39.コネと権力【side アスティ】
時々、ふと思うことがある。俺は何故仕事をしているのか、と。
独り身のときは金を稼ぐ為、世の理不尽を暴く為、がむしゃらになって動いていた。
今はどうだろう。
シーラさんに好きと言ったら好きって返されて、帰宅したら笑顔で「おかえり」って言ってくれて。
この人の為なら何でもしたい、何でもできるって思える。
だから仕事をする。
……そのはずだ。
仕事をすることは、シーラさんとラルフを笑顔にすることだ。
「よーし、帰ろう」
「待って、アスティさん、まだ何も終わってません」
「アスティさんに抜けられたら半期に一度の私生児調査報告書総まとめができません」
「そもそも何で今の時期にするんだ。もう一分一秒だってシーラさんの未来を垣間見ることを無駄にしたくないのに」
仕事をすればするほどシーラさんとラルフの一瞬を見逃してしまう。
本業は冒険者だから必要なときだけ行けばいいんだけどな。
「もう少しですから頑張りましょう、ね」
「殿下に執務を減らすように言おう。これじゃもたない」
俺は空間魔法からシーラさんの回復薬を取り出して飲んだ。
王都で売っているやつと同じ配合だ。
アルストレイルで売れ残ったやつだが、王都で売っていた物と品質は変わらない。
蓋を開けて飲み干すと周りの奴らに不思議そうに見られた。
「皆さんも飲まれますか?疲れは取れるし体力もつし最強ですよ」
ごくりとツバを飲み込む音がした。
「一つ、いただいてもよろしいですか?」
おずおずと申し出て来たのはいつもの書記官。
スッ、と渡すと、彼は躊躇せずにすぐに飲み干した。
「……飲みやすい」
「でしょう? 俺の婚約者が作ったやつで、市井や冒険者の間では評判なんです」
「え……、ちょっと、疲れ、取れた……」
先程まで生ける屍のようだった書記官の顔色が戻り、周りにいた者たちも「ください」と手を伸ばしてきた。
「ではもう少し頑張りましょう」
生き生きとし始めた職員たちの動きが速くなった。いつもの回復薬でこれだから、やっぱりシーラさんは偉大だな。
「……なんでみんなこんな元気なの」
恨みがましいようなか細い声がして振り返ると、ヨレヨレでプルプルさせた王太子殿下に似たナニカが入って来た。
……ナニカ、ではないな。よくよく見ると王太子殿下だった。
妃殿下は未だ子息につきっきりで、公務もままならないという。
肩代わりしている王太子殿下にしわ寄せが来ているが、おそらく数日くらいなら、という想定だっただろう。
だが子息の容態は悪化はしないが回復もしない。
ずっとベッドの上で寝たきりで母として心配して仕事が手に付かなくなる気持ちはよく分かる。
俺もラルフに何かあったら気が気じゃないだろうから。
回復しなければ、日が経つにつれて不安は増して行く。
妃殿下は勿論、王太子殿下も疲弊して、喧嘩に発展し、……万が一王太子殿下が外に癒やしを求めては大変だ。
浮気や不倫のきっかけは些細なことから。
健全な精神を蝕まれた隙に入り込まれることから始まることもあるらしい。
共感と仲間意識を他に芽生えさせない為、俺は王太子殿下にシーラさんの回復薬を差し出した。
「私の婚約者が作った回復薬です。皆さんこれを飲んだらこの通り。殿下もお一つ、いかがですか?」
透き通ったそれを訝しげに受け取り、陽に掲げてみる。
「……平民が作った薬か」
「……ええ」
まさか王太子殿下が平民を差別するようなことが……? と片眉をピクリと動かしてしまった。
だがそれは杞憂だった。殿下は蓋を取るとすぐに飲み干した。
すると先程まで枯れた細木で作られた呪われた人形のようだった殿下が、いつもの腹黒胡散臭さ満点の王子の姿に変化した。
「なんだ、この薬は……」
「俺の愛しの婚約者が作った回復薬です」
「……なん、だと……」
「御子息の容態が一進一退で気を揉まれて、妃殿下と諍いが起きないようにと婚約者にお願いして譲ってもらいました。
