8.天秤は傾く【side リオン】
それから王都とマルセーズを行き来する日を送っていた。元々遠征は多かったからシーラに怪しまれる事も無かった。
マルセーズにいる時はシアラと一緒にいた。
騎士団には補助金制度があり、滞在が長期になったり何度も来るようになると街に家を借りることができる。
シアラが住んでいた場所は少し治安に不安があったので、駐屯地近くに俺の名義で借りた家に引っ越した。安心して子を生めるように給料の一部をシアラに渡した。
王都での生活費はシーラと話し合って決めた一定額を互いに出し合って、残りは好きに使えたから貯金している振りをしてシアラを養った。
シアラも近くの酒場で給仕の仕事をしていたが、だんだんお腹が大きくなってきて好奇の目で見られることで居心地を悪くしていたようだ。
引っ越して少し遠くなったし、俺が渡す金があれば贅沢をしなければ暮らせるから仕事は辞めた。
それでも最初はシアラの子は半信半疑だったが、ちょうど駐屯地にいた時に産気付いたシアラを励まし付き添い立ち会った。
生まれてきた女の子はどこか俺に似ていて、初めて抱っこした時は小さな重みに感動した。
「この子の名前はリリアだ」
小さな生命は間違いなく守るべき存在となった。
遠征が終わり置いていくのは心配だったが、近所のおばさんたちが良くしてくれたので王都に帰還した。
王都に帰還してなるべく避けてはいたが、シーラに会えば罪悪感も湧いてくる。そんな時、シーラから言われた言葉に背筋に冷や汗が流れた。
「ねえリオン、私たちもそろそろ子どもが欲しいと思わない? だから遠征を少し減らして欲しいの」
まさかそんな事を言われるなんて思わなかった。
確かに結婚して二年以上経ったが、俺にはもう子どもがいる。
「まだ早くないか? 子どもがいないうちに稼いでおきたいんだよ。子が生まれたら遠征はセーブするから」
子が生まれれば今以上に金はかかる。遠征に行けば稼げるしシアラとリリアを養わなければならない。
「その遠征が多くて子どもが授かれないのよ。タイミングだってあるし」
もういるからいいんじゃないのか?
「遠征が多くても子沢山の夫婦はいっぱいいるだろ。もういいか? ただでさえ遠征帰りで疲れてるのに気が滅入る話をしないでくれ」
シーラの顔はまともに見れなかった。
俺の中ではもう子どもはいるんだし、新たに作らなくてもいいじゃないか、と思っていた。
だが相手をしないとシーラも不満に思うだろう。
だから仕方なく王都にいる時はシーラを抱いた。
王都にいる時、シーラからの増えた小言に嫌気が差し、益々シアラに会いたい気持ちが募っていく。
リリアと二人、寂しい思いをさせてしまっているだろう。
早くマルセーズに行って抱き締めてやりたい。
――いつの間にか、天秤は思わぬ方に傾いていった。
「リオン、お医者様から許可が出たの。だから……その……」
夕食後、二人の時間を甘く過ごしているとシアラが寄り添ってきた。リリアはお腹いっぱいになって眠ってしまった。
頬に触れ、耳朶をくすぐると可愛い反応を示す。
抱き寄せて口付けるとシアラはすぐに応えてくれた。
二度目の交わり。
初めてよりも反応が良く、シアラに溺れていく日々。
もう俺が帰るべき家はここなんじゃないかとさえ思えてくる。
このまま王都にいるよりシアラとリリアと暮せばいいんじゃないか。
責めるような眼差ししか向けないシーラより、潤んだ瞳で頼りにしてくれるシアラの方がいいんじゃないか。
俺を頼ってくれるかよわい二人を守るべきなんじゃないか。
何度もそう思いながらも、シーラと離婚するという考えは浮かばなかった。
どうせシーラがこの街に来なければバレる事もない。
そう、思って、今のままの関係を続けた。
リリアが成長し、歩けるようになって、シアラとの仲も揺るぎないものに変わって、俺の家族ができたと思っていた頃に、それは起きた。
「お前の奥さんて、シアラ、だったよな」
ある日駐屯地へ行くと、団長からそう聞かれた。
「あ、……はい。そう、ですが……」
すると団長は難しそうな顔をして黙り込んだ。
書類上の正式な妻はシーラだが、マルセーズではシアラを妻と申請していた。家賃補助が単身と家族では違ってくるからだ。名前も似ているしちょっとごまかして書けば深くは突っ込まれなかった。名乗る家名も無い平民だからか、地方はその辺りは緩いらしい。
「昨日、お前の奥さんを名乗る女性が、性能が良すぎる回復薬を差し入れに持って来たんだ」
「……え……」
ドグン……と心臓が嫌な音を立てた。団長は透き通った色をした回復薬をことりとテーブルに置く。
それより団長は何て、言った?
