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銀と魔法使い  作者: あっちいけ
第1章 銀が世界を終わらせる、その時まで
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(Side)それぞれの3か月 後編

 


 Side:カネル


 ここは地上、ヒト族がキルヒ王国と呼んでいる領内の大森林の奥地。


 夜の帳が下りた森の中で、カネルは息を殺し走る。風に紛れて葉音を消し、木々の間を縫って回り込む。


 そして獲物の背を目前に捉えた。ようやくカネルの気配に気づき、振り返ろうとするその動作は巨体な割には俊敏。


「……っ!」


 カネルは一息に獲物へ襲い掛かる。相手は大人よりも大きな身体、全身を覆う硬い鱗、そして鋭利な牙と直視すれば死に至る呪いの魔眼。


 高い生命力と防御力を持ち、なおかつ致死性の高い攻撃力を持つ魔物、バジリスクは本来一人で狩るような対象ではない。入念な準備を行い、魔眼を封じるための目潰しや目暗ましを先行して図り、それが効果を発揮したら熟練の冒険者が数人がかりで狩るのが常である。


 しかし―――


「ギッ…!」

「っ!」


 剣を防ぎ、魔術すらも弾く硬質なバジリスクの鱗は、しかし切れ味鋭い吸血鬼の爪によって貫かれる。


 その一撃は急所を狙ったものだった。が、強靭な魔物バジリスクを仕留め切るには至らなかったようで反撃とばかりに脚や尾による攻撃が振るわれる。それらをなすカネルの対面、先回りするように即死の魔眼が開かれており彼の顔を至近で見る。


 しかし、カネルは目を閉じていた。魔眼は吸血鬼にとっての洗脳魔術と同じで、視線が交わらなければ発動しない儀式魔術に該当する。こうすればバジリスクの魔眼は無効化できる。


 ―――とはいえ、最初の一撃で仕留めきる自信があればそもそも目を閉じる必要もなかった。そして結果はこの通りだ。カネルは未だ至らない点を自省しつつ、薄く目を開いてバジリスクの攻撃をかわし、魔眼の気配を感じては目を瞑り、隙を見て爪で傷をつけていく。


 やがて力尽きたバジリスクが、ごうと音を立てて地に倒れ伏す。きちんと倒し切れたかどうか、確認のためにも風下級魔術を使って魔眼を潰す。


 反応はない。少し時間がかかってしまったがきちんと仕留められたようだ。


「ふぅ……」

「いやぁ、バジリスクもこんなに楽に狩っちまうなんて、さすがカネル坊だな」


 カネルが一息つくと後ろから声をかけられる。カネルに同行―――いや、立場上はカネルが同行させてもらっている大人の狩人である。


「カネル坊はやめて下さいよ、もう成人したんですから」

「まだまだ第一成人だろ? 第二成人(はたち)になったら考えてやるよカネル坊」

「分かりましたよ、もう……」


 カネルは諦めてため息を吐きながら、爪についた血のりを拭う。そうして死体となったバジリスクの必要部位の採取に取り掛かった。


 バジリスクの内臓、血、皮は非常に有用である。内臓は薬の原料となり、血は含まれている魔素成分の濃度が高く、皮は鍋などの生活必需品から鎧等の防具まで様々な材料に使える。肉は硬く美味くない為その場に捨て置く。


(アリス、これで元気になってくれると良いな……)


 今回、カネルがバジリスクの狩りに同行したのはアリスの為であった。


 バジリスクの内臓を加工した薬には身体の傷を癒す効能以外にも多くの魔素が含まれている。背中に重傷を負い、且つ“輝ける陽光”によって魔素枯渇状態にされてしまった今のアリスに適している。

 さらに高濃度の魔素が含まれているバジリスクの血を媒介に儀式を行なえば、効率的に魔素供給が行なえる。


 本当であれば、最も魔素摂取効率の良い“飲血”で魔素補給が出来れば良いのだが、意識のない彼女が血を受け入れることはなかった。故に治療は長引き、意識回復の目途は一向に立たない。


(アリス……)


 カネルの拳が自然と握りしめられる。それは闘争の儀において、何よりも優先して守るべき人を守れなかった後悔と自分への不甲斐なさの表れであった。


 彼と彼女の関係は、生まれた時より許嫁の仲であった。吸血鬼として生を受け、物心がつき始めた頃、彼は自分が王族の次に偉い侯爵家に生まれたことに驚き、そして王の一人娘―――姫と生まれながらにして許嫁の約束が交わされていることへ全くの現実感を持っていなかった。


 その姫とは生まれてすぐに顔合わせをしたらしいが、残念ながらその頃の記憶は定かではない。3歳を迎えた頃、再び顔合わせとなった際に彼はアリスを初めて認識した。


 純銀が織り込まれているのではないかと思うほど綺麗な銀髪、ひと際目を引く紅い瞳、ハッキリとした目鼻立ち。およそ前世の記憶の中でも見たことがないような、人形のように完成された美貌が既に3歳の時点で際立っていたのだ。


