第五十八話 帰還
魅了の道具らしきオリサシアン様の腕輪を溶かした翌日。私は王都にある
我が家の前に来ています。
「荒れてる……」
ほんのわずか、留守にしただけだというのに。前庭には雑草が蔓延り、門の辺りには汚物がまき散らされて悪臭を放っています。
よく見れば、窓も割られているようです。お父様が冤罪で鉱山送りになりましたから、親族も誰も近寄らなくなり、泥棒でも入ったのかもしれません。
とはいえ、大事なものには常々私が結界を張ったり、魔法収納に入れたりしていたので、被害はないと思いますけど。
まずは、家の周囲を綺麗にしないといけません。
雑草を抜き、割れたガラスを元に戻し、門の周辺にまき散らされた汚物を庭の一角に穴を掘って埋めていきます。魔法でやるので、あっという間です。
「さて、次は家の中ですね」
玄関を開けて中に入ると、やはり誰かが入った形跡がありました。汚れた靴で絨毯の上を歩きましたね? 汚れが残っていますよ。
それらを消していきながら、家の中を点検していきます。ああ、やはり花瓶や絵画、それに応接間の家具なども動かそうとしたようです。
花瓶に関しては、幼い頃に私が落として割って以来、台から外せないようにしてあります。
花を生ける時に面倒だとも言われましたが、似たような形の安い壺にまず生けて、その後花瓶に移すという手順を踏む事で解消されました。
家具に関しては、使用人に言われて動かないように固定しています。もちろん、普通の刃物など通さないようにしてありますので、表の生地を切って盗もうにも盗めません。
我ながらやり過ぎだった気もしますけど、結果としてやっておいて良かったのではないでしょうか。
各部屋を全て確認し、玄関ホールへと戻りました。やはり盗まれたものはほぼありません。
悔し紛れになのか、調理器具がいくつか消えていたようです。ですが、あれらは高価なものではありませんし、ありふれた品なのでいつでも買い直す事が出来ますもの。
使用人達が誰もいませんが、おそらく王宮からの報せで逃げたのでしょう。長く勤めてくれていた者達もいましたが、彼等にまで咎が行かなかったのはいい事です。
「ふう、このくらいでしょうか」
すぐさま生活を開始出来る……とまではいきませんが、寝泊まりくらいは問題なく出来るところまでは出来ました。
これでお母様をお迎え出来ます。外を見ればまだ昼前。昼食をいただいてから、修道院へ参りましょう。
ジッシラ修道院の門は、相変わらず大きく堅固です。この門を開くのは、年数回の祝祭の時だけだと聞いた事があります。
普段は、門の脇にある通用門か裏門を使うそうです。その通用門にいる修女様にここに来た目的を告げ、中に入れてもらいました。
中はお母様をここにお連れした時同様、静謐な空間です。門から続く小道の脇に整えられた小さな庭を眺めながら、先導の修女様の後を歩きました。
通された部屋は、前回と同じ場所です。あの時は、お母様と一緒でした。
その部屋でしばし待つと、扉が叩かれます。ソファから立ち上がり、扉が開かれるのを待ちました。
「お母様!」
「ベーサ」
扉の向こうには、院長様と共にいらしたお母様の姿が。私を見て、泣き笑いの顔をなさってます。
「院長様。今まで母をお守りいただき、感謝の念に堪えません」
「母君をお守りくださったのは、神の御心ですよ。感謝ならば、神にお祈りするといいでしょう
「ありがとうございます……」
その後、二、三言葉を交わし、お母様と共に修道院を後にしました。お母様は、修道院に入る際に着ていたドレスを寄付に回したそうなので、修道院で愛用していたという古着をお召しです。
「お母様、失念していて申し訳ありません。馬車で来るべきでした」
「いいのよ。これまで修道院で生活していたからか、足腰が丈夫になりました。ですから、ここから王都の屋敷まででも歩けるわ」
「まあ」
良かった……と言っていいのでしょうか。本来ならば、そのような苦労をせずとも過ごせる身だったというのに。
