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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
最終章 希 望 へ
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悲しませない希望




 午後に店を抜け出し隣町の八百屋と柊永の家に行った秋生は、2時間後再び店に戻った。


「店長、遅くなりました」

「秋生ちゃんお帰り、ちゃんと陽大君達におやつ届けた?」

「はい」

「ん? 秋生ちゃんどうしたの? ちょっとグッタリしてない?」

「いえ、久しぶりに自転車乗って疲れただけですよ」


 多少顔に疲れを滲ませた秋生は心配する遠山を誤魔化し、厨房の冷蔵庫にさっき八百屋で購入した野菜を仕舞い始める。

 さっき陽大達におやつも届けた秋生は遠山の予想が外れ、卓巳に大感激されてしまった。

 柊永の家に留まった30分間、喜ぶ卓巳の相手に掛かりきりだった。

 秋生が卓巳にぎこちなく笑ってるあいだ始終気まずげな陽大に対し、柊永は始終落ち着いていたのは幸いだったが、秋生も30分で卓巳から解放させてもらった。

 秋生は遠山に気遣い過ぎな性格を窘められたとはいえ、1年ぶりに会った卓巳の素直な性格をやはり侮っていたのかもしれない。



「秋生ちゃん、今ちょうどお客さんいないから、少し話さない?」

「え? はい」


 カウンター席に座る遠山から呼ばれた秋生は厨房を離れ、遠山の隣に座る。

 いつの間にか神妙な表情を浮かべる遠山を気にしつつ、話を待った。


「実はね、さっき秋生ちゃんが出掛けてた時、秋生ちゃんを訪ねてらっしゃったの」

「……もしかして彼のお兄さんですか?」


 秋生はひと月程前に自分を訪ねた柊永の兄が再び店を訪れたと推測できたが、結局遠山は首を振って否定する。


「店長、どなたがいらっしゃったんですか?」

「今度は高齢のご夫婦」

「…………」

「彼のご両親」


 遠山に教えられ、高を括っていた自分に気付く。

 てっきり柊永の家族は兄が1人表に立ち最後まで秋生と戦うと、自ずと思い込んでいたからだ。

 秋生の浅はかな思い込みはやはり甘く、おそらく秋生がこの前柊永の兄に説得されてもまだ別れてない事実に気付かれたのだろう。

 とうとう柊永の両親が直接秋生を説得しに訪れたに違いない。

 高を括っていたせいで柊永の両親に反対される覚悟が全く決まってなかった秋生は、遠山を隣にして顔色を変えないだけでやっとだった。


「店長、彼のご両親はまた近いうちいらっしゃいますか?」

「確認はしなかったけど、私は多分もう店に来ないと思うわ」

「……どうして?」

「彼のご両親は私と少し話して、とても安心したから」

「…………」

「……秋生ちゃん、彼のお兄さんとご両親は気持ちが食い違ってるみたい。彼のご両親は今日初めて彼のお兄さんから秋生ちゃんを説得したことを教えられたらしくて、さっき慌てて秋生ちゃんに謝りにいらっしゃったの」

