店主への覚悟
「会社に行きたくねえ」
朝、登校拒否ならぬ出社拒否発言を呟いた柊永は、まだ昨夜子供になった名残が残っていたらしい。
これから同じく仕事に行くため今朝も柊永が用意してくれたパン朝食を食べる秋生は、隣から離れない柊永を思わず困った目で見つめる。
「仕事終わったら、また一緒だよ」
「6時半まで我慢できねえ。今日こそ禁断症状起こす」
「……仕事に支障が出るから我慢して」
「我慢できねえから禁断症状起こすんだろうが。今日から俺は昼飯も食う」
「え? 本当?」
「ああ、毎日秋生の店に行く」
「……これからずっとうちのランチ食べるの?」
「秋生だって嬉しいだろ? 俺が昼飯も食うんだぞ」
「それは嬉しいけど……」
「早く秋生に会いに行きてえ」
今も秋生と一緒の彼はすでに昼会える秋生をとても恋しがり、離さない秋生を更にぎゅっと抱きしめた。
そんな彼には申し訳ないが昼にまで彼と会えなくても十分な秋生は、今日から店で昼食を食べる彼に内心溜息を吐く。
「ごちそう様…………ごめん、離れて」
「どうしてだ?」
「お皿洗うから」
「俺が後で洗う」
「じゃあ着替えしたいから離れて」
「俺が着替えさせる」
「え?」
「行くぞ」
「ちょっと待って!…………はあ」
とうとう着替えの世話までされそうになった秋生は立ち上がった柊永を慌てて止め、仕方なく本当に溜息を吐いた。
「柊永、少し話したいことがあるから、もう一度座って」
「……話?」
「うん、大切な話」
本当は昨夜話したかったが叶わず今夜に改めようと思ったが、彼を落ち着かせる為に朝の時間彼としっかり向き合った。
「今まで待たせてごめんね。近いうち、柊永の家族に会いに行こう」
「…………」
「柊永の家族皆に認めてもらったら、私と結婚してください」
「……秋生、それは俺のセリフだぞ」
「あ……そうだね、ごめん。私がプロポーズしちゃった」
「秋生!」
「うわあ!」
柊永に思いきり飛びかかられた秋生は驚きながら倒れる。
彼を落ち着かせるつもりのプロポーズだったのに大喜びさせてしまい、彼に押し倒された秋生は朝からキスだらけにされた。
「♪ ♪ ♪」
「え? 今、木野君の口元から鼻歌が聞こえたような……」
「あはは、まさか」
「♪ ♪ ♪」
「……木野君って鼻歌歌えたんだ」
「ヒイイ……怪奇現象より圧倒的に怖ろしいんですけど」
仕事中、生まれて初めて無意識に鼻歌が出た柊永に対し、両隣に座る女性先輩同僚の重宮と後輩男性同僚の糠沢は青褪めながら驚く。
「……ね、ねえ木野君」
「♪ ♪…………重宮さん、何ですか?」
「今日は珍しくとーっても機嫌がいいみたいだけど、何か良いことあったのかな?」
「ちょっと重宮さん、わざわざ木野さんに確認せずとも、女子社員の噂が会社中に蔓延してるじゃないですか」
今日は普段の無愛想さとはあまりにもかけ離れた柊永に恐る恐る声を掛けた重宮は、彼から上機嫌の理由を引き出す前に後輩の糠沢から止められる。
「木野君の噂……?」
「え!? 重宮さん、もしかしてまだ知らないんですか!? 女子社員にまったく相手にされない林田部長だって、すでに知ってますよ」
「私には誰も教えてくれなかったわよ」
「重宮さんは木野さんに唯一堂々と話し掛けるから、女子社員には敬遠されるんですよ」
「それって私が図々しく思われてるってこと? 後輩の木野君と堂々と話して何が悪いわけ? まったく……私に文句つける暇があるなら、積極的に行動起こせばいいじゃない」
柊永より3歳年上の重宮は、今まで他の後輩と変わりなく柊永に接しただけで女子社員の不評を買い、さすがに文句を垂れた。
「裏表なく邪心がない重宮さんだからこそ、木野さんにも打ち解けられたんじゃないですか。他の女子社員はいくら綺麗でも、木野さんに仕事以外で近付くことはできませんからね」
「木野君はモテるけど、女子社員には超無愛想で結局モテないってこと? 可哀想に……」
「重宮さん、そんな同情無用ですよ。俺が女子社員の噂を教えてあげます」
