微妙なところだ。
そうして、そんな瑣末な弊害含めて大小色々ありながらも、トーラは前向きに復興作業が進められている。物やヒトに被害はあったが新しく建て直し新しくヒトを招こう。そういう雰囲気が漂っている。
ただ聖都は違う。南にあるかの地は多くが崩れ、多くが死に、大地が崩落して全てが喪失した地域すらある。都市の機能を復活させるのが最優先となり、民の暮らしまで手が回し切れていない。教会関係者も多くが復興に力を尽くしているが圧倒的に人手が足りない。ちょうど執務机に積み上げられている資料の山のどこかに、聖都から応援を要請する本部指令があるはずだ。誰を遣るか考えなければな———と思っていたところにサラからのこれだ。
サラは全く選択肢に挙げていなかった。田舎育ちなサラでは出身地に近い地方都市トーラであれば良いとして、聖都では土地勘が無さ過ぎる。いずれは聖都勤務も経験させてやりたいとは思っていたが、上層部同士の軋轢に巻き込まれ、教会内政治力が試されるあそこはサラにはまだ早い。
それでなくとも災禍で混乱に陥っている今はない。有り得ない。内外に不安要素しかなく、サラを行かせて良いとは思えない。だからこそ聖都経験のあるベテラン部下の中から選ばせてもらおうと思っていた。
「本人の希望、本部の要望、必要性…」
その全てが合致しているのであれば、本部へその旨伝えれば叶うだろう。だが、サラが聖都勤めを希望しているのには、どうもあの異端狩りが関係しているような気がしてならない。あの遭遇があって以降、サラの様子がおかしかった。
別に職務が疎かになったり集中力を欠いていたりとかではない。何か、自分で“これ”と決めたものを見据えて全力で動いている。そんな感じだ。
「それが危なっかしいというのに…」
今どきの若い奴はそれが自分にとっての正解と見据えるとなかなか頑固だ。なまじ俺ら世代より頭が良いから、その答えの確からしさを演出するのが上手い。そして、実はとんでもないところでボタンの掛け違いを起こしていて足元をすくわれる。昔なら莫迦をやればすみませんで済んでいたところが、とんでもない大事になってから問題が発覚する、なんて話も周りではよく聞く。
サラが今抱えている問題がそうであるかどうかは分からないが、サラはそういったことを普通の若手より盛大にやらかす。だからこそ目が離せない。
「……はぁ…」
とはいえ……やれやれ、たかが1人の部下のことで考え過ぎだ。さっさと判断してしまおう。
異動、異動か。考え方を変えれば、サラにとって聖都勤務は良い経験にもなるだろう。時機としては非常に大変なものがあるが、忙しさで目を回しているうちにいつの間にか身についているものもある。そんなことは往々にしてある。
それに異動先での失敗は、言ってしまえば俺には関係ない。さすがに教育不足でのやらかしがあれば誹りも甘んじて受けるが、そういったところはサラは大丈夫だろう。
「あの先輩、まだ聖都勤めだったか…? いや、それよりは面倒見の良い隊をそれとなく教えてもらうか。それかいっそ後輩を付けてもらった方がサラの暴走も止められ……いやいや、それか———」
そうして長らく考え込んでしまい、他の資料に全く手がつけられていない間に窓の外で陽が暮れてしまったのを見て、今夜も家に帰れないことに気づいたのだった。
Side;???
それはユーテル神聖国、聖都キヴェヤスクの中心区。ラサ教会総本山にあたる大神殿で交わされた会話である。
「禁忌卿よ。貴方が異端狩りに任命した例の者、また騒動を起こしたそうではないか」
「そのようですな、管理卿。いや、まったく。アレは随分と働き者のようで私も嬉しい限りです」
「市井をどうお考えか? 街中で人殺しなど、教会に属する者として———」
「お言葉ですが、アレはヒトを殺めてはおりませんよ。害すのはあくまで異端のみ」
「言葉遊びだ。異端とはいえヒトの形をしたもの。であれば民が見ているのはヒトを殺す聖職者の姿。正しいとも良いとも思えぬ」
「しかしアレも私も契約は反故にしておりません。則ったうえでの行動であれば、忠言頂く謂れはございません」
「あんな契約っ!! そもそもあれは禁忌卿、貴方が———」
「やめんか管理卿、それに禁忌卿も。今回の議はそれが主ではないだろう」
「あい、左様ございますな、伝道卿」
「……くっ」
苛立ちで思わず席を立った者が諫められ、椅子に座り直したところで改めて1人の男が同じ円卓を囲む6人の顔を見た。
「さて、今宵はお集まりいただき、などと僅かな時すら惜しい。挨拶や禍根はそこそこにして早速本題に入らせてもらいます。此度の議題は預言に謳われた“魔王”への対処。聖女様をあてるか否か。それについてでございます」
そうして会議は長らく紛糾する。結論はその日に出ることなく。
ようやく結論が出たのは魔王の所在や現状について情報が集まった後。それはおおよそ災厄が起こってより1年も後のことであった。