ギルドでも販売しておりましたし、数ヶ月前までは王都騎士団にも安価で卸していたので市井では知る人ぞ知る薬でございます」
「すると、アレか。王都騎士団の連中が急に無敵になった理由というのがこれか」
「お察しが良いのは大好きですよ」
殿下と顔を見合わせてニヤリと笑う。
「これはいいな。まだ在庫はあるか? 妻と子にも飲ませたい」
「ございますが、御子息の病を取り除けるほどの効果は得られないかと」
「少しでも容態が良くなりそうな物は何でも与えたい。実のところ宮廷薬師の薬は苦くてあまり飲みたがらないんだ」
殿下も人の親なのだろう。御子息を思う気持ちは同じだ。
「かしこまりました。その代わり、と言ってはなんですが」
「なんだ。礼か?何でも言ってみろ」
よし、言質は取れた。
「私の婚約者との婚姻を認めてほしいのです」
殿下がピタリと止まる。目を上向け、眉を寄せた。
「お前の相手は……前夫の子を妊娠したまま離婚したという」
「はい。暫定婚外子になるので、生後半年は再婚ができないあの法律のせいで未だ婚約者なんです」
殿下はふむ、と腕を組んだ。
「婚外子と分かってはいても、私生児と明確に差をつけねばならない。本当に前夫との子であるのか、確認することは大事だ。
前夫の子と言いながら不貞相手の子を出産した例もある」
「婚約者はそのようなことはしないと断言できます。状況を鑑みて特例として認めてもいいのではないでしょうか。それに、前夫が勝手に婚姻届を出そうとしていたらしいので、それを阻止したい。婚約者と子を守りたいのです」
殿下はそれでも、しかし、と唸っている。
「お前だけを認めるとあとから言われてしまうかもしれない。だから……」
「何か起きてからでは遅いのです。それに人はいつ死ぬかも分かりません。俺が持つ財産を彼女が受け継ぐ権利も渡したい。だから殿下、認めてください」
俺は頭を下げた。
確かに今まで言われたことはない、議論もされていないだろうことだ。
法律を変えるときは貴族たちの承認も必要となる。常であれば慎重にことを進めるだろう。
だが殿下は王国の王子だ。必要に応じて命令することもできる。
「王太子としての権力とコネをいつ使うのですか? 今でしょう?」
ハッキリと言えば殿下はハアー、と項垂れた。
「個人的なことで王命を使えば反乱のもとだ。
……だが、そうだな。前夫が何をしでかすか分からないなどの理由があり、緊急を要するなら……」
「ありがとうございます! さすが王太子殿下、話が分かる方で助かります」
満面の笑みを浮かべて礼を述べると、王太子殿下は苦笑した。
「何かいいように丸め込まれた気もするが……、回復薬は確かに価値があるものだ」
「足りなくなったらまた教えてください。それから……これは独り言なんですが、俺の婚約者が新たな回復薬を試作しているようです。ただ、それは効果が高過ぎるのではと危惧しております。もしかすると王宮で管理しなければならない程の効果があるかもしれません」
殿下は手元の回復薬を見て、目線を鋭くした。
「そうか。……その効果が高すぎる回復薬は大変興味があるな。例えば、重病人がたちまち回復するくらいの代物ならば……平民という身分は大変に危険だ。その可能性が低くてもあるならば、こちらとしては対策を考えなければならないだろう」
意図が伝わったようで思わず口の端が上がりかけた。使うべきはコネと権力だ。
シーラさんをリオンの手の届かない場所へ上げる。
「私はできると確信しております。では職務がありますので」
一礼すると殿下も踵を返して部屋を出た。
後日、シーラさんの再婚を王命で認める旨が記された書状が、殿下の手紙と共に届けられた。
『分かっているとは思うが、プロポーズは必ずするように』
花束と指輪を持って、シーラさんのもとへ急いだ。
万能の回復薬の材料を取りに行く前に、間に合って良かった。




