第五十七話 魅了の腕輪
黒の君に捕まったオリサシアン様は、暴れて手が付けられません。
「放せええええ! 放せえええええ!」
陛下の寝所でこんなに騒いでは……
「ベーサ! こいつに水をかけろ!」
「はい!」
黒の君に言われ、慌てて人形を魔法収納にしまい、代わりに出した解呪の水を、樽ごとオリサシアン様にぶちまけました。
もちろん、黒の君も、そして寝台に寝ておられるであろう陛下にも、水がかかってます……
「ベーサ……」
「も、申し訳ございません……」
慌てたとはいえ、王族であるお三方をずぶ濡れにさせてしまったとは。これは冤罪ではなく、不敬罪が適用されてしまいそうです。
恐れに縮こまっている私の前で、黒の君に羽交い締めにされていたオリサシアン様がブルブルと震え出しました。
解呪の水が、利いているのでしょうか?
「……まだ腕輪から何か漏れ出ているな。追加でかけてやれ。ああ、こっちにはかけるなよ?」
「はい」
黒の君は意地悪ですね!
今度はちゃんと小分けにした瓶を出し、オリサシアン様がはめている腕輪に直接垂らしました。あ、レセドがオリサシアン様の腕を固定してくれています。
水をかけると、腕輪からは白い煙が立ち上りました。利いてる証拠かと。
「熱い! 熱いいいいいい!」
「暴れるな!」
どうやら、腕輪に解呪の水をかけると熱が出るらしく、オリサシアン様が苦しんでいます。ですが、黒の君は容赦なく、さらに強く締め上げているようです。
私も容赦はしません。どんどん魔法収納から瓶を取り出し、次から次へと水をかけていきます。
暴れるオリサシアン様の足がこちらを蹴ろうとしましたが、結界に阻まれたようです。ニカ様ですね。ありがとうございます。
暴れ続けたオリサシアン様が、とうとう苦痛に負けて意識を手放す頃、ようやく腕輪が彼の腕から外れて床に落ちました。
それでも念の為にと解呪の水をかけたら、煙と共に溶けていきます。この腕輪もあの泉に入れたら、カルさんの剣と同じようになったのでしょうか。
「これで……終わったのですか?」
「ああ……多分、な」
消えた腕輪があった場所を見ながら、四人で溜息を吐きました。ここまで長かったような、短かったような。不思議な思いです。
腕輪の影響なのか、オリサシアン様の腕には酷い火傷が残っています。それをニカ様が治癒魔法で治している間、黒の君と共に寝台の陛下を見舞います。
「父上……父上!」
黒の君が声をかけても、陛下からの返事はありません。ですが、生きてはいらっしゃいます。大分、衰弱されているようですけれど。
私の手には、魔法収納から出した人形があります。腕輪は消え去りましたが、まだ魅了の靄が残っているんです。
幸い、靄の発生源は消えてますから、人形のお皿も簡単には空になりません。
レセドが部屋の窓や扉を開け放ち、奥宮全体に人形が広める解呪の水が行き渡るようにしてくれています。
「う……」
「父上!」
「レイ……ヴロ……か?」
陛下がお目覚めになられたようです。ですが、聞き慣れたお声とは違い、なんとも弱々しく心許なく聞こえるのは、気のせいではないでしょう。
「お加減はいかがですか? 父上」
「加減……か……。随分と長い事、悪い夢を見ていたようだ……」
起き上がろうとした陛下に、黒の君が手を貸して寝台に起き上がらせておられます。陛下……お痩せになりましたね。
「いつになく、清々しい気分だな」
「それはよろしゅうございました」
「して、その者達は?」
これは、私とレセドの事ですよね? 黒の君はここにお住まいですし、ニカ様は王族ですから奥宮に立ち入っても罰される事はありません。
ですが、貴族の娘とはいえ私は奥宮に入るお許しは得ていません。平民のレセドはなおさらです。
「御前失礼いたします。緊急事態故、お目こぼしをいただきたく」
黒の君のお言葉で、何とかお許しが出ました。もっとも、私達がここにいるのは黒の君の責任ですからね。当然の事と思っておきます。
まだ辛そうな陛下を寝所に残し、私とニカ様、レセドは王宮の表に戻りました。まだ魅了の影響が残っているので、人形を使って消しに行くのです。
黒の君は陛下の寝所に残られています。おそらく、オリサシアン様の事を陛下にご説明申し上げるのでしょう。
意識を失ったオリサシアン様も、陛下の寝所に置いてきました。連れて行く訳にはいきませんもの。
王宮の中は、思っていたよりも静かでした。普段はもっと人が多いのに。
「これも魅了の影響かしら」
「どうなのでしょう……」
とはいえ、ニカ様も私も王宮に伺候する格好ではありませんから、外から見えない結界を張って移動しています。迷宮での経験を、こんなところで活用するとは思ってもみませんでしたよ。
サヌザンドの王宮はそれなりに広く、全てに解呪の水を行き渡らせる為にもなるべく端の方まで行きます。
「こんな場所、あったんですね……」
「私も知らない場所があるわ。ここに長く住んでいるのだけれどね」
ニカ様が苦笑なさってます。それだけ、王宮が大きく広いという事なんですね。
一階から始まった解呪の水散布は、途中で歩くのが面倒になった私の提案で、魔法で移動しつつやる事になりました。
おかげで日が高い間に、建物内は全て終える事が出来ましたよ。残るは庭園と王都ですね。
王都は王宮の南側に広がる広大な街です。王宮の北側にはこれも広く雄大な庭園があります。
まずは北の庭園からです。
「でも、こうした広い場所の方が、楽ですよね」
「そうね。その人形の本領発揮といったところかしら?」
お皿の水はなくなるのが速いですけれど、継ぎ足せばいいんです。庭園の入り口で人形を手に持ち、解呪の水を散布していきます。
「これ、終わりはどう見極めればいいんでしょうね?」
「ある程度経ったら、終わりにすればいいんじゃないかしら?」
なるほど。庭園には、あの濃い靄は見られませんから、元から影響は薄いのかもしれません。
多分ですけど、魅了の影響は建物内の方が強かったのではないでしょうか。そうなると、王都の建物一軒一軒回って解呪を……考えただけで、めげそうです。
庭園が終わり、王都の解呪には上空から人形による解呪の水の散布を行う事にしました。
まずは魔法で王宮の尖塔の上に向かいます。レセドは下で待っていてもらいました。危ないですからね。
そこから霧状の解呪の水が、目に見えないヴェールのように王都に降り注いでいきます。
軽く風の魔法で後押しをするように、解呪の水が王都全域に行き渡るようにしました。
これで、この国の魅了の影響が全て消えますように。




