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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
最終章 希 望 へ
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苦しむ恋人




「はあ……」

「めずらしい、秋生が私の前で溜息吐いた」


 夕方過ぎ、秋生は真由の家で夕食を作りながら溜息を零し、仕事から帰宅したばかりの真由に傍で驚かれる。


「真由、弁当箱出して」

「はいはい、お稲荷さん弁当美味しかったよ。毎週作って」

「毎週なんて飽きちゃうよ。お稲荷さんはたまに食べるから美味しいの」

「そう? 陽大も喜びそうだけど………………秋生、思わず溜息吐いた原因は朝の陽大?」

「……朝の陽大?」

「朝、あんたたち姉弟で話してたじゃない。陽大は瀬名君に会ったんだって?」


 真由に返された弁当箱を洗う秋生は手を止め、今朝陽大との会話を密かに聞いていたらしい真由にちゃんと振り向く。


「私は瀬名君のことで溜息吐かないよ」

「秋生が瀬名君に恩だけあるなら、溜息までは吐かない。でも陽大はあんたが瀬名君を怖がってるって言ったよ。昔木野君を裏切ったあんたを瀬名君は許さなかったから」

「…………」

「だから陽大はあんたに瀬名君を避けるよう、さり気なく教えたんだよ」

「……真由、陽大はどこまで知ってた?」

「そこまでだよ。あんたが木野君を裏切った理由は知らない。私は瀬名君がわざと教えなかったんだと思う。陽大が可哀想だから」


 秋生は真由の口から陽大に対し安心させられても、ただ真由に冷静な表情を返した。


「私は瀬名君が気遣ってくれたように、陽大にはもう私のことで悲しい思いをさせたくないから、これ以上何も知らないままでいてほしい」

「うん」

「それと私が瀬名君を怖いと思う気持ちは自業自得だから、仕方ないと思ってる。陽大は私に瀬名君を避けてほしいみたいだけど、いずれ会う機会ができれば怖くても会うだけ」

「うん…………そっか、あんたは瀬名君に一番冷静だったね。陽大と私は心配し過ぎた」

「真由、いつも心配してくれてありがとう」


 秋生は陽大と同じく瀬名のことでも心配してくれた真由に微笑んで感謝すると、真由はめずらしく照れてしまった。


「今さら私に感謝する必要ないよ」

「それでも嬉しいから」

「……あ! そういえば秋生、瀬名君は溜息の原因じゃないんでしょ? じゃあ何で?」

「疲れたから」

「まーた誤魔化す」

「今日は本当に疲れたの。店長にお稲荷さんお裾分けした後、柊永にも届けたから」

「木野君に届けたって、わざわざ木野君の会社まで行ったの?」

「会社の近くにある公園で待ち合わせして、一緒にお稲荷さん食べた」

「……秋生、めずらしく木野君に積極的じゃん」

「ううん、本当は店長から一緒に食べろって強引に勧められただけ」

「やっぱりね…………でも木野君は喜んだでしょ?」

「お稲荷さんだけね。本当は一緒に食べるつもりがなかった私はやっぱり気付かれて、最後に怒られた」

「めずらしい。木野君が秋生に怒ったの?」

「うん、最近怒られるようになっちゃった」

 

