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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
凜 生 と 望 生
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うちの犬



「……柊君、許してほしい」


 陽大は壮輔と会った翌日の日曜日、真由と共に姉の家を訪れると、先週と同じく2階のベランダで柊永と山を眺めた。

 山を眺めながら姉が元夫を一生残す理由を柊永に教え、最後姉の代りに許しを求めた。

 ようやく見つめた柊永の横顔から感情は窺えなかったが、陽大には柊永の心が今深く悩んでることがわかった。

 陽大は再び山を眺めながら、隣の柊永を待ち続けた。


「……陽大、お前の元義兄はどんな男だった」

「うん……優しい人だったよ」

「嘘は吐けるか」

「優しい嘘だけ…………俺が心の中で嫌ってたのわかってたのに、気付かないフリしてずっと笑ってくれた」


 柊永に問われ元義兄のことを2つ答えた陽大は、柊永に再び振り向く。


「柊君、俺は秋ちゃんと結婚したあの人が昔嫌いだったよ。でも今は嫌いじゃない……ただ可哀想なんだ。あの人はわざわざ秋ちゃんの隣で暮らすほど好きだったのに、恩を押し付けることでしか秋ちゃんを手に入れられなかった。結局秋ちゃんを手に入れても、秋ちゃんの心は最後まで手に入らなかった…………秋ちゃんの心にはずっと柊君がいたから」

「陽大、それはお前と元義兄の勘違いだ」

「……え?」

「俺が20歳でお前の姉ちゃんに捨てられたのは、確かにお前の元義兄が原因だった。昔お前の元義兄はドラックストアの常連になったんだろ」

「……あ」


 柊永に教えられ、陽大も気が付いた。

 柊永と付き合っていた10代の姉はドラックストアで働いていたが、柊永と別れる為に突然辞めた。

 柊永は当時ドラックストアで働く姉と親しくなるため常連になった姉の元夫が、確かに姉の心を奪ったのだと陽大にも気付かせた。


「でもな陽大、姉ちゃんの気持ちは俺から一時離れただけだ。一時越えて目を覚ましたから、お前の元義兄とは確かに恩だけで結婚した。お前が姉ちゃんの気持ちをよくわかってただろ」

