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銀と魔法使い  作者: あっちいけ
第1章 銀が世界を終わらせる、その時まで
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1-8.4か月前 成人の儀(6)

 

(痛いっ! 痛いっ!!!)


 アリスは心の中で絶叫を上げていた。風魔術の攻撃起点―――その威力が最も増す場所にいた彼女は宙を勢いよく吹き飛び、岩に激しく打ち付けられていた。


 尖った岩にぶつかった背中の傷が、耐え切れない程の激痛を返してくる。


「がっ…はっ……き、きひゅっ……」


(痛い痛い痛いっ!! 助けてっ! 誰か、お願いっ! 助けてっ!!)


 あまりの痛みに言葉が出ない。涙に滲んだ視界で、一緒に飛ばされた仲間たちを見回す。


 カネルは起き上がろうとして腕に力が入らず、その場に伏すばかり。

 ソーライは眼を真っ赤にしヒトを睨んでいるが口から出るのは詠唱ではなく呪詛ばかり。

 リカは涙をぽろぽろと流し、痛みに震えてしまっている。

 そして頼みの綱であるカリーナは地に伏したまま身動き1つ取らない。まるで死んでいるかのようだった。


 誰一人としてまともに動ける者はいなかった。先ほどまで余裕の戦いを見せていた同族が、今はたった1人のヒトに手も足も出ない。それが『輝ける陽光(マディラータ)』の力であった。


(誰でも、いいからぁっ…!! 助けて、痛いの、痛いのっ!! 痛くて、苦しいっ! 怖いっ! 痛くて、痛すぎて、訳が分からなくなるっ!!)


 視界が真っ赤に染まる。息を吸う度、息を吐く度、激痛が走る。歯を食いしばって堪えることも、叫んで痛みを外に逃がすことも出来ない。


 逃げ場のない激痛が彼女の内へどんどんと溜まっていく。


 アリスは必死に救いを探して、唯一この場で立っている者―――茶髪の魔術師を見る。押し寄せる激痛で明滅する視界の中、彼女がスタッフを翳して何かしているのだけは見えた。


 それがアリスにとって救いなのか、より痛めつけるための悪意なのか分からない。アリスは藁にも縋る思いで地を這いずり前へ進む。


「くっ、“輝ける陽光(マディラータ)”を受けても動けるのっ?! 早く、仕留めないと……!」


 その声を聞いてアリスは絶望する。それは紛れもなく殺意に満ちており、彼女を救ってくれるものではなかった。


 もちろん、彼女をこのような目に合わせたのはあの魔術師だ。敵である自分達を救ってやる義理などあるはずがない。


 それでも、激痛から助かりたい一心で這いずった彼女の、最後の希望は砕かれた。


(あ……)


 希望が砕けた。絶望の黒で視界が染まる。


 自分はもう、この痛みから逃げられない。

 この苦しさから逃げられない。

 この怖さから逃げられない。


(あ、ああ……)


 暗闇が目の前を染めていく。痛み、苦しみ、恐怖―――幾重にも重なった絶望の黒は、やがて彼女の意識を混沌の底へと落としていった。















 《だいじょうぶ…》


 その時、聞こえてくる声があった。


 アリスは首をもたげる。気が付くとそこは、暗い、暗い、世界であった。


 《こっちよ…》


 何も見えない、果てしない、闇の世界。


 声だけが聞こえてくる。アリスは聞こえてくる声の方へと手を伸ばした。そこに救いがあると信じて。


 こつんと、指先に何かが当たる。見ると、誰かの指先とぶつかっていた。


 《やっと、みてくれた…》


 誰かの指先は固く、つるつるとした感触であった。


 撫でてようやく分かる。そこにあったのは【鏡】であった。


 向こうに、“私”がいる。


 《いたいのは、こわいよね。いやだよね…》


 鏡の向こうから声が漏れてくる。アリスは、ズキリと襲う背の痛みに歯を食いしばり、それでも声に答えようと頷いた。


 誰でもいい、誰でもいいから、助けて欲しい。救って欲しい!


