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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
最終章 希 望 へ
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わずかな軟化




「あーあ……秋生が遅く帰る日は私がご飯作んなきゃいけないし、秋生が早く帰る日は木野君と一緒にご飯食べなきゃいけないし、最近の私って毎日ついてない」


 真由が今日は早く帰った秋生の美味しい夕食を食べながら、今日も秋生が一緒に連れて来た柊永に向かって嘆き始める。

 今夜は真由の家で一緒に夕食を食べる柊永は真由に嘆かれても、特に箸を止めなかった。


「……木野君って毎回私が露骨に迷惑がっても、全然気にしてくれないよね。そうとう神経図太いよ」

「柊君は我慢強いから、真由ちゃんの文句くらいでダメージ受けないんだよ。あーあ、俺は毎日柊君に来てほしい。真由ちゃんの変てこ鍋、もう食べたくない」


 柊永が週に4日は真由の家で夕食を食べるようになって、2週間経った。

 残りの週3日は秋生が柊永の家に行くため、陽大は真由が作る頓珍漢な鍋を2週間食べさせられている。

 真由に続いて陽大も嘆き始めると、初めて柊永の箸が止まった。


「悪いな陽大」

「……木野君、陽大には謝るなら、陽大の願いを叶えて毎日ここに来れば? 私も前みたいに毎日秋生のご飯を食べられるなら、木野君と毎日一緒でも我慢してあげるよ」

「いや、それは遠慮する。絶対無理だ」

「ほほう…………木野君、大嫌いな私と毎日一緒は絶対無理ってこと? 言ってくれるねえ」

「真由ちゃん、柊君はただ秋ちゃんと2人でもご飯食べたいだけだよ。柊君は真由ちゃんが大嫌いなんて、今まで一度も言ったことないよ」

「そうだよ真由、勘違いだよ…………ねえ、ちゃんと真由の誤解を解いてあげて」


 昔から柊永に心底嫌われてると信じてる真由を陽大と共に否定した秋生は、柊永にも一緒に否定するようお願いする。

 再び箸を止めた柊永は秋生のお願いに訝しげな表情を浮かべた。


「誤解じゃないぞ。俺は昔から谷口が大嫌いだ」

「「「…………」」」

「でもお互い様だろ」


 大変正直者な柊永が昔から真由を嫌う気持ちをはっきり公言した後、ついでに真由も同じ気持ちだと教える。


「真由ちゃんも柊君が嫌いってこと? まさか」

「真由、そんなことないよね?」


 秋生と陽大はお互い様という柊永を信じられず、今度は真由に否定するよう視線を向ける。


「木野君は間違ってないよ。私は木野君が大嫌いだから、中学時代は絶対秋生に近付かせなかったんだ。まあ私も今はずいぶん丸くなったから、大嫌いな木野君を家に上げてあげるけどね」

「じゃあ柊君も真由ちゃんが大嫌いになっちゃったのは、真由ちゃんが意地悪したからじゃん」

「陽大、それは違うよ。木野君が秋生の隣を独占する私を先に嫌ったんだ」

「ふーん…………でもさ、柊君と真由ちゃんはお互い大嫌い同士だってわかってたんだよね? もしかして中学時代、喧嘩した?」

「喧嘩どころか毎日殺し合ってたよ」

「「え?」」

「目でね」


 過激発言で秋生と陽大を驚かせた後すぐに安心させた真由は向かいの柊永と目を合わせても、今日は殺し合うことなくおかしげに笑った。





「あーあ、後片付けも一緒か…………木野君はうちに来ても秋生から絶対離れないね」

「しょうがないよ。柊君はここに来るとお客さんだから、料理作る秋ちゃんの傍には近寄らせてもらえないもん。秋ちゃんもせめて後片付けくらい柊君に手伝わせてあげてるだけ」


 夕食後、真由は陽大と共にリビングのソファで寛ぎながら、キッチンで夕食の後片付けをする秋生と柊永の後ろ姿を眺める。


「……木野君のプライドない正直な性格は秋生の傍に行きたい時、一番発揮されるね」

 陽大は姉達から目を離し、向かいに座るぼんやり顔の真由をじっと観察し始めた。


「変なの……真由ちゃんは寂しそうだ」

「は? 何で私が寂しそう?」

「秋ちゃんと柊君が一緒だからじゃない?」

「…………」

「俺は秋ちゃんと柊君が一緒だと嬉しいだけだけど、真由ちゃんは寂しくなる…………やっぱ変なの。真由ちゃんは秋ちゃんが取られると寂しくなるのに、こっそり柊君の味方もする。真由ちゃんって本当に変だ」

「……そうだね。私は変だから、どうしても秋生を幸せにできないんだ。悔しいけど大嫌いな木野君に頼るしかないんだ」


 大嫌いな柊永に内緒で優しくもする真由の矛盾さに首を傾げた陽大は、再びぼんやりと呟いた真由に本音を教えられる。

 キッチンにいる秋生と柊永からようやく目を離した真由も、向かいでいつの間にか俯く陽大に首を傾げた。


「陽大どうしたの? 急に悲しそうだぞ」

「……ううん、俺は悲しくない。切ないんだ。俺は今、初めて切ない気持ちがわかった」

「切ない…………陽大、もしかしてあんた好きな子できた?」

「ううん」

「なーんだ、つまんない」

「でも俺は好きな人に想いを伝えられないのは切ない気持ちだってことも、今ようやくわかった」

「陽大はまだ好きな子もいないのに、今日はやけに切ない気持ちにこだわるねぇ」

「真由ちゃんのせいだよ」

「はあ? 何で私のせいにされるんだ…………まあいいよ。ところであんた、最近のんびりしてるけど姉ちゃん達の結婚は本当に諦めたの?」


 2週間前、柊永と結婚する気のない姉に匙を投げた陽大は、それ以降姉と柊永の進展に全く干渉することはなかった。

 ようやく気になった真由も陽大に今の心境を尋ねる。


「俺がのんびりしてたって、秋ちゃんは柊君と結婚するつもりになったんでしょ?」

「まあそうだけど…………姉ちゃんに教えてもらったの?」

「ううん、まだ。でも柊君が正直だからわかった。この前柊君の家行ったら、秋ちゃんの好きな三国志とブラックジャックが全巻揃ってた」

「……漫画?」

「うん、柊君は秋ちゃんから部屋に置いてくれってお願いされたんだって。秋ちゃんが初めて漫画欲しいって柊君におねだりしたんだから、結婚する気になったんだってわかった」

