恋人の家へ
「ねえ陽君、俺疲れたぁ」
「まだ30分しか歩いてないじゃん。ほら卓君、あと10分で柊君の家に着くよ。さっさと行こう」
日曜日の正午前、陽大は柊永の家に行くため友達の卓巳を連れて歩道を歩いていたが、途中で根を上げようとする卓巳の手を引き再び歩かせ始める。
「陽君はよくそんな元気に歩けるね」
「俺は毎週柊君の家に通ってるから、慣れてるだけ」
「毎週40分歩くの?」
「うん」
「自転車は? バスは?」
「乗り物に頼りたくない」
「何で?」
「高校生だった柊君もそうだったから。俺と公園で遊ぶために毎日いっぱい歩いてくれた…………まあ正確には俺の為じゃないけどね」
「……ねえ陽君、今日俺の勉強見ておやつも食べさせてくれる柊君って、俺も昔会ったことあるよね」
「卓君、柊君覚えてたの?」
「うん。休みの日に陽君の家行った時、一緒に遊ぶ陽君と柊君に混ぜてもらった」
「ふーん、俺は3人で遊んだこと忘れちゃった」
「俺がそれから柊君のいる陽君家に行かなくなったからじゃない?」
「卓君、もしかして柊君苦手だった?」
「苦手って言うより、会いたくなかったんだと思う…………俺はその時小1だったけど、あの柊君が秋ちゃんの彼氏だって何となくわかったから」
「……今日柊君の家行くのやめる?」
一度立ち止まった陽大はすでに柊永のマンション近くまで来てしまったが、今さら卓巳を一緒に連れて来たことを後悔する。
「ううん、行くよ。柊君は今日俺の面倒見るって言ってくれたんでしょ? それなのに俺が約束ドタキャンしちゃったら、申し訳ないもん」
「卓君はやっぱり大人だね…………俺は考え足らずだった。ごめんね卓君」
普段は無邪気な卓巳と比べ陽大の方が冷静で大人びているが、陽大はいざというとき肝が据わってるのは卓巳の方だと昔からわかってる。
陽大が自分の迂闊さを卓巳に謝ると、再び2人は柊永のマンションに向かって歩き始めた。
「柊君、卓君連れてきたよ」
「こんにちは、今日はよろし……」
「おう、入れ」
陽大と卓巳は40分歩いて無事柊永の部屋を訪れると、玄関ドアを開けた柊永は卓巳に挨拶されてる途中で中へ促す。
柊永が先に部屋へ戻ると、陽大と卓巳も玄関に入り靴を脱ぎ始める。
「陽君、柊君って豪快なんだね」
「柊君は無駄な挨拶が嫌いだから」
「ふーん、お邪魔しまーす」
来て早々柊永の率直な性格を理解した卓巳は、陽大と一緒に柊永の部屋に入った。
「食え」
「すごい! 焼きそばとお好み焼きだ!」
「W炭水化物…………柊君、今日も作りすぎじゃない?」
「高校生なら普通に食えるだろ」
「俺はこんなに食べないよ。焼きそばだけで十分」
「陽君、せっかく作ってくれたのに遠慮しちゃだめだよ。俺は全部食べる。いただきまーす」
柊永がさっそく用意した焼きそばとお好み焼きの昼食に少食の陽大は呆れたが、大食漢の卓巳は素直に頬張り始めた。
「ご馳走様でしたー」
「……よく食ったな」
「ほら、柊君だって完食した卓君に感心してるじゃん。柊君はいっつも作りすぎ」
柊永が焼きそばとお好み焼きを綺麗に平らげた卓巳の皿を思わず惚れ惚れと見つめ、結局焼きそばのみ食べた陽大に再び呆れられる。
「あれ? 柊君は食べないんですか?」
「卓君、気にしなくていいよ。柊君は修行僧みたいに自分に厳しい人なんだ」
「え? 修行僧?」
「酒もたばこも嗜まず、駆け事なんて当然ご法度。一日の食事は夕食のみ」
「一日の食事は夕食のみ…………そんなの駄目だよ陽君! 柊君が栄養失調でガリガリになっちゃう!」
「卓君、心配しなくても大丈夫だよ。柊君は一日一食でもガリガリじゃないし、体力もあるよ。柊君そうだよね?」
「ああ」
「俺は一日一食なんて絶対許さない! 陽君、その残したお好み焼き、柊君に無理やり食べさせてあげて!」
