第二十三話 古い文献の話
魔道具作りは、早々に躓いてしまいました。これでは本当に、黒の君からの課題は達成出来そうにありません。
しばらく、黒の君には来て欲しくありませんね……こんな考えも、不敬でしょうか。
「……ベーサ」
「はい」
「これからの事を、少し相談したいのだけれど、いいかしら?」
「承知いたしました」
ニカ様に、何かお考えがあるのでしょうか。それなら、相談と言わずに仰っていただければ……
いけませんね。ニカ様は、国外にいる今だけでも、私と対等でいようとしてくださっているのに。肝心の私の方が忘れがちです。
「では、どこか店に入りますか? それとも……」
「あちらにしましょうか」
ニカ様と二人、見上げたのは当然、蒼穹の塔です。入り慣れると、大変便利な場所ですよね。魔物は出ますが。
またしても九階の拠点地へと来ました。ここは本当に不人気のようで、私達が使うようになってから、一度も他の探索者と顔を合わせた事がありません。階段などでは、行き交う事もあるのですけど。
「相変わらず人がいなくていいわね、ここは」
ニカ様も同じような事を感じたようです。いつものように、テーブルと椅子を出し、お茶の支度をします。
時間的にはそろそろ昼時です。ここで昼食にしてもいいかもしれませんね。
「さて、これからの事なのだけれど」
「はい」
「カルと一時的に団を組んで、二十階以上を目指そうと思うの」
「二十階以上を……ですか?」
「ええ」
カルさんと団を組むのは、私も賛成です。狼の姿でなくとも、剣の腕がいいですから、十分戦力になり得ます。
ですが、二十階以上を目指すというのは、どうしてでしょう。
「ニカ様、差し支えなければ、どうして二十階以上を目指すのか、理由を伺いたいのですが」
「そうね。一つは、魔道具の学校にあなたが通うための学費を稼ぐ為。サヌザンドではそうした学校はないから、今後の為にも技術は手に入れておいた方がいいと思うの」
ニカ様……ちなみに、学校に通うのはやはり私なんですね。いえ、嫌という訳ではありません。魔道具、興味がありますし。
ですが、最低でも中金貨四枚ですよ? うまく稼げるでしょうか。ちょっと心配です。
その為の二十階以上を目指す、というお言葉なのでしょうね。誰も上った事のない階層で出る品は、きっといいお値段がつく事でしょう。
「二つ目は、兄上の話を聞いて思いついたのよ。オリサシアンは、迷宮産の道具を使っているという予想だったでしょう?」
黒の君は、カルさんの剣を見て、サヌザンドの王宮を覆っている力と同じだと判じてらっしゃいました。
とうい事は、オリサシアン様が王宮掌握の為に、迷宮産の「何か」を使っているという事。
そして、それはおそらくカルさんの剣同様「呪われた」道具なのでしょう。
「迷宮で出た道具なら、迷宮にその力を打ち消すものがあるのではないかと」
「つまり、現在サヌザンド王宮をおかしくしている力をなくす道具を探す、という事ですか? それで、二十階以上を目指すと?」
「ええ。カルも言っていたでしょう? 剣の呪いを解くものを探すと」
そういえば、そんな事を言っていました。それで、その為の拠点作りに協力してほしいと頼まれたんでしたね。
でも、そういう事ですか……
カルさんの剣は、呪われた剣です。で、その剣の呪いを解く何かが、この蒼穹の塔にあるかもしれないのだとか。
という事は、サヌザンド王宮の呪いを解く道具も、ここにあるかもしれないという訳ですね。
「ですが、そうなるとカルさんと望んでいるものが一緒という事になりますが……」
「その場合は、同じ道具を手に入れるまで手伝う事を約束して、こちらを優先させてもらいましょう」
ニカ様、凄くいい笑顔です……カルさんが、その申し出を受け入れてくれるでしょうか。
ですが、確かにこちらは多くの人の人生がかかっています。今はオリサシアン様だけに優しい王宮というだけですが、この先もずっとそうだとは限りません。
意に沿わない相手は、排除しようとするでしょう。私やお父様のように。
幸い、お父様は送られた鉱山で元気にお過ごしのようですし、私もこの通りです。
ですが、排除された人が全てそうなるとは限りません。いえ、私やお父様の方が希有な存在と言えるでしょう。
言い方が悪いかもしれませんが、カルさんは月の光さえ浴びなければ、平穏無事に過ごせる呪いです。緊急度が違います。
そうです、ここはカルさんに涙を呑んでもらいましょう。
「本当は、魔道具でどうにか出来れば一番いいのだけれど……」
ニカ様が、浮かない顔で仰います。シェサナさんに言われた事が、頭をよぎりました。
まさか、魔道具作成にあんな制限があったとは。魔道具の事はこれまでよく知らずに来たから驚きです。
「まあ、こちらから申し出てみて、カルが受け入れるかどうかはわからないけれど」
「そう……ですね。ですが、そこは誠心誠意説得しようと思います!」
「ベーサ……」
カルさんだって、知らぬ仲じゃないんですから、こちらの緊急性を説明すれば、わかってくれると思います。
わかってくれない場合は……
「最悪、私達二人だけで呪いを解く道具を探しましょう!」
あ、ニカ様がちょっと驚いてらっしゃいます。そんなにおかしな事を、言ったでしょうか?
