第三十五話 階段の攻防
休憩すること約二時間。ニカ様が天幕から出てこられました。
「お休みの時間を、ありがとう」
「いいえ。ああ、顔色もよくなられましたね」
「お、ニカお嬢の調子が戻ったな」
本当に、休む前に比べると格段の差です。良かった。
「さて、じゃあ進むとするか。とうとう二十階だしな」
「そうね」
「はい」
現在探索されている中では最上階に当たります。そして、最も強いとされる探索者の二組がいる階層でもあるんです。
二十階。どんな階層でしょう。
周囲に気配と音が漏れない結界を張り、階段を上ります。カルさんも、この階層に入るのは初めてなんだとか。
二十階は十九階よりも広く、地図がなかったら迷子になりそうな程複雑な通路が走っています。
行き止まりも多いようなので、気を付けなくてはいけませんね。
「今のところ二十一階への階段まで、最短経路で進んでいるが……」
「何か、問題があったの?」
「いや、ここまで人の気配がないって事は、両組とも階段下で何かと争っている最中なのかと思って」
つまり、どのみちこのまま進めば、最前線にいる二つの組の人達と顔を合わせるって事ですね。
「仕方ないんじゃないかしら」
「ニカお嬢」
「向こうがおとなしく通してくれるならそれでよし。そうでないなら、ベーサに頼むまでよ。下でそう話したでしょう?」
そうでしたね。私達も、先に進まなくてはいけないのですから、仕方ありません。
二十一階への階段は、地図上の左端にあります。そして、下から上ってきた階段は右下。またしても、最短経路でもかなり歩かされます。
迷宮探索で一番大事なのは、体力ですね。
ようやく上り階段に到着か、という頃、前の方から人の声と重い音が響いてきます。
「階段で戦闘中か……」
確かに、先に十人近い人の反応と……これ、かなり大きな魔物の反応がありますね。
ゆっくり近づいていくと、向こうの声がよく聞こえるようになりました。
「無理よ! 退いた方がいいわ!」
「馬鹿野郎! ここまで来て逃げられるかよ!」
「で、でも、もう……」
「死ぬ気で攻撃しろ! それでも紅蓮組の探索者か!!」
無茶を言いますね。死んだら元も子もないでしょうに。
あれだけ戦いに集中しているのなら、こちらの魔力には気付かないでしょう。そっと壁から向こうを覗き込んでみます。
……見なければ良かった。
「カルさん……」
「いや、いざ俺らがやるとなったら、俺が頑張るから。な!?」
彼等が対峙している魔物は、上り階段一杯に詰まった大きな蜘蛛の魔物です。
前に室内でカルさんがたたき切ったものより、一回りは大きいんですけど。
「ベーサ、見てはだめよ。うまくすれば、彼等が倒してくれるかもしれないし」
ニカ様が後ろから、やさしく私の目を覆います。
「いや、その可能性は低いかもなー」
「カル!」
折角ニカ様が意識を逸らしてくださったのに。カルさんってば、本当に色々と……いえ、人にあれこれと期待してはいけないと、母からは教えられました。
ええ、カルさんに期待するのが間違っているのです。
「ベーサお嬢、何か今、失礼な事を考えなかったか?」
「いえ、別に」
こういう時だけ、察しがいいのはどうしてでしょうね。
それはともかく、上り階段で他の探索者が戦い続けているのは困るのですが。上に行けません。
しばらく見ていましたが、決め手に欠けるようで攻撃がうまく通っていないように感じます。
魔物の中には、硬く分厚い外皮で攻撃を受け付けないものもいますし。あの大きな蜘蛛がそうとは限りませんけど……
「参ったな……あのままじゃ、あいつら全滅しそうだ」
「手を貸す事は出来ない?」
「最初から共闘ならいいが、途中から手を出すのは嫌がられる。まあ、一応声はかけてみるか」
どうやら、相手からの救援要請があれば、手を貸してもいいのだそうです。
「おーい! 助けはいるかー?」
「やかましい!! すっこんでろ!!」
ちらりとこちらを見た大剣使いの男性が叫びますが、何やら首を傾げています。
あ、今の結界、外からは見えないようにしてあるんでした。
「交渉は決裂だな」
「じゃあ、ここで終わるまで見てる?」
「いや……離れたところで待った方がいいんじゃないか? 連中も、退くときはこの通路を使うだろうし」
カルさんの提案で、撤退時に使わない通路に結界を張り、そこで一休みする事になりました。
というか、先程も休んだばかりですけど。
「今度は私が結界を維持するから、ベーサは休んでいて」
「ですが」
「万が一、あれを倒すなんて事になったら、あなたに頼る他ないと思うわ。その時に、万全の状態じゃないとダメでしょう?」
ニカ様にそう言われては、休まない訳にはいきません。天幕も出してありますので、中に入って横になりました。
そのまま、寝るつもりはなくともしっかり寝ていたようです。
「ベーサ、起きて頂戴」
