第三十一話 片が付きました
王宮に戻り、まだ意識がもうろうとしたままの男爵を連れて奥へと進みます。
先程国王陛下に拝謁した部屋とは別の、広間のような場所に来ました。そこには、既に捕縛されたメヴィゼーニル夫人と、乳母らしき女性に抱かれた赤ん坊……マノア嬢がいます。
私達が広間に入ったのがわかったのか、振り返ったメヴィゼーニル夫人が叫びました。
「旦那様! これは、一体どういう事ですか!? お兄様まで」
その瞬間、夫人から波動のようなものが周囲に広がります。これは……魔力です。
咄嗟に防御用の結界を張りました。夫人の魔力はこちら側……正確には伯爵にのみ向けられたものなので、私達にまで影響があるかどうかはわかりませんが、念の為です。
「ベーサ、何かあったの?」
ニカ様が耳打ちしてきました。なので、先程見たものを説明します。
「おそらく、夫人は魔力持ちなのでしょう。微力ではありますが。術式の体を為していませんし、大分原始的な使い方ですけれど」
「そう……納得出来たわ」
「ニカ様?」
「メヴィゼーニル夫人の魔力は、おそらく媚薬のような効果があるんだと思うの。それが伯爵に向かっているという事は」
「伯爵が、媚薬のような魔力で魅了されていた?」
「多分ね」
それで、一目惚れと。しかも、娘であるティージニール嬢の言葉すら聞き入れない程に。
あら? でも、手紙を書いたらすぐにリジーニア嬢の自宅まで来てくれましたよね?
まだ何事か叫んでいるメヴィゼーニル夫人を見ます。先程感じた波動は、今も弱々しくですが放たれていて、結界がなければ伯爵に影響を及ぼしていたかもしれません。
ですが……なるほど。波動が弱すぎて、効果を持続させるには毎日のようにこの波動を浴びせる必要があったのではないでしょうか。
手紙で呼びだした際、ゼメキヴァン伯爵は仕事で数日自宅に帰っていないと言っていました。その間に、媚薬効果が切れたのでしょう。
それでも、自宅に帰ってきてすぐ波動を浴びせれば、また魅了状態に持って行ける。だからメヴィゼーニル夫人達は、安穏としていたのかもしれません。
あまりにもメヴィゼーニル夫人が騒ぐので、辟易した陛下が猿轡を嵌めさせました。
「お手間をかけさせた事、深くお詫び申し上げます」
「よいよい。それで? 男爵の方はどうであった?」
「は。隠し部屋があり、そこに不正の証拠が山のように」
「ほう?」
あら、国王陛下の目がぎらりと光った気がします。不正を行った貴族からは、家財を没収出来ますものね。
ウーニット男爵が溜め込んでいればいるほど、没収する財産が増えて国庫が潤います。
まさか、そこを狙っていたんでしょうか。さすが、一国の王は違います。
押収してきた証拠の書類のいくつかを陛下に見せ、詳細は関係部署で精査する事になったようです。
「ウーニット男爵と、妻の尋問を別室で行いたいと思います」
「ここではいかんのか?」
「さすがに、陛下の御前では……」
「構わん。何やら、面白い術を使うそうだな?」
後半の言葉は、私に向けられたものでした。いつの間に、自白の術式の事が知られたんでしょうか。
男爵邸に向かった兵士の誰からか報告が行ったにしても、早すぎません?
……そういえば、この国には魔道具があるんでした。対鳥以上に簡単に連絡が取れる魔道具があるのかもしれません。
いいですね。構造をぜひ教えていただきたいものです。
「では、まずはウーニット男爵からにしようか」
おっと、注目されてしまいました。
「男爵には既に術式がかかっていますので、聞き出せますよ」
その証拠に、ウーニット男爵の目はどんよりとしています。半分寝ているようなものですからね。
ゼメキヴァン伯爵はウーニット男爵の前に立ち、床に跪く男爵を睥睨しています。
「……いつから、我が家の乗っ取りを企んでいた?」
「最初から」
「最初だと? 最初とはいつだ!?」
「は、伯爵が我が家に初めて来た時から……」
ウーニット男爵の返答に、ゼメキヴァン伯爵が酷く驚いています。ええと、それはメヴィゼーニル夫人を初めて見た時の事でしょうか?