 《わかってる。もう、だいじょうぶだから…》


 聞こえてくる声は、まるで福音のようであった。


 鏡の向こうから光が滲む。それは大きな珠となって、アリスの身を包む。


 刹那、すぅーっと背の痛みが引いていく。同時に意識が遠のいていく。


 徐々に世界が白み始める。暗い世界が崩れていく。


 《また、あいましょう…》


 鏡の向こうから、声が聞こえる。


 白んだ世界では鏡の向こう側は見えなくて、アリスは暗闇の世界で意識を手放し―――現実にて意識を取り戻した。











「………!」


 どれくらいの時が経っただろうか。暗い世界へと旅立っていたアリスは、自分が気を失っていたことを自覚した。


 背の痛みを感じない。動かすと骨が軋むような、肉が引きちぎられるような感覚はあるが、痛みはない。彼女は痛みから救われたのである。


 しかし、それで状況が打開されたわけではない。痛みがなくなっただけで、背中の傷が癒えた訳でも、目の前の危機が去った訳でもない。茶髪の魔術師はせわしなくスタッフを動かし、魔法陣を描いている。その様子を―――自分を殺さんとするその過程をアリスは虚ろな目で眺める。


 このままでは、自分達へ魔術が行使されるのは間違いない。


 痛いのかな? ―――痛いだろうな。

 死ぬのかな? ―――死ぬだろうな。

 怖いのかな? ―――それは、よく分からないな。


 最早痛いのはどうでもいい。よく、分からない。


 それに死ぬのだって別に、どうだっていい。今死んだ方がこれ以上色々苦しまずにいれて、もしかしたら楽なのかもしれない。ここまで育ててもらった父様や母様には申し訳ないけれど、自分のような不出来な娘はいない方がいいはずだ。


 だから、痛いのも死ぬのも、もう別に構わない。


「くっ、……ぐぅっ!」

「こんなところで、死んでっ……いやだっ、くそがぁっ!」

「痛い、もういやだよぉっ、痛い、よぉ…」


 でも、声が聞こえる。3人の声―――みんなが苦しんでいる、怖がっている、痛がっている。


 彼らの命は、きっと、尊い。無能の自分の命より何万倍も価値がある。自分が生まれてき場所に、彼らが生まれてきてくれた方が、きっと、何万倍も、誰にとっても良かっただろう。


 命の重さは測れるものだ。彼ら3人の命が乗っている天秤。反対側には、まだ何も乗っていない。そしてその天秤の前に立つ自分の手には、無価値で無力な自分の命。


 ……もし―――


「……っ!」


 もし、無価値な自分でも彼らを助けられるのであれば。


 助けられる可能性が僅かにでも生まれるのであれば。


 あの子がいてくれて良かったと誰かが思ってくれることに、期待していいのなら。


 この命、捨てることに何ら後悔はない。


「っ…!」


 アリスは立ち上がる。その心は既に麻痺している。絶望を知り、希望を失い、正しい判断などついていない。ひとはそれを“自暴自棄”と呼ぶ。


 彼女の目の前には吹き飛ばされた際に手放していた短剣が落ちていた。しかしそれには手を伸ばさず、彼女は導かれるように傍らに落ちていたソーライの短杖を拾い、唱える。


「ま、じゅつのっ、祖よ……、わ、我に、力を与えよ―――」


 彼女が口ずさむのは、唯一覚えている“詠唱魔術”。幼い頃、両親からは一番簡単な魔術だと教えられた、単純に魔素の塊を相手にぶつけるだけの無系統初級魔術。


 前に行使した時は不発の上、魔素欠乏により意識をなくしてしまった。血が飲めない無能じぶんなんかに出来るわけがなかったと、両親に暗い顔をさせてしまった。そんなつらい記憶しかないその魔術。


