前篇
初デート編の後、いったい萌と平田はどこまで見てたんでしょう? とご意見をいただいたことからこの番外編、発生しました。ただのコメディーですが、萌の平田への完全肯定解釈や、萌から見た杏実たちのバカップルぶりをどうぞご鑑賞くださいませ……。
「ちぇ……」
ちょうど時計の針は昼の12時を過ぎた頃だった。萌は当てもなく繁華街をぶらぶらしていた。
今日は颯人お兄ちゃんと杏実ちゃんのデートの日。
二人は朝から出かけてしまっていて、置いてけぼりされた萌は未だ気分も晴れない。
”デート”
これについては杏実ちゃんは「練習」なのだと強く否定していた。しかし颯人お兄ちゃんの真意は違うんじゃないかと思う。昨夜萌が何度も連れて行って欲しいとお願いしても頑としてと譲らなかったところを見ると、練習なんかじゃなく単に杏実ちゃんとお出かけしたかっただけなんだと思うのだ。
いつも二人きりで出かけたり、杏実ちゃんを独占している萌に対して挑戦状をたたきつけてきたのだ。
萌だって負けていられない……とは思うが、、、
―――――だってなぁ……杏実ちゃん嬉しそうなんだもん。昨日もいっぱい服出して悩んでたり一生懸命だし。で、すっごく長い間颯人お兄ちゃんを好きだったんだもんね、やっとここまできたのにさぁ……今回は邪魔できないよねぇ……
服については萌が部屋を訪れたときさりげなく意見を求められたので、淡いパステル色のふわふわのシフォンのトップスと(これは杏実ちゃんのお気に入りだ)先日一緒に買ったデニムのショートパンツを勧めておいた。杏実ちゃんは足がほっそりとして長いのでミニの丈がよく似合う。「こんな短いの……大丈夫かな」(これは買う際も杏実ちゃんは言っていた)と言っていたので、短いとはいえデニムのパンツだし気合入れすぎた感がなくて甘くなりすぎないで良いんじゃないかなぁ? と言っておいた。その意見には難色を示していたが、今日見たらその通りの組み合わせを着ていた。やっぱり萌の見立て通りだと思う、よく似合っていた。出かける間際の「メロメロにして来てね」という萌の言葉に、杏実ちゃんは”無理”といっていたが、きっと颯人お兄ちゃんはそうなると萌は確信している。
寂しいけど……ここは我慢するしかないのだ。萌は本日何度目かのため息をついた。
その時―――――
「あれ? 萌ちゃん!」
聞きなれた大好きな声に名前を呼ばれ、ぱっと顔を上げる。目の前に平田さんが立っていた。真夏の暑さなんか感じられないような爽やかさで、明るい笑顔を浮かべてこちらを見ている。
その笑顔にたちまち先ほどの憂鬱なんて吹き飛んでしまった。
「平田さん! どうしてここにいるの!」
「ちょっとそこでさっきまで人と会ってたんだ。もう用事がすんで帰ろうかと思ったら萌ちゃんがこっちに歩いてくるのが見えたから」
そこ?
ここら辺はマンションや雑貨やアパレルのお店などは多くあるがあまり飲食店などない通りだ。こんな雑踏の中、どこで人と落ち合うんだろうと思う。しかも午前中から人と約束しているとは休日に早起きをしなければいけないだろうし、本当に忙しい人なんだと感心する。
「萌ちゃんは買い物?」
「あ……いえ……」
実はここ、颯人お兄ちゃん達が行っている水族館と目と鼻の先だったりするのだ。もちろん今回のことに関しては尾行するつもりなんかないし、様子を見に行くつもりもない。しかしなんとなく足が向いてしまった。それが後ろめたくて返事に躊躇してしまう。
「どうしたの? さっきからうつむいて歩いてたでしょ? 萌ちゃんらしくないね。なにか……悩み事?」
平田さんはそんな萌の様子に不思議そうにそう尋ねてきた。
自分のことを心から心配してくれている真剣な言葉。そしてそのすべてを包み込んでくれるような優しい瞳に、落ち込んでいた胸がジーンと温かくなってくる。
平田さんはいつも優しい。幼いころ人づきあいが苦手でほとんど話すことができなかったころから、変わらない態度で接してくれていたのだ。そんな平田さんを好きにならない人なんていないと思う。
しかし今回の事情は、平田さんに話すべきか迷ってしまう。自分の幼くわがままな感情だけに嫌われなくないと思ってしまうのだ。どうしよう……そう迷いながら、ふと平田さんを見上げた。
