共の始まり 中編
「柊永」
ホームルームが終わり担任が去った放課後、早々と帰宅の準備を済ませた啓斗は背後に声を掛けると、すでに席から立ち上がった柊永の姿があった。
「おう、行くぞ」
普段の荒々しい言葉で帰宅を促した柊永は、啓斗を待つことなく一人先を歩き始めた。
長年の付き合いから彼の態度に慣れてる啓斗はただ後に続く。
クラスメイトからの挨拶にも素っ気なく答える柊永は、たとえ一番近い存在の啓斗に対しても変わらない。
柊永の隣に並び廊下を歩いてると、1人の女子生徒が向かいから歩いてきた。
ハンカチで口元を押さえ弱々しく俯く彼女はそれでも啓斗達に気付くと、涙で潤んだ目を見開いた。
そんな彼女に一早く気付いた啓斗は何とも気まずい思いで隣の友人を気にし始める。
何も気付いてないのか、それともちゃんとわかってるのか、表情一つ変えない友人は怯えるように身を竦ませた彼女とただすれ違った。
啓斗が思わず通り過ぎた背後にそっと振り返ると、さっきの彼女はその場に蹲っている。
明らかに泣いてるだろう悲痛な彼女の後ろ姿に、なぜか啓斗が代わって今すぐ詫びを入れたい衝動に駆られる。
仮にそんなことをすれば隣を歩く友人の無言の逆鱗に触れることは明らかなので、間違ってもできないが。
それでもこの友人に口出しできるのも、啓斗しかいない。
「……お前さぁ、あの子に何て言ったわけ? 泣いてたけど」
啓斗があえて非難めいた口調で責めても、結局柊永は視線さえ向けない。
「覚えてねえな」
柊永が素っ気なく呟いた言葉は無慈悲で、啓斗は毎度のことながら慣れることはできない。
当たり前だ、相手の気持ちを考えれば慣れてしまう方がおかしいのだ。
今日の昼休み、柊永を教室外に呼び出した勇気あるクラス一可愛い彼女は、ただ1人教室に戻ってきた柊永に対して、その後授業が始まっても姿を現さなかった。
おそらく保健室で休んでいたのだろう。
振られた相手とその後も平然と授業を受ける勇気は持てなかった彼女は、おそらく今どん底だ。
クラス中の生徒が暗黙に察してる中、何も変わらないのは彼女を振った柊永だけだ。
彼女に何と言ったのかと柊永に尋ねた啓斗は、すでに答えを知っていた。
「興味ねえな」の一言だ。
残酷な彼の振り文句はついこの前まで通っていた小学校では有名で、それだけに最終的には想いを伝えたくとも諦める女子しか残らなかった。
中学入学と同時に、噂は耳にしても果敢に挑む新たな女子が後を絶えず、それでもそんな女子は稀の方だ。
彼の醸し出す空気も容姿も鋭利で、そのうえ女子を一切近づけない硬派な態度は、彼に想いを告げることを躊躇わせるのも当然だ。
よほど自分に自信があり、しかも果敢に挑む勇気を備えてなければ、柊永に立ち向かうことは許されない。
そして柊永は立ち向かう相手に容赦もしない。
彼の残酷な振り文句はこれ以上近づくなという牽制と、相手の気持ちを吹っ切るには何と言えば早いかをちゃんとわかってるのだ。
頭の良い彼はそれも計算済みで、わずかな迷いも見せず相手にそれを放つ。
クラス一可愛いさっきの彼女だって想いは叶わなかったのだから、啓斗の妹が報われる可能性など1パーセントにも満たないことは明らかだ。
絶対的に柊永を信頼し尊敬の念さえ抱く啓斗も、こんな時ばかりは彼に対し理解に苦しむ。
少しでも改めてほしいと非難するが、啓斗の言葉にもまともな反応を返さない柊永の一貫した態度に、結局は諦めの溜息しか出ない。
そんな友人に対し最後に残る思いは、彼に対する唯一の心配でもあった。
この時ばかりは兄のような心で友人を見つめる啓斗は、長く傍にいたからこそ彼の性格も心も知り尽くしてると言ってもよい。
すでに13歳の柊永は、外貌もすでに中学生を超えてしまったが、おそらく恋の感情を今だ知らない。