 カネルは息を呑み、姫の姫たるカリスマ性や求心力を目の当たりにしたのであった。このように美しい姫と自分が肩を並べても良いのか? と彼はますます疑問に思った。


 吸血鬼の素養や才能は前世に多少左右される。魔術師であるなら魔術の才能が、狩人であるなら狩りの才能が秀でる。自分は前世においての記憶が他者より不明瞭であり仔細は思い出せないが、剣を振るっていた記憶がある。そして何かを守るという役目を担っていたと朧げに覚えている。


 恐らく良くて近衛の兵、悪くて門番なんていう凡庸な記憶しか持ち合わせていない自分が、たまたま侯爵家に生まれたからとこのような姫と婚姻するのは場違い甚だしいのではと思っていた。


 しかし―――


「ぱーぱ、あのこ、だーれ?」

「うむ、アリスのお友達になってくれる子だ」

「えーそうなの? んふふー、よろしくね! わたし、アリス!」


 王の言葉に無邪気な笑顔を浮かべ、舌っ足らずに自己紹介をしてくる姫。様子がおかしいとカネルは訝しんだ。【前世の記憶】を持つ者が取る言動ではなかったからだ。


 前世の記憶があるというのは精神面に大きな影響を与える。吸血鬼としては3歳であろうとヒト1人分の人生の経験値を積んでいる以上、皆早熟傾向にある。


 カネルの周りにいた歳の近い子供も皆年齢以上の言動を取っていた。それなのに目の前の姫は年相応の―――まるで本当の幼子のようであった。


 思わず面食らい、父と王の顔を見てしまう。すると、王が姫には前世の記憶が全くないことを教えてくれた。


 …衝撃を受けた。吸血鬼における前世の記憶の欠如は死の直前の精神状況と因果関係があるとされている。満足して死ぬ、突然死ぬ等によっては魂に傷が入らなかった場合、魂はそのまま吸血鬼の器に転生し十全な記憶とともに蘇る。


 しかし、魂に異常をきたしていたり精神的外傷(トラウマ)を伴って死んだ場合、傷ついた部分の魂は記憶とともにこそぎ落とされ健全な精神状態でもって転生を為す。


 それが全ての記憶を失くしたという彼女の場合―――記憶の全損が意味するのは、前世における人生の大半が彼女にとって精神的外傷となる出来事ばかりであったということに他ならない。


「………」


 王の言葉に絶句してしまったカネル。その様子を見て、姫は不安げに声を上げた。


「わたし、アリス、なの……あなたのおなまえ、は?」


 その声は震えていた。見れば目尻に涙が溜まり、意志の強そうに見えた顔が悲しみに崩れている。それを見たカネルは慌てて自己紹介をした。


「あっ、は、はい、私はグーネル侯爵家の嫡男カネルでございます、姫。以後、お見知りおきを―――」

「……んー?」


 カネルの自己紹介に対し、姫は目に涙を溜めながら小首を傾げた。その様子を見て妃が助け船を出す。


「カネル君、娘はまだ難しい言葉遣いが分からないの。だから、アリスに分かる言葉で接してあげてもらえると嬉しいわ」

「は、はい、かしこまりました。えー、では……」


 そうしてカネルは新たな自分を作り出す。姫の良き友達として、良き理解者として、彼女に安心してもらえるように。


「俺は―――ううん、僕の名前はカネルっていうんだ。よろしくね、アリス」

「……! うん、よろしくね、カネル!」


 姫―――アリスはそう言って無邪気に笑う。目尻に溜まった涙は笑顔の前に弾け飛んだ。


 その笑顔を見て、カネルは心に決めたのである。アリスは自分が守ると―――『守る』という言葉は予想以上に自分の心にすっぽりとはまった。


 許嫁であるとか姫であるとか関係なく、前世において不幸に塗れただろうアリスを今生では幸せを掴めるように守っていくと、彼は心の中で誓ったのである。
















 Side:リリスフィー


「我はきみ。血を結び、緒を紡がん」


 アリスの母、リリスフィーは今宵も朗々と唱える。


「君は我。血を捧げ、緒をほださん」


 詠唱と共に彼女の身体より魔素がこぼれ出ていく。それはやがて触媒を介して彼女の胸と寝かされたアリスを一直線に繋ぎ、純白の軌跡を描く。


「我と君。血をともにするともなれば、かとう。其は祖なる素、魔なる力を今与えん!」


 そうして詠唱を終え、儀式の準備は整った。リリスフィーとアリスは繋がれ、魔素の譲渡が可能となる―――吸血鬼固有の儀式魔術“魔素譲渡の儀式”は為ったのだ。


「ふぅ…」


 一息つく。繋がればあとは魔素をアリスへと注いでいくだけである。リリスフィーは自身が魔素欠乏に陥らない分の魔素を保持したまま、残りをアリスへと行き渡るよう儀式の制御を終え、椅子へと腰かけた。