今までの秋生は柊永と離れようとすれば怖がられるだけだった。

 1週間前初めて怖がられず怒られた秋生は今日も怒られ、確かにそんな彼に戸惑い始めている。


「秋生の溜息はやっぱり木野君のせいか」

「私のせいだよ」

「最近わざと怒ることを覚えた木野君のせいじゃない」

「……わざと?」

「秋生が溜息吐いてくれるからね」


 今日は無事秋生に溜息を吐かせた柊永を見透かした真由はただ秋生に訝しがられ、結局笑って誤魔化した。





「柊君、今度の日曜日は柊君の家行かないから」

「試合か?」

「ううん、テスト勉強」


 陽大が一緒に夕食を食べる柊永に今週末の予定を報告すると、なぜか訝しげな表情を向けられる。


「お前は家でテスト勉強するほど効率悪くねえだろ」

「効率? つまり俺は家で勉強しないために授業はめちゃくちゃ集中してるってこと?」

「ああ」

「すごいね柊君、俺のことよくわかってる」


 勉強は効率の良さを重視する陽大の性格を見抜いた柊永は陽大本人から感心され、今まで見抜けなかった秋生と真由も内心一緒に感心する。


「じゃあ陽大、家でまで勉強したくないあんたが何で今回は頑張るわけ?」

「俺はただの付き合い。今回こそ追試免れたい卓君が頑張るんだよ」

「たく君?……ああ、あんたの一番仲良い卓君ね」

「真由ちゃん、今度の日曜日はここに卓君連れて来るから、おやつよろしく」

「は? おやつ?」

「卓君めっちゃ食いしん坊だから、おやつ食べなきゃテスト勉強できないんだって」

「だったら卓君の家でやればいいじゃん」


 日曜日は仕事休みのせいで陽大の友達をもてなす羽目になった真由は、あからさまに嫌がった。


「卓君の家はゲームいっぱいあるから駄目。卓君集中できない」

「くそー……卓君めんどくせぇ」

「谷口、俺が代わってやる」

「え?」

「陽大、日曜はやっぱり俺の家に来い。俺が友達の勉強も見る」

「……柊君、いいの? 卓君のおやつも?」

「ああ」

「ありがとう柊君」


 陽大の友達を面倒くさがる真由に代わって引き受けた柊永が、今度の日曜日は陽大の友達を全面的に面倒見ることになる。


「ふーん、結局木野君って私に親切にしたフリして、陽大を喜ばせたいんだね」

「別にそんなんじゃねえよ。俺が暇だからだ」

「柊君、日曜日は3人でサッカーもしようよ」

「脱線すんな、日曜はテスト勉強だけだ。陽大、これからサッカーするぞ」

「え? 今?」


 柊永は夕食を食べ終えたテーブルからさっそく立ち上がり、同じく慌てて立ち上がった陽大と共に出掛け始めた。


「木野君ってああいう即行な性格は昔と変わんないね」

「うん、ご馳走様」


 真由と共に2人を見送った秋生は夕食の食器を片付け始め、今日は柊永ではなく真由と並んで洗い始めた。






「俺はもう陽大に付いていけねえな」


 近くの公園まで行きサッカーを始めた柊永と陽大はしばらくボールを奪い合ったが、最初に根を上げたのは柊永だった。

 柊永は現役サッカー部員の陽大に負けを認めると、ついでに公園の地面に座り込む。

 陽大はサッカーボールを手で持ち直し、休む柊永の前に近付く。


「柊君、疲れたの?」

「ああ」

「もうすぐ30の柊君は16の俺とサッカーできないほど、衰えたってこと?」

「ああ」

「格好悪い」

「悪いな、若いお前には敵わねえ」

「違うよ、嘘吐きだから格好悪い」


 若い陽大との体力差を自覚する柊永に否定した陽大は、同じく柊永の隣に座る。


「嘘吐きの柊君は全然柊君じゃない」

「陽大、俺は恰好悪くちゃだめか?」

「だめだよ、柊君は嘘吐きだと苦しくなる。根っから正直だから」

「そんなことねえよ、今日はけっこう楽できた」

「また嘘吐きだ。柊君は何で俺にまで嘘吐きなの? 秋ちゃんだけじゃ不安だから?」

「陽大」

「さっき柊君は真由ちゃんにも嘘吐きだったよね。今度の日曜日、柊君は暇だから俺と卓君を家に来させたいんじゃなくて、卓君に期待させたくないんだよね。仕事から帰った秋ちゃんに会えること。俺は全然気付かなかったけど、柊君は昔卓君が秋ちゃんのこと好きだったの気付いてたんでしょ?」

「知らねえよ。俺はお前の友達だってもう覚えてねえ」

「じゃあ今日はずっと秋ちゃんを無視して、俺とサッカーやりたがった柊君は嘘吐きじゃないの? 嘘吐きだから俺とサッカーしても全然集中できなくて、負けちゃったんじゃないの? 今も秋ちゃんの傍に行きたくて仕方ないのに頑張って我慢してる柊君は、本当に嘘吐きじゃない?」

「陽大、これからは見逃してくれねえか?」

「嘘吐きな柊君を?」

「ああ、頼む」

「嫌だよ。柊君が苦しみたくても、秋ちゃんが悩むのは嫌だ」


 姉の為に柊永の頼みをはっきり断った陽大は、そろそろ帰るために再び立ち上がる。 

 公園から歩き出す前に、まだ地面に座ったままの柊永に振り返った。


「やっぱり柊君は嘘吐きでもいいよ。俺が秋ちゃんを守るから」






「今日は本当にごめんね」


 秋生は真由の家で夕食を摂った後、陽大と共に出掛けた柊永を待ち、今夜も変わらず柊永の家に帰った。

 床に座った秋生がソファに腰を下ろしたばかりの柊永に謝った理由は、今日彼と一緒に公園で昼食を食べた後、周りの目を気にし過ぎて彼を怒らせたからだ。

 そのせいで今夜は夕食時も車の中でも話し掛けてもらえず、同じく彼を気にすることしかできなかった秋生は2人になった今、もう一度謝る。

 今までずっと秋生と目さえ合わせなかった柊永は、ようやく秋生と少し離れて見つめ合った。


「昼間怒った俺が何で夜になっても女々しく怒り続けたか、わかるか?」

「……ううん。ごめんね、わからない」

「ただ気にされたかったからだ。まるで捻くれた中学のガキだな」

「そう…………そんな柊永は初めてだね」

「ようやく俺にも反抗期が来たのかもな」


 ようやく柊永と穏やかに話し始めた秋生は、彼の冗談のような言葉に表情も和らいだ。


「私に反抗するの?」

「ああ、中学の俺は秋生に完全無視されても我慢したからな。今頃反動が来て、秋生が少しでも離れたがると本気で怒りが湧く。すぐ冷めるくせに、今度は気にされたくてわざわざ怒り続ける」

「今日はもう怒るのやめたの?」

「さっき陽大に姉ちゃん苛めるなって嫌われて、今は秋生に謝らせて、ようやく落ち着いた。でも反抗期は簡単に終わらねえ、俺はまたすぐぶり返す」


 柊永は床に座る秋生と見つめ合うことをやめ、隣の窓に映る自分を見つめ始める。


「俺は今落ち着いてるのに、何でこんなに見苦しい顔してるんだろうな」

「いつもと変わらないよ」

「じゃあ俺はいつも見苦しいか?」

「そうじゃなくて……」

「……なあ秋生、反抗期を知らなかった俺はずっとマシだったと思わねえか? 秋生は俺に怖がられるだけだった」


 今は秋生を怖がるだけではなくなった柊永は、確かに今の自分に苦しんでいる。


「反抗期の柊永も好きだよ」


 秋生は苦しい彼にわざと告白すると、床の上からソファに座る彼に手を伸ばす。

 秋生に手を握られた柊永は窓に映る自分と見つめ合うことをやめ、ただ笑顔を浮かべる秋生を再び見つめ始めた。



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