「……うん」


 柊永が確信する通り、姉は元夫と結婚してる間も柊永が好きだったことを、陽大はちゃんと知っていた。

 さっきは姉が元夫に心を奪われたと知り動揺したが、結局姉には柊永しかいなかったと改めて実感し、やはり安堵させられた。


「俺は一時でも秋生の心を奪ったお前の元義兄を、これからも憎む」

「…………」

「でもこれからはまたろくに嫉妬できねえ…………このまま嫉妬で煮えたぎってれば、また秋生を失くす。今のうちに目を覚まさなきゃいけねえ」


 隣の陽大ではなく自分に言い聞かせた柊永は、この2週間秋生にとって嫉妬まみれの怖ろしい夫であったことをようやく自覚した。


 過去に嫉妬で狂い秋生を追い詰めた柊永は、秋生を失った。

 再び秋生を取り戻し結婚したが、今度は秋生の心に残る元夫に気付き、再び秋生を失わない為だけに嫉妬を心で抑え込み続けた。

 長い間積もりに積もった心の嫉妬は、結局2週間前たがが外れたように柊永に襲い掛かった。

 秋生を失う怖れさえ嫉妬に飲み込まれた柊永の心は、元夫を一生残す秋生の理由を陽大から知らされた今、ようやく秋生を失う怖れを取り戻すまでに落ち着きを見せた。

 柊永は初めて山から目を離し、頭を抱え込んだ。

 隣の陽大はそんな柊永の背中を明るく叩く。


「秋ちゃんにはいくらでも我慢できる柊君なら、大丈夫だよ」


 柊永と陽大は再び山を眺めた。






「……え? 真由ちゃん、犬飼わないの?」

「真由ちゃんの嘘吐き……うわーん」


 先週から真由が犬を飼うとすっかり思い込んだ凜生と望生はとても楽しみにし続けたのに、真由からやっぱりやめたと聞かされ、望生は大泣きまでしてしまった。


「望生ごめーんね。ベロベロバー」

「うわーん、お母さーん」

「参ったなぁ…………秋生、やっぱ私犬飼うよ。このままじゃ凜生と望生が可哀想だ」


 望生は母の胸で大泣きし続け、凜生もすっかりションボリしてしまったので、真由はやはりこうなったら本当に犬を飼ってしまう決意をする。


「真由、それは駄目だよ」

「いいじゃん。名前は別なのにすればいいだけ」


 秋生は犬の名前を気にして止めるが、真由から明るく解決させられる。

 真由の本音はと言うと、すでに陽大から秋生が元夫を残す理由を教えられたお蔭で、断然猫派だが犬で我慢するほど有頂天なだけだった。


「……真由ちゃん、そうすけワンコ飼うの?」

「真由ちゃん、本当? そうすけワンコ?」

「凜生、望生、悪いけどオスワンコは売り切れだって。その代りメスワンコ飼って、可愛い名前を付けてあげよう」

「「わーい! 真由ちゃん大好き!」」


 結局真由に喜ばされた凜生と望生は、真由に思いきり飛びついた。


「おい谷口、本当は断然猫派だろ」

「……木野君、なぜそれを」


 真由はたった今陽大と共に二階から戻ってきた柊永に、犬より断然猫派な自分を当てられる。


「おい凜生、望生、真由ちゃんは犬よりずっと猫が大好きなんだと。真由ちゃんに飼われた犬は可哀想だと思わねえか?」

「……犬、かわいそう」

「真由ちゃん、ひどいよ!」

「本当だな。でもひどい真由ちゃんに比べて、うちの家族はみんな猫より犬好きだ。うちで犬飼えば問題ねえ」

「……お父さん、本当?」

「犬? うちの犬?」

「その代り、俺が犬の名前を決める。いいな?」

「「わーい! お父さん大好き!」」

「……くそー、木野君め」


 さっき凜生と望生に飛びつかれた真由は柊永にすっかり立場を奪われ、子供2人を抱え上げた柊永の姿を憎々しく見つめる。

 秋生は1人ポカンと見つめ、陽大はただ微笑ましく見つめた。




「じゃあ俺達帰るね」

「凜生、望生、犬飼う時は真由ちゃんも付き合うからね」

「うん。真由ちゃん、陽大君、またね」

「ばいばーい」


 夕方、玄関前で凜生と望生に見送られた真由と陽大は手を振り終えると、徒歩10分の自宅へ帰り始める。

 自然と鼻歌を鳴らしながら歩く妻を隣で見つめた陽大は、姉の家に行く際も同じだった妻にクスリと笑った。


「今日の真由ちゃんは過去最高に幸せそうだね」

「過去最高? そんなことないよ…………まあ幸せだけど」


 陽大の大袈裟な指摘に、真由も幸せな気持ちは否定しなかった。


「じゃあ真由ちゃんも俺と同じなんだ」

「陽大も幸せでしょ?」

「まあそうだけど…………そうじゃなくてさ、俺は真由ちゃんが秋ちゃんと一緒で幸せだと、俺も幸せ。真由ちゃんは今日秋ちゃんが柊君とまた幸せになれるってわかって、真由ちゃんも幸せ」

「……陽大、ごめんね」


 今日の真由は秋生がまた幸せになれるから、同じく幸せになれた。

 真由はいつだって秋生のお陰で幸せになれた。

 そんな真由に幸せをもらう陽大は、一度立ち止まった真由に俯きながら謝られる理由を知っている。

 陽大は今まで一度も真由を幸せにできないから、真由は陽大に謝る。


「真由ちゃんの心は秋ちゃんにもらった幸せと、俺にもらった罪悪感でいっぱい」

「……うん」

「真由ちゃんはいつも自分の心に正直だから、どんなに卑怯だって俺にも誤魔化さない。真由ちゃんが俺と結婚したのも、秋ちゃんと絶対一生離れない為」

「……そうだよ、ごめんね陽大」

「俺は秋ちゃんの弟でラッキーなだけだよ。真由ちゃんと結婚できた…………でも本当は秋ちゃんが少し羨ましいけどね」


 陽大がわざと少し本音を零すことで、落ち込む真由を少し元気にさせられることも知っている。

 案の定、真由は顔を上げてくれた。


「でも秋ちゃんはすごいな」

「ん?」

「柊君と真由ちゃんの心を一生離さない…………あとは」


 陽大は姉がすごいせいで、思わず余計な一言を付け足してしまった。


「陽大、あとは壮輔さんでしょ?」

「……うん」

「私は壮輔さんが今でも秋生と暮らしてた家にいるとわかって、はっきり確信したよ。でも本当は私と同じだって、ずっと信じてた」


 真由は昨日元義兄の家に行った陽大から聞かずとも、壮輔が自分と同じだと気付いてたからこそ、秋生の心に一生残る壮輔が怖かった。

 そして恩だけで壮輔を一生残す秋生を知ったからこそ、今日はとても幸せだった。

 柊永には敵わなくても親友として秋生の心にいる真由にとって、理由もわからず秋生の心に残る壮輔はただの脅威だった。


「真由ちゃん、もう戸倉さんに怖がらなくてもいいよ。柊君も今日ちゃんと安心したから、また嫉妬を我慢できるようになった」

「うん……陽大帰ろう」


 真由はまた少しだけ怖がってしまった壮輔をすべて失くすため、ただ安心させてくれる陽大と手を繋いで帰り始めた。




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