「……謝る?」

「そう、彼のお兄さんに代わって謝るから、どうか彼と別れないでほしいって」

「…………」

「秋生ちゃんと彼の復縁を反対してるのはお兄さんだけで、彼のご両親は望んでるのよ…………秋生ちゃん、全然信じられない?」


 彼の両親と対面した遠山の報告に俄かに信じがたい表情で返した秋生は、表情と同じく頷いて肯定する。


「秋生ちゃんはお兄さんの気持ちばかり信じてしまったからね。3人息子がいる私はお兄さんの気持ち以上に、ご両親の気持ちがよくわかる。彼のご両親はまた秋生ちゃんに捨てられた息子がどうなるかわかりきってるから、藁にも縋る思いで息子と秋生ちゃんを繋いでおかなきゃいけない。それなのにもう1人の息子がいつの間にか勝手に反対の行動に出てしまった。さっき初めて息子の愚かな行動に青褪めたご両親は、それこそ生きた心地がしないまま店まで来た。秋生ちゃんに土下座でも何でもして謝罪と懇願をするつもりだったご両親は、秋生ちゃんが不在だったせいで、せめて私から秋生ちゃんの今の心境を確かめようとそれは必死だった。私もご両親の必死さに負けてしまって、秋生ちゃんはこれからも彼と別れるつもりはないことだけ伝えてしまったら、ご両親は安心どころじゃなかったわ。お父様は腰抜かしちゃうし、お母様は大泣きしちゃうし、私はそんなご両親をしばらく必死で介抱させられた…………彼のご両親が大安心しなきゃいけなかったのは、2度も失いかけた息子をこれからも絶対失いたくない為よ」


 息子と同じく秋生も失えない柊永の両親を痛いほど理解できる遠山は、今まで柊永の兄だけを頑なに理解し続けた秋生にゆっくり丁寧に教える。

 遠山から柊永の両親を初めて理解させられた秋生は、今まで柊永との結婚を躊躇し頑なになった心がとうとう大きく軟化した。


「店長、私はずるくて単純です。今あっさり結婚から逃げたくなくなりました…………彼のご両親から受け入れられたので、彼のお兄さんだけなら説得できるかもしれないと考えたからです」

「秋生ちゃんがあっさり結婚に前向きになったのも、彼のお兄さんを説得したくなったのも、秋生ちゃんの心が急いでるからよ」

「……私は何を急ぐ必要があるんですか?」

「早く彼を助けたいから。秋生ちゃんは昔捨ててしまった彼とまた付き合い始めたことで助けて、結婚も覚悟したことでまた助けた。彼にちゃんと食べさせ眠らせるために、毎晩必ず一緒にいることで更に助けた。彼をもうたくさん助けたはずの秋生ちゃんは、それでも彼の家族を悲しませたくなくて、彼を最後までは助けられなかった。秋生ちゃんに最後まで助けられない彼は毎日苦しんでる。彼の家族の悲しみと彼の苦しみに挟まれた秋生ちゃんの心は雁字搦めになってたけど、さっきようやく彼の家族を悲しませない希望が生まれた。ようやく彼の苦しみだけに向かい合うことができた秋生ちゃんの心は、必死に急ぎ始めた。早く苦しむ彼を助けてあげなきゃ、彼は間違いを起こしてしまうかもしれない」

「……間違い」

「この前話したでしょ? 苦しむ彼は食べないこと、眠らないこと、離れないことで秋生ちゃんに見えない鎖をつけたけど、今度は秋生ちゃんと彼の子供という見える鎖を作り出すかもしれない」

「店長……かもしれないじゃないんです。彼はもう昨日の夜、私に見える鎖をつけました」

「……彼は避妊しなかったの?」

「はい」

 

 遠山の怖れはすでに彼が昨夜実行し、秋生は初めて彼に避妊されなかった。

 秋生から静かに打ち明けられた遠山も驚いたあと、秋生をひどく心配げに見つめる。


「店長、私は大丈夫です」

「昨日は安全日だった?」

「いえ……彼は私の身体をちゃんとわかってるから、昨日初めて避妊しなかったんです。私はこの前店長に彼が子供を作るかもしれないと教えられたお蔭で、彼に内緒で避妊したんです」

「……そう、よかった」


 遠山をとりあえず安心させた秋生自身は安心することなく、さっきの遠山の話を振り返り始めた。


「さっき私は苦しい彼が間違いを起こさない為に、彼を早く助けたかったんじゃないんです。昨日すでに間違いを起こした彼がただ怖くなって、逃げる為に苦しい彼を早く助けたくなりました」

