30.歪んだ思い【sideリオン】
シーラと離婚して毎日が色褪せたように過ぎて行く。
何を食べても味がせず、何を見ても感動も無い。
帰宅する度シーラの微笑みを期待して扉を開けても、待ち受けるのは静寂ばかり。
シーラと出会う前に戻っただけ……
そうは思っても一度シーラを知ってしまったら後戻りはできない。
目を瞑っても浮かんでくる穏やかな笑み、緩やかな髪、聞きやすい声。
料理をしているときに後ろから抱き締めて「危ないから」と言いながらも嬉しそうにしていたのを思い出す。
家の台所に立ってシーラを抱き締めても、それはただの幻で、いつも使っていた空の鍋が佇むのみ。
食器もシーラの分だけ無くなっていて、何が無い、どれが無いと自覚する度心に穴が空いていくようだった。
シーラがいなくなっても日常は過ぎていく。
離婚からひと月が経過したあるとき、ザイン団長が朝礼で騎士たちを集め、皆の前で高らかに宣言する。周りは何だ何だとざわざわしているが、俺は俯いたままだった。
「騎士団員に通告する。
此の度遠征を見直すことになった。
団員の中に不適切な行いをした者がいる。その為大規模調査を行うことになった」
団長が話し始めると、辺りはしん、として誰かが生唾を呑み込む音さえ聞こえてきそうだった。
「心当たりがある者は名乗り出よ。
それから……ギルドから卸していた回復薬だが、当面の間支給を中止する」
ザイン団長の言葉に騎士たちは一斉にどっとざわついた。阿鼻叫喚がこだまする中、「静かにしろ」と団長や副団長が叫ぶがあちこちで悲鳴やら呟きやらが耳に入る。
俺は喧騒の中息を潜めるように拳を握り締めじっと地面だけを見ている。
――シーラ、お前には聞こえているだろうか、この怒号が。
これがお前の望む騎士団の末路か?
違うだろう?
シーラはこんなのを見過ごせる女じゃない。
「黙れと言っている! ……それから、本日以降、回復薬の持ち出しは禁止とする。一日の使用上限も決める」
「待ってください、団長! 理由は何ですか? 納得いきませんよ」
「そうだそうだ! 回復薬がなけりゃ魔物に苦戦しちまう」
「命をかけて戦う俺らに死ねって言ってるんですか!?」
次から次へと野次が飛ぶ。
こんなのは分かっていたことだ。
シーラの回復薬は騎士たちの必需品だ。それを失くすとなれば当然反発される。
「諸事情により、回復薬を作っていた方から適正価格へ変更する旨を伝えられた。
今まではご厚意で仕入れ値が破格だったんだ。だから国から支給される回復薬の予算の余剰分を、国王陛下の許可を経て遠征費用に充てていた」
辺りはしん、と静まり返った。
「そのことが、回復薬の製造者からすれば……不快にさせてしまう一因となった。だから、回復薬は適正価格に戻された」
騎士たちの動揺は収まらない。
回復薬があるからこそ多少の無理、無茶ができていた。
徐々にケガが治るから捨て身の攻撃ができた者もいる。
「じゃあ、回復薬が無いってことは……」
「嘘だろ……」
幾人かは剣帯に付いたポーチを漁り在庫を探っている。
――こうなるの分かっていたことだろう?
「リオン、なあ、なんでシーラさんは回復薬を引き揚げたんだ?」
「リオン、頼むよ。回復薬が無いと困るんだよ」
皆の視線が集中する。
恐怖で後ずさりしたがいつの間にか背後まで回られていた。
「俺に言われても……」
「なあ、ホント、困るんだよ。俺のは母ちゃんにやってたんだよ。あちこち痛がってんだけど回復薬飲めば元気になるんだよ」
青褪めているのは同僚だ。
何度もバディを組み互いに助け合って来た。
「俺だって困る! 街で売ればいい小遣いかせぎになるんだ。それで幼い弟たちを養ってたんだよ」
転売は禁止されているはずだが、こいつにとってはそれどころではないようだ。
周りを見れば皆の視線が突き刺さる。
責めるような眼差し、憐れむような目線。
俺を掴む手を払い、睨み返した。
「お前たちの都合を俺に言われても困る。
第一騎士団に支給された物をよそで使っていいのか?」
言葉に詰まる同僚たちに言うと彼らは一様に目を逸らす。
周りに目を向けても後ろ暗いのかほとんどが目線を落としていた。
だが縋るような眼差しを向けてくるのは少々気まずい。
何か言おうと口を開いたとき、どこからか声が聞こえた。
「大方隠し子の存在がバレたんだろ」
「ちょっおまっ」
しん、と静まり返った中に呟いた声はやけに響き、慌てて止める声も次いでこだました。
「隠し子……? シーラさんの子じゃないってことか?」
「え……もしかして離婚された?」
「うわ……引くわー」
周りにいた奴らはヒソヒソと好き勝手に喋っている。……一部は自分も後ろ暗いことがあるからか、下を向いてざわめきが過ぎるのを待っているようだった。
「お前ら静かにしろ!
連絡は以上だ。朝礼は解散、各自持ち場に就くように」
「リオン、お前は団長室に来い」
ザイン団長の声で解散となっても納得がいかない者たちはその場でどよめいている。
ここは居心地が悪い、と俺はすぐさま団長室へ向かうことにした。
扉を叩くと中から「入れ」と声がした。
ザイン団長と……なぜかマルセーズのダガート団長までいた。
「そこに座れ」
室内の応接用ソファに腰掛けると、書類を渡された。
書いてある文章を読むとマルセーズでの不当受給に対する返還請求だった。
「お前はマルセーズでシアラさんと家族だったんだな」
ザイン団長の低い声にドキリとする。
シアラと家族という言葉に違和感があった。どちらかと言えば恋人だった。
会って、リリアを抱っこして、三人で過ごしてリリアが寝たらシアラと甘いときを過ごす。
ただ、抱ければ良かった。
面倒な話はせず、ただその場だけ――何も言わずただ気持ちよくさせてくれる相手がシアラだった。
嫌なことも小煩いことも言わず、ただ俺の帰りを待ち嬉しそうにしているのを可愛いと思っていた。
「……あの家は引っ越します」
「シアラはどうするんだ」
書類に無言でサインしていく。
貯金はあとどれくらいだったか。約三年分の受給額はまとまれば結構な金額になっていた。
「治安のいい場所に行くように言います」
「お前はどうするんだ? 一緒に暮らせばいいじゃないか」
ダガート団長は何を言っているんだろう。
「俺はシーラを探さなくてはならない。騎士団のみんなも回復薬を望んでる。シーラを連れ戻してまた作ってもらわなくちゃ」
そうすればみんなまたいい思いができるだろう? と笑みさえ浮かべて問うた。
二人の団長は、目を見開いて驚いている。
なんらおかしなことは言っていない。
シーラは俺の妻なのだから。
本業がむちゃくちゃ忙しくなり、睡眠不足で更新途絶えました。
落ち着くまで不定期になります。
第二章もあと少しなのですが……
シタ夫が暴走気味で作者もドン引きです




