1.想定外の子ども
「ふう……」
荷物を抱えた私が辿り着いたのは、住み込みで働く場所。一旦地面に置いてひと息つく。
門番らしき人に目的を告げると、事前に聞いていたのだろう。快く迎えてくれて案内された。
「……っママ!」
歩いていると前から走ってきたなにかが、ありえない言葉を私に投げかけてきた。そして足にしがみつく。
「えっ……? だ、誰っ!?」
「ああ! すまん! おいリリア、その人はママじゃないぞ」
足元を見れば6、7歳くらいの女の子が瞳を潤ませながら私を見てきた。
女の子を追い掛けて来ただろう短髪の男性は息を整えながらゆっくりと歩いてくる。
「すみません。この子、若い女性を見たらママかも、って言って」
「……いえ」
落ち着いて見てみれば女の子は見知った誰かに似ていた。それは私がこの世で一番会いたくない女性。
「ママじゃないの? リリアのママはどこに行っちゃったの?」
「リリアのママは遠いところにお勉強に行ったんだよ。ここでおじさんと待ってような」
「いやだよ。リリアいつまで待てばいいの? ママもパパも帰って来ないじゃない!」
女の子は私にしがみついたまま泣きじゃくる。
正直迷惑だと思うけれど振り払えない。仕方なく頭を撫でてやると、益々泣きじゃくりしがみつかれた。
「すみません。この子、俺が預かってるんですがこの子の両親、ちょっと事情があっていないんです」
「そうですか」
「えっ、とあなたは……」
「今日から住み込みで働くことになっているエルシーと申します」
「ああ! 寮母見習いの! お待ちしてました。案内しますね。ほら、リリア、行くぞ」
男性は私にしがみつく少女を優しく引き剥がすとそのまま抱き上げた。
ぐずる少女の背中を叩きながらあやし、歩き出す。
ここまで案内してくれた方にお礼を言い、私はその後ろを重い足取りでついて行った。
縋るような眼差しを向ける少女の事情は、来たばかりの私は多少ではあるが知っている。その事情の一旦を担ったのが、私の元夫だったから。
私と元夫は、私が彼に惚れて、惚れて、惚れ抜いて、仕方なく始まった関係だった。
彼が勤めていた酒場に、食材などを卸していたのが私の父が経営する商会だった。
時折商売を習うため、父について酒場に来たときに応対していたのが元夫のダリオだった。
ダリオには、忘れられない女性がいた。
酒場に勤めていたときの同僚で、彼女に心底惚れていたのは、酒場に荷を運んでいたときから知っていた。
誰よりも愛しいという目で見て、誠実に彼女だけを愛していた。
彼女の方も満更でもなさそうに見えた。
だから私は自分の気持ちは密かにしまっておくことにしたのだ。
けれど彼女──シアラは、暫く見ない間にお腹が膨れ、子を身篭っているのが明らかだった。
二人の空気が以前と変わらないこと、他の従業員に聞いた話で、相手がダリオではないことは分かっていた。
一夜の相手の子であると事情を聞き出したダリオは、婚外子を育てる決意をしてプロポーズするはずだったらしい。
だが、そんなときに限って王都から騎士がやって来た。
それを知ったシアラは駐屯地に行った。
そしてそのまま、酒場を辞めて引っ越して行った。
その騎士が子の父で、シアラはあからさまに嬉しそうだったのが印象的だった。
『生んでほしいって言ってくれたんです』
幸せに満ちた表情を浮かべ、お腹を愛おしげに擦る。そりゃあそこまでお腹が大きくなれば生むしか選択肢は無いだろう、と引っ掛かったけれど、いなくなるなら万々歳だ。
急に辞めることになったことを騎士は詫び、二人は手を繋ぎ酒場をあとにした。
めかしこみ、花束を落としたダリオを置き去りにして。
地の底まで落ち込んだダリオを慰めたのが私だった。
彼の落ち込みようを見ていれば、分かってはいたけれどシアラを心底愛していたのを痛感した。
だが根気よく話を聞き、愚痴に付き合い、お酒に付き合い、世話を焼き、あるときとうとう言われたのだ。
『エルシーが嫁になってくれたら幸せになれそうな気がする』
嬉しかった。
舞い上がって、すぐに嫁になると返事をした。
酔っ払いの戯言でも嬉しかった。
だから、酔いが醒めて、改めて言われたときは夢じゃないかと何度も頬をつねった。
『そんなにつねったら痛いだろう』
『だって、夢じゃないかって』
痛みと喜びで涙ぐむ私の頬を擦り、ダリオは真剣な眼差しで見つめた。
『エルシーがいてくれたから立ち直れた。
エルシーがいてくれたから、生きていられる。
これからも俺を支えてくれないか?』
めかしこんでもいないし、花束も無かったけれど、私には極上のプロポーズだった。
──思えば、愛しているという言葉すら、なかったな。
結婚して、穏やかな生活は順調に過ぎていった。けれど──それは一年ともたなかった。
シアラを諦めきれていなかった彼は、偶然再会して頼ってきた彼女に簡単に靡いた。
どうして。
確かに傷心につけ込んだけれど、それでもプロポーズをしてくれたのは彼だった。
愛しているとは言われなくても、大切にしてくれているのは伝わっていたし、抱かれるときも優しくて一つになれることがたまらなく嬉しかった。
けれど、私は負けたのだ。
いつまでも彼の心にはシアラがいた。
時折遠くを見ている彼に気づかないふりをしていたけれど、いつかは、この先は、と思っていた。
そんなことはなかった。
シアラとの不倫が明るみになり、ダリオは私のもとへ戻って来た。
事情を知る諜報員という人を伴って来たときには何事かと思った。
私を見たダリオはその場に土下座した。
『ごめん……ごめん、エルシー、俺……俺は……』
戸惑うばかりだった私に、諜報員は事情を説明してくれた。
信じられない気持ちと、どこかこうなるという予感が混ざり、うまく息が吸えなくて、心臓を握り潰されような感覚のせいで話がよく聞こえなかった。
『ダリオさんはシアラさんと不貞関係にありました。先程まで二人は一緒にいて……不適切行為の途中に私たちが押し入り、関係が明るみになり──』
淡々と話す諜報員と、傍らで土下座したままのダリオの対比が何だかおかしくて、ぼんやりとしていたのを覚えている。
『シアラさんは前科があるので連行されました。
だからもう二度と会うことはないでしょう』
前科、という言葉に我に返り、無表情の諜報員を見た。
彼が言うにはシアラとダリオが再会する可能性は無いと……
『そうですか』
けれど何も感じず、ただ息苦しさだけが残る中で、そう言うのだけで精いっぱいだった。
というわけで、語り部は本編48、49話に出てきたシアラのお相手ダリオの元妻エルシーさんです。
作者としてなんという設定にしたんだ、と我ながら重いな、とも思いますが……
リリアちゃんの幸せとエルシーさんの幸せに向かって執筆していきたいと思います。
続きはまた先になりますが、気になる方はブクマはそのままお待ちいただけると嬉しいです( ᐪ꒳ᐪ )
減ると地味に悲しくなるのです…
よろしくお願いいたします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾




