罰
「はあ……帰りたくない」
夜9時を過ぎて、陽大は柊永のマンションを出た。
さっき柊永に苦しみ続けることを強制し1人残した心配のせいで、帰宅する足取りは重い。
それでも今日中に彼の現状を姉に伝えるため、無理やり先を急ぐ。
帰り道を歩き始めてすぐ公園を通り掛かると、2時間前に会った柊永の友人が公園前の外灯そばに佇んでいた。
待ち伏せされたとすぐに気付いた陽大は足を止め、瀬名啓斗と向かい合う。
「俺に聞きたいことがあるんですか?」
「……ああ」
「じゃあ公園に入りましょう」
内心は急いで帰りたい陽大も柊永の友人を無下にできず、強張った表情を浮かべる瀬名を自ら公園内へ誘う。
瀬名は公園に入ってすぐ立ち止まったので、陽大も素直に向かい合った。
「それで俺に何を聞きたいんですか?」
「…………」
「忘れたんですか? じゃあ俺帰ります」
「……待ってくれ」
「はい。でも俺本当は急いでるんで、なるべく早く思い出してください」
「ずいぶん素っ気ないな…………あいつに対する態度と大違いだ」
「俺は柊君が好きで、あなたのことは苦手だからです」
「…………」
「あなたも同じですよね? 俺、覚えてるんです。昔柊君があなたに会わせてくれた時、あなたは俺に優しかったけど嘘吐いてると思ったんです。あなたは俺が本当は嫌いなんだって、小さかった俺でもちゃんと気付きました。だから俺は今でも忘れてなかったあなたが苦手なんです」
「……どうしてまたあいつに近付いたんだ?」
「じゃあ逆に尋ねますけど、どうしてあなたはいつも俺を気にするんですか? 昔も今も柊君の傍にいる俺のこと嫌がるのは何でですか?」
「…………」
「俺は昔あなたの気持ちまで気付けなかったけど、今はわかります。昔のあなたは柊君の手を焼かす俺が邪魔だったんですよね。でも今のあなたが俺を嫌がるのは、俺が秋ちゃんの弟だからですよね」
「そうだ。お前は何でまたあいつの傍にいるんだ」
「柊君が傍にいさせてくれるからです。それに柊君が俺を必要としてるのは、あなたもさっきの柊君を見て気付いたと思います」
「あいつに必要なのはお前じゃない」
「じゃあ誰ですか? あなたですか?」
「…………」
「柊君が必要としてるのは俺でもあなたでもありません、秋ちゃんだけです。でも俺は秋ちゃんの弟だから、柊君は秋ちゃんの代りに俺も必要とするんです。あなたはまた昔みたいに俺を邪魔にしても、柊君は俺を絶対離しません。俺が離れたら、柊君にとってはものすごい痛手だからです。もし俺があなたに気を遣って柊君に会いに行かなくなれば、柊君はあなたをものすごく憎むと思います」
「……あいつがお前に離れられて痛手なのは、期待してるからか?」
「期待?」
「お前の姉ちゃんとよりを戻す期待だ」
「柊君が俺を離さないのはただ安心してるからで、最初から俺にそんな期待は求めてませんでした。実際に柊君は俺に協力させることなく、自分で頑張りましたから」
「……頑張った?」
「柊君は頑張ったから、また秋ちゃんと付き合い始めました」
姉と柊永はすでに再び付き合ってる事実を瀬名に知らせた陽大は、見事に唖然とされる。
柊永の代りに教えたせいで計り知れないショックを与えた罪悪感が生じたが、仕方ないと割り切った。
「どうして……」
「どうして秋ちゃんがまた柊君と付き合う気持ちになったかですか?」
「そうだ、どうしてだ?」
「さっきも言いましたけど、柊君が頑張ったからです」
「昔お前の姉ちゃんはあいつを捨てたんだぞ」
「だから何ですか? 柊君は秋ちゃんに捨てられてもずっと諦めなかったから、秋ちゃんもやっと応えただけです」
「お前の姉ちゃんはあいつに応える資格がない。昔あいつをこっぴどく裏切ったんだ」
