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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
最終章 希 望 へ
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助 け




「秋生、そろそろ起きろ。遅刻するぞ」

「……うん、おはよう」


 週末の土曜日、仕事休みの柊永はいつもと同じ起床時間に秋生を起こす。

 秋生はこれから仕事に行くためベットから起き上ると、暫しぼんやり座ってるうちに柊永から服を手渡される。

 いつの間にか自分の服を選んでくれた彼に素直に甘え、着替えを済ませると洗面所へ向かった。


「秋生、飯食え」

「ありがとう、いただきます」


 秋生が身支度を整えてるうちに、柊永は今朝も秋生の朝食を用意してくれた。

 彼が作ったパンの朝食に感謝しながら美味しく食べ始めると、彼はその間に後片付けと戸締りを済ませる。


「秋生、行くぞ」

「うん、よろしくお願いします」


 朝食を食べ終えた秋生は今朝も彼に店まで送ってもらう為、一緒に出掛け始めた。




 秋生を店に送ったあと再び家に戻った柊永は、掃除と洗濯を済ませる。

 正午過ぎになり再び出掛けるため車の鍵を持つと、偶然玄関チャイムが鳴った。


「啓斗」

「よう」


 週末の土曜日、柊永の家を訪れたのはこれから会うはずの瀬名だった。


「どうした?」

「何が?」

「今日はお前の家だろ」

「そうだったっけ?」

「行くぞ」

「面倒だからここでいいだろ。入るぞ」


 柊永の家を訪れた瀬名は自分の家で会う約束をすっかり忘れ、気にせず柊永の家に入り始める。

 結局玄関前から動かなかった柊永に止められた。


「何で入れてくれねえの?」

「今日はお前の家で会う約束だろ」

「今まで俺の家まで一度も来ようとしなかったくせに、今日はやけにこだわるな。俺は今まで散々お前の家に通ったのに、今日は嫌がるのか?」

「ああ、悪い」

「理由を言ってみろ」

「散らかってる」

「だったら構わねえよ。入るぞ」


 瀬名は今日柊永の家に上げられない理由を聞き出したお蔭で、今度こそ強引に彼の家に入った。




「何だ、全然散らかってないじゃん。でもすげえな…………俺が来ないうちに漫画だらけだ」


 数週間ぶりに柊永の部屋に入った瀬名がさっそく本棚の変化に気付く。

 以前なかった大量の漫画を感心しながら眺め始め、柊永はただソファに座り始めた。 


「なあ柊永、これって全部あの子供の為に集めたの?」

「ああ、陽大のだ」

「陽大か…………この前俺も高校生になったあの子供に会えたけど、我儘そうな顔は昔のまんまだったな」

「陽大は我儘じゃねえよ。逆だ」

「そうか? 昔のまんまお前を平気で独占してるだろ。お前だって今だあの子供の言いなりだ。邪魔でしかない漫画をこんなに集めさせられて、この前はここまで来たあの子供が俺見てすぐ帰ろうとすると、必死に引き止めた」

「そうだな、俺は陽大が大切だ」

「あの子供が大切だから、お前は家で飯も食うようになったのか?」

「飯?」

「今まで会社で昼飯だけ食って、家では一切食わなかっただろ。俺が夜食わせようとしても一日一食以外必要ないって絶対拒んだくせに、今日はキッチンに朝食べたらしい食パンの残りがある。お前、朝飯も食うようになったのか?」

「ああ」

「あの子供の為に朝飯食う努力を始めたお前が、今日の昼飯食わない為に俺と1時に会う約束したのは何でだ? 今度は昼飯が食えなくなったか?」

「ああ、そうだ」

「ふざけやがって…………俺は今までお前に嘘1つ吐かれたことねえから、今もお前の嘘に騙されると思ってんのか?」

「俺はお前に絶対嘘吐かねえよ。信じろ」

「絶対嘘吐かない? 信じろ? お前は間違ってもそんな騙し文句ほざく奴じゃねえだろ…………柊永、どうしちまったんだよ」


 瀬名は今まで一度も柊永に嘘を吐かれなかったからこそ、今日初めて嘘を吐いた柊永を見抜いた。

 最後は突然変わってしまった柊永を呆然と見つめる。


 柊永は瀬名からひどく心配されても顔色一つ変えず嘘を吐き通したので、瀬名もようやく気付かされた。


「お前は俺だけは最後まで嘘で騙さなきゃいけないってことか…………昔俺がお前から水本さんを奪ったから」

「何のことだ?」

「俺はお前を失くすのが怖くて、今まで一度も言えなかった。でもお前はちゃんと気付いてたんだろ? お前から水本さんを離させたのは俺だ…………水本さんの裏切りを許さなかったのは俺で、お前を2度も死にかけさせたのは俺だ」