「ああ! そんなことより卓君、後ろ見て! キャプテン翼がいるよ!」
「ええ!? 柊君の家に翼君が!?」
大食漢の卓巳が一日一食の柊永を大変心配し始めたので、陽大は気をそらすため本棚の漫画に気付かせる。
見事に気をそらされた卓巳が陽大のサッカー漫画を夢中で読み耽り始め、柊永と陽大は互いに顔を見合わせ笑った。
「柊君、卓君いい子でしょ?」
「昔と変わんねえな」
「昔の卓君も思い出した?」
「ああ、昔は一度会っただけで嫌われたからな」
「卓君は柊君を嫌いになったんじゃないよ。柊君に会うのはちょっと辛くなっただけなんだって、さっき卓君言ってた。卓君は素直だから本当だよ」
「本当に素直だな……」
「柊君も正直なのに今は嘘吐きだから、素直な卓君が羨ましそうだね」
漫画に夢中の卓巳をいつの間にかぼんやり見つめた柊永は、陽大に指摘される。
柊永がようやく表情を引き締めると、陽大はそんな柊永にただ笑った。
「陽大、この前俺を嫌いになったんじゃねえのか?」
「嫌いになったら今日ここまで来ないよ。俺は嘘吐きの柊君にムカつくだけ。卓君を羨ましがったさっきの柊君が一番好きだよ」
「一番みっともねえの間違いだろ」
「一番みっともない柊君は一番正直な柊君だから、俺は一番好き。ねえ柊君、素直な卓君が羨ましいのに、何でまだ嘘吐きの柊君をやめないの?」
4日前初めて柊永に嘘を吐かれた陽大は、そもそも根っから正直な彼がなぜ嘘を吐き続ける必要があるのか理解できず、素朴な疑問をぶつける。
「正直な俺じゃ相手にされねえからだ」
「秋ちゃんに?」
「ああ、姉ちゃんは陽大と逆だからな」
「俺は嘘吐きの柊君を相手にしたくないけど、秋ちゃんは逆ってこと? そんなことないよ、秋ちゃんだって正直な柊君がいい」
「だろうな。正直な俺は姉ちゃんを怖がってばかりだから、安心される」
「じゃあ柊君は秋ちゃんに安心されたくなくて、嘘吐きになったの?」
「そうなるな」
「そんなわけないよ。柊君は秋ちゃんに安心されるのが一番好き」
「なあ陽大、俺の一番は1つじゃねえんだ」
「知ってるよ、柊君の一番好きはいっぱいあるよね。秋ちゃんを助けるのも一番好きだし、秋ちゃんに名前呼ばれるのも一番好き。秋ちゃんに甘えられるのも一番好きだし、秋ちゃんに甘えるのも……」
「もういい、お前が俺の事よく知ってるのはわかってる。つまり俺の一番を1つ減らしても大したことねえってことだ」
「大したことあるから苦しいくせに…………柊君、秋ちゃんに安心されないメリットは?」
「相手にされる。姉ちゃんは安心できない俺のこと忘れねえからな」
「秋ちゃんは嘘吐きの柊君に振り回されて、不安になるだけじゃん。柊君、そんなの嬉しい?」
「確かにこの前は全然嬉しくなかったな…………でも仕方ねえ、姉ちゃんと結婚できるまで喜ぶのは我慢だ」
「嘘吐きの柊君は結婚が目的なら、叶わないよ。俺の義兄は正直な柊君だけだから」
「陽大、嘘吐きの俺で妥協してくれねえか?」
「ムカつくから無理。卓君! そろそろ勉強始めるよ! 翼君から離れて!」
4日前と同じく今日も嘘吐きの柊永を拒否した陽大は卓巳から漫画を取り上げ、ようやく今日の目的であるテスト勉強に向かわせた。
「じゃあ隣町の八百屋まで行ってきます」
「隣町? 遠いじゃない。そこのスーパーでいいわよ」
「だめですよ。今は野菜高騰で、スーパーじゃキャベツ買えません。地元の野菜を取り扱ってる隣町の八百屋はすごく安いんですよ。店長、自転車貸してください」
店のランチタイムが終了し昼休憩も済ませた秋生は野菜の買い足しに行く為、自転車で20分程かかる八百屋まで行くことにする。
「あ、そうだ秋生ちゃん。隣町まで行くなら彼の家にも寄って」
「え?」