「その女性を連れて来た奴は信用のおける男だから嘘を言うわけないと思うんだ。だが……」
団長は考え込んでいるが、ちらりと見た回復薬は一般と比べて性能がいいのは目に見えていた。
効果が高いほど透き通る回復薬だが、光に反射して輝くほど透き通っている。
いくつかの追加効果が付与されているだろうそれは、俺にも見覚えがある物だ。
王都のギルドでもあまり見かけない。
騎士団は街を守る存在だから、と優先的に卸して貰っているし、個人的にも製作者から貰った事がある。
『ちょっと多く作りすぎたから余り物で良ければ』
飲めばすぐに体力が回復し、様々なバフもかかる。
そんな回復薬を作れるのは俺の知っている中でただ一人。
「名前はシーラだったかなぁ? だがお前の妻はシアラだったよな?」
ぎゅっと目を瞑り唇を噛み締めた。
当たってほしくない予感はよく当たる。
シーラが、ここに来た。マルセーズの騎士団駐屯地に。
バクバクと心臓は早鐘を打ち、額から汗が滲み出る。
なんで? なんでシーラがマルセーズに?
王都で俺の帰りを待っているんじゃないのか?
「シーラさんって王都騎士団にめちゃくちゃ貢献してくれてる人っすよね。回復薬は彼女が作ってくれてるからって言われて、使ったらめっちゃ活躍できたっす」
「この差し入れ回復薬昨日使いましたが力が漲りすぎてもっかい魔物退治に行きましたよ。これは長期用ですね。効果は抜群でした」
団長と俺の周りに団員たちが集まってくる。同じく王都から遠征に来た者たちはシーラの回復薬を有難く使っていた。
「あー、王都のモンがすぐ回復するカラクリはそれか。こっちにも融通してくれないかなぁ」
「シーラさんはリオンの奥さんだからリオンが頼めば融通してくれるんじゃないすか?」
団員の言葉に何かを察した団長は、俺に向き直り口を開く。
「ちょっとリオンには聞かなきゃならねぇ話があるようだなぁ」
鋭い眼差しに耐え切れず、何も言わずに団長の後を付いて行った。
二人だけの会議室で、向かい合わせで座る。
腕を組んだしかめ面の団長と、膝に拳を置いて俯く俺。
長い沈黙を破ったのは団長だった。
「婚姻してるのはどっちだ」
問われて身体が硬直する。
家賃補助が受けられるのは夫婦ものだからで、でも本当の妻ではないシアラの名前を書いて提出していた。だから今シーラの名を出すとどうなるのか。
ダラダラ汗を流しながら答えられないでいると団長が怒鳴ってきた。
「どっちだと言ってる!」
「シ、シーラです」
思わず答えれば団長の表情はみるみるうちに歪んでいく。
「シアラは……リリアはじゃあ……」
「ですが、この街では二人は俺の家族です」
「王都の家族は? シーラさんは家族じゃねえの?」
頭をガン、と殴られたような気がした。
リリアが生まれ、シアラと家族になり、シアラを妻として接していた。……このマルセーズの街にいる間は。
王都に戻ればシーラの待つ家に戻る。
――結婚して、夫婦になったから。
そんな、当たり前の事を忘れていた。
「で、どっちを取るんだ?」
「……え……」
「王都に戻るのか? それとも離婚してこっちに移動して親子で住むのか?」
離婚、という言葉に喉が詰まる。
そんな選択肢は考えた事がなかった。
俺には帰るべき家があって、それは王都にある。
「いえ、離婚とかは考えてなくて……」
「じゃあシアラたちはどうするんだ。リリアは私生児のまま放っとくのか? 私生児の末路がどんなものか知らないわけないだろう?」
この国はギルドに提出された夫婦の間に子が誕生すると様々な恩恵を受けられる。読み書きを教える学校に通う費用は全て国の負担だ。
だがいわゆる私生児は国の補助の対象外だ。
未婚の母の子に関しては要調査で、特に不貞で儲けられた子は私生児と呼ばれる。私生児は生活力に余裕があるから不貞をし、誕生させたとみなされ、それならば恩恵はいらないだろう、という認識だ。現時点でのリリアもそれにあたる。
不貞自体が余力のある者にしかできないからだ。
だからリリアが成長し、教育を受けるならば嫡子ならば無料で受けられるところを莫大な資金が必要となる。
市井で私生児といえば貴族の落し胤であるからこういう制度になったらしい。時の貴族の正妻たちが反旗を翻した結果できた法律だと聞いた。
その貴族に見放された子の末路は暗い。
それを思い出して、顔から色が抜けていく。
リリアを思うならシーラと離婚してシアラと再婚しリリアを嫡子とすべきだ。
だが今の俺には答えが出せない。
こんな時に思い出すのはシーラの「お帰りなさい」と言った時の笑顔だった。