「そんな昔から……メヴィゼーニルを紹介したのも、その為か?」
「そうだ……」
ゼメキヴァン伯爵は、仰のいて何やら呟きました。そのまま手で目元を覆い、ゆっくりと俯いていきます。
「マノアがお前の子というのは、確かなのだな?」
「メヴィゼーニルには、普段避妊薬を飲ませている。私との行為がある時のみ、薬を飲まなかった」
「そうして生まれたマノアを、我が家の跡取りにしようとティージニールを殺そうとしたのか」
「そうだ。メヴィゼーニルは毒殺を望んだが、毒では早々に足がつく。だから、迷宮に向かうように仕向けた」
「毒か。その割には、私には毒を使おうとしていたようだが?」
「あれは、新しい毒で、跡が残らない」
あら、初めての情報です。伯爵達も同じだったらしく、押収した品の中に私が渡したのと同じ毒があるかどうか、あれば成分などを詳しく調べるように指示を飛ばしています。
「陛下、ウーニットに聞く事はございますか?」
「いや、特にはない」
「では、彼に対する尋問はここまでにいたしましょう。次は……」
ゼメキヴァン伯爵の冷たい視線が、ウーニット男爵同様縛り上げられて床に跪かされていたメヴィゼーニル夫人に向きました。
「次はこの女だ」
既に妻とは呼ばないのですね。確かに、あれこれ見て聞いた後では、呼びたくない気持ちもわかりますが。
猿轡を嵌められたままのメヴィゼーニル夫人に、自白の術式を使います。彼女は魔力持ちですから、無意識に抵抗されては面倒なので、少し強めにしました。
しばらくは抵抗していたようですが、魔力量でしたら負けません。やがて、メヴィゼーニル夫人の目が、ウーニット男爵の時のようにぼんやりとしてきました。
「もう大丈夫ですよ」
私の一言で、夫人の猿轡が外されます。ここからは、ゼメキヴァン伯爵にお任せしましょう。
伯爵は少しの間冷たい目でメヴィゼーニル夫人を見下ろしていましたが、ようやく口を開きました。
「お前は……最初から私を欺すつもりだったのだな」
「は……い……」
「私に、おかしな薬でも使ったのか?」
「いい……え……」
「では、私がお前に惹かれたのは、ただの偶然だとでも言うのか!?」
「い……いえ……」
やはり、何らかの魔力を使っているという自覚があったのですね。伯爵は訳がわからないようですが。
説明、した方がいいでしょうか? ニカ様を窺うと、軽く頷かれたので、そっと伯爵に囁きました。
「後ろから失礼します。おそらく、夫人は原始的な魔法を使っていたんだと思われます」
「魔法だと?」
「ええ。正確には術式にならない、魔力のみではありますが」
ゼメキヴァン伯爵は、信じられないものを見るような目でこちらを見ています。
記録した光景だって、目の前で見せたのに。今更魔法を否定するのでしょうか。不思議です。
ああ、今はそんな場合ではありませんね。
「推測に過ぎませんが、夫人は魔力で相手の感情……この場合は好悪とか恋情ですね。それを扱える事を知っていたのではないでしょうか」
「人の、感情を操る……」
身に覚えがおありのようですね、伯爵。少しの間考え込んでいたゼメキヴァン伯爵は、夫人に向き直りました。
「お前は、私の感情を操って、お前に惚れるように仕向けたのか?」
「そう……です……」
「何故、そのような事をした?」
「お兄様が……お望みだったから……」
「私の後妻に収まり、お前達の子に我が家を継がせる為か!?」
「そう……です……」
「では、マノアは私の子でないのは、確実なのだな?」
「あの子は……私と、お兄様の子……大事な大事な、駒……」
何だか、嫌な気分です。我が家はそうではありませんでしたが、余所の家では娘は道具と公言してやまない人も社交界にはいましたから。
