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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
最終章 希 望 へ
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悲しい背中




「お――い卓君!」

「陽君、何?」

「購買行くの?」

「うん」

「俺も行く」

「え? 陽君、弁当は?」

「今日は焼きそばパン」

 

 4時間目の授業終了後、教室を抜け出した卓巳を追い掛けた陽大は、共に昼食のパンを買うため廊下を走り始める。




「え!? 陽君、焼きそばパン1個だけ? 食べな過ぎ」

「卓君はパン5個も買ったの? 食べ過ぎ」


 他の生徒と押し合いながらパンを購入した2人はそのまま校舎を抜け出し校庭の隅に座ると、互いの胃袋に驚きながらパンを食べ始めた。


「俺、購買パン久しぶりに食べた」

「そう? 俺は毎日食べてるよ」

「うん、知ってる。卓君はパン好きだよね」

「陽君はパン好きじゃないよね。昔からおにぎり派」

「でもたまに食べる焼きそばパンはけっこう美味いよ」

「陽君、今日は弁当忘れたの?」

「作ってもらえなかっただけ」

「何で?」

「昨日の夜から秋ちゃんいなかったから」

「え!? もしかして秋ちゃん、夜遊び!?」

「そんなわけないじゃん」


 焼きそばパンをゆっくり食べながら今日は弁当じゃない事情を話す陽大は、すでに3個目のパンを頬張る卓巳に驚かれ笑って否定する。

 陽大にとって卓巳は小学校からの友達でずっと同じサッカー部でもあり、いわゆる幼馴染だ。


「あーあ、久しぶりに秋ちゃんに会いたいなぁ」

「卓君は昔から秋ちゃん好きだよね」

「うん、大好き」

「何で?」

「だって優しいんだもん。俺初めて陽君の家に行った時、秋ちゃんが俺だけの為にドーナッツ作ってくれて、めちゃくちゃ感動した」

「……卓君だけの為?」

「だって陽君はドーナッツ1個しか食べなかったじゃん。残りは全部俺が食べたから、秋ちゃんは俺の為にドーナッツ作ってくれたんだよ」

「ふーん、そっか。よかったね」

「しかも秋ちゃんはドーナッツいっぱい食べる俺が嬉しそうで、最後に俺の手も優しく拭いてくれた…………ねえ陽君、男って小さい頃に優しくしてくれた女の人のこと、絶対忘れられないよね」

「卓君、もしかして秋ちゃんが初恋?」

「……うん」


 焼きそばパンを食べ終えた陽大は同じく5個のパンを完食した卓巳に冗談を言ったつもりが、本気で肯定されてしまう。

 俯きながら頬まで染められ、内心とても複雑な気持ちになった。


「陽君、何で秋ちゃんは昨日の夜からいなかったの?」

「……え?」

「夜遊びじゃないんでしょ? 何で?」

「えーと…………秋ちゃんの友達が夜1人じゃ眠れなくなって、秋ちゃんはしばらく友達の家に泊まることにしたんだ」

「そうなんだ。やっぱり秋ちゃんは優しいね」


 姉の外泊が恋人の為とは言いにくく若干誤魔化した陽大は、姉が初恋だった卓巳を明らかに安堵させてしまった。


「じゃあ陽君はこれから夜1人?」

「ううん、真由ちゃんがいるから」

「あ、そっか…………ねえ陽君、ドキドキしない?」

「え?」

「だって真由ちゃんって秋ちゃんの友達でしょ? 年上の女の人としばらく夜2人きりなんて、ドキドキするじゃん」

「別にしないけど」

「俺が秋ちゃんと夜2人きりだったら、ドキドキ通り越して眠れないかも…………あ――どうしよう! 絶対毎日寝不足になる!」


 陽大は姉と2人きりの夜を想像し赤く身悶えする卓巳がまだ初恋の姉にこだわってることもわかり、再び複雑な気持ちになる。

 

「じゃあ陽君もしばらく購買パン?」

「ううん、やっぱ俺は毎日購買パン食べたくない。明日からコンビニおにぎりにする」

「一緒に暮らしてる真由ちゃんに弁当作ってもらえば?」

「それだけは絶対嫌だ! 毎日購買パン食べた方がマシ! あーあ、早く秋ちゃんの弁当食べたいなぁ」

「秋ちゃんの友達、早く1人で眠れるようになるといいね。でも何でその人眠れなくなったの?」

「……俺はよくわかんないけど、きっと好きな人と夜は離れ離れだから不安になったんだと思う」

「じゃあその人にとって秋ちゃんは好きな人の代りなんだ」

「まあそんな感じ」

「そっか……夜眠れなくなるほど好きな人に会いたい秋ちゃんの友達って、切ないね」

「……うん、切ない」

「陽君、納得してるけど本当に切ない気持ち知ってるの? 好きな子いないのに」

「この前真由ちゃんに教えてもらった。真由ちゃんは好きな人を幸せにできないから切ない…………俺の近くは切ない人だらけだ。でも昔の秋ちゃんは一番切なかったかも」

「秋ちゃん昔切なかったの!? 何で!?」

「好きな人と別れたのに好きじゃない人と結婚して、結局別れた…………卓君、俺は秋ちゃんが切なかった理由がまだわからないままなんだ」

「……陽君は知りたいの?」

「…………」

「俺も怖いから知らなくていいや」


 陽大は姉が切なかった事情を知ることに怖れた心を、幼馴染の卓巳には見透かされる。

 

