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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
凜 生 と 望 生
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父の白いカレー




「凜生、今日は何食べたい?」


 真由と陽大の家を離れた夕方の帰り道、秋生は子供達と手を繋ぎながら、まず凜生に尋ねた。

 凜生は夕食のリクエストを聞かれるたび、困ってしまう。


「……お母さん、私はまだわからないの」

「え?」

「お父さんの好きなご飯」


 凜生は母に父の好物を作ってほしいのに、父の好物がずっとわからないままだ。

 父に尋ねても、何でも食うとしか答えてくれないからだ。

 秋生は凜生の食べたい夕食を尋ねたのに、父親の為に悩み始めた凜生に苦笑した。


「お父さんが好きなご飯は、お父さんが作ったご飯」

「え?」

「お母さんはそう思うよ。お父さんは自分で作ったご飯を皆に食べてもらうと、嬉しそう」

「そっか…………じゃあお母さん、帰ったらお父さんにご飯作ってってお願いしてほしいな」

「わかった。でもお父さんに何を作ってもらおうかなぁ…………望生、今日は何食べたい?」


 秋生は凜生の望みを叶えることにすると、今度は望生に尋ねた。


「シチュー。お母さん、ぼくシチュー給食で食べたよ。おいしかったよ」

「そう、じゃあお父さんに作ってもらおうね」


 母と手を繋ぐ凜生は、望生の希望に応えた母が心の中でとても困ったことに気付いた。

 凜生が気付けたのは、母と父が今まで一度もシチューを作らなかったからでもあった。


「お母さん、私シチューは嫌」

「どうして?」


 慌てて拒否した凜生は理由を尋ねられ、また慌てる。


「……白い」


 凜生は嘘を吐いてしまった。


「じゃあ凜生、白いカレーだと思えばいいんだよ」

「白いカレー」


 凜生の嘘で、母と弟が笑った。





「お父さん、白いカレー作って」


 三人が家に帰ると、望生は笑って父にお願いした。

 父に夕食のリクエストをするのは母にお願いした凜生は、心の中で安心した。

 母はただ傍でおかしそうに笑ってるが、本当は同じく安心してることも凜生は気付ける。


「……白いカレー?」

「お父さん、知らないの?」

「ああ、聞いたことねえな」

「おいしいんだよ。ぼく、給食で白いカレー食べた」

「秋生、新発売のカレーか?」


 望生に白いカレーの正体を教えられなかった柊永は訝しげな表情で秋生に視線を向けた。


「お父さん、白いカレーはシチューだよ。望生が食べたいって」


 凜生は母に白いカレーの正体を答えさせないため慌てて教えた。

 けれど母ではなく凜生が教えても、父の心が一瞬止まったのがわかった。


「望生、白いカレー作ってやる」

「やったぁ」


 凜生はさっき一瞬止まった父の心が望生のリクエストに応えた時には、ドロドロしてしまったのがわかった。




「白いカレー」


 シチューが食べたかった望生は父の作ったシチューを見つめ、嬉しそう。

 父は市販のシチュールーが家になかったので、すべて手作りした。

 父がシチューを作っている間ずっと隣にいた凜生は、初めてお手伝いできなかった。

 父はただ隣にいるだけの凜生を初めて気に掛けず、黙ってシチューを作り続けた。


 家族四人で父のシチューを食べ始める。


「お父さんの白いカレー、給食よりおいしいよ」

「そうか」

「望生、お家でも白いカレー食べられてよかったね」


 望生が父のシチューに喜ぶと、母も笑って喜んだ。


「凜生も食え」

「うん、いただきます」


 まだシチューを食べていなかった凜生は父に促されてスプーンを持つが、父も目の前のシチューをまだ食べていなかった。

 凜生は気付いてしまったけれど何も言わなかったのに、望生も気付いてしまった。


「お父さん、白いカレー食べないの?」

「そうだな、今日は腹減らねえんだ」

「ふーん……おいしいのに。お母さん、白いカレーおいしいね」

「うん、美味しいね」


 今夜、望生と母だけが父のシチューを笑って食べた。





「望生、寝るよ」

「今日はお母さんと寝る日」


 まだ自分の部屋を持たない望生は、一日交替で姉の部屋と両親の部屋で眠る約束なのに、今夜一緒に眠るはずの姉にまた嘘を吐いた。

 いつもの凜生ならそんな望生にちゃんと約束を守らせるが、今夜は何も言わなかった。

 母と一緒に眠るため嘘を吐いた望生に、今夜は安心した。


「凜生も一緒に寝ろ」


 今夜の父は母を子供達二人と眠らせるため、ひとり二階の部屋へ行ってしまった。

 父が母と離れて眠るのは今夜が初めてだった。




「……凜生、起きてる?」


 望生は母にくっつきながら眠り、まだ目を瞑っていただけの凜生は母にこっそり話し掛けられる。


「うん、起きてる」

「お父さんとお母さんのベットじゃ眠れない?」

「ううん、まだ眠くないだけ」


 こっそり答えた凜生は目を開け、母と見つめ合った。


「お母さん、凜生と一緒に寝るの久しぶり」

「うん」

「嬉しいな」

「私も嬉しいよ。でもお母さん」

「何?」

「私が一緒だから、お父さんはいなくなっちゃった」

「ううん、お父さんは優しいの。お母さんが凜生と一緒に寝たかったから」


 父と母のベットは凜生のベットより大きいけれど、凜生と望生が大きくなったせいで家族四人ではもう眠れなくなった。