「糠沢君から聞くのは何だか悔しいけど…………まあいいや、教えて」
「彼女ですよ、彼女。最近木野さんに彼女ができたんです」
「ハハ、まさか」
「重宮さん、何でまさか?」
「だって木野君、女子社員に興味ないから超無愛想なんじゃない」
「俺は別に木野さんの彼女がうちの女子社員なんて言ってませんよ」
「……ていうことは?」
「うちの女子社員が先週そこの公園で見たらしいです。木野さんが昼休憩中に私服姿の彼女と手を繋いでたって」
「木野君マジで!?」
女子社員の目撃談を教えられ、ようやく柊永に彼女ができた噂を信じ始めた重宮は、隣に座る柊永の耳元で勢いよく確認する。
柊永は重宮の大声に対し眉間に皺を寄せただけで振り向いた。
「重宮さん、今は仕事中です。プライベートな質問は勤務時間外で」
「あ……ごめん」
「木野さーん、重宮さんにそんな立派なこと言っちゃっていいんですか? 木野さんだって勤務中にしっかりプライベート持ち込んでるじゃないですかぁ!」
「……糠沢、どういう意味だ」
「す、すごまないでくださいよぉ。それでなくても木野さんは強面なんだから」
女先輩の重宮に注意した結果なぜか後輩の糠沢から人のことは言えないと指摘された柊永は、指摘の理由を尋ねただけなのに怯えられる。
「鼻歌ですよ。は・な・う・た」
「鼻歌? 俺が?」
「アハハ、やっぱ木野さん自覚なかったんだ。さっき木野さんは重宮さんに声掛けられるまで、ずっと鼻歌鳴らしてましたよ」
「おい糠沢、嘘吐くんじゃねえ」
「ヒイイ…………怖」
仕事中に鼻歌など鳴らした覚えのない柊永がつい地声で訂正すると、とうとう糠沢はデスク下に隠れてしまった。
「木野君、糠沢君をビビらすのはお門違いよ。私だって木野君の鼻歌をしっかり耳に入れたんだからね」
「……わかりました。おい糠沢、出てこい」
「ホッ……」
糠沢だけでなく重宮にまで鼻歌を肯定された柊永は仕方なく認め、糠沢をデスク下から出させた。
「じゃあ木野君、仕事中にプライベートを持ち込んだのはお互い様ということで、ついでに教えてちょうだいよ。鼻歌の原因」
「重宮さん、俺は鼻歌を鳴らした覚えがないのに、原因を教えられると思いますか?」
「じゃあ私達が教えてあげる。ね? 糠沢君」
「はい重宮さん! 俺達しっかり気付いちゃいましたもんね?」
「……糠沢、言ってみろ」
「ヒ、ヒイイ…………木野さん! いちいち三白眼で睨みつけないでくださいよ! あのですね、木野さんが鼻歌を鳴らした原因は、もちろん噂の彼女です」
「木野君、とうとう彼女できたんだって? おめでと――!」
「ありがとうございます」
「……え?」
「……木野さんが認めた」
全く予想外にも柊永からあっさり彼女の存在を認められた重宮と糠沢が拍子抜けしてるうちに、柊永はデスクから立ち上がった。
「ど、どこ行くの? 木野君」
「昼休憩です」
「木野さん、社食行くんですか?」
「いや、外だ」
「外? 木野君どこ?」
「彼女が働く店です」
「「…………」」
「じゃあ」
「待って木野君! 私も一緒に行く!」
「俺も連れてって下さ――い!」
正直に答えたせいで同僚2人に付いて来られた柊永は特に何も言わず、昼食を食べに会社を抜け出した。
「秋生ちゃん、バイバーイ」
「俺達また来まーす」
「今日はわざわざ有難うございました。気を付けて」
店の玄関ドアまで見送った秋生はそのまま客席を片付け始める。
「秋生ちゃん、今日のランチは賑やかだったわね」
「そうですね」
「あとで彼にお礼言っておいて。2人もランチのお客様を増やしてくれてありがとうって」
「はい、伝えておきます」
店主の遠山から礼を言われた通り、さっきランチを食べに店を訪れた柊永は同僚2人も一緒に連れて来てくれた。
同僚2人は柊永の恋人である秋生にも興味津々の様子で気さくに話し掛けてくれ、秋生も柊永達が帰る頃には同僚2人と親しく話せる間柄になった。
「秋生ちゃんは彼の同僚達と仲良くお喋りできたのに、彼達が帰った今はちょっと安心してるみたいね」