……いい事なのでしょう。そう思う事にします。私はお母様と肩を並べて、王都の道を我が家まで歩きました。
屋敷に到着して一息吐くと、お母様が私に向き直りました。
「ベーサ、あなたがここにいるという事は、お父様の冤罪は晴らされたのですよね?」
「ええ、問題ありません。お父様も、送られた鉱山でお健やかにお過ごしだとか」
「まあ……」
鉱山に送られるのは、重犯罪者が主です。その中で健やかに過ごしていると聞けば、大抵の方は今のお母様同様呆れるでしょう。
「元気にしているのなら、何も憂う事はありませんね」
「そうですね。明日にでも、黒の君にお伺いしてお父様をお迎えに行きます」
「私も一緒に行くわ。ああ、でもこの格好を見たら、驚かれるかしら……」
「大丈夫ですよ、お母様。きっとお父様も似たような格好です。私もこの、黒の会で使っていた魔物討伐時に着ていた服ですもの」
「ふふふ、そうね」
とはいえ、お母様のドレスはクローゼットに綺麗に残っていますから、いつでも着られるのですけど。
ただ、流行遅れにはなっているかもしれませんね。
翌日、朝一番の時間帯に王宮へ伺候する事になりました。黒の君から、お父様を迎えに行く許可をもらう為です。
王宮からの許可状がないと、犯罪者として鉱山に送られた者を引き取る事が出来ないのですって。
夕べのうちに、王宮に手紙を出しておきました。届けてもらう伝手がないので、ニカ様の居場所を狙って直接魔法で送ったんです。
返信は、黒の君から来ました。
『明朝一番の時間帯に、王宮で待つ。馬車はこちらで用意する』
まるで決闘の申し込みのようですね。ちょっと笑ってしまいました。
今朝は早めに起きて、朝から支度です。と言っても、メイドの一人もおりませんから、ドレスの着付けも魔法頼りになっています。
でもこれ、便利ですね。今度ニカ様にも伝えてみようかしら。
支度が調い、黒の君が用意した馬車に乗り、単身王宮へ。お母様も一緒に、と仰ってましたが、今回はどんな内容が飛び出すかわからないので遠慮してもらいました。
その代わり、お父様が帰ってくる時の為に、屋敷を整えておいてもらってます。「既に整っているから、やることがないわ……」というお母様のぼやきは聞かなかった事にしました。
王宮は静まりかえっていました。一昨日に解呪をしたばかりですもの、まだあちこちで影響が残っているのでしょう。
侍従につれていかれたのは、王宮の表側にある黒の君の執務室です。部屋に通された私の目に映ったのは、机の上に山積みにされた書類と、それを裁いている黒の君、お手伝いをなさっているニカ様のお姿でした。
「来たか」
「一昨日ぶりでございます」
「ベーサ、その後、体調に変化はなくて?」
「はい、つつがなく過ごしております」
軽い挨拶を交わしつつ、黒の君の手が空くのを待ってます。一段落したのは、少し経ってからでした。
「やれやれ、父上が倒れられてから、公務が全て滞ったままだったらしい」
「お疲れ様です
「で、今日は父親の事だったな。夕べのうちに連絡を入れたからもうじき――」
黒の君の言葉の途中で、執務室に面した庭に何やら轟音が轟きました。魔力の残り香があります。これは……
「……もう少し、穏便に連れてくる約束だったのだがな」
黒の君が額に青筋を立てながらそう呟かれました。執務室の窓の外はテラスになっていて、そこから美しく整えられた庭に降りる事が出来ます。
その庭に立ちこめる土埃の中、人影が二つ見えました。慌ててテラスに出ると、声が聞こえてきます。
「いやあ、久しぶりだからちょっと力加減、間違えちゃったよ」
あら? この声は……
「悪いね、伯爵」
「いえいえ、本来なら数日かかる距離をこの短時間で王都に到着とは! さすがですなあ、侯爵閣下」
そしてこちらの声は!!
「お父様!」
「おお! ベーサ!!」
そこにいたのは、懐かしいお父様です!