「漫画1つで姉の心を見抜くなんて、さすが弟……」

「……秋ちゃんが無事気持ちを変えてくれたのは嬉しかったけど、問題は柊君の家族だよねぇ」


 再びキッチンにいる姉と柊永に視線を向けた陽大は、姉達に1つ残された大きな問題を改めて思い出す。

 真由は姉の代りに憂鬱な表情を浮かべた陽大をあえて気にすることなく、新しい酒を取りにキッチンへ向かった。



「……あ、もう酒がない」

「真由、買い忘れたの? めずらしいね」


 柊永と共に夕食の後片付けを済ませたばかりの秋生は、冷蔵庫を開きながら落胆する呑兵衛の真由に少しばかり同情する。


「そこのコンビニで買ってこようか?」

「秋生はいいよ。今からスーパーで大量買いしてくる」

「車は駄目だよ。もうお酒飲んでるんだから」

「あ、そうだった…………しゃあない。今日は奮発して高いコンビニ酒買うか」

「……コンビニ酒? ずるいよ真由ちゃん! 俺に酒買いに行かせる時はケチってスーパー酒のくせに!」

「げ……陽大にバレた。めんどくせぇ」


 秋生に飲酒運転を止められた真由が仕方なく徒歩で近所のコンビニに行こうとすると、リビングで聞き耳立てていた陽大から勢いよく文句をつけられる。


「じゃあわかったよ! 今日は私も酒諦める!」

「谷口、酒のリスト出せ。俺が車で大量買いしてくる」

「え……木野君が大嫌いな私に初めて優しい。キモ」

「だめだよ柊君! 秋ちゃんがいる前だからって真由ちゃんに嫌々優しくしないで! 真由ちゃん、俺も付き合ってあげるから、歩いてスーパー行くよ」

「……まったく、陽大はここぞとばかりに気を利かせやがって。よかったね木野君」


 酒を買いに同行する陽大の魂胆などお見通しの真由は仕方なく諦め、片道徒歩20分のスーパーへ陽大と出掛け始めた。



「柊永、何?」

「秋生の部屋はここか?」

「……うん」


 真由と陽大が家を出た直後、秋生は柊永に手を引かれ二階にある自分の部屋へ入らされる。

 柊永は秋生の部屋を眺めることなく、戸惑い続ける秋生を強く抱きしめる。

 柊永の部屋で過ごす時と同じく触れられ始めた秋生は慌てて彼を離した。


「やめてよ」

「どうして?」

「ここは真由の家だよ」

「関係ねえよ。今は2人だけだ」

「お願い、節度を守って」

「無理だ」


 秋生の願いを拒絶した彼は再び勢いよく秋生を抱き締める。


「秋生、秋生」


 柊永の胸に強く埋められる秋生は抵抗できないまま必死に愛され、何度も苦しげに呼ばれる。

 結局必死に愛してくれる彼に甘くなってしまい、とうとう彼に唇を愛されることも許す。

 秋生に許されたせいで更に歯止めが利かなくなった柊永は秋生の唇だけじゃ全く愛し足らず、秋生の身体を丹念に触れ始める。

 彼の必死な愛を受け入れ続けた秋生は再びここが真由の家である現状を自覚し、彼の手を無理やり離した。


「秋生」

「もう下に行く」

「駄目だ」

「今日は真由の家にいるんだよ。ここで2人になるのはやめよう」

「秋生、俺は本当に駄目なんだ。毎日秋生を愛さなきゃ駄目だ」

「昨日まで大丈夫だった。柊永はここに来る日、私と一緒にいても我慢できたよ。昨日までをちゃんと思い出して」

「一緒に帰る。俺の家に帰ろう」

「待って」


 さっきは柊永が部屋を出ようとする秋生を止めたのに、今度は秋生が彼を止める羽目になった。

 秋生の宥めもまったく耳に入らない彼に真由の家から連れ出されそうになり、強引に手を引かれても必死に自分の部屋に留まる。


「私は無理なことされると、また怖がりたくなる」

「…………」

「リビング行こう」


 彼を止めるため最後は仕方なく脅しのような言葉を向けた秋生は、ようやく理性を取り戻した彼を連れ自分の部屋から離れた。




「落ち着いた?」

「……ああ」


 とても静かになった彼がリビングのソファに座り、隣に並んだ秋生は俯く彼の横顔を見つめる。


「ねえ、私達はこれからずっと一緒なのに、どうして焦るの?」

「焦る…………違う」

「じゃあどうして急いでるの?」

「……俺はまだまともじゃないからだ。俺は秋生が傍にいれば飯が食える。秋生に必要とされれば怖がることもない。なあ秋生、俺は秋生がいればまともになれると思わねえか?」

「……うん」

「じゃあ想像してくれ。秋生がいない夜、まともじゃなくなった俺だ」

「……まだ眠れない?」

「秋生は結婚する気になったから、俺が安心して眠れると思ったのか? 俺は眠れないどころじゃない、毎晩秋生がいなくて気が狂いそうだ。秋生がいない夜なんて死んだ方がマシになる。秋生、俺を夜1人にしないでくれ。夜も離れないでくれ」


 とうとう秋生のいない孤独の夜と戦い疲れた柊永は必死に秋生を乞い始める。

 柊永に縋りつかれた秋生は毎夜とても苦しむ彼を助ける以外の選択はなく、予定外の覚悟を決めさせられた。


「真由と陽大に話すから、今日だけ我慢して。私は明日から柊永の家に泊まる」

「……泊まる?」

「うん。これからは毎日ここで夕ご飯食べて、その後は柊永の家に泊まりに行く。だからもう夜は安心して」

「一緒に暮らすんじゃねえのか? 俺達は結婚するんだろ?」

「……まだそこまではできない。ごめんね」


 柊永の家に毎晩泊まる覚悟はしたが今すぐ結婚できるまでの覚悟に至らず、申し訳なくも仕方なく謝る。

 さっき秋生に縋りついた柊永が謝った秋生を落胆した目で見上げ、すぐに納得した表情を浮かべる。


「秋生はまだ俺の家族に会う気がねえんだろ」

「……うん、まだ会いたくない」

「だから俺が家族と話し合うって、この前言ったはずだ。秋生はただ待つだけでいいんだ」

「私もこの前言ったよ。今は柊永が家族と揉めるのも嫌なの。今の私は柊永の家族を悲しませる覚悟なんて全くない。でも結婚する時必ず柊永は家族と揉めて、私は柊永の家族を悲しませることになる。だから今はまだ結婚できないの。今は柊永と一緒にいる努力だけしたい」

「……じゃあ秋生の今はいつ終わるんだ?」


 2週間前、結婚する為に家族を説得しようとした柊永を怖がって止めた秋生は、今日も柊永を宥めたせいで最後静かに問われる。

 余裕がないと言い訳しいつまでも結婚を決意できない意気地の無さを責められ、つい正直に落ち込んだ表情を浮かべる。


「秋生、悪かった。俺がまた1人で焦っただけだ。気にするな」

「……ごめんね」

「俺が悪いんだ。秋生に余裕ができるまで待てなかった俺が全部悪い。秋生、もう顔を上げてくれ」


 秋生が今度は落ち込んだせいで柊永に必死で謝らせてしまい、これ以上彼を気遣わせない為に俯いた顔を上げる。

 目を合わせた柊永をひどく安堵させた秋生は初めて気付いた。

 彼と再会してから振り回されたのは自分だとすっかり勘違いしていたのだ。

 自分の一挙一動でこんなにも振り回される彼を今初めて心底不憫に思った秋生は、柊永の家族と対面することを頑なに拒んだ心にわずかな軟化が生じた。




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