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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
凜 生 と 望 生
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そうすけさん




「凜生、サッカーする?」

「ごめんね陽大君、今日は私ここにいたい」


 日曜日の今日、先週とは反対に真由と陽大が遊びに来た。

 陽大が今日も凜生をサッカーに誘っても、凜生は母と真由が喋るリビングに残る。


「望生、お絵描きしようか」

「うん」


 今日も母の膝に乗る望生は姉に誘われ、テーブルに広げた画用紙に大好きなお絵描きを始めた。

 秋生は望生が膝から離れたうちにキッチンへ向かう。


 コーヒーを淹れるため湯を沸かしてる間、ジュースをコップに注ぎ始めると、真由に近付かれた。


「やっぱり真由が来た」

「昔あんたに干渉するって言ったじゃん」

「うん、私も真由に干渉されたいって言った」

「あんたは私が無理やり干渉しないと、何も教えてくれないから…………この家は今日、望生以外みんな変だ。特に凜生は初めてあんたの傍から離れないし、木野君はあんたがいる家から離れなくても二階に引き籠る。一番マシなあんたでも、いつもみたいに無理やり笑えない」

「……真由はすごいね。うちに来て5分なのに」

「私はあんたのことに関しては絶対見逃せないんだよ。昔思いきり後悔したから」


 真由が秋生達家族の変化を見逃せないのは、確かに昔秋生が真由を大きく後悔させたからだ。

 秋生は昔、真由を一度だけ裏切った。

 真由に内緒で元夫と付き合い、元夫の存在を隠す為わざと真由に独占されることで、真由を隠れ蓑にした。

 昔親友の真由をあんなにも残酷に裏切った秋生は、今真由に後悔させても仕方ないと割り切っている。

 今の真由にもまた残酷に割り切るのは、昔の秋生が昔の真由に必ず元夫を隠さなければいけなかったからだ。


「今の秋生は?」

「……え?」

「私は秋生がどうして今日変なのか、今わかったよ。今の秋生は昔の私に元旦那さんを隠した時と同じ顔してる。でも今の秋生は昔と違って私の干渉を望んでるから、今頃になって元旦那さんを隠したい理由を言えるはずだよ。秋生、そうでしょ?」


 いつの間にか隣の真由とキッチンに佇むだけの秋生は、干渉されることを約束した真由を今度こそ裏切りたくはなかった。

 そう思う時点で、秋生の心は真由に縋りたいほど参っていたのかもしれない。


 秋生はキッチンに佇むだけじゃなく、初めて隣の真由と見つめ合った。


「1週間前、シチューを食べたの」

「……それで?」

「それだけなの…………それだけで望生以外、変になった」

「シチューで変になる理由は?」

「シチューを食べちゃいけなかったから。望生に食べたいって言われても、ごめんねって断らなきゃいけなかった…………私は断らなかったから、その日の夕ご飯に望生と笑ってシチューを食べたの」

「………………」

「シチューを作った柊永は、シチューを食べる私をずっと見てた」

「秋生がシチューを食べちゃいけない理由は、元旦那さん?」


 シチューは特別だったと、秋生はぼそり呟いた。

 秋生の呟きで、真由はほぼ理解した。


「それから?」

「昨日初めて柊永にお願いされた。もう残してほしくないって」

「……残す?」


 さっきほぼ理解した真由が柊永の願いを教えられ、逆戻りさせられた。


「ちょっと待って、私は本当にわからない。秋生、木野君が残してほしくないのは何?」


 私はあの人を一生残すと、秋生はまたぼそり呟く。

 秋生の呟きで、真由は今度こそすべて理解した。

 それでも秋生の気持ちだけは理解できず、真由の唇はわななきながら開いた。


「秋生、どうして?」

「理由があるの」

「残す理由なんて1つしかない」

「違う」

「秋生、私はあんたをわかってるつもりだったよ。いつだって木野君じゃなきゃ駄目なあんたをわかってた。だからあんたはまた木野君と一緒にいるんだよ。なのに今度は壮輔さんを残さなきゃ駄目なの?」


 真由の震える声は久しぶりに秋生の元夫の名を言葉にするほど、秋生を責めた。

 結局残す理由まで話せない秋生は、参るあまり真由に縋ったことを今更後悔した。


 