「あなたは秋ちゃんが柊君と別れた理由を知ってるんですか?」
「……ああ」
「俺は知りません。教えてください」
姉が柊永と別れた理由を今まで知ることが出来なかった陽大は瀬名に尋ねても、結局は黙られる。
「……あなたは俺に教えたくないんですね。俺は秋ちゃんの弟で、教えたら必ず俺が傷つくから」
「…………」
「じゃあ俺は聞きません。本当は優しかったあなたの気持ちを優先する為に、これからも秋ちゃんと柊君に聞きません。その代りあなたが俺の気持ちを聞いてくれますか?」
「……ああ」
「俺はあなたや柊君の家族からどんなに反対されても、柊君がもう秋ちゃんから離されないように協力します。でも俺が柊君に協力するのは、秋ちゃんがちゃんと柊君を好きだからです。そして秋ちゃんは柊君が好きだから、頑張る柊君をどうしても拒むことが出来なかっただけなんです。秋ちゃんは柊君が好きだから、頑張る柊君をもう一度離すことがどうしても出来なかったんです。秋ちゃんは柊君が好きだから、本当は周りに反対されなければ柊君を今度こそ幸せにしたいんです。そして俺は今、本当は優しいあなたがただ大切な柊君を幸せにしたい気持ちにも気付きました。秋ちゃんもあなたも、そして俺も、柊君を幸せにしたい気持ちは一緒です。啓斗さん、俺は柊君を幸せにする為に秋ちゃんと離れないよう協力するんで、啓斗さんは秋ちゃんがこれから柊君を幸せにできるように見守ってくれませんか?」
「……お前は本当にまだ高校生か」
「え?」
「俺は30前の大人だ。子供の言うことに従わない」
「じゃあ俺はもう子供じゃありません。ただ秋ちゃんの弟で柊君の協力者です」
「子供をやめたお前に1つだけ残酷な事実を教えてやる。俺は本当に優しくない」
「…………」
「昔お前の姉ちゃんからあいつを取り上げたのは俺だ」
「……そうですか」
「引き止めて悪かったな。もう帰っていいぞ」
瀬名は今まで柊永にさえ告げなかった事実を陽大だけに教えると、ようやく陽大を解放した。
陽大はそのまま佇み続ける瀬名に最後頭を下げ、公園から離れた。
「こらぁ! 遅いぞ!」
「真由ちゃんはうるさーい」
夜10時を過ぎて帰宅した陽大は玄関に入った瞬間廊下を走ってきた真由に勢いよく怒られ、耳を押さえる。
「あんた、今までどこいたの?」
「柊君の家」
「今日は昼間も遊びに行ったのに、また夜も押しかけたの?」
「うん」
「陽大、いくら木野君が好きだからって、こんな遅くまで居座るな。私だってどこほっつき歩いてるかわからないあんたを心配したんだからね」
「俺がどこほっつき歩いてるか心配だったら、電話すればよかったじゃん」
「めずらしく秋生に止められたんだよ。あんたはもう高校生だから放っとけって」
「……ふーん」
夕方過ぎに一度帰宅してる陽大は姉と真由の会話を聞いてしまったのだが、陽大に聞かれたことに気付いた姉は真由には内緒で済ませたらしい。
陽大もただ柊永の家に居座ったと真由に信じさせたまま、家の中に入る。
「お帰り」
「ただいま」
「ご飯は食べたの?」
「うん、柊君の家で食べた」
「そう」
陽大が真由と共にリビングに入っても、ソファに座る姉はただ笑顔で迎えただけだった。
姉は相変わらずここぞという時冷静で、陽大にまったく動揺を見せない。
陽大が姉と真由の会話を聞いた事実も綺麗に誤魔化されてしまったので、仕方なく姉の向かいに座った。
「ねえ秋ちゃん、話したいんだけど」
「そう……じゃあ陽大の部屋行こう」
「別にここでいいよ。どうせ真由ちゃんにも話さなきゃいけないし」
陽大の話を聞くためソファから立ち上がろうとした秋生は止められ、姉弟の話に介入するつもりがなかった真由は少しばかり驚きながら陽大に近付く。
「陽大、木野君に何かあったの?」
