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【本編完結/書籍化】騎士の夫に隠し子がいたので離婚して全力で逃げ切ります〜今更執着されても強力な味方がいますので!〜  作者: 凛蓮月
二章/新たな生活を始めます

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27.正しい選択を【side アスティ】


 扉の外に出てからすぐに行こうとしたけれど、シーラさんの泣き声がして足が竦んだように動けなかった。

 傷付けてしまった、そのことが頭の中を駆け巡る。シーラさんは強い。いや、強い様に見せながらたぶん脆い。だからそばに行って涙を拭いてあげたい。

 そう思いながらも動けない。

 母さんのことを思い出して、自分にはその資格が無い、と動くことができなかった。

 結局俺はシーラさんの泣き声が収まるまで扉の外で待機して、落ち着いた頃に移動魔法を使った。

 

 シーラさんが離婚してから冒険者たちは浮き足立っている。

 なんとか自分のパーティーに入ってくれないか、いっそのこと公私共にパートナーになってくれないか、と誘いたいらしい。

 シーラさんが俺の実家にいることは俺と一部のギルドの人しか知らない。シーラさんが伝えてなければ親友夫妻も知らないはずだ。


 本当はもっと助けになりたいが拒絶されてしまう。

 無理に踏み込めば嫌悪される。それだけは耐え難い苦痛だ。

 それに拒絶されるかもしれないと思うと一歩が踏み出せない。

 踏み込めないのに助けたい、拒絶されても仕方ない、とぐるぐるするこの面倒な感情は俺の中を支配していく。


 それでも、やっぱりシーラさんには笑ってほしい。

 幸せになってほしいし、そうするのは他の男ではなく俺でありたい。


 足りないのは、少しの勇気。

 今はまだ足りないからやるべきことから片付ける。



 数日後、漏れそうになる溜息を噛み殺しながら俺はマルセーズの母子の家の前に来ていた。


 シーラさんの離婚が成立してから数カ月。その間リオンがここに帰る事は無かった。

 重い気持ちを押し込めて扉を叩くと中からバタバタと音がして急に扉が開いた。


「リオン! お帰りなさい! ……っぁ……」


 満面の笑みを浮かべていた女は待ち望んだ人ではないと分かると表情を強張らせた。


「シアラさんですね。私、婚外子調査をしておりますアスティと申します。こちらは書記官。

 リリアちゃんの件でお話がありますが、今お時間はよろしいでしょうか」


『婚外子』という言葉に体が竦んだのか、分かりやすく肩を跳ねさせ目を泳がせた。

 やましいことがある奴はだいたい目が忙しない。


「あ……えと、今は……その、忙しくて……」

「ここで立ち話でも構いませんが、ご近所の目があるので、できれば中で話させていただきたいのですが」


 女は躊躇した様子で俺と書記官を見ている。見知らぬ若い男を易易とは招き入れない倫理観はあるようだ。


「ど、どうぞ……」


 促されたので遠慮なく中に入る。笑みは浮かべたままで。書記官が何か言いたそうにしてるけど無視した。


 中の様子は監視魔法で勝手知ったる場所だったが見渡しても記憶の中と一致した。

 掃除はしているし臭いも無い。母子の状況は良好と言えるだろう。生活に困っている風ではなさそうだ。

 客人にお茶を準備する余裕もある。


 子の姿は見えない。おそらく別の部屋で休んでいるのだろう。そっちの方が好都合だ。


「突然驚かせてすみません。シアラさんは国が不貞の末に生まれた子に厳しいのはご存知ですよね。その為、親が一人の子どもが三つになると私生児か婚外子かの調査がなされるんです。

