姉の怖れ
「あれ…………秋ちゃん」
平日の朝7時、学校に行くため起床した陽大がリビングに入ると、キッチンで働く姉を見つける。
「おはよう陽大」
「おはよう。朝帰ったの?」
「うん」
「何で?」
「今日は店が休みだから、久しぶりに陽大のお弁当作りたくなった」
「……ありがとう」
柊永の家に泊まるため2週間前から朝も不在の姉は仕事休みの今日、わざわざ陽大の弁当を作りに朝早く帰ってきた。
少しだけ照れながら礼を言った陽大は、そのまま弁当を作る姉の傍に近付く。
「すごい、お稲荷さんだ」
「陽大は少食だけど、昔からお稲荷さんはいっぱい食べられるよね」
「大好きだから」
「ふふ、知ってる」
「こっちの弁当は真由ちゃんの?」
「うん、真由のお稲荷さんは紅ショウガ入り」
「ふーん……何も入ってない方が美味しいのに」
「陽大はシンプル好きだね」
「柊君に似たんだよ」
「そう」
今朝は大量の稲荷寿司を作った秋生が陽大と真由の弁当箱に詰め始める。
陽大は姉の作った稲荷寿司をしばし見つめた後、今度は隣の姉に振り向いた。
「秋ちゃん」
「ん?」
「柊君の家、慣れた?」
「うん、大丈夫だよ」
「そう…………あのさ」
「何?」
「秋ちゃんが柊君の家にいる時、誰か来たことある?」
「え?」
「……柊君の友達とか」
陽大は言いにくくもようやく本命の質問を向けると、稲荷寿司を詰める手を止めた秋生は初めて隣の陽大に振り向いた。
「まだ友達は来たことないけど……どうして?」
「俺は一度だけ柊君の友達と鉢合わせしたから。啓斗さん」
「…………」
「秋ちゃんも啓斗さん知ってるよね? 昔俺と一緒に会ったことあるでしょ?」
「うん」
柊永の友人を確認された秋生は、陽大が昔柊永の友人と会ったことを覚えていたせいで否定もできなかった。
陽大が偶然鉢合わせしたという柊永の友人は確実に瀬名啓斗で、昔秋生が柊永との別れを決意させるきっかけとなったのも瀬名だ。
そして秋生は別れの際、瀬名に柊永を託した。
再び柊永と出会い付き合い始めた秋生にとって、柊永の家族と同じく瀬名との対面も決して避けられないのも事実だ。
けれど柊永と別れた理由を知らない弟の口から瀬名の存在を教えられた秋生は、わずかに動揺した目を隠せなかった。
瀬名を知ってると認めた姉と見つめ合う陽大も、姉のわずかな動揺にしっかり気付いた。
「俺は啓斗さんと会った時、帰りに2人で話した」
「……何で?」
「待ち伏せされた。啓斗さんも昔会った俺のこと覚えてて、どうして今も柊君と会ってるのか確認された。柊君が頑張って秋ちゃんとまた付き合い始めたからだって教えたら、すごく驚いてた」
「…………」
「秋ちゃん大丈夫だよ。俺、啓斗さんにお願いした。柊君を幸せにできるのは秋ちゃんだけだから、見守って下さいって。啓斗さんは柊君のことすごく大切みたいだから、拒否はしなかったよ。啓斗さんは俺のお願いを聞いてくれたんだと思う」
「陽大」
「何?」
「…………」
「俺は急いで帰りたかったから、啓斗さんと他に何も話してないよ」
陽大はおそらく瀬名を怖がってる姉を安心させるため瀬名との話を正直に教えたが、それでも安心しなかった姉に一言付け足す。
案の定瀬名が陽大の願いを拒否しなかっただけと教えられた姉は、ようやく静かに安堵した。
「秋ちゃんって昔啓斗さんのこと少し苦手だったでしょ?」
「え?」
「昔の啓斗さんって金髪でピアスしてたじゃん。強面な柊君と見た目派手な啓斗さんが並ぶと、完全に不良同士にしか見えなかったよね」
「うん、そうだったかもね」