「彼の家、隣町でしょ? 今日は確か陽大君の友達が彼に勉強見てもらってるのよね? おやつ持っていってあげて。はいクッキー」
店主の遠山は今日陽大が友達と共に柊永の家へ行くことを、昨日の土曜日ランチを食べに来た陽大から教えられたらしい。店で出している手作りクッキーを渡された秋生は思わず困り顔を浮かべた。
「店長、陽大達のおやつは心配ないですよ」
「彼が用意してくれるって?」
「はい」
「彼は陽大君の友達の勉強見るのに忙しいんだから、秋生ちゃんがおやつくらい助けてあげなさいよ」
「陽大は高校生ですよ。わざわざ私がおやつ届けに行ったら迷惑がられてしまいます。それに高校生の男の子は、もうおやつなんて食べません」
「陽大君の友達は今もしっかりおやつ食べるらしいわよ」
「……でも私が行ったら、テスト勉強の邪魔になってしまうから」
「秋生ちゃん、やけに彼の家に行きたがらないわね」
「そんなことないですけど……」
「……もしかして秋生ちゃん、陽大君達がいる家に行きづらいとか?」
「え?」
「陽大君から昨日教えてもらったんだけど、陽大君の友達って秋生ちゃんが大好きなんだって?」
「いえ、卓君は懐いてくれてるだけです」
秋生が遠山から確認されはっきり否定したせいで、遠山は秋生が陽大の友達から好意を抱かれてることに気付いてると確信する。
「秋生ちゃんって本当に気遣い屋さんね。陽大君の友達に気遣って彼にも気遣うから、彼の家に行きたがらない」
「店長、私はただおやつを届けるのが面倒なだけですよ」
「秋生ちゃんが陽大君の友達にわざわざおやつを届ければ喜ばせてしまうし、秋生ちゃんが陽大君の友達を喜ばせれば彼も気分良いわけじゃないからでしょ?」
「…………」
「秋生ちゃんの気遣いは正しいけど、私は気遣い過ぎだと思うわよ。陽大君の友達はもう高校生なんだから心の中で喜ぶ程度だろうし、彼だって大人なんだから高校生を気にしたりしない。秋生ちゃんが気遣い過ぎたら、彼と友達の間にいる陽大君が困っちゃうわよ。秋生ちゃんが来れば皆喜ぶんだから、何も気にせずおやつ届けてあげなさいよ」
遠山に気遣い過ぎる性格を窘められた秋生も確かに少し反省した。
「……わかりました。じゃあクッキー頂きます」
「いってらっしゃい」
秋生は野菜購入と共に有難く頂いたクッキーを陽大達に届けるため、自転車で出掛け始めた。
「え?……秋ちゃん、何で来たの?」
「……おやつ届けに来たんだけど」
隣町の八百屋で野菜を購入したあと柊永のマンションを訪れた秋生は、玄関を開けてくれた陽大にとても驚かれる。
秋生から訪れた理由を教えられた陽大は、突然気まずげな表情を浮かべた。
「……とりあえず秋ちゃんはこのまま帰った方がいいかも」
「あ……そう? じゃあはい、おやつのクッキー」
「ありがとう。ごめんね秋ちゃん」
弟が気まずげに帰らせたがった理由をほぼ察した秋生もすぐにクッキーを手渡し、玄関でこっそり話した姉弟はそのまま別れることにした。
「あ! 秋ちゃんだ!」
秋生がこっそり帰る直前で卓巳に大声で気付かれ、姉弟は共に落胆する。
「秋ちゃん久しぶり!」
「こんにちは卓君、入学式以来だね」
「うん。秋ちゃん、今日はどうしたの?」
「おやつ届けに来たの。よかったら後で食べて」
「……秋ちゃん、俺の為にわざわざおやつ持ってきてくれたの?」
「え?……うん」
「俺嬉しい」
「あーあ……秋ちゃんの馬鹿」
秋生はさっき遠山に気遣い過ぎな性格を反省させられたばかりに結局卓巳を喜ばせてしまい、陽大からもすっかり呆れられる。
「秋ちゃん入って」
「ううん、私はもう帰るよ。卓君はテスト勉強頑張ってね」
「いいから早く早く!」
「卓君……」
卓巳に喜ばれる余りそのまま帰らせてもらえなかった秋生は、卓巳に手を引かれるまま恋人の家へ入った。