そして、その発言が受け入れられてた状況も、私は好きになれません。ちらりと伯爵を見ると、渋い顔です。
これは、どちらに対しての感情なのでしょうね? マノア嬢が本当に自分の娘でなかった事に対してなのか、それともそのマノア嬢を駒扱いしているメヴィゼーニル夫人に対してなのか。
しんと静まりかえる広間に、伯爵の声が響きました。
「よくわかった。詳細の聞き出しは専門部署に任せよう。連れていけ」
彼の命令で、控えていた兵士達がウーニット男爵とメヴィゼーニル夫人を引きずるようにして連れて行きます。
それをそっと見送っていると、溜息が聞こえました。伯爵です。
「これで、全て終わったな」
ゼメキヴァン伯爵家に関わるあれこれは、そうですね。何だか、ティージニール嬢からの依頼以上の事をしてしまったような気がしますけれど。
これも、致し方ない事と思いましょう。
ウーニット男爵とメヴィゼーニル夫人へ自白の術式をかけた事で、私の仕事は終わりです。
ニカ様共々王宮を辞し、一度リジーニア嬢の自宅へと送られました。ええ、ゼメキヴァン伯爵から娘達のところで待っていてほしいと頼まれたんです。
王宮からの獣車に揺られながら、つい私も溜息を吐いてしまいました。
「ベーサ、ご苦労様」
「いえ……はい……」
大した事はしていないのですけれど、精神的に疲れた気がします。人の嫌な部分を見るのは、心に重い負担になりますね。
「これで、迷宮区に戻れるわ。……そういえば、カルには何も言ってこなかったけれど……」
「あ」
そういえば、対鳥での連絡すらしていません。鳥の方は星の和み亭で預かり制度があるからお願いしてきましたが、そちらも一月戻らない場合は処分されるそうです。
「……カルさん、今頃怒っているでしょうか?」
「どうかしら? 留守にしていたのは数日程度なのだから、問題ないんじゃないかしら」
一応、カルさんとは正式に団を組んだのですから、行き先くらいは伝えておくべきでした。
甘かったです。リジーニア嬢の自宅に戻った私達は、そこで五日間も足止めを食らいました。
「これは予想外だったわ……」
「本当ですね……」
ひたすら屋敷の中で待つ時間というのは、なかなか苦しいものなのですね。
そんな責め苦のような生活は、六日目でようやく終わりを迎えました。ゼメキヴァン伯爵がいらしたのです。背後にはこの屋敷の主、クォンツバム子爵もいらっしゃいます。
「……随分と、やつれていらっしゃいますね」
玄関ホールで出迎えた伯爵は、一目で疲労が溜まっているのがわかるくらいでした。
「皆、待たせたな」
「お父様、お体の具合でもお悪いのですか!?」
「いや、少し疲れているだけだ」
一目惚れと思った相手は、向こうが仕掛けた媚薬効果の魔力波動だっただけですし、一目惚れをした相手の兄は、最初から家の乗っ取りを計画していた人物です。
しかもまだ幼い娘は、彼等の子だったのですから、諸々を調べる作業もより疲れたでしょうね。
ゼメキヴァン伯爵とクォンツバム子爵は、居間のソファに腰を下ろしてやっと落ち着いたようです。
「昨日、全てが終わったよ。お前達にも、教えておこうと思ったのだ」
「そうでしたか……」
伯爵の言葉に、ティージニール嬢がぽつりと呟きました。この親子の間には、妙な緊張感が漂います。
「閣下、言いにくければ、私から説明しますが」
「いや、いい。私の口から言わねばならん。ウーニット男爵は、禁制の薬の売買に手を染め、また違法な取引も行っていた罪で死罪、メヴィゼーニルは私とティージニールの殺害未遂、また怪しげな術を使いゼメキヴァン伯爵家の乗っ取りを企んだ罪で死罪となった」
伯爵家の乗っ取りは、ウーニット男爵と二人で考えた事でしょうが、既に男爵は死罪相当の罪に問われているので、夫人一人が乗っ取りの罪をかぶせられた形だそうです。