 リリアちゃんは三歳になりますよね?」

「は……はい……」


 笑みを浮かべていた俺は、すっと表情を変えた。

 女は分かりやすく緊張を走らせる。


「調査の結果、リリアちゃんは私生児という事が判明しました。出生当時、リリアちゃんの父親は他の女性と婚姻関係にありました。

 あなたは相手が既婚者というのをご存知でしたか?」


 この質問は重要だ。

 知らなかった場合、不当に妊娠させられた可能性も出てくる。二人の未来を望むような無責任な言葉を鵜呑みにして、実際に妊娠すると逃げられるケースはよくある話。


「……あの……」

「三年間、リリアちゃんの父親と会っていましたよね? 彼が既婚者だと、知っていましたか?」


 顔は青褪めテーブルの上に置いていた手が白く小さく震えている。

 いくら平民とはいえ国の法律を知らないはずはないだろう。

 シーラさんの件を抜きにしても手を抜くつもりはない。


「知っていましたよね。早く離婚しろと言っていましたから」

「……っ!?」

「その為調査の結果、リリアちゃんの判定は私生児となりました。子どもが学ぶ為の費用年間約金貨千枚は国では負担いたしません。ちなみに他教材などは実費です」

「金貨千枚!? そ、そんなお金……私……」


 可哀想になるくらい青褪めて震える彼女に湧く感情は無い。


「そうですね。以前あなたが働いていた酒場の給仕で年間約二百枚程度ですからね。まあ平民は殆ど払えません」


 ちなみにこれはふっかけた金額だ。

 平民だからまだかわいい値段だが、貴族がやると下手すれば没落しかねないくらい請求される。

 私生児は政略結婚の障害となる。托卵でもすればお家乗っ取りにもなりかねない。

 厳しく罰を設けても、欲に負ける者は多い。


「……一つ、抜け道があります」


 笑みを浮かべると、女は弾かれたように顔を上げ縋るように見てきた。


「相手の男と再婚すればいいのです。再婚して、嫡子届を出せば嫡出子として庇護を受けられます」


 目を見開き、表情に赤みが差してくる。

 ――それが、希望の糸に見えて、実は細く脆い事も知らずに。


「ただし」


 目を瞑り、ひと呼吸置く。

 再び目を開くと早く、早く、と急かしているようだった。


「再婚するには条件があります。

 一つ、離婚した相手が請求した慰謝料を払い終えること。

 一つ、離婚した相手の承諾が必要。

 一つ、有効期限は子が六つになり学び舎に通うまで。それまでに再婚できなければアウト。

 そして、仮に再婚できたとして。

 一つ、死が二人を分かつまで離婚はできません。

 一つ、どちらかでも不貞をすると国の援助は打ち切られそれまでの援助も返還請求がなされます」


 条件を提示する毎に女は戸惑い、悲壮、焦り、――そして絶望の表情を浮かべた。

 今までの歴史の中でも再婚したのはほんのひと握り。

 最期まで愛し合う夫婦でいられたのはゼロだ。


「そんな……無理です……」

「相手にも勿論請求が行きますよ」


 聞こえているのかいないのか。何度も頭を振りながら「無理」とか細く呟き、女は瞳を潤ませる。


 この国で不貞はままあること。

 貴族を始め、平民でもお金さえあれば愛人がいる事は珍しくはない。

 ただ、その末を実らせる事は絶対的に禁止している。


「無理だと言うならば、なぜ相手に騎士を選んだのですか?」


 無表情で問い掛ければ「え」と口だけが動いた。


「あなたにはまだ相応しい人がいたはずです。

 以前働いていた酒場の同僚は地味だけど皆に慕われて真面目な青年だった。

 騎士と言えば魔物と戦うし戦争にも駆り出される。独身者は遠征の先毎に馴染みの娼婦がいたり恋人がいたりする。

 その中に既婚者が紛れ込んでいるかもしれないのに、どうして騎士とそういう関係になったんですか?」


 女は唇を引き結び、再び表情を強張らせた。

 瞳を泳がせ、どこにも逃げ場が無いと悟ったのか、力なく項垂れた。

 自分がした事がどういうものなのか、だんだん現実が見えてきたのかもしれない。


「私は……私には家族はいません。ずっと独りでした。リオンを見たとき、この人に抱き締められたいと思いました。結婚していたなんて、知らなかったんです」


 肩を震わせ鼻を啜りながら泣いているが、なぜ被害者のように振る舞えるのだろう。


「だから、私は被害者とでも言いますか?」

「だってそうでしょう? 私はただ運命の人に出会っただけ。好きになった人がたまたま既婚者だっただけ。抱かれたときは知らなかったわ。でももう始めてしまったものは止められなかった。

 世界中の誰に反対されても、私は彼を諦めきれなかった」


 泣きながら訴えられているが、どうしてみな同じことを言うのだろうな。

 自分の幸せの為に他人を犠牲にしていいと言える神経に反吐が出る。


「そうですか。では騎士の元妻に慰謝料を支払い、承諾を乞うてください。

 ちなみに現時点であなたへ慰謝料の支払い請求はありません。元妻さんはあなたが稼いだお金でないなら意味が無いと言っておりました。

 ……おや、それでは再婚できませんね?」


 首を傾げると、女は分かりやすく顔を歪めた。


「他の方と婚姻したくなっても、ギルドに登録されたあなたの情報欄にはリリアちゃんが私生児であることは記載されています。

 ……さて、どうしましょうか?」


 歪んだ顔はとても醜い。

 こんなはずでは、と呟いてももう遅い。


「ちなみに……払えないならリリアちゃんを孤児院にやることもできます。

 私生児が集まる場所で、一部の貴族の融資で成り立っています。

 愛しているならば手放すこともご一考ください」


 そこまで言い終えると席を立ち頭を下げる。

 女は頭を掻きむしり呻き声を上げている。


 なみなみと注がれたお茶が揺れるのを一瞥して、俺達は家をあとにした。


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