「………」


 娘の青白い顔を見下ろし、母はその額を拭って熱を探す。触れていなければ、死んでいるのではないかと不安が首をもたげてくる。触れては微かに感じる生命の熱に、母は安堵の息を漏らすのであった。


 ……闘争の儀より帰ってきた娘は、見るに堪えない姿であった。背に大きな傷を作り、魔素欠乏により頬はこけ、銀の髪は艶を失い、意識を失ったまま目を覚まさない。


 泣き腫らした。どうして最も敵が強い組にアリスを割り当てたのか、アーデルセンへと強く当たった。その決定に異を唱えなかった自身の楽観に、助けが必要となる場面は別にあると思い込んでいた自身の油断に、激しく後悔をした。


 そして部屋に籠り、今まで娘に本当のことを言えなかった、自分の不甲斐なさに泣いた。


 娘を真に大事に思うのであればこそ、取ってこなかった行動の中にこそ正解があったのではないかと、悔しさに泣いた。


 娘を愛しているからこそ、このように影でしか感情を表に出してこなかった過去への罪悪感に泣いた。


 それでも、泣いて一日をふいにしてしまった罪悪感も芽生え、それより己へ泣くことを禁じた。


 魔素譲渡の儀式魔術は血の繋がりがある者の間でしか効果を発揮しない。夫はこのナトラサの王である。同族きゅうけつきには勿論のこと、国外の魔族や魔物達へも弱さを見せてはならない。娘にかかれる時間も限られている。故に、潤沢に魔素を供給できる者は自身を除いて他にいない。


 彼女は来る日も来る日も魔素を供給し続けた。その総量は女吸血鬼最強と過去謳われたリリスフィーにして、既に自身の常の保有量の20倍を超えている。


 アリスが倒れてより2週間が経つ。その毎日の朝昼晩、一日3回も魔素を供給し続けている。普通の吸血鬼であれば、一日と待たず快復するはずの量であった。


 しかし、アリスは目覚めない。彼女の身体は魔素を生命源としている魔族として、致命的なほどに魔素と相性が悪かった。


 魔素譲渡の儀式は対象の器が魔素で満たされると解除される。アリスが幼い頃から彼女が成長できるようにと魔素を与え続けてきたリリスフィーだったが、儀式が自動で解除されたことは一度たりともなかった。


 医者曰く、受け手側であるアリスの魔素摂取の効率が悪く、リリスフィーが渡している魔素のおよそ100分の1も摂取できていないだろうとのことであった……それでも譲渡しないよりは遥かに良い。リリスフィーは幼少の頃より時々アリスを呼び出し、魔素譲渡の儀式を行ってきた。


 そんな彼女だからこそ悟ってしまう。こうして魔素欠乏に陥ったアリスへどれだけ魔素を譲渡しようとも、きっと快復は遠いのだと。


 それでもその役目は自身にしか出来ないのである。そして、まともな(、、、、)手段はこれしかないのである。


 そうしてリリスフィーは日々、アリスへ魔素譲渡を繰り返した。


 4週、5週、6週が過ぎる―――未だアリスは目を覚まさない。


 7週、8週、9週が過ぎる―――幼馴染のカネルが色んな触媒を持ってきてくれるが、それでも快復の見込みは立たない。


「………」


 そうしてアリスが倒れてより10週間の時が経つ頃―――リリスフィーはとうとう禁忌に触れる。


 それは夫が犯したものと同じ罪である。誰にも言えぬ、誰にも悟られてはならぬ、禁忌であった。


 リリスフィーは部屋中に偽装と攪乱かくらんの幻術をかけ、誰が盗み見ようとも聞き耳立てようとも明かせぬ秘密の部屋を作り出す。


 そして懐に忍ばせていたナイフを取り出した。部屋の中にはアリスと自身のみ。


「……ふっ」


 それを突き刺し、流れ出る血潮を見て、リリスフィーは自嘲の息を漏らすのであった。











【Tips】前世の記憶

 あるところに心優しい少女がいました。

 彼女には前世の記憶がありました。子牛だった頃の記憶です。お母さん牛とお父さん牛からたくさん愛情を注がれ育ち、同じ牧場にいた男の子牛に恋をしました。


 やがて子牛は大人になって、大人になった男の子牛と交わり、子供牛を産みました。

 子供牛にはたくさん乳を飲ませてあげました。そして元気に牧場を走り回る子供牛の姿を毎日優しく見守り、夜は家族一緒に干し草のベッドの上で眠る―――そんな幸せな記憶でした。


 さて、ところが今の彼女はヒトです。お母さんとお父さんは彼女を愛してくれているようですが、晩御飯には牛肉を使った料理を出してきます。

 少女は泣きました。私がそこにいる、私の子供がそこにいる。心優しい彼女は泣き腫らし、牛肉には絶対に手を付けませんでした。


 ところがある日、少女はどうしてもお腹がすいてしまって、とってもいい匂いのする牛肉のステーキを食べてしまったのです。


「……これ、おいしい!」


 少女はその日からヒトとして生きるようになりました。前世の記憶があろうとも、今の彼女はヒトでしかないのです。

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