「真由ちゃんは俺が話す前に柊君を心配するのは何で? 今日俺が柊君に余計なこと言ったから?」
「……陽大」
「やっぱり俺が喜ばせたせいで、柊君はおかしくなったのか……」
真由は今日変わってしまった柊永の現状を心配したせいで、逆に陽大から柊永が変わった原因を確信される。
「陽大違うよ、全部私のせい」
真由に代わって秋生が否定した。
陽大は真由から視線を外し、向かい合う姉と初めてしっかり目を合わせる。
「秋ちゃん、俺が今日柊君を喜ばせなければ、柊君はおかしくならなかったよ。秋ちゃんがいっぱい欲しいけど断られて、ずっと1人で苦しんでる柊君のままだった。でも柊君は俺の言葉で秋ちゃんも同じ気持ちだって期待したから、秋ちゃんを無理やり欲しがっても平気になっちゃったんだ」
「…………」
「だから俺はさっき柊君にお願いした。前の柊君に戻って、もう一度苦しんでって。前みたいに秋ちゃんに嫌われるのを怖がりながら、秋ちゃんが欲しくて頑張る柊君でいてほしいって。秋ちゃんはおかしい柊君と結婚しても絶対幸せになれないから、俺が許さなかったんだ」
「……陽大、ごめんね」
「俺が秋ちゃんの代りにおかしい柊君を許さなかったから、柊君と同じく俺も可哀想になって謝るの?」
陽大から冷静な表情で図星を突かれた秋生はただ黙り返し、陽大は再び静かに口を開く。
「俺はさっき柊君を泣かせた。俺は泣いてる柊君の気持ちがわかったから、すごく悲しくなった。でも俺はもう柊君が悲しいんじゃないんだ。今日俺の前で泣いた柊君より、今日俺と一緒にいても食べられなくなった柊君を心配しなきゃいけないんだよ」
「……食べられない?」
陽大から今すぐ心配すべき柊永の現状を告白され、秋生より先に真由が訝しげに反応した。
「陽大、木野君は何で食べられなくなったの?」
「今日は何も食べられなかった。明日も食べられないことを認めたから、俺は柊君が食べられなくなったことに気付いた」
「だからどうして?」
「真由ちゃんはわからなくても、秋ちゃんはきっとすぐ気付いたよ。そうだよね? 秋ちゃん」
柊永が食べられなくなった原因は見当がつかなかった真由は、陽大が確認した秋生に視線を向ける。
陽大の確認に答えることなく考え込んだ秋生は、しばし経って真由と視線を合わせた。
「真由、お願いがあるんだけど」
「え?」
「私は毎晩遅く帰ることは出来ないから、週の半分くらいは柊永もこの家で夕ご飯を食べてもらいたいの。だめかな?」
「ちょっと待ってよ秋生。私にそんな許可取る前に、まず木野君が食べられなくなった理由から話すべきじゃないの?」
「理由はわざと」
「……わざと?」
「わざと食べなくなったの」
「秋ちゃん違うよ、柊君はわざとじゃない。柊君は昨日秋ちゃんと一緒にご飯食べたから、もう秋ちゃんと一緒じゃないと食べられなくなったんだよ」
柊永が食べられなくなった理由を真由に教え始めた秋生は、陽大に慌てて否定された。
「食べられないと思わせたいだけだよ。私と一緒にご飯を食べるために、わざと食べられないフリしてるだけ」
「秋ちゃん、どうしてそんなに柊君がわざとだって決めつけるの?」
「陽大、柊君は私が一緒にいなきゃ食べられなくなるほど弱い人じゃないよ。そんなに弱かったら、私と長く離れていられない。私が離れてもずっと生きるために、ちゃんと食べ続けた人」
「柊君が秋ちゃんに離されても生きたかったのは、また秋ちゃんと一緒に生きるためだよ。柊君が食べないのはわざとでも、柊君はもう秋ちゃんと一緒じゃないと生きないつもりなんだよ」
「……そうだね」
「秋ちゃんはやっと認めるから、これからちゃんと食べさせる為に柊君をこの家にも連れてきたい。でも後は? 毎日柊君と一緒にご飯食べる以外は結局何もしないの? 柊君は秋ちゃんからそれ以上何もしてもらえなかったら、今度はわざと眠らなくなるよ」
