第二十話 来訪
翌日の朝、九階の拠点地から下りて塔を出ます。時刻は朝の九時。朝日が眩しいですねえ。
「さて、今日はこれからどうしましょうか?」
「そうね……シェサナの店に行って、注文を受け付けてくれるかどうか、聞いてみましょうか」
「わかりました」
まずは協会に向かい、一応手に入れた品を換金します。やはりガラス玉はお値段が低いですね。
布や紙切れ、日記も一応値が付きました。今回一番の高値はやはり水晶玉だったようです。小指の先程もない小さなものですけど、数があったからでしょうか。
全ての金額を合計すると、ちょうど星の和み亭の一泊二食付き二人分になります。今日の分の宿泊費を稼いだ感じでしょうか。
でも、あの宿に泊まり続けるには、やはり何度も塔に入らないといけません。いえ、最終的には塔で生活出来るようにしたいのですが。
それも、黒の君からの連絡が来てからですね。
裏の巡回獣車に乗って、道具街へ。相変わらず人が多いです。
「賑わってるわね」
「そうですね」
獣車の停車場から歩いて、道具街の奥へ向かいます。歩いている途中、いきなりニカ様が足を止めました。
「どうかさないましたか?」
「来たわ」
「え?」
何が、と問おうとしましたが、必要なかったようです。ニカ様が言った事が、理解出来ました。
ほんの少し先の路地に、黒の君が立ってらっしゃいます。え……本物ですか!?
「兄上……」
「二人とも、無事で何よりだ」
ああ、本当に黒の君です。見間違いではなかったんですね。
「まさかご本人がいらっしゃるとは……」
呆然としつつ呟くと、黒の君に聞こえていたようで心外だと言わんばかりの顔をされました。
「使者を立てる訳にもいかないだろう? お前達二人、国ではどういう扱いになっていると思っているんだ」
そうでした。私は国外追放を受けた身で、ニカ様は弟君に命を狙われている方です。いくら黒の君の手の者とはいえ、気安く連絡を頼む訳にはいきません。
だからといって、ご本人が来るのもどうかと思うのですが。
「使者がいないからと言って、兄上本人が国外に出るのも如何なものかと思いますよ?」
ニカ様も、そう思われますよね? ですが、黒の君はしれっと返してきました。
「そこは見逃せ」
「まったく……」
あまりの堂々っぷりに、ニカ様も苦笑を漏らしています。そうでした、黒の君って、こういう方でした。黒の会でご一緒した時に、わかっていたはずなのに。
しばらく黒の会から離れていたせいで、忘れていたようです。
道具街にもいくつか飲食店があり、そこそこ人が入っています。買い物客や、店舗の従業員が主な客層のようです。
「さて、まずはそちらの話を聞かせてもらおうか」
店の中でも奥まった席に座り、こっそり周囲に音が漏れないよう遮音の結界を張りました。これで、こちらの会話を聞かれる事はありません。
「こちらの話と言われても……」
「なぜこの国に来たんだ? てっきりエントのどこかにいると思っていたのに」
ああ、その事ですね。それに関しては、カルさんの事を説明した方がいいんでしょうか?
ちらりとニカ様を見ると、軽く頷いていらっしゃいます。
「僭越ながら、私が説明してもよろしいでしょうか?」
「許す」
「実は、エントとの国境の山中で、とある人物に出会いました。彼は呪いのせいで、狼の姿になっていたんです」
「待て。呪いで、狼の姿だと? では、お前達とその人物が出会った時、相手は狼の姿だったのか?」
「そうです。お腹を空かせていたらしく、食事の匂いに誘われたと言っていました」
そこから、カルさんに誘われて迷宮探索をしてみようと思った事、途中刺客に襲撃された事、追っ手から逃れる為に迷宮を利用しようとしている事などを話しました。
話し終わった後、黒の君は固まってしまってます。
「あの、黒の君……」
「いや、想像以上のあれこれに、少し驚いただけだ」
確かに。いきなり呪われた人物と、しかも大きな狼の姿の相手と一緒に国を二つも抜けて、迷宮で有名な国に入るなど、思いもしないでしょう。
振り返ってみると、意外ととんでもない事をしてきましたね。
「でも兄上、問題はありましたがカルのおかげで無事ここまで来る事が出来ました。今のところ、襲撃の気配もありません」
「その問題とやらを是非聞きたいところだな」
問題……異性と団を組む場合、結婚すると見なされる、でしたっけ。あれはカルさんが酷いと思います。
そもそも、この国、妻を複数人持つ事が出来るのでしょうか。
そんな事を考えていたら、ニカ様が話を逸らしました。
「それは本当に些細な事ですから。それより、国の方はどうなっていますか?」
「ああ……事態は悪化している」
「そんな……」
オリサシアン様による、王宮の支配の事でしょうか。悪化しているという事は、やはり何かしらの力が働いている?