冤罪ではないので、問題はないのだとか。
「それと、あの二人は本当の兄妹ではなかったよ」
「そうなのですか?」
それは良かった……と言うべきでしょうか。実の兄妹から子が生まれるのは、神をも恐れぬ所業ですものね。
「メヴィゼーニルは、国境沿いにある孤児院にいたそうだ」
そこを偶然訪れた先代ウーニット男爵が、まだ幼いメヴィゼーニル夫人の顔立ちに将来性を見た為、養女として引き取ったそうです。
現ウーニット男爵とは、十四歳頃からの関係だったのだとか。義理とはいえ妹に手を出す兄……色々と破綻しています。
「お父様、マノアは……」
「あれは南の修道院に預けられる事になった」
「ええ!?」
確か、マノア嬢はまだ十ヶ月の赤ん坊という事でしたよね? それが、修道院に預けられるとは。
「あれの両親は罪人だ。そのまま我が家に置く訳にはいかん。かといって、ウーニット男爵家は取り潰しだ。誰もあれを引き取るものなどいない。孤児院に入れる訳にもいかず、陛下のご温情をもって修道院預かりが決定したのだ」
確かに、マノア嬢の両親はあのウーニット男爵とメヴィゼーニル夫人ですから、血のつながりのないゼメキヴァン伯爵家で養育されるのはおかしな話です。
これが全く縁もゆかりもない子供なら、逆に可能性があったかもしれませんが、両親がマノア嬢を使って乗っ取りを企んでいましたからね……
ティージニール嬢も納得は出来なくとも、何も言えない様子です。彼女にしてみれば、せめて赤ん坊のマノア嬢だけでも救いたかったのかもしれません。
ですが、俗世にいればいずれ親のしでかした事を知るでしょう。その事で白い目で見られる事も、あるかもしれません。
そのくらいなら、閉じた世界の修道院で穏やかに育つのも、いいのではないでしょうか。
全てが終わった翌日、ニカ様と私は迷宮区に戻るべく支度をしていました。
「失礼します」
借りているクォンツバム子爵邸の客間に、ティージニール嬢とリジーニア嬢が来ました。
「お二方には、言葉では尽くせない程の恩を受けました。感謝の念に堪えません。本当に、ありがとうございました」
ティージニール嬢とリジーニア嬢は、深く頭を下げます。別の国なのでエチケットに関する細かいところは違いがありますが、これは最大の敬意を払った礼だと思われます。
「頭をあげてちょうだい。これは、あなたからの依頼だったはずよ」
「……それでも、です」
「そう。では、あなた方からの礼の言葉は受け取ります」
「ありがとう、ございます」
「これからも大変でしょうけど、気を落とさないように。あなたの側には、素晴らしいお友達がいるのですから」
ニカ様の言葉に、ティージニール嬢は隣に立つリジーニア嬢を見ています。リジーニア嬢、少し頬が赤いですよ。
最初はなんて失礼な人かと思いましたが、あれも全てティージニール嬢を守ろうと気を張っていたからでした。
出来れば、次からはもう少し、二人とも戦闘能力を高めてから、迷宮に挑んでいただきたいものです。
……そういえば、この二人が迷宮に行く事は、もうないんですね。思い違いをしていました。
ありがたい事に、リジーニア嬢が馬車を用立ててくれるそうで、それに乗ってすぐに迷宮区に戻れます。
「ありがとうございます」
「いいえ、この程度、お二人に受けた恩に比べれば……」
「それはまた、後ほど」
何せ、今回の事は依頼を受けた結果ですからね。
……今更ですが、受けた依頼って父君に証拠を提示し、必要なら継母と対峙する際に手助けしてほしい、というものだったような。
大分違う方向に手を貸したように思えます。
ともあれ、これで都区とはお別れですね。さあ、また迷宮での探索の日々が戻ってきます。気を引き締めなくては。




