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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
凜 生 と 望 生
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彷徨う母



「犬?」


 凜生と望生が祖父母の家で昼食を食べ剣道場へ行く土曜日、子供達を見送った秋生もすぐ出掛け、街中のファーストフード店で待ち合わせた真由と向かい合った。

 真由は秋生の口から突然まったく無縁の犬の話を切り出され、キョトンと不思議がる。


「あのね、凜生と望生が真由はこれから犬を飼うと思ってるの」

「は? 何で? 私は犬より断然猫派だよ」

「私が凜生を誤魔化したから。この前の日曜日、私と真由がキッチンで話してるの凜生に聞かれた」

「……嘘」

「大丈夫。凜生は真由の口から出たあの人の名前を気にしただけ。私はとりあえず、真由がこれから飼うかもしれない犬の名前だって嘘吐いたの」

「秋生……ごめん」


 秋生の簡単な説明で素早く理解した真由は確かに先週の日曜日、感情的になったあまり秋生の元夫の名前を口に出してしまった。

 まさか凜生に聞かれたなんて思ってもおらず、凜生を誤魔化してくれた秋生に今さら顔色を変えながら謝る。


「だから大丈夫だって。凜生はちゃんと信じて、真由が犬飼うことを期待してるだけ。真由は話だけ合わせて、凜生に謝ってくれればいいの。あと望生にも」


 凜生と望生に真由の犬をすっかり期待させてしまった秋生はただ困りながら笑い、落ち込む真由にお願いした。


「……私、本当に犬飼うよ」

「だめだよ真由、凜生と望生は犬の名前もすっかり期待してるの」

「あ、そっか…………はあ、でもよかった。大人顔負け精神の凜生が信じてくれて」


 申し訳ないが犬を飼うことも諦めた真由も素直に信じてくれた凜生に心底安堵したが、再び顔色を一変させた。


「どうしたの?」

「……秋生、凜生と望生が私の犬に期待してるんだから、木野君の耳に入ってるんじゃないの?」


 すっかり青褪める真由から怖々と確認され、秋生もとりあえず誤魔化すことなく沈黙した。


「……やっぱり」

「真由、確かにそうだけど、柊永はただ犬の名前だって信じてる」

「そんなわけない」


 こればかりは真由も誤魔化さなければいけなかった秋生ははっきり否定されてしまい、逆にそんな真由に疑問を覚える。


「……真由、どうして?」

「ただ木野君は鋭いからだよ。特に今はあんたとギクシャクしてるから、凜生の口からでも男の名前が出れば疑うかもしれない」


 秋生に訝しがられ勢いよく誤魔化した真由は、陽大が柊永に秋生の元夫の情報を教えたことは伏せなければいけなかった。

 現在元夫のことで柊永との仲に歪みがある秋生がそんなことを知れば、余計精神的にダメージを受けてしまうことは容易に案ずることができる。


「秋生、正直に教えて。木野君に本当に疑われた?」

「本当に疑われてないよ。大丈夫」


 真由が秋生の精神を案じ誤魔化したように、秋生も真由の精神を案じ誤魔化した。

 互いに誤魔化す2人は普段なら見抜ける互いの誤魔化しも、素直に信じる。

 秋生の誤魔化しに特別安堵させられた真由は、柊永が秋生の元夫の名前を既に知っていても秋生を責めなかったと判断したが、再び深刻な表情を浮かべる。


「秋生、この前の話だけど、あんたが元旦那さんを残すのは理由があるからって言ったよね」

「……うん」

「私はそこまで干渉できない?」

「ごめん」

「わかった」


 秋生は迷うことなく謝り、真由もすぐに解放する。

 秋生から他の干渉は許されても元夫との絆だけは干渉を断られた真由は、秋生自身に頼ることを改めてすっぱり諦めた。

 そして今日陽大は姉と元夫の絆を知るべく、行動を起こすはずだ。

 陽大にすべて任せるしかない真由は秋生と同じく、親友に秘密を抱えた。




 真由と話し終えファーストフード店から出た秋生は真由の車で送られることを遠慮し、そのまま街中を歩き始めた。

 特に買い物することもなく、ただ立ち並ぶ店を眺めながら、ゆっくり歩き続ける。

 ただの暇潰しだった。

 真由に会うと言い出掛けた秋生は、子供達が留守の家に帰る勇気がまだない。

 柊永と2人きりになる家を怖れた。


 先週の日曜日、秋生は夜のベランダで2人きりとなった柊永に嫉妬の怒りを向けられた。

 元夫の名前を口にさせられそうになった。

 震えながら最後まで拒み続け、嫉妬の怒りからどうにか解放された。

 その後1人ベランダに残された秋生の心は柊永への怖ろしさを失くしたあと、柊永への同情で溢れ返った。

 柊永と結婚する前から元夫を心に一生残すと決めていた秋生は、最初から柊永に同情しなければいけなかった。

 けれど今まで同情しなかったのは、柊永が元夫を一生残す秋生に気付いても黙り続け、秋生は柊永に同情する資格を奪われたと勝手に判断したからだ。

 柊永が今まで黙る選択をしたのは秋生を再び失わない為だと、秋生自身も容易に悟った。

 結果的には秋生を二度も失えない柊永の恐怖心に秋生自身が胡坐をかいてしまったせいで、先々週の日曜日に望生が食べたがったシチューが引き金となり、柊永の心に押しとどめ続けた嫉妬は恐怖心に勝った。


 今の柊永を嫉妬まみれの怖ろしい夫に変えたのは、今まで同情もせず放っておいた秋生だ。

 今こんなにも柊永に同情し後悔するのなら、いっそ柊永に元夫を一生残す理由を話してしまうべきか。

 街中を歩く秋生は今日も一瞬そう過り、一瞬で打ち消す。

 けれど秋生はどうして打ち消す必要があるのか、今日もそこまでは考えない。

 打ち消さなければ元夫を一生残しながら柊永の心を救えるはずなのに、心は無意識に拒む。

 はたして秋生の心を拒ませるのは何なのか、それとも今まで流れるままに生き続けた秋生の心がそうさせるのか。

 当然秋生はそんなこと考えるはずもなく、しばらく街中を彷徨い続けた。



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