リキが来る
「リキ」
「リキ」
週末の日曜日、家族と叔父夫婦でペットショップを訪れた凜生と望生は、目当てのゴールデンレトリーバーを見つけた。
窓から覗き込みながら、すでに決定した名前で呼び掛ける。
「すごい、こっち見た」
「リキだ。絶対リキ」
「凜生、望生、この子はリキじゃないよ」
凜生と望生はリキと呼んでちゃんと振り向いたゴールデンレトリーバーにすっかり興奮したが、あっさり諦めさせたのは真由だった。
「真由ちゃん、何で? この子はリキだよ」
「リキ、僕とお姉ちゃん見たよ」
「この子はもう子犬じゃない。凜生と望生だって最初は子犬がいいでしょ?」
真由の言う通り、凜生と望生に振り向いたゴールデンレトリーバーはすでに大きく成長してしまった、いわゆる売れ残りだった。
「ほら凜生、望生、他のペットショップに行こう。きっと本当のリキがいるよ」
「じゃあ行くか」
真由に同調するしかない陽大と柊永も潔く諦めさせる為、今いるペットショップから離れ始めた。
凜生と望生も大人3人から諦めさせられれば、自然と大人しくなるしかなかった。
しょんぼりと俯きながら、大人に続いてペットショップを離れる。
それでも売れ残りのゴールデンレトリーバーを見つめ続けたのは秋生だった。
秋生は呼びかけることなく、窓の中のゴールデンレトリーバーと目を合わせる。
「お母さん、やっぱりリキ?」
「お母さん、リキ?」
「……うん、リキ」
ペットショップに1人残る母に気付き慌てて引き返した凜生と望生は、母からリキを見つけたと教えられた。
「あーあ、秋生のせいで可愛い子犬時代を楽しめなかった」
「真由ちゃんは断然猫派でしょ? でも秋ちゃんがあの子にこだわるなんて思わなかったね」
結局大きくなった売れ残りのゴールデンレトリーバーを家に連れて帰った凜生と望生は、母と一緒にリビングでリキと遊び始める。
柊永はリビングにリキのゲージを作り始め、陽大はまだ文句タラタラの真由に笑いながら姉の頑固な一面を新たに見つける。
「リキ、おいで」
「リキ、ぼく」
凜生と望生はわざとリキから離れ、揃って手を広げる。
リキは迷うことなく母の傍で尻尾を振った。
「リキ、お母さん大好きだね」
「リキだめ。僕のお母さん」
凜生は我が家に来てすぐ母に甘え始めたリキに笑うが、望生はリキにヤキモチを焼き始めた。
秋生は今日家族になった甘えん坊のリキと同じく甘えん坊の望生を一緒に抱きしめ、優しく笑った。
「秋生、リキはゲージに入れろ」
「今日はまだ不安だから」
リキは今日初めて家に来たので不安だろうと、秋生は柊永に止められても寝室に入れてしまった。
夫婦のベットにまで乗ってしまったリキは秋生の傍から離れない。
「せっかく今日は望生がいねえのに、リキに邪魔された」
秋生は望生が凜生と一緒に眠る日は柊永を甘やかせるが、今夜は柊永に不満がられながらリキを膝で甘やかす。
「秋生、何で俺が秋生を取られるって最初からわかってたのに、犬を飼う気になったかわかるか?」
「……凜生と望生が喜ぶからでしょ?」
「まずは俺が安心するからだ。リキがいれば、秋生は昼間家から離れなくなる。凜生と望生がもう少し大きくなって秋生がまた働きたくなっても、リキがいるから我慢する…………リキは俺の代りに秋生を見張ってくれる」
秋生はリキを膝で甘やかせながら、心配する柊永にただ微笑んで安心させた。
「おかえり」
日曜日の昼間、リキの散歩から帰ってきた凜生と望生は、庭にいた母に迎えられる。
「お母さん、ぼくリキいっぱい散歩させたよ」
「ありがとう望生」
今日の望生は散歩中ずっとリキのリードを握っていたらしい。
「お母さん、リキうんちしたよ」
「ありがとう凜生、いつも偉いね」
「当たり前だよ。リキのうんちだもん」
秋生は今日もリキのうんちを袋に入れ持ち帰ってきた凜生を褒めると、凜生は当然と言いながらも少しだけ誇らしげだった。
「お母さん、ぼくも今度リキのうんち拾うよ」
「ありがとう、望生も偉いね」
姉に負けじと今度から頑張ってくれるらしい望生も褒め、みんなで家の中へ戻った。
「リキ、震えないで」
「あーあ、お母さんまたビショビショ」
散歩したリキの足を洗うついでにリキの身体も洗った秋生は、最後に思いきり身体を震わせたリキから今日も水攻撃を食らう。
「凜生、望生、お母さんの代りにリキをタオルで拭いて」
「お母さん、着替えておいでよ。私と望生がリキにドライヤーも掛けるから」
凜生と望生にリキの世話をバトンタッチした秋生はすっかり濡れた服を着替えるため、寝室へ急ぐ。
寝室に入って一気に服を脱ぎ捨てた直後、柊永が寝室を訪れた。
「わざとでしょ?」
「違うぞ、偶然だ」
「この前も来たじゃない」
