44.強力な味方がいますので!
「もうそろそろ逃げずに現実に向き合ったら?
あなたには可愛い我が子がいるじゃない」
「……元々望んでいたわけじゃない」
「望んでいたわけじゃないけど結果が実ったんでしょう?生ませた責任をしっかり果たしなさいよ」
「俺は……! シーラとの子が欲しかった! すぐできると思ってた。けど中々授からなくて……焦って……」
「……それで? 避妊もせずに無責任に子を作ったと言うの?」
リオンは俯いたまま押し黙った。
過去の私に聞いてみたい。どうしてこんな男と結婚したの?と。
「私たちの間に授からなかったのは、あなたが遠征で家にいなかったのも原因でしょう? 毎日家に帰るアメリとカールさんは三人生まれたじゃない」
「たった一回だった。たった一回しただけでできるなんて思わなかったんだ! 間違いを犯して、まずいと思ってそれから半年会わなかった。でも、どうしてもマルセーズに行かなきゃいけなくて、そしたら……お腹が大きくなってて……」
リオンは分かっていない。
たった一回と言うけど、たった一回がダメなんだと。
しかも相手は娼婦でもない、ただの一般人だ。
庇護欲をそそる、可愛らしい女性だった。
つまりそれは、ただの性欲発散の為の相手じゃない。
騎士たちが戦いの高揚で娼館を利用するのは知っていた。
騎士のパートナーとなるならば、ある程度は目を瞑りやり過ごさなければやってられない、とも。
それでも結婚した騎士たちは殆どが内勤を選び、遠征に行くことは稀だった。
現にアメリの旦那様であるカールさんは、結婚と同時に内勤に変わった。
時折王都近辺の魔物討伐には行くけれど、ほぼ日帰りだった。
リオンは結婚しても、ずっと、戦っていた。
遠征も、止めなかった。
それが、私があげた剣帯のせいだったってどんな皮肉だろう。
「その後、シアラさんと何もないなら、まだ、どうにか、なったかも……しれないけど……。
普通に、家族みたいに過ごして、二人目を望んでいたものね……」
リオンは弾かれたように顔を上げた。どうして、と言うように。
「もういいのよ、リオン。私を愛しているなんて嘘を吐かなくていいの。だからシアラさんとリリアちゃんと幸せになって」
「嘘じゃない……。嘘じゃないんだ……。俺が本当に愛しているのは……」
「それに、私はもう、再婚しているの」
「え」と口が動いた。何かを発したいのだろうが言葉にならず、息も止まったかのように微動だにしない。
「シーラさん、入ってもいいですか?」
そこへ扉を叩く音がした。彼が帰って来たのだ。
王太子殿下のもとへ万能の回復薬を持って行って貰う前に試作品を飲んだ患者の事は伝えた方がいいかもしれない。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい。……無事で良かった」
いつものように出迎え、緩く抱き締めた。
「さい……てい、いん……?」
掠れた小さな声に反応して、バッと離れる。人前だというのに、ついいつもの癖でやってしまった。
「改めて紹介するわね。私の再婚相手のアスティ。離婚の話し合いのときに会ってるわよね」
「改めまして、アスティと申します。今回はシーラさんの夫として統率をさせていただきました。本業は最高ランクの冒険者です」
アスティは丁寧にお辞儀をした。
するとリオンはみるみるうちに顔を歪めていく。
「お前……俺のことを!」
「勘違いしないでくれる? 再婚したのはつい先日で、付き合うようになったのも全て離婚したあとよ」
それでも納得がいかないようだ。
自分がそうだからといって私も、だなんて発想は止めてほしい。
「あなたの不倫が発覚したとき、最初に味方になってくれたのがアスティだった。
どうしたいかってまず私の気持ちを聞いてくれて、離婚でも、再構築でも、けじめをつけられるように協力してくれたの」
あのとき、アスティがいなければ私は今でも自分の悪いところを探して、果てのない迷路に入り込んだままだっただろう。
「シーラさんは悪くありません」
その言葉に、どれだけ救われただろう。
「辛くても、苦しくても、強力な味方になってくれたから離婚する勇気を出せた。
アスティだけじゃないわ。アメリも、こっちに来て、何気ない話を聞いてくれた人たちも、みんな、味方になってくれた」
独りじゃないってことがどれだけ嬉しかったか。
穏やかな日常を過ごせたのは彼らのおかげだ。
「離婚して、得られたものの方が多いわ。
あなたは? あなたは何を得て、何を失った?
得られたものは、私にとって価値があるもの?」
リオンは俯いたまま答えない。
仕方ないか。
逃げて、逃げる度一つずつ捨てて、気付いたときには何も残っていない。
きっと彼は失ってばかりで、何も得ていないだろう。
「もう、あなたは私には必要無い人だわ。
もう思い出せないの。確かに愛していたのに、何も疑わずに信じていた気持ちも、無事であることを祈る気持ちも」
リオンは俯いたまま、掛布を握り締めている。
私には必要ないけど、たぶん、まだリリアちゃんは必要としているだろう。
三人でまたやり直せばいい。
大人のいざこざに、子どもを巻き込むことをしてはいけない。
「それじゃあ、私は失礼するわ。……あ、慰謝料まだよね。いい加減ギルドに預けてちょうだい」
リオンの肩が小さく跳ねる。掛布を握る力が強くなった気がした。
「もう終わらせましょう」
そう言った瞬間、扉の外で赤子の泣き声が響いた。
途端に心臓が跳ねる。ここにいるはずの無い子だ。毎日聞いているから分かる。
どうして、今?
それに基本は大人しくて、火が点いたように激しく泣くこともなかった。
振り返るとアスティも扉の外を見ていた。
「ちょっと、ごめんなさい」
いてもたってもいられず、扉を開けた。
「すまん、シーラ。ラルフが全然泣きやまねえんだ。デリラもこんなこと初めてだって言ってたから取り込み中だが本当にすまん」
そこにいたのは途方に暮れたポチ様と、籠の中で泣くラルフだった。
すぐに抱き上げるけど暴れて落としそうになった。
「おっと」
「あ……ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。ラルフ〜どうした〜?」
すかさずアスティがラルフを受け取り、慣れた手付きで抱っこをして背中をぽんぽん叩いた。
「よしよし」
アスティがあやすと、少し落ち着いたのか泣き声も段々と小さくなる。
「パパたちがいなくて寂しかったのかな」
嬉しそうに、愛おしそうにあやすのを見て、私も思わず目を細めた。
「シー……ラ、その……子……は……」
リオンの弱々しく呟くような声がした。
……会わせるつもりはなかったんだけどな。
アスティの腕に抱かれた子は、リオンと同じ黒髪の子。
泣き止んで、見開かれた瞳の色も、リオンと同じ。
「まさか……いや、だって、嘘だ……」
ベッドから這い出て、よろけながら近付いてくる。
「シーラ、なあ、その子は……」
泣きそうな顔をしながらリオンの顔が歪んでいく。
「この子は私の子です。……あなたの子ではないわ」
「どう見ても俺の子じゃないか! 髪の色も、瞳も……。いつの……ああ、マルセーズに行く前に……」
髪をくしゃっと掻き上げ、その時を思い出しているのだろう。まさか、おざなりにしたのが実るなんて、思わなかっただろうな。
ラルフも落ち着いたし、またポチ様に引き取ってもらおう。そうして振り向いた瞬間。
「ぱ……ぱ……」
可愛らしい声が、やけに響いた。
声のした方を見て、前を向くと、リオンは固まっていた。