「陽君、サッカーしよ」


 しばし陽大が下を向いてるうちに、卓巳はサッカーボールを見つけたらしい。

 陽大もすぐに立ち上がると、2人は校庭に向かって思いきり走り出した。







「秋生」


 無意識にぼんやりした秋生は呼び掛けられ、すぐ我に返る。

 秋生の膝に頭を置く柊永はいつの間にかじっと見上げていた。


「どうした?」

「ううん、少し眠くなっただけ」


 秋生はぼんやりした理由をつい誤魔化すと、再び柊永の髪を撫で始めた。


 真由の家で夕食を食べた後、秋生が柊永の家に泊まるようになって1週間が過ぎた。

 今夜も真由に陽大を任せた秋生は柊永の部屋でしばし寛ぎ始めると、さっそく柊永に甘えられる。


「……柊永は陽大よりずっと甘え上手だね」

「何で陽大と比べるんだ?」

「何となく…………陽大はもう私に甘えないから」

「陽大はもう高校生だから、姉ちゃんの膝じゃ甘えられねえだけだ」

「別に私の膝じゃなくても甘えられるのに……」

「陽大に何か遠慮されたか?」

「……うん、お弁当」


 秋生は柊永の家に泊まるため夕食後の夜から陽大と離れるようになったが、以前と変わらず陽大の弁当を作るため朝は真由の家に帰るつもりだった。

 しかし陽大本人に弁当を断られてしまい、朝も陽大に会わず柊永の家からまっすぐ出勤している。

 今は忙しくなった姉の負担にならないため気遣いさえする陽大だが、決して今に始まったことではない。

 すでに陽大は小学生の時点で我儘を言わなくなった。

 そして姉に甘えなくなったのは、姉と柊永の別れが根本的な原因だろう。

 それまでの陽大は当時一緒に暮らしていた柊永を姉よりも独占して甘え、姉に甘えたくなれば今度は姉を独占し散々抱き締められた。

 昔の甘え上手だった弟と今の気遣う弟を今更比べどうしても心苦しくなった秋生は、またぼんやりしてしまった顔を柊永に再び見上げられる。


「今の陽大が秋生に遠慮するのは、秋生を独占する俺のせいだ。だから俺が陽大を甘やかす」

「え?」

「陽大がここに来る日曜日は好物だけ食わせて、好きなもの何でも買ってやる。陽大の話も一言一句聞き逃さず、陽大の為だけに頭を働かせる。秋生、俺に任せろ」

「ふふ……うん、ありがとう」


 陽大に甘えてもらえない秋生に代わって柊永が頑張ると言ってくれ、秋生を安心させてくれた。

 秋生から笑って礼を言われた柊永も安心し、今度は秋生の腹を抱きしめ始める。


「秋生、陽大が甘えなくて寂しいなら俺を甘やかせ」

「もういっぱい甘やかせてるじゃない」

「全然足りない」

「お腹が苦しい…………あ、そうだ」

「何だ?」

「ねえ、コーヒー飲まない? 今日店長にコーヒー豆もらったの」

「飲まねえ」

「美味しいよ。これから豆挽くから」

「飲みたくねえ」

「コーヒー嫌いになった?」

「最初から好きじゃねえよ」

「そっか……じゃあ緑茶にする?」

「何もいらねえ」


 ずいぶん拒否されてしまったが、今日に限って諦め悪い秋生の口がまた開いた。


「……ねえ、最近会社でお昼ご飯食べてないんでしょ?」

「ああ」

「前は社員食堂で食べてたんだよね。もう一度お昼ご飯も食べてみたら?」

「元々一日一食だ。今は夕飯食うから昼は食わねえ」

「朝も食べないんだから、お昼ご飯は抜かない方がいいよ」

「食っても吐く」


 まさかそこまでとは思っていなかった答えに、秋生はようやく沈黙する。


「秋生、無理やり食っても吐くだけの俺に、何で昼も無理やり食わせようとするんだ?」

「……ごめん」

「安心してえか?」

「え?」

「秋生が一緒じゃなくてもまた食える俺に戻して、今より少しだけ身軽になりてえだけだろ」

「…………」

「否定しねえのか?」

「…………うん」

「だったら諦めろ。俺は今以上のまともさなんて望まねえよ」


 1週間前まともな自分を望んだ彼は夜ようやく眠る為に秋生を必要としたが、今度は秋生がまともな彼を望んだせいで秋生に怒りの口調を向けた。


「ごめんね……やっぱりお茶淹れてくる」


 めずらしく怒った彼がそのまま離れたので、秋生はようやく立ち上がりキッチンへ向かった。




 2人分の緑茶を淹れた秋生が再び隣のリビングに戻った時、柊永はいなかった。

 一瞬焦ったがすぐベランダにいる彼の背中を見つけ、ひとまず安堵する。

 テーブルにお茶を置き再び窓越しに彼の背中を見つめるが、次第に目を離した。


 秋生が夜泊まりに来るようになって1週間、今夜とうとう秋生が彼にまともさを望んでしまうほど、彼は秋生からわずかも離れなかった。

 さっき秋生に少しだけ離されそうになり怒りで拒絶した彼は、今ようやく秋生と離れ背中を向けている。

 けれど背中を向けなければいけない彼に気付いた秋生は、同じく彼から目をそらさなければいけなかった。


 今夜秋生に少しだけ離されそうになった柊永は、初めて秋生から離れ悲しい背中を見せた。

 

 


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