異性に対してこれほど薄情で、彼の振り文句通り興味を示す態度を見せないのが良い証拠だろう。
出会いから今日まで一向に変化を見せない彼の心は、そればかりは成長を遂げない。
中学生ともなれば当たり前のように膨れ上がる異性への関心も欲望も、彼にはまだ無なのだから心配するなと言う方が間違ってる。
それでも長い目で見守るしかないと覚悟してる啓斗は、こんな時ばかりは完全に兄の心境だ。
そんな啓斗の生暖かい眼差しを今日も向けられた柊永は、ほっとけと言わんばかりに鋭い視線を返すことも毎度のことだった。
啓斗が初めて彼女を意識したのは、彼を心配した日から数か月後のことだった。
「……あ」
思わず小さな声を上げてしまったのは、まさかこの場にいるとは予想してなかったからだ。
初めて間近で彼女の姿と対面したのは、放課後に残された所属してる委員会でのことだった。
委員会が開かれる教室を訪れた啓斗よりも先に席に座っていた彼女は、傍で小さく反応した啓斗に振り向く。
最初は啓斗に訝しげな表情を浮かべた彼女はすぐに何かを察したのか、口元に笑みを浮かべた。
そんな彼女の態度に戸惑った啓斗に対し、彼女はすぐ啓斗に興味を失くしたのかあからさまに視線を外した。
ポツリと残された啓斗がようやく我に返ると、わずかに動揺を残しながらも彼女の後ろの席に座った。
そんな彼女の名前はすでに確認済みである――――谷口 真由だ。
すでに彼女の名前は知っていたが、まさか同じ委員として顔を合わせるとは思ってもみなかった。
彼女を意識したのはここ最近なのだから、今まで気付かなかったのも無理はない。
啓斗は無遠慮にも真由の後ろ姿を眺め始め、委員会が始まってからもさっき初めて間近で見つめた彼女の顔を思い返した。
大変勘の良い少女だと思った。
さっき啓斗に笑みを浮かべた彼女はすでに啓斗の存在も、そしてなぜ啓斗が自分を見て反応したのかも、すべてわかって笑ってみせた。
啓斗が見透かされたことへのわずかな動揺と共に、真由の年齢不相応な態度に一瞬我が友人を連想させられたのは、彼女の頭の回転の速さと人に対する洞察力を目の当たりにしたからだ。
今真由の背後に座る啓斗は、時々小声で隣の生徒に囁き笑う彼女の横顔も気付かれないよう眺める。
改めて間近で見つめる彼女は、やはり綺麗な少女だと思った。
溌剌とした美しさというべきか、潔いショートカットの髪はそんな彼女だからこそ似合う。
やや切れ長の二重目は特に印象的で細見の長身とも相まり、彼女は独特の存在感を放っている。
自分の好みとは外れるが、明らかに自分にとって高嶺の花的存在だからこそ、今まで意識外だったに過ぎない。
もし彼女の隣に柊永が立ったらどうだろう。
彼女を密かに観察する啓斗がどうしても友人を連想してしまうのは、そもそも彼女を意識したきっかけは友人であり、そして結局そのせいだけだからだ。
当然委員会の内容など全く頭に入らず終了したこの時間、周りがぞろぞろと教室を後にし始めた。
周りに遅れてようやく立ち上がった啓斗は、思わずピタリと動きを止めた。
目の前に座っていた彼女がいつの間にか背後の啓斗をじっと見つめていたからだ。
「言っとくけど、私じゃないよ」
何かを楽しむようにニッと笑みを浮かべた彼女は、啓斗に一言残した。
「秋生、行こう」
啓斗は隣の友人らしき生徒と共に教室を離れていく真由を呆然と目で追いかける。
今だ意味の見えない彼女の言葉に頭を混乱させ、暫くそのまま立ち尽くした。
突然我に返ったように反応した啓斗は慌てて廊下に飛び出し、すでに遠くなった彼女の姿を探し始める。
再び真由の後ろ姿を見つけた啓斗は彼女ではなく、彼女と共に歩く隣の女子生徒を見つめた。
この時初めて意識を向けた、彼女の後ろ姿だった。