陽大は柊永が食べる為にしか動かない姉にとうとう痺れを切らす。
「陽大、木野君が可哀想で姉ちゃんを責めるのはおかしいよ。あんたはさっき姉ちゃんの幸せを考えて、木野君を突き離したんじゃなかったの?」
「もうわけわかんない…………もういい」
真由に矛盾した言動を咎められた陽大は、初めて姉と柊永の結婚に匙を投げた。
陽大が二階の部屋へ去ってしまうと重い溜息を吐いた真由は、陽大のいなくなったソファに座りながら向かいの秋生をじっと見つめる。
「……相変わらずあんたは1人にならなきゃ溜息も吐かない。昔は私の前で静かに泣くことくらいできたのに、今は1人こっそり泣くこともしない」
「泣いてる暇がないだけ。全部私のせいだから考えなきゃ」
「さっき陽大に許されなくて泣いた木野君は、ちゃんと前の木野君に戻ったと思うよ。陽大がすぐにあんたを楽にしてくれた。でもわざと食べなくなった木野君は陽大じゃどうにもできない。秋生はこれから毎日木野君の食事を放っとけなくなったけど、陽大の言う通り木野君はそのうちわざと眠らなくなるかもしれない…………ねえ秋生、木野君は本当にわざとなの?」
「ううん」
「…………」
「さっき私は陽大に嘘吐いた…………本当は陽大が間違ってない」
「木野君は昨日あんたとご飯を食べたから、本当にあんたと一緒じゃなきゃ食べられなくなったの?」
「うん」
「どうして陽大にはわざとにしたの?」
「陽大はまだ気付いてないから…………柊永はもう限界を超えてる。陽大は私の為に柊永が苦しみ続けることを望んだけど、それはもう無理だから柊永は今日おかしくなるしかなかったの…………そのうちわざと眠らなくなるんじゃなくて、多分もう眠れてない」
「……秋生、どうしてそこまで木野君のことわかってるのに、まだ考える必要があるの? あんたは木野君の家族に反対されたままでも、今すぐ木野君を助けなきゃ間に合わない」
「それでも結婚だけはできない」
「木野君の家族をどうしても不幸にしたくない?」
「うん、だから結婚以外の方法で柊永を助ける」
秋生は柊永の家族に拒まれた以上、結婚を貫いても絶対に幸せになれないと信じた。
幸せじゃない秋生は当然柊永も幸せにできない。
それが柊永の家族にまた悲しみを与えると信じてるからこそ、改めて結婚だけは頑なに拒んだ。
「結婚以外の方法で助けられたくない木野君は、あんたじゃなくて家族を逆恨みするよ。今の木野君なら家族をあっさり捨てられる」
「…………」
「あんたは結局結婚しなくても、木野君の家族を不幸にすることになる。じゃあいっそあんたが結婚しなくて木野君に捨てられた家族と、あんたが結婚したあと木野君に無視される家族を比べてみなよ。どっちが不幸?」
「……真由、やめてよ。そんなの比べたくない」
「いいから素直に比べてみなよ」
「…………」
「秋生、どっちがより不幸?」
「……柊永に捨てられる家族」
「だったら不幸がマシな方を選んで、あんたは木野君と結婚するしかない。あんたの味方をする為に家族の気持ちを無視する木野君を我慢し続けて、木野君を生きさせる為だけにあんたも生きるしかない。あんたはそんな生き方じゃ幸せになれなくても、仕方ないと諦めな。結局あんたじゃ木野君を幸せにできなくても、木野君から絶対離れちゃいけないのはあんたの罰。あんたは昔木野君を離したせいで、これから一生罰を受けるんだよ」
秋生は今、自分の罰を真由によって勝手に決めつけられた。
けれど秋生は今初めて真由に抵抗することなく、自分の罰を受け入れた。
10年経ってようやく柊永を捨てた罰を与えられた秋生は真由に寄り添わされながら、ただ悲しい涙を零した。