 リビングのテーブルで大好きなお絵描きをしてる望生は、一緒にお絵描きする姉がいないことに気付く。

 ソファに座る母と真由もいないことに気付き、慌てて探しに行く。

 隣のキッチンへ入る前に姉の背中を見つけたが、キッチンにいる母と真由の背中もすぐ見つけた。


「お母さん」


 キッチンへ駆けた望生がまた母に甘え始めると、それまで母と真由の背中をそっと見つめていた凜生は再びリビングのテーブルに座った。


「……そうすけさん」


 凜生は知らない男の人の名前を呟いた。





「へえ、柊君もあの山好きだったんだ」


 今日は凜生にフラれサッカーができなかった陽大は、好きな山を眺めるため二階のベランダへ出ると、すでに柊永が山を眺めていた。

 陽大も柊永の隣で山を眺め始める。


「柊君、俺はここに住んでる時、あの山が別に好きじゃなかったよ。でも自分の家を買ったら好きになった」


 目の前の山を眺めるだけの柊永に山が好きな理由を勝手に話し始めた陽大は、去年真由と結婚する前まで姉家族と一緒に暮らしていた。

 今柊永と共にいるのは、以前陽大が使っていた部屋のベランダだった。

 今は真由と暮らす家から毎日見てる山を、今日初めて柊永と眺める。


「俺はあの山が好きじゃねえぞ」

「じゃあ何で見てるの?」

「暇潰しだ」

「柊君はひどいね。俺の好きな山なのに」


 陽大の好きな山は柊永にとって暇潰しと教えられ、陽大は半分本気で怒る。

 山を眺める柊永は陽大に怒られ、初めて暇潰しでもないことに気付いた。


「陽大悪いな。俺はお前の好きな山に全く興味ねえんだ」

「わかってるよ。だから暇潰しなんでしょ」

「そんなんじゃねえ、暇潰しもフリだけだ。頭の中は山なんて掠りもしねえ」

「柊君の頭は高校生の時、秋ちゃんでいっぱいになっちゃったからね…………あ、違うか。秋ちゃんと柊君は中学のクラスメイトだから、中学生でもういっぱいか」

「……そうだな、俺はお前の姉ちゃんのせいで何にも興味がなくなっちまった。小さいガキの頃から始めた剣道も、しまいには防具に触るのも嫌になっちまった。中学卒業してやっと捨てられた時、本気で清々した」

「防具かわいそう…………でも途中でそんなに剣道が嫌になったのに、中学卒業するまで続けたんだ。我慢なんて柊君らしくないね」

「叔父が厳しかったからな」

「ああ、柊君の叔父さんは剣道の先生だもんね。今は凜生の先生」

「俺は叔父にだけは正直に言えなかった。必ず理由も正直に言わされるからだ。女に惚れたせいで剣道が嫌になったなんて俺に聞かされたら、叔父は俺の根性叩き直すため毎日扱き倒したかもしれねえ。そんな叔父が面倒で、仕方ねえから我慢した」


 今は子供もいる妻帯者だが昔は剣道一筋の剛直だった叔父を思い出した柊永は、山を見ながら苦い表情を浮かべた。

 陽大は柊永の苦い横顔に面白がることなく、真新しさを感じる。


「中学生の柊君って、結構普通の男子だったんだね。その頃から自分に厳しかったのかと思った」

「俺は誰よりも自分に甘いぞ。だからお前の姉ちゃんと叔父以外には我慢したことねえ」

「確かにそうだね…………でも中学生の柊君が叔父さんに我慢したのはともかく、一番我慢したくない秋ちゃんに我慢するのは辛かったね」

「陽大、辛いなんてもんじゃねえぞ。なんせフラれたからな」

「……え? 中学生の柊君が?」


 中学時代の姉と柊永に関してはほとんど無知な陽大も、初めて聞かされる事実にさすがに驚かされる。


「何で?」

「怖がられた」

「……そうだったんだ」

「おい陽大、そんな簡単に納得すんな。俺の顔は怖がられてねえぞ」

「……本当? 強面なのに?」

「ああ、幸いお前の姉ちゃんは気にしなかったみてえだ」

「じゃあ秋ちゃんに何を怖がられたの?」

「俺の気持ちだ」

「え? じゃあ柊君、中学の時から秋ちゃん好きなのバレてたってこと?」

「お前の姉ちゃんは鈍感じゃねえからな。俺にいつも見られて自然と気付いたんだろ。初めて気にされて、しょっちゅう目が合った時は天にも昇ったのに、すぐ真っ逆さまに落とされた。俺の気持ちを怖がられて、それからは目も合わないどころか必死に避けられた。俺はフラれてから登校拒否起こすほど、避けるお前の姉ちゃんが怖くなった。毎日一縷の望みだけでどうにか学校行って、結局毎日避けられて家に帰る…………確かあの時からだな。飯が不味くなって、今でも尾を引いてる俺は一日一食だ」