その時だった―――――――平田さんの後ろから太陽の光が差し込んできた。茶色がかった柔らかく繊細そうな髪に反射して、まるで平田さん自身に後光が差し込んだようキラキラ輝いていた。平田さんは何も言わない萌のことをじっと見て、優しい笑顔を見せてくれた。
まるで……”天使”みたい……
何も心配いらないよ。言ってごらん……そう言ってくれているようで。
さらにそんな萌を励ますように、平田さんは萌の髪を一撫でした。それに勇気を得て、萌は今日の出来事を平田さんに話すことにした。
「へぇ~……朝倉そんなこと一言も言ってなかったなぁ」
一通り話し終えると、平田さんは抑揚のない声色でそう言う。
……という事は、そういった話を二人はよくするんだろうか? もともと颯人お兄ちゃんはプライベートの話とか誰にもしなさそうなのに、やっぱり二人は本当に仲がいいんだなぁと思う。
しかしなんだか話し終えると気持ちがすっきりした気がする。いうなれば”神なる天使”に懺悔をしたことで救われてた気分、とはこんな感じかもしれない。今日はなんだかんだ平田さんにも会えたし、話も聞いてもらえたのでラッキーだった。もう少しぶらぶらしたら家に帰って、杏実ちゃんたちが帰ってきたらお土産をいただくことにしようと思う。
そう思って平田さんに話をしようと顔を上げると、平田さんから意外な言葉が飛び出した。
「……僕たちも一緒に水族館、行こうか?」
「え!?」
「う~ん。そうやって萌ちゃんが寂しそうにしているの、見てられないしね」
「でも……もしお兄ちゃんに見つかったら……」
「……まあそこは気を付けていけば……きっと大丈夫だと思うよ。あいつもいっぱいいっぱいだと思うし。……なにより面白すぎて見ない手はないしね」
「え?」
最後の言葉はあまりに小さくてよく聞こえなかった。萌が聞き返すが「何でもないよ」とにっこり笑顔を見せる。その神々しい笑顔にどうでもよくなってしまう。
「さあ行こうか」
「……怒られないかなぁ~」
「もしかして……僕と一緒に行くのが嫌?」
「まさか! 違いますよぉ!」
「じゃあいいじゃない。デートだと思って……さ?」
でーとぉ!
今なら杏実ちゃんの気持ちわかるかもしれない!!
う……嬉しすぎる!!!
そのキラキラした笑顔に心配事なんてすべて吹き飛んで「行く!」と言ってしまった。颯人お兄ちゃんの雷なんてこの笑顔の前にはかなわないのだ。
その萌の返答に満足そうに、平田さんはうなずくと水族館の方へ歩いていく。萌も嬉々としてその後ろをついて行くのだった。
「萌ちゃん!」
水族館に着いて入り口の方へむかおうとすると、平田さんに呼び止められた。振り向くと入り口遥か後方より海岸に出る道から”こいこい”と手を振っている。
入口はこっちなのに? と不思議に思いながらも平田さんがいる方へ駆け寄る。
「どうしたんですか?」
「面白いもん見つけてね。……ほらあそこ」
平田さんが指さす方を見てみる。すると彼方向こうにベンチが何個かあり、子連れの親子やカップルが座っているのが見えた。(ここは地上よりも少し高台なのだ)
その光景を見て「あっ」と声を上げる。
杏実ちゃんと颯人お兄ちゃんだ!
二人はともに手に持っている袋を開けて、何かを手渡したりベンチに置いているところだった。今から……食事だろうか?
「いたでしょ?」
平田さんの声に何度もうなずく。
「じゃ……行こうか」
「え……でも見つかったら……」
今までも颯人お兄ちゃんのデートにこっそりとついて行ったり、メカを仕込んだことはある。もちろん邪魔するためにだ。しかしながら萌が入念に変装しても大概颯人お兄ちゃんには見つかる。(颯人お兄ちゃんがいつも退屈そうに外を見たりしているのもあるが)
今日も一応さっき帽子を買って、長い髪は帽子の中に入れたりはしている。しかし平田さんもいるのだ。(一応平田さんも帽子と伊達メガネをしている)見つかる可能性も高い。
「大丈夫! 絶対ばれない。保障する。萌ちゃんも二人の様子気になるでしょ?」
躊躇する萌に平田さんはそう言って、その眼鏡越しに軽くウインクをしてきた。
かっこいい……!!!
いつもと異なるメガネのせいかその動作はいつもの3倍増しにかっこいい。なにを言われているのかも忘れて思わず見とれてしまう。そんな萌の様子に平田さんはクスッと笑うと「……じゃあ行こうか」と言って、手を差し出してきた。
きゃー!!!