「彼が怖くなったのは、彼との子供を望まないからじゃないんでしょ?」

「……はい」

「秋生ちゃんはただ間違いを起こした彼が怖かったなら、きっと彼にいつか間違いを後悔してほしくなかっただけよ」

「……はい、私もそう信じます。店長、今日はありがとうございました」


 最後は遠山の教えをすぐ信じることにした秋生は、今日自分に代わって柊永の両親と話してくれた遠山に感謝する。

 ちょうど店に客が訪れ、暫くカウンター席に座った2人は再び立ち上がった。





「今日は5時間も勉強を教えてくれて、本当にありがとうございました! 俺、今回のテストは絶対追試免れてみせます!」

「あんまり気負わず頑張れよ」

「はい! じゃあ陽君、そろそろ帰ろう」

「え? まだいいよ。帰りは柊君の車乗せてもらうし」

「だめだよ陽君! 俺達ちゃんと帰りも歩こう! それじゃ柊君、お邪魔しました!」


 昼から夕方まで柊永にテスト勉強を見てもらった卓巳は、サッカー漫画を読んで待っていた陽大を強引に連れ、柊永の家を後にする。

 どうせ柊永はこれから秋生を店まで迎えに行った後、真由の家で一緒に夕食を食べるのに、陽大は柊永の車に頼れず卓巳と一緒に歩いて帰り始めた。


「あーあ、帰りは柊君の車で楽したかったのに……」

「陽君、行きと帰りじゃ別人すぎ。柊君の家行く時は乗り物に頼りたくないって、立派なこと言ってたくせに」

「だって今まで柊君の家行った時は必ず柊君が無理やり送ってくれたから、俺も慣れちゃったし…………あれ? でもさっき柊君、俺達を無理やり送ってくれなかったね」

「陽君、今さら何言ってんの? そんなの当たり前じゃん」

「え? 何で当たり前なの? 柊君の車は俺達2人乗っても全然余裕だよ」

「そういうことじゃないって! 陽君って男のくせに男心にほんっと鈍感!」

「男心……ん? 卓君、俺が鈍感なのは誰の男心? 卓君?」

「今は柊君」

「……卓君こそ何言ってんの? 俺ほど柊君に詳しい奴なんていないよ。柊君の心は全部わかる」

「俺が言ってるのは柊君の心じゃなくて、柊君の男心」

「それってどこが違うの?」

「全然違うよ。だから俺達はさっき柊君に送られなかったんじゃん。男心に鈍感な陽君の為にもっと詳しく説明すると、柊君は俺に頭に来てるんだ。俺がおやつ届けに来た秋ちゃんと仲良くしたから」

「卓君、俺だって卓君が秋ちゃんと仲良くしてた時は焦ったけど、柊君は何も気にしてなかったよ。それに柊君は素直な卓君が羨ましいだけで、卓君に頭来るような人じゃないよ」


 さっき柊永に送られなかった理由を卓巳に教えられた陽大ははっきりと否定すると、卓巳は一度歩く足を止めた。


「陽君、ヤキモチって知ってる?」

「え?……うん」

「ヤキモチの経験は?」

「……あるよ」

「それってこの前俺が部活帰り後輩と遊び行くために、陽君と一緒に帰らなかった時?」

「…………」

「やっぱ陽君、あの時ヤキモチ焼いたんだ。でもさ、陽君は俺と仲良くする後輩に頭来たりしなかったでしょ?」

「……うん、別に」

「俺だって同じだよ。友達の陽君が仲良くした人に頭来たりしない。でももし俺に彼女出来たら、彼女と仲良くした男子に頭来ると思う」

「だから柊君も秋ちゃんと仲良くした卓君に頭来たと思ったの?」

「うん…………それに俺わざとだし」

「……え?」

「秋ちゃんが来た時、わざと柊君の前で秋ちゃんと仲良くしたんだよ。だって悔しいじゃん。秋ちゃんはせっかくフリーになったのに、元彼の柊君とまたくっついちゃうんだもん」


 卓巳は柊永の男心に気付かなかった陽大に最後は自分の男心を暴露し、本当に悔しそうに唇を噛み締めた。

 再び歩き始めた卓巳を追い掛けた陽大は、今は卓巳に嫉妬した柊永より、柊永をわざと嫉妬させた卓巳に同情するしかなかった。


 


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