 それでも今はやれると彼女は確信した。その確信には根拠はなく、ただの縋りでしかなかった。


「悪あがきっ?! 無駄よ、そんな初級の魔術蹴散らしてやるっ!」


 対する茶髪の魔術師はとうとう水系統下級魔術<氷結槍>の魔法陣を完成させた。魔法陣の中心へスタッフを叩きつける。


「死ね!!」


 吐き出された呪詛の言葉とともに、氷で出来た鋭利な槍が宙に12本現れる。と同時に指向性を持たせ、宙をく走らせる。


 後方4体の身動きが取れない吸血鬼にそれぞれ2本ずつ、前に出てきた吸血鬼に4本を割り当てる。1本くらいは悪あがきの魔術で軌道を逸らされるかもしれないが、そんなことで有利は覆らない。


 勝った! 氷の槍が吸血鬼たちを貫く様を夢想し、彼女は確信の笑みを浮かべた。


「……!!」


 対してアリスは、自身の全てを投げうった。


 杖へとありったけの魔素を込めていく。その度に自分を構成する“何か大事なもの”が失われていく感覚が襲い、自分の死が近づいてくるのをアリスは感じた。


 だけど自分が保有する魔素の量が他人より果てしなく少ない自覚があった。だからこそ、全てを注ぎ込まなければ、何かに抗うことなんて出来ないと思った。


 ……自分の全てと引き換えに、価値ある同族を助けられる可能性が少しでも生まれるのであれば、決して、全然、惜しくない。


 無能じぶんでも、誰かを()()ことができるんだと、信じて、いきたい。


「……っ、<魔撃>!」


 そしてアリスは最弱の魔術“魔撃”の呪文を唱えた。


 瞬間―――


 ゴウッ!!!


「っ、な、何っ?!」


 茶髪の魔術師が悲鳴を上げる。目の前に大きな光の塊が忽然と現れ、彼女は顔の前に手を翳す。


 光の塊―――それは“魔撃”であった。通常の“魔撃”がこぶし大であるのに対し目の前のそれは大人が両腕を広げた時以上の大きさを持っていた。


 その恐ろしく巨大な“魔撃”は真っ直ぐ茶髪の魔術師へ向かって飛ぶ。その途中で12本の『氷結槍』と衝突したが圧倒的な威力の差の前に掻き消える。


「何よ、これ―――こんなの、魔撃じゃ……」


 そうして呆然と立ち尽くす茶髪の魔術師を“魔撃”が襲う。彼女の姿は巨大な白に捉われ蒸発する。跡には何も残らない。


 ヒト1人を消し去った後、なおも“魔撃”は止まらない。突き出た岩を削り取りながら洞窟を突き進み、やがて壁にぶつかりある程度抉ったところで力をなくし霧散した。


 それらの現象を起こしたアリスは、ただその場に立ち尽くしていた。


「……アリ、ス?」


 しばらくして、それまで地に伏していたカネルが朦朧とする意識の中、事態の変化を感じ取り視線を上げる。そして、佇む背に声をかける。


 しかし応じる声はない。ぐらりと、アリスの身体が傾く。


「…っ! アリス…ッ!」


 まるで糸が切れた操り人形のように、アリスの身体はその場へ崩れた。その瞳に、輝きはない。


「アリスッ! …っ、アリスッ!!」


 カネルの声が洞窟に響く。


 アリスの意識はこの後、長く戻ることはなかった。








【Tips】鏡

 自分自身の容姿が映るもの。映し出される姿は虚像と呼ばれ、実像に極めて近しい『違うもの』である。

 この世において自身の魂を可視化する手段はない。それに伴い、魂の中に納められている精神、心、思考といった抽象的な概念も物質として捕捉することは困難である。

 しかし、彼らはそれら抽象的な概念を鏡を介して垣間見ることがある。そこに映し出されるのは自分自身の精神の虚像。故に精神の虚像を収めた鏡こそ魂そのものなのである。

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