方針が決まりましたので、塔を下りました。迷宮をこんな使い方する探索者なんて、きっと私達くらいのものでしょうね。
時刻はちょうどお昼。塔でお茶と茶菓子をいただいたので、まだ空腹は感じません。
「宿に戻って、対鳥でカルに連絡しましょう」
「連日で呼び出す事になりますから、文句を言われそうですね」
「その時はその時よ」
宿に置いていた対鳥を使い、カルさんに連絡しました。返事はすぐに来ましたよ。明日、会える事になりました。
翌朝、塔の前でカルさんと待ち合わせです。ニカ様と私が塔の前に到着すると、既にカルさんはいました。
「おう、昨日の今日だな。で? 話ってのは――」
「まずは、入りましょうか?」
カルさんの言葉を遮って、ニカ様が大変いい笑顔で言います。カルさん、ちょっとびっくりしてますね。
「何だ、探索のお誘いか? 俺としては助かるが」
「いいから、入りましょうね」
ニカ様、笑顔でカルさんを促して、塔へと入りました。六階まではいつものカルさんだったんですけど、七階へ上がる階段の前で、何故かその足が止まってます。どうかしたんでしょうか?
「どうかして? まだ上に行くのだけど」
「いや……この上って、暗いじゃねえか。その、用意が出来ていねえから――」
「それなら、心配無用よ。私でもベーサでも、明かりは出せるから」
「そ……そっすか……」
本当に、どうしたんでしょうね、カルさんってば。
彼の様子がおかしかった理由は、七階に上がってすぐにわかりました。
「うぎゃああああああ!」
「ちょっと、落ち着いて!」
「大丈夫ですよ、カルさん。すぐにいなくなりますから。火炎槍!」
相変わらず、七階は幽霊ばかり出てくるんですけど、どうやらカルさん、苦手だったようで。
九階の拠点地へ着くまで、ずっとニカ様にしがみついていました。ニカ様が大変動きづらそうで、何度カルさんを魔法で吹き飛ばしそうになった事か。
「ああ……ひでえ目に遭った……」
「カルさん、ここより上の階に行った事、あるんですよね? その時はどうしたんですか?」
テーブルと椅子を出し、お茶の支度を終えてから聞いてみました。椅子に座るカルさんは、普段よりも小さくしぼんで見えます。
「前の時は、臨時で組んだ団に、魔剣を所持していた奴がいたんだよ。で、そいつが前衛で切り進んでくれたんだ」
どうやら、あの幽霊は普通の武器では歯が立たないんだとか。聖銀と呼ばれる祝福された銀を使った武器か、魔力を帯びた魔剣か、松明などの火で焼くしか手がないそうです。
魔剣……魔法剣とは違うようです。魔法剣は、魔法を付与した剣ですが、魔剣は魔力が封じられた剣、なんだとか。
その魔力で、通常の剣よりも切れ味が良かったり、炎や氷、雷の属性を帯びる事があるそうです。……魔法剣でいいのではありませんか?
魔法剣は、一度の付与で持続出来る時間が限られていますけど。それを伝えると、やはり魔剣の方がいいと言われてしまいました。納得出来ません。
それはともかく、聖銀というのは初めて聞きますね。
「その聖銀や魔剣とやらにも興味があるけれど、まずは聞きたい事があるの。カル、あなた、この塔に呪いを解く道具があると、どこで知ったの?」
ニカ様の言葉に、カルさんが目を見開きます。私もびっくりです。
ですが、ニカ様の言葉にも頷けます。聞き流してしまいましたが、カルさんはこの塔に剣の呪いを解く道具があると、確信しているんですよね?