黒の君の話は、やはりその事です。
「黒の会の総力を挙げて調べたが、やはり何かしらの強い力が働いているらしい。ただ、魔法とは少し違うという。私もそう思う。あの力は、魔力とは違うものだ」
魔法ではなく、広範囲に人の意識を操る力。何だか、とても怖いです。
それまで静かに話を聞いていたニカ様が、不意にぽつりと呟きました。
「……魔道具という線は、ありませんか?」
「魔道具? いや、しかし、あれだけ広範囲に、しかも強い影響力を及ぼす術式を、魔道具で再現出来るものか?」
「先程、兄上も魔法ではないと仰っていたではありませんか。魔法とは違う何かを及ぼす魔道具があるかもしれません。もしかしたら、迷宮産の品かも」
迷宮産! そういえば、カルさんも迷宮産の剣に呪われて狼の姿になるんでした。
「その、迷宮産の品というのは、それ程強力なものなのか?」
「私達が知っているのは、カルを呪った剣だけです。実際、その……目の前で人の姿に戻るところを見ていますし」
ニカ様がちょっと言い淀んだのは、人の姿に戻るところをしっかり見てしまったのを思い出したからでしょう。私も釣られて思い出してしまいました……
ああ、いけない。殿方の裸体を記憶から呼び起こすなど。淑女にあるまじき事です。
少し考え込んでいた黒の君でしたが、顔を上げてとんでもない事を言い出しました。
「その、呪われた人物に会う事は出来ないか?」
「え? カルさんにですか?」
「呼び出せば問題ないと思いますけど……本気ですか? 兄上」
「無論だ。その呪われた剣とやらに、もしかしたら事態を打開する鍵があるかもしれん」
これは、黒の君の「勘」でしょうか。魔力の強い者には、まれに直感に優れた者が出ると言います。黒の君の勘がそれです。
黒の会で活動している時にも、何度も黒の君の勘に助けられました。その黒の君が、サヌザンドの異変の根源を解明する為に、カルさんに会う事が必要だ告げているようです。
ニカ様を見ると、彼女もこちらを見て軽く頷いています。考える事は同じだったようです。
「すぐ、対鳥を使いましょう。持ち歩いていて良かったです」
「本当にね。兄上、連絡が付けばすぐにでも彼は来ますが、ここでも構いませんか?」
「ああ」
専用の小さな便せんに、店の名前とすぐ来てほしい旨を記し、丸めて対鳥に持たせます。
鳥が甲高く一声鳴くと、足に持たせた便せんが消えました。これで、カルさんに連絡が行ったはずです。
「それは何だ?」
そういえば、黒の君は対鳥の事を知らないんでした。私達も、ついこの前まで知りませんでしたし。
「これは対鳥と言いまして、対になっている鳥との間でこのような便せんのやり取りが出来るんです。連絡用の鳥だそうですよ」
「ほう。生き物なのだな」
「魔道具ではありませんよ、兄上」
ニカ様が笑っています。でも、対鳥のような魔道具を作る事が出来れば、とても便利ですよねえ。
そもそも、対鳥はどういう手段で便せんのやり取りをしているんでしょう?
「ベーサ、お願いだから対鳥を解剖しようとしたりしないでね」
「え? し、しませんよ?」
ちょっと仕組みが気にはなりましたけど。だからといって、生きている鳥を解剖などしませんよ?
解剖したところで、謎が解けるかどうかもわからないのですから。
「いや、いっそ解剖してでも仕組みを解明する気はないか?」
「兄上!」
「離れた相手と連絡が取れる手段があれば、便利だろう?」
黒の君の仰る事もわかるのですが。確かに私もそう思いましたし。
まあ、解剖云々は冗談だとしても、連絡手段は欲しいところです。
「これは魔道具を注文して作ってもらうべきでしょうか?」
「そうね」
「なんだ、自分で作らないのか?」
黒の君、無茶を仰らないでください。
「私は魔道具の作り方は習っていません」
「ふむ、そうか……なら、ちょうどこの国にいるのだ、習ってみてはどうだ?」
「え?」
「オーギアンは魔道具の本場だ。金はかかるが学ぶ学校もあったはず。この国にいる間に、習得するのも手ではないか?」
魔道具を学ぶ学校……そんなものがあるのですね。ですが……
「兄上、ベーサは一刻も早く国に帰らなくてならない事情があるのを、お忘れではありませんよね?」
そうです。私は早く国に帰って、両親を救い出さなくてはなりません。
目の前のやるべき事に集中している間は忘れていられますけれど、それでも両親……特にお父様の命は刻一刻と削られているようなもの。
残念ですけど、学んでいる余裕はありません。
ですが、黒の君はにやりと笑っています。
「安心しろ。サーワンド伯の元には黒の会の連中が行っている」
「ええ!?」
黒の会の方々が!? どういう事ですか!?




