47. 過ぎ去りし日の罪
長髪の男性はアスティと似たようなくすんだ銀の髪を組紐で緩く結んで、眼鏡をかけた神経質そうな顔をしていた。
どことなくアスティに似ている気もするし、他人の空似のような気もする。
「急に呼び止めてすまない。魔法師団長のアラスターと言う。ミスティとは……かつて同僚だった」
思わずアスティの手を握った。彼も何かを察したのだろう。ぎゅっと拳が作られた。
「ミスティが死んだとは本当なのか?
死んだと聞いた瞬間、私の知らない記憶が頭を掛け巡った。何も言わずに急に消えて憎しみすら抱いていたのに……」
彼は既婚者で、ミスティさんに手を出したということになる。
ミスティさんは無かった事にした、と言っていたけど憎しみも植えられていたのだろうか。
「……母の件が、あなたに何か関係ありますか?」
アスティの固い声が響く。
「あなたは、既婚者なのでは?」
アスティの言葉に男は表情を強張らせた。
そうだ、アスティは私生児だ。
「……ああ。当時は結婚していた。今は独り身だがね。
ミスティとは……私たちは同僚で、平民同士で気も合った。恋愛関係ではなかったが、何でも言い合える友人のような関係だった。
私は出世の為に貴族の上司の娘と結婚した。だが、……子ができなくてね」
男の話によれば、上司の娘に気に入られ、出世の為に結婚したが子を授からず、次第に関係は悪化したらしい。
そんなとき、気軽に話せるミスティさんに恋愛的に惹かれてしまい、あるとき口付けをしてしまった。そこからは親密になるのに時間はかからなかった。それでも最後の一線は越えていなかったとか。
出世か、惹かれる女性か。
悩む日々の中とうとう離婚を告げられた。
何度も話し合う中で疲弊し、気晴らしに飲みに行った先でミスティさんと一線を越えてしまったそう。
「ミスティは話し合えと言っていた。子ができなくても夫婦としての道はある、と。
そう言った彼女の優しさに甘えてしまった。
……そんな私の気持ちを妻は見透かしていたのだろうな」
その後ミスティさんとのことは無かったことになった。
記憶は飲みに行っただけ、酔っ払ってホテルに泊まり、翌日に帰宅した、と改変された。
ミスティさんへの思いも、無かったことになった。
忽然と姿を消したミスティさんに対して残ったのは「裏切られた」という小さな火種。それは日増しに大きくなり、今まで彼女を憎んでいた。
だから先程謁見の間で私の隣にいたアスティを睨んでいたのか。
それはおそらく彼女が植え付けた記憶。
追い掛けて来るなという意思表示だったのかもしれない。
ちなみに、結局奥様とは離婚になったらしい。
「元妻は彼女を愛している男と一緒になった。私がミスティに懸想している間に懇意になったらしい。
当時はショックだったが、この記憶が正しいのであれば、私は妻を責められないな。
再婚した妻にはその後子ができていたから、どのみち私にはそういう能力が無いのだろう」
男は力無く項垂れた。
目の前にいる、と言いたい気持ちはアスティを見て引っ込めた。
どういう事情があったにせよ、不貞の末に授かったのがアスティだ。
離婚の話が出て、ミスティさんに惹かれていたならまず先に離婚してから堂々とすれば良かったのだ。
中途半端な立場を保ったままだったから、二人の女性を傷付け、アスティも傷付けることになってしまった。
「記憶の中の時期と……きみの年齢を鑑みて、もしや、と思ったのだが……」
「俺はあなたの子ではありませんよ」
男が息を呑んだ。
「そういう能力が無いなら、俺の父親はあなたではありません。魔力回路図も異なるでしょう」
「……そうか。……そうだな。すまない。
不貞するような男が父親だなんて、きみにもミスティにも失礼だった」
明らかに落胆した表情にきゅっとなった。
きちんとした手順を踏んでいれば、今頃二人は稀代の魔法師団夫婦になっていたかもしれない。
……そうなると、私とアスティも出会っていないだろうけど。
「呼び止めてすまなかった。……最後に聞きたいのだが、いいだろうか?」
「何でしょうか?」
「きみは今……幸せか?」
アスティの手がピクリと震えた。
「もちろん幸せです。素敵なお嫁さんと可愛い息子がおりますから」
「……そうか。……ミスティの息子が幸せならば良かった。邪魔をした」
男は踵を返すと去って行った。
アスティはその姿が見えなくなるまでずっと見ていた。
帰宅して、アスティはずっと無言だった。
あの人の子ではない、とは言ったけど、ミスティさんの日記、状況からすればそうなのだろう。
けれど、今更だ。
血の繋がりの上では父親かもしれないが、それだけだ。
「シーラさん、入ってもいいですか?」
「どうぞ」
部屋の扉を開けると、アスティが枕を持って立っていた。
私たちは夫婦となったけれど、未だそういうことはしていない。
私はラルフと一緒に寝ているし、アスティは自室で寝ている。色々あってそういう雰囲気にならなかったのもあるけど、彼の気持ちを待つつもりだった。
「今日は……一緒に寝てもいいですか?」
「今日だけじゃなく、毎日一緒でもいいのよ?」
顔を赤らめた幼子のようなアスティは、ベッドの端に枕を置くとのそのそと掛布に包まり、甘えるように抱き締めてきた。
額を擦りつけ、髪で遊び、児戯のように戯れる。
だから私もお返しに頭を撫で髪を梳き頬を撫でる。
時折頬や額に口付け合いながら、夫婦の時間を過ごしていることが不思議な感覚だ。
ラルフはベッドの隣に設置した専用のベッドで寝息を立てている。
「アスティの髪って柔らかいわね」
「シーラさんはどこも柔らかいです」
思いがけない返答に顔が熱くなる。アスティに触られたのなんて、顔と髪くらいなのに。
「そ、それにしても、ほんと、ポチ様みたいに柔らかい毛だわ。まるで親子みたい」
「親子……ですか?」
「ええ。アスティって何だか大きなワンコみたいだなぁ、って思ってたの。ポチ様に初めて会ったとき驚いちゃった」
アスティは目を丸くして複雑な顔をしている。
まあ、ワンコみたいと言われて喜ぶ人はいないよね……。
「確かに、ポチ様との関わりの方が長いから、似てもおかしくないですね」
不安そうだったアスティの表情が和らいだ。
きっと私には想像もできない気持ちを抱えているのだろう。
私ができるのは、少しでもそれが取り除けるようにすることだけだ。
「シーラさん」
「なあに?」
「……もう少し、待っててくれますか?」
返事の代わりに額に口付ける。
「いつでも待ってるわ」
大好きな人を抱き寄せる。
少しでもあなたの不安がなくなりますように、と願いながら。
実は王子ではありませんでした。