その為に、私達を……言い方は悪いですが利用しようとしたのですから。今回の場合、こちらもカルさんを利用するようなものなので、お互い様ですけど。
「誰かに聞いた、もしくは何かで知った、どちらでもいいわ。他の何かでも構わない。その、呪いを解く道具について、教えてほしいの」
「……何故、そんな事を?」
「ものによっては、私達にも必要なものだからよ」
ニカ様の言葉に、カルさんは先程以上に驚いています。
「ちょっと待て。それはどういう――」
「悪いけど、詳しくは話せないわ。話す権限が私にないの」
サヌザンド王宮で起こっている事は、おいそれと口に出来るものではありません。まして、カルさんは国外の人。余計に言えないというもの。
しかも、その事情すら話せないという。カルさんが訝しんでも、無理はありません。
案の定、彼は表情を険しくしています。
「あれも言えねえ、これも言えねえ。そんな状態で、そっちが知りたい事は教えろと? そりゃねえんじゃねえか?」
「……無理を言っているのはわかっているわ。でも、私達にはあなたが知っている情報が必要なの」
もし、カルさんが探している「呪いを解く道具」が、すべての呪いに有効となれば、現在のサヌザンド王宮の状態を正常に戻す事が出来るでしょう。
ニカ様は、まずそこを確かめたいのだと思います。
「……どんな呪いを解きたいのか。それくらいは、聞かせてくれてもいいんじゃねえか?」
「カル」
「その程度も言えねえってんなら、この話は終わりだ。残念だけど、あんたらと団を組む話も、ここまでだな」
ニカ様が息を呑みました。出会ってから今まで、カルさんがこんなに強い口調で私達に
何かを言ったのは初めてです。
そして、彼の言葉には、私達に対する不信感がにじみ出ていました。致し方ない事だと思います。
あれも言えないこれも言えない、でもあなたの知っている情報を教えて。そんな事を言われたら、私だって相手の事を信じられません。
「……ニカ様、話してもいいのではありませんか?」
「ベーサ!」
「カルさんは、私達の話を吹聴するような人ではありません」
「甘いわよ、ベーサ。魔法には、相手の意思に関わらず話を聞き出すものがある事、あなたも知っているでしょう?」
知っています。知識の一つ、そして対抗術を覚える為にも、と黒の会で教わりました。
「ですが、あの術式を使える者自体少ないですし、彼等を国外に出すとも思えません。あれは相当力のある魔法士でなければ、使いこなせませんから」
「でも」
「それに、オリ……あの方は、呪いを解く方法があると、知ってらっしゃるのでしょうか?」
一応、名前は伏せておいた方がいいかと思います。これでも、ニカ様には通じますし。
私の言葉は的を射ていたようで、ニカ様の表情が迷いに揺れています。
「それは……」
「知ったとして、それがこの国に、この塔にあると、一体誰から聞くと仰るのです? 国から一歩も外に出たことがない方なのに」
オリサシアン様が国外の情報を入手出来るとすれば、密貿易をしていたエントからになると思います。
オーギアンとエントの間には、もう一国ホアガンがありますから、オーギアンからの情報はあまりエントには流れていないのではないでしょうか。
「これは推測に過ぎませんが、あの方がお持ちの道具が迷宮から持ち出されたものだと、知らないのではありませんか」
「さすがに、それは楽観が過ぎるというものだわ」
「だとしても。いつ出るか、そもそもあるかもわからない呪いを解く道具を、あの方は警戒なさるでしょうか?」
オリサシアン様は、言ってはなんですけれど、あまり先を見通す力はございません。もしもに備えるなんて事は、しない方なんです。
それでも問題ないのは、絶対的な次代の王となられる黒の君がいらっしゃるから。オリサシアン様を含む、他のご兄弟が王位を継がれる事はないと、そう周囲は考えているんです。
だから、黒の君以外の王子方の出来が良かろうが悪かろうが、気にもしません。良くない言い方ですが、黒の君以外の王子に期待する貴族は、殆どいないでしょう。
それもまた、あの方の劣等感を刺激する結果に繋がるのですけれど。
「あるかもしれないを恐れるより、今この場でカルさんからの信頼をなくす方が問題ではありませんか?」
「ベーサ……」
「お嬢……」
「全てを話す必要は、今はありません。ですが、何の為に呪いを解く道具が必要なのかは、伝えるべきだと愚考いたします」
私の言葉を全て聞いたニカ様は、目を閉じて考え込んでいらっしゃいます。
王族であるニカ様にとって、今の王宮の有り様を口にするのは心苦しい事でしょう。
「ニカ様。お許しいただけましたら、私がカルさんにかいつまんで説明いたします」
「……いいえ、やはり、私の口から説明するべきだわ。ありがとう、ベーサ。それと、私の浅慮を許してちょうだい」
「もったいないお言葉にございます」
ニカ様が私に許しを請う必要など、どこにもございません。口にしなかった言葉を、ニカ様は正確にくみ取ってくださったようです。
「カル、こちらの事情であなたに不信感を抱かせてしまった事、どうか許してほしい」
王族であるニカ様が、庶民のカルさんに「許せ」と仰る事の意味、おそらくカルさんの方はわかっていませんよね。
仕方ありません。ニカ様はご身分を明かしてはいないのですから。
「……別にいいって。こっちもちょっと、むきになったし」
カルさんが、らしくない様子で返しました。頬が少し赤いところを見ると、照れているのかもしれません。
「で? 全部とは言わねえでも、ある程度は教えてくれるんだろうな?」
「ええ。後で兄上には叱られておくわ」
そう言い置いて、ニカ様は事情を説明し始めました。そんなところまで言っていいのかというところまでお話しされていますけれど、いいんでしょうか。
いえ、焚きつけたのは私ですが。
話を聞いたカルさんは、眉間に深い皺を寄せています。
「……まさか、そんなでけえ話が出てくるとは思わなかったが」
「だから、本来私に話す権限はないと言ったじゃないの」
「そりゃそうだが……普通、王宮の話なんてものが出てくるなんて思わねえよ!」
カルさんからしてみれば、そうかもしれません。ニカ様や私にとって、王宮はそこまで遠い存在ではありませんが、彼のような庶民にとって王宮、しかも異国のと頭につくような場所は、おとぎ話の中にしかない場所なのでしょう。
「ともかく、今話したように迷宮産と思われる呪いの道具で、某国の王宮は一人の人間の意のままに操られている状態なの。元に戻す為にも、呪いを解く道具が必要なのよ」
ニカ様の言葉を聞いて、カルさんは額に手を当てて天井を仰ぎます。聞いた事を後悔したところで、もう遅いですよ。聞きたいと望んだのは、カルさんですし。
しばらくそうしていたカルさんは、やがてゆっくりと姿勢を戻しました。
「……俺がこの塔に呪いを解くものがあると知ったのは、ある文献が元だ」
「文献?」
「ああ。今となっちゃおとぎ話のようなもんだが、俺にとっては最後の望みでもある」
それは、個人が所有していた文献だそうで、所有者の死に伴い、協会に遺贈されたものだそうです。
そこには、百五十年近く前の探索者の手記だったようです。それを記した探索者は、兄弟で蒼穹の塔を探索していたのだとか。
彼等は力を合わせて上階へ行き、ある水場を見つけたそうです。その水を飲んだところ、ずっと悩まされていた体のだるさが消えたと書かれているそうです。
「後になって、彼等は塔の中で見つけたある道具で呪いを受けていた状態だった事がわかったそうだ」
「では、その水場の水が、呪いを解く品だと?」
「ああ。少なくとも、俺はそう思っている」
「上階って……具体的に、何階かは書かれていなかったのね?」
「わざと書かなかったのか、上っているうちに階数を数えるのを忘れたのかはわからない。ただ、書かれている階層の様子から、二十階より上だろうとは言われている」
二十階までなら、階層の様子は知られていますから。文献には、陽光に溢れた緑多い庭園だと記されていたようです。塔の中に、庭園とは。中庭のような感じでしょうか。
「水とはね……それは、塔の外に持ち出しても、効果はそのままかしら」
問題は、そこですよね。しかも、塔から持ち出した後、サヌザンドまで持っていかなくてはなりません。呪いを解く力が、それまで維持されればいいのですが。
それに、他にも問題はあります。
「ニカ様、もし効果があっても、相当な量を持ち出さないとならないのでは……」
「そこは魔法に頼りたいところだけれど……まさか収納魔法に入れた途端、効果がなくなる、なんて事はないわよね?」
ニカ様の質問に、答えられる人はここにはおりませんでした。