「安心…………はい、実は」
食器を厨房の流しに下げランチの後片付けを始めた秋生は、遠山に気持ちを見抜かれ素直に認めてしまった。
「彼が連れて来たあの2人は大丈夫よ。秋生ちゃんに接した通り、根っからの良い人達だから。秋生ちゃんも彼の同僚だと思って構えないで、ただ純粋に仲良くすればいいだけ」
「わかってはいるんですけど、つい……」
「周りから品定めされるのが苦手なんでしょ? そのせいで昔から秋生ちゃんは彼と外を歩きたがらなかったって、陽大君が言ってた」
「はあ…………陽大は昔の事をよく覚えてますね。その通りです、私は昔から彼と比べられるのが苦手でした」
「秋生ちゃんは男前の彼より見劣りされると思うから、苦手?」
「それもそうですけど、彼の隣にいると理由もわからず申し訳ない気持ちになったんです…………でも今は申し訳ない気持ちが何となくわかります」
「何?」
「きっと私の隣にいる彼が可哀想だと思ったんです。卑屈じゃなくて、彼は本当に周りから同情されてしまうんですよ。今は彼を可哀想だと思わせるのも仕方ないと割り切れるけど、子供だった私はだめでした。彼の隣が嫌で、彼とは陽大と3人の時しか外を歩きませんでした。私は逆に可哀想な思いをさせてしまったと思います」
「彼も気付いてたと思うわよ。だから今日彼は根っから良い人の同僚を連れて来たのよ。きっと初めて自慢できると思ったのね」
「……自慢?」
「彼は恋人の秋生ちゃんを同僚に自慢したかったのよ。本当は全世界にいる根っからの良い人に見せびらかしたいけど、秋生ちゃんが嫌がるから我慢してるだけ」
「どんなに根っからの良い人だって、私を自慢されても困るだけですよ」
「あら? じゃあ秋生ちゃんは彼の自慢したい気持ちは理解してるのね?」
秋生は遠山の推測を中途半端に否定したせいで、余計なことに気付かれてしまった。
「彼が秋生ちゃんを自慢したのは、今日の同僚が初めてじゃないってこと?」
「そうじゃないですけど…………昔私が初めて彼に真由を紹介した時は、嬉しそうだったから」
「彼が真由ちゃんに喜んだ…………秋生ちゃん、それは誤解じゃないかしら」
「え?」
「この前真由ちゃんから聞いたけど、彼と真由ちゃんは中学時代犬猿の仲だったんでしょ? 今も大嫌い同士なのに、彼がそんな真由ちゃんを紹介されて喜ぶわけないと思うけど」
「……でも確かに真由を見て、嬉しそうに笑ってたような」
「それってきっと勝ち誇った笑みだったんじゃない? ようやく犬猿の仲の真由ちゃんから秋生ちゃんを奪い取れたから」
「うーん…………あの2人って似てるのに、何でそりが合わないんだろ」
「あの2人似てる? そう?」
「はい、真由も彼と同じく正直な自分が大好きなんですよ」
「だから真由ちゃん、いつまでも彼氏ができないのね…………はあ」
遠山は正直故に恋人を作らない真由を思い溜息を吐くが、皿を洗う秋生からは特に反応を返されなかった。
「……秋生ちゃんはちゃんと気付いてるのね。正直な真由ちゃんの気持ち」
「一緒に暮らしてる親友ですから、無視なんてできません」
「無視できないって…………真由ちゃんも秋生ちゃんに気持ちを気付かれてるって知ってるの?」
「とっくの昔に知ってますよ。私達はお互いの気持ちに一番敏感なんです」
「なるほど……だから彼と真由ちゃんはいつまでも大嫌い同士なのか」
遠山は互いの気持ちに気付き合っていても親友同士の秋生と真由を知り、彼と真由が永遠に嫌い合うライバル同士であることも深く納得する。
ちょうど流しで後片付けを済ませた秋生は、ようやく遠山に振り返った。
「店長、私は近いうち彼の家族に会ってきます」
「そう」
「彼のお兄さんにいつ認めてもらえるかはわかりませんけど……」
「私はもう大丈夫だと思うけどね…………まあとりあえず、あまり気を張らずに会いに行ってらっしゃい」
「はい」
秋生は柊永のことで悩むたび指南してくれた遠山に最後頭を下げ感謝すると、改めて柊永の家族に会う覚悟を固めた。