 瀬名だからこそ嘘を吐き通した柊永は初めて瀬名の口から過去の告白をされ、ソファに座ったまま床に崩れ落ちた瀬名を見下ろす。


 初めて涙を零した瀬名を暫し見下ろした柊永の目にも、ようやく諦めの色が滲んだ。


「啓斗、今まで俺を失くさない為に傍にいてくれて、ありがとうな」

「……これからやっと恨む俺を失くすか?」

「一度も恨んだことねえよ」

「嘘吐くな」

「俺はさっき以外、お前に嘘吐いたことねえよ。何でだかわかるか? お前は昔から正直な俺が好きだからだ。陽大もお前と同じだ。俺はお前と陽大に嫌われねえ為に、正直でい続けた」

「お前は俺やあの子供に嫌われても、とうとう嘘吐くことを選んだんだろ…………お前の嘘は今度こそ水本さんとずっと生きる為だ」

「そうだ、だから俺はもう陽大に嫌われた。今はお前を泣かせた。悪いな啓斗」

「今度は謝るのか…………柊永、今日だけでいい。俺を恨め」


 柊永から感謝と謝罪しかされない瀬名が床に落とした涙を見つめながら懇願する。

 瀬名は過去の告白をした今日、どうしても柊永に恨まれなければいけなかった。

 

「恨まれなきゃいけねえのは、苦しいお前を10年も放っといた俺だ。お前が俺を恨まなきゃいけねえんだよ」

「俺は苦しんでねえ」

「俺の為に散々苦しんだだろ…………昔俺が秋生に離されたのは、お前が原因じゃねえ。俺が秋生を追いつめたからだ」

「……水本さんを失うことになってもか」

「昔の俺は知らねえフリもできなかった。秋生を追いつめた夜、俺は秋生と一緒に失くなりたかった」

「………………」

「結局俺は秋生を失くせなかったから、代わりに捨てられたんだ。仕方ねえから1人で失くなるしかなかったのに、お前に見つかって見事に死に損なった。お前はあの時から苦しみ始めたのに、死に損なった俺は暫く何も覚えてねえ…………気がつきゃ親と兄貴夫婦に世話させて、お前には傍で笑われた。それからまた暫く経たなきゃ、苦しいお前に気付けなかった」

「……お前はそれでも気付いたのに、何でまた死に損なった?」

「やっと生きる為だ。今度こそまともに生き続けて、いつか必ず秋生と生きる為だ。今度は生きることにがむしゃらになった俺は、また苦しいお前に気付けなくなった。今やっと秋生と生き始めて、苦しいお前にまた気付いたのに、俺はこれからも秋生と生きることしか考えられねえ。元々苦しむ必要がなかったお前は、俺のせいで10年も報われねえままだった。今日は俺のせいで泣かされた。啓斗、今日こそ俺を恨め」


 10年前秋生に捨てられた柊永は失くなるために瀬名を苦しめ、失くなれないまま瀬名を苦しませ続けた。

 再び秋生を取り戻すために必死に生き始めた柊永は、苦しむ瀬名を忘れ続けた。

 10年間も苦しむ瀬名を助けられなかったのではなく助け忘れた柊永は、今日初めて瀬名を助けるため床に跪く瀬名に手を伸ばす。


「お前は馬鹿だ。散々傍にいた俺を10年もすっかり忘れられるお前は馬鹿すぎて、もう泣く気がしねえ。あまりにも馬鹿なお前に呆れすぎて、今さら恨む気もしねえ…………俺はあまりにも馬鹿すぎるお前が恥ずかしすぎて、お前の手なんか絶対借りてやらねえ」


 柊永の手を借りず床から立ち上がった瀬名は、10年抱え続けた苦しみを自ら葬り去った。

 今日初めて苦しむ自分を解放した瀬名は今日こそ柊永を助けるため、彼に背を向ける。


「俺はもうここに来ねえよ」

「今度は俺が行く」

「ああ、そうしてくれ」


 瀬名はようやく柊永を秋生と生きさせる為、彼の家から去った。




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