秋生は2週間前リキに水攻撃された時も偶然寝室を訪れた柊永を、今日こそ確信犯だと怒った。
「秋生、まだ服を着るな」
「……何で?」
「もったいねえだろ。昼間に秋生の下着姿を拝めるなんて滅多にねえぞ」
「もう……しょうがないなぁ」
秋生は着替えを止める夫をさっさと諦めさせるため、下着姿でギュッと抱きつく。
「……柊永、夜脱がせてね」
とどめの一言を耳に吹き込み完全に固まらせたうちに、無事服を着込んだ。
「リキ、まだだよ」
「リキ、どこ行くの」
凜生と望生はどうにかリキをタオルで拭いたが、ドライヤーを嫌がるリキに逃げられる。
「おいリキ、じっとしてろ」
リキは凜生と望生からはあっさり逃げられたが、突然現れた柊永にあっさり掴まりドライヤー攻撃を受ける。
「さすがお父さんだね」
「お父さん、すごーい」
「ふふ」
凜生と望生はリキを大人しくさせた父に感心すると、母に笑われた。
「あれ? リキはもう大人じゃねえか」
その日の午後、柊永の友人である瀬名啓斗が遊びに訪れたが、ひと月前初めて見たリキが更に大きくなっていて驚く。
「ちがうよ啓斗君、リキはまだ9ヵ月だよ」
「啓斗君、リキは人間だと8才くらいだって」
凜生と望生はリキがまだ子供だと瀬名にしっかり教えた。
「じゃあリキはもっとデカくなるってことか?」
「うん、多分」
「啓斗君、リキはオスだから、今の倍くらい大きくなるかもしれないよ」
「マジかよ……」
誰にも打ち明けたことはないが大きい犬が苦手な瀬名は、リキを遠くから見つめる。
「おい啓斗、早くリキを撫でてやれ。待ってるぞ」
「いや、俺はまだ来たばっかりだから……」
「啓斗君、リキ撫でてあげて」
「早く、早く」
瀬名が大きい犬を苦手なことなど小さい頃から悟ってる柊永はわざとけしかけ、瀬名は凜生と望生にリキの前まで押されてしまった。
「啓斗君、リキ可愛いでしょ?」
「リキも啓斗君好きみたいだね。いっぱいペロペロしてる」
「……勘弁してくれ」
リキに好かれたいなど微塵も思わないのに気に入られてしまった瀬名は、顔をたくさん舐められながら降参した。
「俺の顔がリキくせえ」
「ごめんね瀬名君、はいタオル」
ようやくリキに飽きられた瀬名はソファでぐったりし、秋生に濡れたタオルを渡される。
瀬名は有難く受け取り、必死に顔を拭き始めた。
「瀬名君、もしかして犬苦手?」
「……まあデカい犬はちょっとだけ。でも水本さん、鋭いね。柊永だって気付いてないのに」
秋生が気付いたのだから柊永も同じに違いないと思うが、瀬名は秋生に初めて気付かれたと信じてるらしい。
秋生も余計なことは言わず、大きな犬が苦手だった瀬名にただ同情した。
「瀬名君、これからなるべくリキに舐めさせないようにするから、変わらず遊びに来てね」
「わかってるよ。俺も40手前の大人だから我慢もできるしね。でも水本さんに歓迎されると嬉しい」
今はソファで2人となった秋生と瀬名は、こうして一緒に過ごせる今を喜び合う。
自然と笑って見つめ合うと、なぜか瀬名は慌てて窓に振り返った。
「危ね……あいつに見られてたらどうしようかと思った」
「え?」
「水本さんと仲良くしてるとこ」
「瀬名君、心配し過ぎだよ。柊永は何も気にしてないじゃない」
秋生が1人焦る瀬名に笑った通り、庭にいる柊永は子供達と一緒にリキを遊ばせてる。
「……まあ確かにあいつは俺を水本さんとリビングで2人きりにさせても、平気みたいだな。俺はヤキモチの対象外ってことか」
「そうだよ、瀬名君は友達なんだから。それに瀬名君、彼女いるしね」
「水本さん、毎回思い出すのやめてよ」
「どうして?」
秋生は3カ月程前彼女ができたと報告してくれた瀬名が遊びに来るたび喜ぶが、瀬名からは今のように嫌がられる。
「男はそんなもんなの。彼女の話はなるべくしない」
「瀬名君は照れ屋さんだよね…………でもそれは男同士の場合でしょ? 私だったら構わないじゃない」
「……まあ」
「デートしてるの? 今日は日曜日なのに、ここにいて大丈夫?」
「どうせ休みが合わないんだよ。彼女はアパレル店員だから、土日も夜も忙しい」
「え? じゃあいつ彼女とデートするの?」
「彼女の昼休みに、俺も会社を抜け出す。まあ少ししか会えないけど、一緒に飯食って喋る」
「へえ、そうなんだ」
「ほとんどそんなデートしかできないからさ、店には気を遣う。彼女の好きそうなカフェとか、料理が美味い店とかけっこう探してるよ。水本さん、お勧めの店あったら教えて」
結局瀬名は照れながらも嬉しそうに彼女の話を教えてくれた。
「うわぁ! 柊永! お前わざとだろ!」
ソファで秋生と仲良く喋っていた瀬名は庭にいた柊永が突然窓を開けたせいでリキに飛びかかられ、また顔をベロベロ舐められた。