萌はその流れるようなしぐさに思わず心の中で悲鳴を上げる。自分をエスコートするために差し出された手。平田さんがキラキラして王子様に見える。まるでお姫様になったみたいだ。
平田は動かない萌に少し首をかしげると、ニコッと笑って萌の手を取り、二人のいる公園へと連れて行っていったのだった。
「しー……」
ここは生垣のそばのベンチ。大人が立ったぐらいの高さの木や花が植えられており、このベンチはその木々を挟んでちょうど杏実ちゃんたちの真後ろだったりする。もちろん振り向けば二人の様子が木々の隙間から見える。二人は反対側を向いており、静かにしていれば気が付かれないだろう位置だ。
そこに平田さんと座って耳を澄ます。
どうやらやはりランチをしているようだった
「杏実。それだけで足りるのか?」
「え? それだけって……サンドイッチとチキンも食べましたよ? 普通です。朝倉さんこそ、そんなに食べれるんですか?」
「サンド3つだろ。大し量じゃねーよ」
「……ほんとにお腹すいてたんですね……すみません」
そういうと杏実ちゃんはしょんぼりとうつむいてしまう。
お腹がすいていたという事実に何かあったのだろうか? と思う。そんな杏実ちゃんを見て颯人お兄ちゃんは困ったように苦笑すると、杏実ちゃんの頭をポンとたたく。
「なんで謝るんだ。……それより杏実。これ旨いぞ。ちょっと食ってみろよ」
「何のサンドイッチ買ったんですか?」
「食べてみりゃわかるよ」
颯人お兄ちゃんがそういうと、杏実ちゃんは颯人お兄ちゃんからサンドイッチの包みを受け取る。杏実ちゃんが中身を見ようとすると、「こら、見るなよ。食べて当ててみろ」と言っている。杏実ちゃんは言われた通りに、そのままそのサンドイッチにかぶりついた。
萌は横目でチラッと颯人お兄ちゃんの顔を見る。楽しそうに笑顔を向けて杏実ちゃんが食べている様子を見ている。ちょっと何か企んでいる顔。でもこんな楽しそうな表情で女性と接しているお兄ちゃんを見るのは初めてで少しびっくりしてしまう。
「美味しい!」
「だろ?」
「私、タルタルソースって大好きなんです!」
「そうか。……で、なんのサンドイッチか分かったか?」
「……レタスとアボガド? あと、なんか塩辛い柔らかいものが入ってた気がします。……サーモン?」
「当たり」
「そうですか。やっぱりサーモンとアボガドの組み合わせっていいで…………っえ!? サーモンですか!?」
「うん」
「あ……そんな! 魚じゃないですか!」
杏実ちゃんがそういうと楽しそうに颯人お兄ちゃんは笑い始めた。その様子を杏実ちゃんは恨めしそうに睨んで「ひどいですよ……」とつぶやいている。
何のことだろう?
その会話だけではこの二人のやり取りの意味がいまいちわからないが、とりあえず颯人お兄ちゃんは楽しそうだ。やがて杏実ちゃんがちょっとふてくされてドリンクを飲み始めると、颯人お兄ちゃんはそれに気が付いて杏実ちゃんの頭をポンポンと叩いた
「杏実。悪かったよ」
「もう食べちゃいました。……遅いです」
「そう怒るな。その件は、大丈夫だから」
「……大丈夫ってどういう意味ですか? あ……もしかしてサーモンじゃなかったんですか?」
「いや。サーモンサンドだった」
「うぅ……」
「はは……でも心配ないって。あの水族館には鮭はいない」
「……え?」
「サーモンはいわゆる鮭みたいなもんだろ? だから、鮭はいないって言ってる」
「……」
「要はさっきの水族館の魚に罪悪感感じるってんだろ? だったらあそこにいない魚ならいーじゃねーか」
「そんな……無茶苦茶な理屈ですね」
「でも気は楽になるだろ?」
「……本当にいなかったんですか?」
「うん」
「そう……ですか。なら仕方ないですね。そういう事にしておきます。……ちょっとそれを聞いて安心しましたし」
「あははははは……」
「もう……完全に馬鹿にしてますね」
なんだかこの二人、本物の恋人同士のようじゃないかと思う。普通の会話と言えばそうなのだが・……聞いていてなんだか恥ずかしいというか……本当にちょっとこんな風に盗み聞きしていていいんだろうか?
そう思ってチラッと平田さんの方を見る。平田さん少し目を細めて口には笑みを浮かべて聞き入っているようだった。やがて視線に気が付いてか、萌の方を見ての小さな声で「なに?」と言ってきた。
「……本当に鮭いないんですかねぇ?」
「いるだろうね……特にサーモンはメジャーな魚だしね」
「ふ~ん。なんで嘘つくのかなぁ~」
「なんでかね。朝倉がバカなんじゃないの?」
”……バカ?”
