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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
最終章 希 望 へ
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脅える子供




「陽大」

「お帰り秋ちゃん」

「ただいま。今日はおやつ届けちゃってごめんね」


 陽大は友達の卓巳と一緒に柊永の家を訪れた今日、家に帰ってから暫く部屋で休んでいたが、夜7時前に柊永と共に帰った秋生がわざわざ陽大に謝りに来た。

 ベットに座る陽大はドアから顔を覗かせる姉に手招きし、部屋の中へ入れる。


「何?」

「ねえ秋ちゃん、柊君とここまで帰ってきた時、怒られたりした?」

「……ううん」

「じゃあ無視された?」

「普通に喋って帰ったよ」

「そうなんだ…………じゃあ卓君の勘違いかな」

「え?」

「今日秋ちゃんがおやつ届けに来た時、柊君は卓君にヤキモチ焼いたんだって。卓君は秋ちゃんと仲良くしたから」

「卓君がそう言ったの?」

「うん」

「じゃあ本当に卓君の勘違いだね」

「……秋ちゃん、自信あるの?」

「最初から疑ってないから。じゃあ私は下行くね」

「俺も行く」


 陽大は結局姉が卓巳と仲良くしたせいで柊永に責められることなく、姉からも柊永の嫉妬を完全に否定される。

 お蔭で素直に安心し、姉と一緒に自分の部屋から離れた。





「陽大、それで大丈夫なの?」

「は? 真由ちゃん何のこと?」

「食いしん坊で世話の掛かるあんたの友達の卓君だよ。追試免れそうなの?」

「さあ、大丈夫なんじゃない?」

「あんた、友達の事なのにずいぶん他人事だね」

「だって俺、卓君が勉強してるあいだ漫画読んでたし…………真由ちゃん、気にするなら柊君に聞けば?」


 夕食中、陽大は今日柊永に勉強を見てもらった卓巳の成果を真由に確認され、結局よくわからず柊永に矛先を向ける。


「何で私が会ったことない卓君を心配して、わざわざ木野君に確認しなきゃいけないんだ…………まあいいや。木野君、卓君は大丈夫なわけ?」

「今日は5時間集中したし、追試を余裕で免れるだけの課題も出した。あとは本人次第だけど、根性あるから大丈夫だろ」

「へえ、秋生と陽大以外には容赦ない木野君に褒められた卓君って、結構すごい子かもね…………木野君、今日は食いしん坊の卓君にちゃんとおやつも食べさせてあげたの?」

「途中で秋生が来たから問題ねえよ」

「秋生、わざわざ卓君におやつ届けたの?」

「八百屋に行ったついでにね」


 陽大は真由に卓巳のことを問われても穏やかな柊永と笑顔の姉に改めて安心させられ、やはり柊永の嫉妬は卓巳の勘違いだったとしっかり思い直した。





「じゃあ真由、今日も陽大よろしくね」

「はいはい」

「秋ちゃんおやすみ」


 夕食後、真由と陽大は玄関先に並び、今夜も柊永の家に泊まる秋生を見送る。

 すぐに柊永の車が去った音を確認すると、陽大もリビングに戻り始めた。


「……真由ちゃん、いつまでそこにいるの?」


 陽大は秋生を見送ったまま玄関から一向に動かない真由に再び近付く。


「失敗したかなぁ……」

「え?」

「陽大、今日は姉ちゃん行かせない方がよかったかもしれないよ」

「何で?」

「卓君だよ卓君、卓君のせい」


 今夜も柊永の家に行った秋生を突然懸念した真由はしつこく卓巳のせいにすると、今度は陽大を置いてリビングへ戻った。



「……真由ちゃん、どういうこと?」

「あんただって知ってるでしょうが。卓君は昔から姉ちゃんが大好きだって」

「え? 真由ちゃんは何で知ってるの? 卓君に会ったことないのに」


 ソファで再び酒を呑み始めた真由にさっきの話の説明を求めた陽大は、返ってきた真由の言葉に驚かされる。


「あんたが昨日遠山さんに暴露したお蔭」

「つまり真由ちゃんは遠山さんに聞いたわけ?」

「私も昨日店に行ったからね」


 真由が一度も会ったことない卓巳の気持ちを知っていた理由は、昨日秋生の働く店でランチを食べた陽大自身だった。

 昨日もつい店主の遠山に口が軽くなってしまった陽大は、同じく真由には口が軽い遠山を自分勝手にも恨む。


「陽大、私が今心配してるのは卓君の気持ちじゃないよ」

「……わかってるよ。卓君は秋ちゃんが大好きなだけで、何も望んでないし」

「卓君が秋生に何も望んでないのは、秋生に何も望まれてないってちゃんとわかってる子だからだよ。だから秋生だって卓君に好かれても、ただ笑ってるだけでいいんだ」

「……うん」

「私が心配なのは卓君の気持ちはまったく無問題なのに、それでも卓君に嫉妬した今日の木野君だよ」

「嫉妬…………え? 真由ちゃん、柊君が嫉妬したって何でわかったの?」

「さっき木野君が卓君を褒めたからだよ」

「……それって普通嫉妬してないからじゃない?」

「木野君は卓君が昔から秋生を好きだって知ってるなら、私からわざわざ卓君の話を振られても短く答えてお終いだよ。それなのに敢えてちゃんと卓君を褒めた木野君は、嫉妬してる自分を隠した。あの木野君が自分の気持ちをそこまで偽るなんて、それだけ卓君への嫉妬心も大きいってことだよ」