「……柊君、そんな生活どのくらい?」

「卒業するまでだから、1年半だな」

「柊君は1年半もそんな辛かったのに、今はけっこう淡々と喋れるんだね」


 陽大は1年半も姉に振られ続けた中学時代の柊永にひどく同情したが、初めて陽大に教えてくれた柊永の声はそれほど暗くないことに気付く。


「当たり前だ。中学の俺はフラれて辛いなんてもんじゃなかったのに、20歳でまたフラれた俺はとんでもない地獄を味わったからな。あの時は神経も麻痺しちまった」

「………………」

「黙るな」

「……だって」


 黙ってしまったことを子供のように言い訳した陽大は、柊永が20歳から9年間姉に離された間どれだけ過酷だったかを知っている。


「陽大、2度もフラれた俺は今幸せだと思うか?」

「……もちろん」

「陽大、俺はまだ幸せになれねえんだ」


 今度は陽大が柊永に黙らされた。

 今まで山を眺めていた柊永は、黙らせた陽大としっかり目を合わせる。


「陽大、俺がお前の姉ちゃんにやっと幸せにしてもらえるように、教えてくれねえか」

「……何を?」

「お前の元義兄だ」

「………………」

「陽大、教えてくれ」

「……俺の義兄は柊君だけだよ」


 柊永の願いに、陽大は声を震わせた。

 声震わせ、元義兄の存在を否定した。


「お前には俺の前に義兄がいた」

「いない」

「お前はもう子供じゃねえ。もう認めろ」

「俺はもうとっくに認めてるよ。でも柊君には認めない。柊君だけには教えたくないからだよ」 


 すでに26歳となった陽大は、以前認められなかった昔の義兄を自然と受け入れた。

 けれど陽大の元義兄を知ろうとする今の義兄を受け入れられない。

 陽大は声だけでなく目も震わせ、見つめ合う義兄の願いを拒絶した。


「お前に教えられねえなら、調べるだけだ」

「柊君、どうして?」

「さっき言っただろ。お前の姉ちゃんにやっと幸せにしてもらう為だ」

「柊君はもうとっくの昔に秋ちゃんに幸せにしてもらった。秋ちゃんとまた出会って、救われた。そうでしょ?」

「昔の俺は救われたと思った。でも今も救われてねえ。陽大、どうしてだかわかるか?」

「わからない。柊君の勘違いだよ」

「勘違いじゃねえ。お前の姉ちゃんはまだ残してる」

「……何を」

「お前の元義兄だ」

「………………」

「なあ陽大、お前も薄々気付いてんじゃねえのか?」


 陽大は柊永に気付かれていた。

 すでに26歳となった陽大は確かに薄々気付き始めていた。

 今確かに柊永に気付かれた陽大は、姉の心に残る昔の義兄にはっきり気付かされてしまった。

 陽大にはっきり気付かせ大きなショックをもたらした柊永は、それでも容赦しなかった。


「陽大、教えろ」

「嫌だ……柊君、許して」

「許すのはお前だ。陽大頼む、俺に教えてくれ」

「……柊君、どうして?」


 まるで子供のように問う陽大がこんなにも柊永を怖がったのは初めてだった。

 姉に幸せにしてもらうため、姉の元夫を知ろうとする柊永が何をするのか、純粋に怖ろしかった。


「俺はお前の姉ちゃんにけじめをつけさせてえだけだ」

「それなら秋ちゃんだけでいいじゃん。柊君は何も知らなくてもいいはずだよ」


 ようやく子供のような口調から持ち直した陽大は、柊永の願いをはっきり否定する。


「……知るだけだ」


 初めて陽大に躊躇いながら答えた柊永の目は、底知れない嫉妬を宿していた。


「……わかった」


 そんな柊永を止めなければいけない陽大の口は、同じく躊躇いながら願いを受け入れた。

 陽大の心は嫉妬まみれの怖ろしい柊永を受け入れざるを得なかった。 

 柊永が最初に脅したように、陽大が突き放したら確実に自力で姉の元夫を調べ上げるだろう。

 嫉妬まみれの怖ろしい義兄から目を離さない為に、陽大は犠牲を選んだ。

 さっき好きな山を眺めたベランダで、陽大が知る元義兄の情報を今の義兄にすべて教えた。




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