結構な言いようだが平田さんが言うならそういう事なんだろう。
「ところで……もうそろそろ行きませんかぁ?」
「どうしちゃたの?」
「……なんだか聞いてていいのかなって……」
「ふふふ……」
萌がそういうと平田さんは楽しそうに笑う。そしてまるで萌をあやすように頭をなでられた。なんだか子ども扱いされているような気分だ。
「もうちょっとしたら行こうか。……まだちょっとぬるいんだよね」
「ぬるいって……なにが?」
萌がそういうと、平田さんはまた何言わず「ふふふ」と笑う。少しいたずらっ子みたいな笑顔。平田さんはいつも大人っぽくてかっこよくて……でもこんな少し子供っぽい顔もできるんだと思う。ちょっと今日は得した気分。
まあ聞いてるからといって邪魔してるわけじゃないし、ばれなきゃ良いか!
萌はそう思ってもう少しこの状況に甘んじてみることにする。生垣の隙間から再び二人の様子を見ると、颯人お兄ちゃんが杏実ちゃんに何か言っているようだった。
「違うって言ってんだろ」
「え? こっち?」
「ああ……もう。違う」
「もっと左ですか?」
「……ったくソース顔につけるって子供かよ。ここ!」
そう言うと颯人お兄ちゃんは杏実ちゃんに手を伸ばして、口の端についていた白いソースを親指で拭った。どうやら先ほどのタルタルソースが杏実ちゃんの顔に付いていたらしい。颯人お兄ちゃんはそのソースを拭うと、そのまま食べる。それを見て杏実ちゃんが声を上げた。
「ああ!!」
「あ? もうとれたぞ」
「違っ……なっ……なんで食べるんですか!?」
「は?」
「わ……私の口に……つ…ついて……」
「口?」
杏実ちゃんはそう言って顔を真っ赤にして言葉に詰まってしまう。颯人お兄ちゃんはやっと杏実ちゃんの言っている意味が分かったのか、自分の親指を一度見てから杏実ちゃんの方を見る。颯人お兄ちゃんにとっては全くの無意識の行動だったに違いない。
「ソースがあったから食べただけだろ」
「だ……駄目です。それはかんせ……」
杏実ちゃんはそういうとさらに顔が真っ赤になる。バツの悪そうな颯人お兄ちゃんの顔を見て何と言っていいかわからないというように、口をパクパクと動かしそのままぱっとうつむいてしまった。
「も……もういいです。すみません。なんでもないです」
「そんな意識するような……」
「わかってます……ちょっと恥ずかしかっただけです……すみません」
杏実ちゃんがそう言ってうつむいたまま頭を下げた。
その言葉を受けて、颯人お兄ちゃんはそんな杏実ちゃんを困ったようにじっと見ている。やがてうつむく杏実ちゃんの方に手を伸ばすが、彷徨うようにその手を止めて自分顔にもっていき「勘弁してくれ……」とつぶやいて、杏実ちゃんとは反対方向を向いて小さくため息をついた。
颯人お兄ちゃんの横顔が見えた。顔が赤い。
杏実ちゃんがその声を受けて再び申し訳なさそうに「すみません」とつぶやくと、颯人お兄ちゃんは杏実ちゃんの方を向かずにぽかっと頭を殴った。
もう!! 杏実ちゃん可愛い~! ぎゅーってしたい!!
杏実ちゃんの様子を見ていて、思わずそう思ってしまう。きっと颯人お兄ちゃんもそう思っていると思うのに……せっかく近くにいるのに勿体無い! 「勘弁してくれ」と言うぐらいなら萌と変わってほしい。
しかしよく考えれば、颯人お兄ちゃんが赤くなっているところなんて見たことがない。これはお兄ちゃんが照れてる? という事だろうか??
ちょっと信じられない事実だ。平田さんはこんなお兄ちゃん見たことあるんだろうか?
そう思って平田さんの方を見る。
しかしその光景にぎょっとした。
平田さんは声を出さずに、椅子から転げ落ちるようにしてお腹を抱えて笑っていた。
「平田さん!?」
小さな声でそう叫ぶと、平田さんは視線だけ萌の方へ向け、さらに「くっくっく…」と抑えきれないという風に笑い続けている。
何かそんなに面白いことがあったんだろうか? 萌は颯人お兄ちゃんたちを見ていたが、実はそれ以外にむちゃくちゃ面白いことがあったに違いない。しまった……ちょっと惜しいことをした。
しかしそんな平田さんの様子がおかしいと思ったのか、通行人がじろじろと笑う平田さんと萌を見ながら通り過ぎていく。
もしかして注目を浴びてる?
こっそりと尾行する身だ。これはまずい。
「平田さん! とりあえず笑い止めて」
「くっくっく……」
駄目だこりゃ!
萌は取り合えず、未だ笑い続ける平田さんを引き連れその場を後にしたのだった。