 だから父は今夜いなくなったのだと、凜生と見つめ合う母は笑って教えてくれた。

 でも凜生は見つめ合う母と一緒に笑えなかった。


「お母さん、教えてほしいの」

「何?」

「お父さんはシチューが嫌い?」

「違うよ、今日のお父さんはお腹空いてなかっただけ」

「お母さんはシチューが苦手?」

「ううん、お父さんのシチューすごく美味しかったよ」

「お母さん、お父さんのシチュー好き?」

「うん、好き」


 凜生を笑って見つめる母は、凜生に全部嘘を吐いた。

 父と同じく正直な凜生は、嘘吐きの母がちゃんとわかった。 

 今夜シチューを食べなかった父は、今夜望生と笑ってシチューを食べていた嘘吐きの母をずっと見つめていた。


「シチュー嫌い」

「凜生、白いカレーだよ」

「辛くないカレー嫌い」


 夕方の凜生は父にシチューを作ってほしくなくて、白いから嫌だと母に嘘を吐いた。

 今、母と見つめ合う凜生はもうシチューを食べたくなくて、母に別の嘘を吐いた。

 シチューを嫌がった凜生に困った顔をした母は、心の中でホッとしたのがわかった。






「白いカレー」


 給食の鍋に入ったシチューに呟いた凜生は、給食当番の子供達に笑われた。


「凜生ちゃん、違うよ。これはシチューだよ」


 凜生に優しく教えてくれたのは、隣に並ぶ友達の舞衣子まいこだった。


「凜生ちゃん、早くシチューよそってもらいなよ」

「ううん、私はシチュー食べないの」

「え? どうして?」

「辛くないカレーは嫌いだから」


 給食当番の子供にシチューだけよそってもらわなかった凜生は、舞衣子にも母に吐いた嘘を教えた。



 給食の時間、凜生だけがパンとおかずのみを食べる。

 隣に座る舞衣子は凜生を気にしながらシチューを食べ始めた。


「凜生ちゃん、前はシチュー好きだったのにね」

「うん」

「でも今度の月曜日はカレーだよ。凜生ちゃん、よかったね」


 舞衣子は突然シチューが嫌いになった凜生を笑って慰めてくれた。

 大人しくて優しい性格の舞衣子は母に似ていて、凜生は好きだった。


「……舞衣子ちゃん、ありがとう」


 礼を言った凜生は舞衣子が好きだから、舞衣子にも嘘を吐いてしまったことを初めて後悔する。


「凜生ちゃん、どうしたの? 元気なくなった」

「ごめんね舞衣子ちゃん、私嘘を吐いたの」

「嘘?」

「……シチューが嫌いなのは、辛くないカレーだからじゃないの」


 舞衣子に嘘を撤回した凜生は残りのパンとおかずを急いで食べ始めた。




「凜生ちゃん、どうしてシチュー嫌いになったの?」


 給食後の昼休み、舞衣子は机に座る凜生に優しく尋ねた。

 凜生も机を見つめながら昨日のことを思い出し、舞衣子に口を開く。


「昨日、お父さんが作ったシチューを食べたの」

「……あ、そっか。凜生ちゃんは昨日シチュー食べたから、今日食べたくなかったんだね」

「違うよ。私がシチューを嫌いになったのは、お母さんはシチュー苦手で、お父さんはシチュー嫌いだから」

「そうなんだ…………じゃあ凜生ちゃんもお母さんとお父さんみたいに、食べられなくなっちゃったんだね」

「私はもうシチュー嫌いだけど、食べられるよ。お母さんはシチュー苦手だけど、昨日は笑って食べた。お父さんはシチュー嫌いだけど、わざと嘘吐いて食べなかった…………私もお母さんもお父さんも、みんなおかしい」

「凜生ちゃん、みんなおかしくないよ。私も嫌いなご飯あるけど食べられるし、嫌いなご飯を笑って食べたことあるよ。わざと嘘吐いて食べなかったこともあったよ」

「舞衣子ちゃんが笑ったり嘘吐いたのは、どうして?」

「……多分、お母さんにバレたくなかったから」


 優しい舞衣子は初めて下を向く凜生を一生懸命慰めながら、母親の気持ちを大切にした。


「凜生ちゃん、大丈夫だよ。みんな同じだよ」

「……そっか、何だ」


 ようやく顔を上げた凜生は嘘吐かない同士の舞衣子にみんな同じと言われ、とても安心した。





「あ、お母さん。シチュー残ってるの?」

「うーん……」


 その日も母の夕食作りを手伝い始めた凜生は鍋に残った昨日のシチューを見つけると、母は困ったように笑った。

 母はシチューが苦手だから今日の昼食で食べなかったのだ。そう気づいた凜生は明るく笑う。


「お母さん、私シチュー好き」

「え? 辛くないカレーなのに?」

「うん。だって私、辛いカレー食べたことないって気付いたの。ふふ、おかしい」


 凜生は今日の昼休み舞衣子に安心させてもらい、またシチューが好きになった。

 そして父と母が作るカレーも給食のカレーも辛くないことを思い出し、シチューは辛くないから嫌いと嘘を吐いた自分が可笑しくなってしまった。


「ふふ、そっか」

「お母さん、私はまたシチュー好きになったから、今日も食べたいな。望生も食べたいよね?」

「白いカレー食べる」


 今日の凜生は母にくっついていた望生と一緒に父のシチューを喜んだ。




「はい、どうぞ」


 会社から帰った父も揃い、全員で夕食を食べ始めると、母は子供達の前にだけシチューを置いた。


「白いカレー」

「望生、違うよ。辛くないカレーだよ」

「お姉ちゃん、違うよ。白いカレーだよ」

「ふふ、じゃあどっちもだね」

「お姉ちゃん、白いカレーおいしいね」

「望生、辛くないカレーおいしいね」


 凜生と望生は好きなシチューを笑って食べ、母も同じく笑う。


 今夜も笑う母が今夜も父に見つめられてることを、今夜弟と笑う凜生は気付かなかった。



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