「……柊君、秋ちゃんが来る前は素直な卓君のこと羨ましがってたのに」


 柊永の嫉妬を真由にも教えられ結局卓巳の勘違いでは済まなかった陽大は、今日ただ卓巳の素直さを羨ましがった柊永を思い出す。


「じゃあ木野君は卓君を羨ましがったから、余計卓君に嫉妬したのかもね。今の木野君じゃ素直な卓君には絶対敵わないから」

「ヤキモチ焼くくらいなら、さっさと嘘吐きやめればいいのに」


 柊永の卓巳への嫉妬心は嘘をやめない柊永が生み出したことも気付いた陽大は、改めて今の柊永に悔しさを覚える。


「今の木野君は必死に迷走中なんだよ。そのうえ今日の木野君は大きな嫉妬心に見舞われた。今日は心がぐちゃぐちゃ状態の木野君は秋生と2人きりになった今、八つ当たりできるのは秋生だけだよ」

「……秋ちゃんに電話する。今日は帰ってきてほしいって」

「陽大」

「俺、嘘吐きの柊君と約束したんだよ。柊君が嘘で秋ちゃんを傷つける前に、俺が秋ちゃんを守るって」

「……陽大、木野君の八つ当たりは嘘じゃない。木野君の本心をぶつけるんだよ。あんたは今日木野君に本心をぶつけられる姉ちゃんを守っちゃいけない」

「…………」

「私も我慢するから、あんたも明日まで姉ちゃん守ろうとするのは我慢しな」


 さっきは今夜秋生を柊永の家に行かせたことを心配した真由も諦め、陽大にも諦めさせる。

 今夜は姉を守れなくなった陽大は憤る心を押さえることしかできず、サッカーボールを持ち外へ出掛けた。






 柊永の部屋に入った秋生は、今日初めて無理やり柊永に抱かれた。

 決して乱暴に抱かれたわけではない。ただ秋生が拒否しても最後まで抱かれただけだ。

 そして秋生が初めて彼に抱かれることを拒否したのは、彼に初めて愛しみではなく怒りで抱かれ始めたからだ。

 結局秋生は最後まで彼の怒りで抱かれた。



 彼に抱かれた後しばらくベットで横になっていた秋生はようやく上体を起こし、いつの間にか傍からいなくなった柊永を探しに行った。


「柊永」


 秋生がリビングのドアを開け見つけた彼は暗い中ソファで小さく蹲っていて、秋生に呼ばれると震えた。

 まるでひどく怖がる子供そのものの彼は秋生が初めて見る彼の姿で、秋生に脅える彼の姿だった。


「私が怖い?」

「……ああ」

「傍に行ったらいけない?」

「来ないでくれ」

「じゃあここにいるね」

「……秋生」

「うん」

「俺は死にてえんだ」

「…………」

「俺は死にたくなんてなかったのに、今は秋生が怖くて死にてえ。秋生ともう生きたくなくて死にたくなった。俺は初めて死にたくなったんだ。秋生と生きられなくなって二度も死にかけた昔の俺は、絶対死にたくなかった。秋生と生きられなくて死ぬしかなかったのに、本当は秋生と生きたくて死にかけた。今は本当に死にてえ…………秋生と生きたくない」

「……いつまで?」

「わからねえ」


 ドアの前で佇む秋生はソファで小さく蹲る柊永から死にたくなるほどの拒絶を受け、これからまた受け入れられるかも定かではないと答えられる。

 秋生は死にたい彼を1人にできないのに、自分のせいで死にたい彼の視界にさえ映ってはならず、暫く彼と同じ部屋を諦めることにした。


「今日はベット借りるね…………おやすみ」


 言葉すら最小限に掛け、彼のいるリビングから離れる。



 秋生は再びベットに横になり、彼と同じく小さくなりながら震え始めた。

 秋生を拒絶するため怖がった彼と同じく、彼に拒絶されたため怖がった。

 今の秋生は彼と同じく震えることしかできなかった。


 しばらくベットで小さくなり震えていた秋生は、初めてベット傍に佇む柊永の気配を背中に感じる。

 震えを止めた秋生が振り向く前に、柊永の手が伸びた。

 秋生が柊永に首筋を撫でられるのは2度目だった。

 昔柊永は裏切った秋生を追いつめた夜も、秋生の首筋を撫でた。

 昔は彼の手に脅えながら振り向いた秋生は再び脅えることなく、背後の彼に振り向く。

 秋生と柊永はすでに互いに震えることなく、静かに見つめ合った。


「また俺を捨てるか」

「……ううん」

「死にたいほど怖がられても、俺を諦めないか」

「うん」

「どうして」

「私に諦められた柊永は、本当に死にたくなる」

「…………」

「……さっき私を怖がったのは、嘘?」

「ああ」

「私とまだ生きたい?」

「ああ、さっきは全部嘘だ」

「……嘘吐き」

「…………」

「さっきの柊永は嘘じゃなかった…………私がとても怖くて、私と初めて生きたくなかったんだよね。私が嫌がっても抱いてしまったから、柊永はとても怖がられる前に死にたくなってしまったんだよね」

「秋生……怖がらないで」

「怖くないよ。柊永おいで」


 再びベットから上体を起こした秋生は優しい声で手を広げた。

 今の彼が秋生に怖がられる恐怖のあまり、本当の子供になってしまったことに気付いたからだ。

 秋生は震えることもできなくなった硬直する彼を強引に引き寄せてしまう。

 彼の大きな身体を膝にまで乗せ抱きしめ、彼の背中をポンポンと叩く。

 秋生に大人しく宥められ続けた彼は、やがて強張る身体を和らげた。


「ほら、柊永は怖くなくなった。もう大丈夫だね」

「まだ」

「じゃあ一緒に寝よう」


 無事脅えを失くした柊永が今度は秋生に縋りついて甘え始め、秋生はその夜子供のままの彼を胸で甘やかせながら眠った。




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