「秋ちゃん、今でも啓斗さんが苦手なら、なるべく会わないように避けたら? 啓斗さんってしょっちゅう柊君の家に来るみたい」
「…………」
「柊君にさり気なく確認して、啓斗さんが来る日はここに避難しなよ。秋ちゃん、お稲荷さん1個ちょうだい」
姉と瀬名の接触を避けた方がいいと判断した陽大はさり気なくアドバイスし、稲荷寿司を勝手に摘まむ。
「やべっ! 完全遅刻だ!」
「真由ちゃんおはよう」
「おはよ!……あれ? 秋生帰ってたんだ」
「うん、おはよう」
いつもより遅く起床した真由がリビングに飛び込み、挨拶した秋生も再び弁当箱に稲荷寿司を詰め始めた。
「真由、お弁当持っていって」
「ありがと! 秋生は今日ずっとここにいる?」
「買い物は行くけど」
「そっか、じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
「真由ちゃん待って! 俺も乗ってく!」
いつもはすでに出勤してる真由が遅刻したお蔭で、これから学校に行く陽大は真由の車に同乗させてもらう。
陽大にもしっかり弁当を持たせた秋生は朝久しぶりに2人を見送った。
「グルル…………腹減った。早く秋生の弁当食べたい」
「腹の虫を気にするよりスッピン顔を心配したら? 真由ちゃんが担任する子供達にびっくりされちゃうよ」
今日は朝食抜きどころか化粧もできなかった真由は車を運転しながら、助手席でのんびりする陽大の明るい嫌味に渋い顔だけ浮かべる。
「スッピンの私が園児を泣かせたら、あんたのせいだよ」
「何で? 寝坊した真由ちゃんの自業自得じゃん」
「私は寝坊なんてしてないよ。いつも通り起きたけど、あんたが姉ちゃんと話しててリビングに入れなかっただけだ」
「……真由ちゃん、聞いてたの?」
「こっそりね」
今朝キッチンで話す姉弟のお陰で出勤も遅れた真由は姉弟の話を耳に入れたことも白状したが、運転する表情は渋いままだ。
「陽大、今日のあんたは姉ちゃんに余計なお世話しすぎたよ」
「俺が秋ちゃんに柊君の友達を避けるように勧めたから?」
「そう。ちゃんとわかってるなら反省もしな」
「真由ちゃんは柊君の友達がどんな人か知らないから、余計なお世話だと思うんだよ。秋ちゃんは柊君の友達と会いたくない」
「秋生は会いたくなくても近いうち必ず会わなきゃ、木野君と結婚もできない。瀬名君には恩義があるからね」
「……真由ちゃんも啓斗さん知ってるの?」
「中学のクラスメイト」
「恩義って?」
「昔私が秋生から木野君と別れたって聞いた時、別れた事情なんて一切教えてもらえなかったけど、秋生が木野君を瀬名君に任せたことだけは教えられた。秋生に瀬名君と会いたくない気持ちがあるなら、ただ申し訳ないからだよ」
「…………」
「今日のあんたが余計なお世話だったのは、あんたに瀬名君を避けるよう勧められた秋生が瀬名君に対して会いたくない気持ちを助長させるかもしれないからだよ。いつまでも瀬名君に会わなければ、秋生と木野君の結婚は遅くなるだけだ。私は今日帰ったらあんたの勧めを撤回するから、あんたはこれ以上瀬名君のことで首突っ込んじゃだめだよ」
「……秋ちゃんは恩義があるだけじゃない」
「は?」
「秋ちゃんは啓斗さんが怖いから会いたくないんだ。この前啓斗さんが俺に教えた。秋ちゃんは柊君を裏切ったから、啓斗さんが秋ちゃんから柊君を取り上げたって」
「…………」
「真由ちゃん、秋ちゃんは啓斗さんが怖いんだよ」
運転する真由の横顔をしっかり見つめた陽大は、姉が瀬名を怖がってる気持ちを2度も教える。
真由は陽大に強く教えられても特に返答することなく運転を続け、結局陽大を高校前で降ろす直前まで黙り続けた。