「はい!」
天幕の外から、ニカ様の声がします。軽く身支度をしてから外に出ると、ニカ様とカルさんが何やら話し込んでいました。
「ああ、よく休めたようね」
「はい、おかげさまで。ありがとうございました」
「いいのよ。私も休ませてもらったから」
「次はカルさんの番ですね!」
私の言葉に、カルさんは何故か苦笑しています。
「俺はいいよ。お嬢達より体力があるからな」
むう。そんな事を言っていると、ある日いきなりがくんと体力がなくなるんですよ。前にお爺さまに聞いた事があるんですから。
「それでね、ベーサ。向こうの状況なんだけど」
「戦いは終わりましたか?」
私の返答に、またしてもニカ様とカルさんが顔を見合わせます。
「一応、終わったわ。彼等の撤退という形で」
ああ、やはりあれを倒すまではいかなかったんですね。
「それで、彼等はどうしたんですか? どこかで休んでるんでしょうか?」
「下に向かったらしい。おそらく、拠点地まで戻ったんだろう」
ああ、相当消耗していたでしょうから、拠点地で英気を養って、再戦をと考えたんですね。
という事は。
「では、我々が?」
あの、階段にいる大蜘蛛を倒すのですね? 最後まで言いませんでしたが、ニカ様もカルさんも頷いています。
では、行きましょうか。……いざとなったら、丸焼きにします。
上り階段からはあまり離れていなかったので、すぐに到着しました。床には、血の跡や矢の残骸、防具の欠片なども見られます。
激しい戦いだったのでしょう。
石造りの階段は、らせん状のものでした。右側にゆっくりと回って上っていきます。
その上から、出ました。
「ひ……」
「ベーサ、落ち着いて。大丈夫。こうすれば」
そう言うと、ニカ様が結界を張りました。私達にではなく、蜘蛛に対して。その結界は、向こう側が曇って見えません。
「こうすれば見えないし、結界内を焼いてしまえば周囲に影響もないでしょう」
「ニカ様! 素晴らしいです!!」
何という手法でしょう! これなら周囲を気にして火力を抑える必要がありません。
「では、全力で焼きますね!」
「あの、程々にしてもらえると助かるのだけれど」
そうでした。私の全力だと折角張ってくださったニカ様の結界を焼き切ってしまう恐れがあります。
魔力量の差というのは、残酷なものがありますから。
「では、程々の火力で焼き上げます!」
それでも、あの蜘蛛を焼き消すくらいは出来るでしょう。
気合いを入れる私を横目に、カルさんが天井を仰いでいます。
「やっぱりこうなるのかー」
「あら、気に食わないなら、あの結界の中にカルを入れてあげましょうか?」
「ニカお嬢、俺を殺す気か?」
そんな二人の気安いやり取りが聞こえますが、今は目の前の結界に集中しましょう。
息を吸い込んで、魔力を練り上げて、いざ!
「炎鎖!」
炎で出来た鎖で、結界内の蜘蛛を縛り上げます。これは対象が焼け死ぬまで消えない炎の鎖です。
それを一重、二重、三重と巻いていきます。結界内で魔物が苦しがっているのが見えますが、ニカ様が張ってくださった結界は揺るぎもしません。
さあ、諦めて黒焦げになりなさい!
そのまましばらく。ようやく結界内の炎が治まっていきます。という事は、蜘蛛が焼けたという事ですね。
ニカ様は結界を消す際に、中の熱と臭気を一緒に消してくださいました。焼けた蜘蛛の匂いなんて、嗅ぎたくもありません。
「早めに終わって良かったぜ。退いた連中が再戦を仕掛けてくる前に、とっとと上に行こう」
カルさんの言葉は正しいでしょう。彼等が戻って、あの蜘蛛を私達が倒した事が知れたら、何を言われるかわかりません。
いえ、言うだけで終わればまだいいかもしれないですね。あの時の、助けでの申し出を断った時を考えれば、こちらに攻撃を仕掛けてきても不思議はないように思えます。
らせん階段を上っていきますが……これ、長くないですか?
「長いな……」
「そうね。もう、二階分は上っているはずなんだけど」
まるで大きな塔の中にある階段を上っている気分です。あ、ここはその塔の中でした……
ですが、今までの階段はどれも一階分程度の長さしかなかったのですけれど。こんなに長いだなんて。
それでも、上り始めた以上は上に向かうしかありません。でもさすがに長すぎて、ちょっと魔法でズルをしたくなります。
あるんですよ、階段を楽に上る魔法が。体を浮かせて、そのまま移動する術式です。
ですが、普段の生活の中でそこまで長い階段を上る機会がなかったので、今まで使った事がありません。
その術式を使ってしまおうかと、心の中で囁く声に耳を傾けそうになったその時、ようやく上の階に到着しました。
「おお、初めましての二十一階だな……って、え?」
呆然と立ち尽くすカルさんの後ろから先を覗くと、そこには深い森が広がっていました。
ここ、確か塔の中ですよね?




