37.守護魔法
「まさかリオンがここに来るなんて……」
私自身、ここまで執着されているなんて思ってもなかった。
マルセーズで見た彼の表情は確かに母子を映していた。
離婚前の態度を振り返ってみても、愛されていた実感は無い。
むしろ思い出したくもないくらい惨めで辛い記憶しか残っていない。
「……不貞して離婚した後、復縁を願う人は割といるらしいです」
「そうなの?」
「不貞の相手と恋人として付き合い始めても、再婚しても、結局生活していかなければなりません。そうすると、比べてしまうそうです」
アスティいわく、妻が愛する夫を思い、心を尽くされていた人ほど物足りなくて比べるらしい。
例えば料理。作る際の要領や味付けが変わると、最初は受け入れられないのだとか。
毎日の妻の栄養のバランスを考えられた手料理に慣れていると、愛人の味付けに舌が付いてこない。
たまに食べるなら美味しく感じても、それが毎日になると不摂生になるらしい。
満足できなくて外食ばかりになると、お金が保たない。
更に妻という二人の共通の敵がいなくなると、生活する上で互いの嫌なところが目立つようになる。
すると次第に関係性が落ち着き、冷め、ケンカが増えてしまうらしい。
「元々不貞なんて肉体関係しか結んでないことが殆どですからね。冷めるのは早いみたいです。
それで別れて、元に戻りたがる、……バカじゃねぇのって感じです」
「そんなものなの……」
刹那の関係に巻き込まれた側はたまったものではない。
大人でも辟易するのに、子どもまで巻き添えにするのはどうなのか。
「リオンは今更シーラさんがどれだけ献身的に支えてきたか知ったんですよ。当たり前にあった愛が失くなって慌てても遅いです。
その時にはもう気持ちも変わってますからね」
リオンに縋られて、思ったことは気持ち悪い、だった。
結婚して五年経過して、確かに愛し合ったはずなのにもう記憶も朧気でしかない。
気持ちも全く思い出せない。
自分がこんなに薄情だなんて驚いたけれど、私も冷めてしまったのだろうか。
「シーラー!」
家の中に精霊の踊り場で踊ってくれていた精霊たちが入って来た。
「きいてーきいてー。あの黒い人、追い出したー!」
「追い出した?」
「なんかきもかったからー、森の外にぽいって」
精霊たちの言葉に目が丸くなる。
森の外にぽい……?
「あいつきらーい。魔力無いし。だから今度森に入ったら迷うようにしたのー」
「だからもうここには来れないよー」
「らるふもあんしんー」
きゃっきゃっ、と楽しそうに精霊たちはくるくると飛び回る。
「精霊たちに助けられましたね」
「そうね。……ありがとう、あなたたち」
「どいたまー!」
精霊たちのおかげでリオンがこの家に来ることは無さそうで安心した。
家から爪弾きにされたから中には入れないだろうけれど、それでも不安だった。
この家から出て行きたくなかったから。
「精霊たちにいいとこ取られてばかりも悔しいんで、俺もシーラさんに守護魔法かけます」
少しムッとしたアスティは、小さく呟くとそっと近寄って来た。
「あ、アスティ……?」
彼の柔らかな唇が私の額に触れた。
次いで、右の頬、左の頬に。
びっくりして思わず額に手を触れる。唇が触れた箇所が熱く感じるような気がした。
「守護魔法かけました。これでリオンはシーラさんに近付けないです」
誇らしげに言われても、私の心臓は速くなったままだ。
「守護魔法の掛け方特殊じゃない?」
「そうですか? ……子どもの頃、母からしてもらってたんです」
「そうなの」
ミスティさんはやっぱりアスティを愛していたんだな、と感じる。
子どもの安全を願って、三点を結ぶ。一番強い掛け方だ。
「……他にも掛けたりしたことあるの?」
「いいえ。守護魔法は家族にしか掛けないですよ。あとはラルフも掛けとこうかな。
……まあ、精霊の主の守護はありますがね」
以前のポチ様の宣言通り、ラルフは生まれて間もなくポチ様の加護をいただいた。
普段私もデリラさんの店で働いていて、そこで子守をしながら回復薬作りをしている。
ちょうどギルドに卸しに行くところでリオンに見つかってしまったのだ。
ちなみに今もデリラさんに預けているけれど、ポチ様も番犬のようにそばに付いててくれる。
森にいるときは大きな姿だけど、今は本当に犬にしか見えない。
「そろそろ店に戻らなきゃ。デリラさんが心配してるわ」
「俺も……こんなときなんですが、ちょっと忙しくなりそうです」
「何かあったの?」
「王太子殿下……俺の直属の上司のお子様の体調がよくなくて、王太子妃殿下が心配して付き添ってらっしゃるんです。だから妃殿下の仕事が王太子殿下に回されて、うちの部署は俺が任されました」
アスティは口を尖らせてスネているようだ。
しゅん、としてちょっと可愛い。
「本当は俺がそばにいて守りたいんですが……」
自然に私を引き寄せて抱き締める。
「はー……」と溜め息を吐いて、私の肩に額を擦り付けた。
「大丈夫よ。移動魔法もだいぶ慣れたし、見つからないようにデリラさんの店の裏方から使うから」
「ギルドに卸すときは俺が行きましょうか?」
「……そうね。そうしてもらえると助かる」
アスティはニコッと笑って頷いた。
以前なら断ったけれど、頼っていいときは頼ることにしたのだ。
しかし……
王太子殿下のお子様の容態が気になる。
アスティの助けになるなら……何かいい薬は無いかしら。
王宮なら宮廷薬師がいるかもしれないけれど、いてもたってもいられない。
それならば、アスティの周りの部下たちに使ってもらえそうなやつを何か作ってみようかな。
よし、と気合を入れ直して、嫌そうにだるそうに王宮に戻るアスティと別れ、ラルフを迎えに行ってから移動魔法で自宅に戻った。
幸い、リオンに会うことは無かった。




