残酷な拒否
「お米も?」
「ああ」
今日一日柊永と一緒に過ごす秋生は午前中、食材の買い出しに誘われた。
彼の暮らすマンションから車で5分程のスーパーに到着すると、彼はまず米を選び始めた。
「ねえ、今日のお昼ご飯の為にお米買うの?」
「今日の夕飯も」
「でも普段は夕ご飯食べないんでしょ?」
「今日は秋生が一緒だから食う。秋生、まず昼飯は何食いたい?」
柊永は5キロの米袋をカートに乗せると、秋生と一緒に今日の食事を考えながら店内を回り始めた。
「お米持つね」
「俺が持つ」
「じゃあ袋持つ」
「いいから」
再びマンションの駐車場に停まった車から降りた秋生は、買い物した荷物を持とうとしても嫌がられる。
1人ですべての荷物を持ち車から離れた柊永に大人しく続き、彼の部屋へ戻る。
「お米研ぐね」
「俺が研ぐ」
「じゃあ野菜切る」
「いいから」
すぐに昼食の準備を始めた彼を手伝おうとしても嫌がられ、大人しくリビングのソファで待つことにする。
「秋生、隣にいてくれ」
仕事は与えられないが離されず、秋生は米を研ぎ始めた柊永を隣で眺め始めた。
「秋生は麺やパンより米が好きだよな」
「うん、陽大が好きだから」
「そうだった……あいつは小さい頃、好きなグラタン以外は米しか食わなかったな。しかも外食嫌い」
「今も結構そうだよ」
「じゃあせっかく米買ったし、明日陽大が来た時も昼飯作るか」
「……いつも陽大が遊びに来る時、お昼ご飯はどうしてるの?」
陽大が柊永の家へ毎週行くようになって既に4カ月近く経過したが、秋生は今更ながら根本的な疑問を覚える。
「近くの定食屋行ったり、陽大と出掛けた先で適当に食ってたけど、今度からなるべく作る」
「無理しなくていいよ。陽大に気を遣わないで」
「今も外食嫌いだった陽大に気遣われてたのは俺だ。あいつがせっかくうちに来ても、俺はあいつの飯を作ることも思い出せなかった。あいつに誘われて出掛ける以外は、この部屋であいつに喋らせてばかりだった」
毎週遊びに来る陽大に何もできなかった自分を顧みた柊永は、研ぎ終えた米を炊飯器で炊き始める。
今度はおかずを作るため、野菜を刻み始めた。
「陽大は柊永に会えるだけで嬉しいんだよ」
「あいつは俺に会って嬉しいより必死なんだ。毎週ここに来ることで、もっと積極的になれと俺を焚き付けてる。でもあいつがいくら必死になっても、肝心の俺は勇気がねえ。どうにか仕事終わった秋生を送る程度だ。昨日みたいに俺の家族に怖気づいた秋生から拒絶されればお終いだ。まあ今回はどうにか引き止められたけどな」
「…………」
「昨日俺は秋生に助けられた。もう二度と拒絶されるわけにはいかねえから、これからは秋生をねじ伏せる覚悟をした。秋生、俺の覚悟がもう想像ついたか?」
「ううん、わからない」
「秋生にしちゃ即答だな」
「わかりたくないから…………やっぱり部屋で待ってる」
今朝と同じく柊永からねじ伏せる意思を伝えられた秋生は、彼から何をされるのか想像することも拒否し、キッチンからも離れる。
彼が昼食を作り終えるまで部屋のソファで待つことにするが、ソファに座る前に追いつかれた。
背後から手を掴まれ振り返ると、柊永は今度こそはっきり逃げた秋生に焦りでも怒りでもなく、脅える目を向けた。
昨夜眠る時もわざと脅えられた秋生は、今も同じ柊永に特別反応することなく見つめ返す。
「秋生」
「何?」
「逃げるな」
「私の得意技だから。それに柊永は私が逃げても、ねじ伏せるんでしょ?」
「…………」
「できないなら、手も離して」
結局柊永は秋生をねじ伏せるのではなく、脅えることしかできない。
最初からわかっていた秋生は解放だけを望む。
しかし柊永は秋生から手を離すことなく、秋生に脅えることもやめなかった。
「秋生、助けてくれねえか」
「…………」
「もう一度、俺を助けてくれねえか」
「私はもう離れないよ。今まで通り一緒にいる。時々、陽大とここにも来る」
「俺をその程度助けただけで精一杯か。俺はもう限界だ。昨日秋生に助けられたのに、本当はまだ全然助けられてねえんだ。俺は秋生に全部助けられなきゃいけねえんだ」
「私には無理だって昨日言ったよ。これから一緒に暮らすことも、結婚もできない。柊永はこんな私が不満なら、離れて」
秋生は柊永を脅えさせても、最後まで同情しなかった。
これ以上本当に助けられないから、はっきりと拒否するしかなかった。
昨日に続いて今日も彼に残酷な自分を仕方なく思い、彼から手を離されるのを黙って待ち続けた。
「このキャベツ千切ったのって、絶対真由ちゃんだよね」
土曜日は昼過ぎまで部活に励む陽大は、いつも姉の働く珈琲店で遅い昼食を摂る。
今日は姉の代わりに働く真由に向かって、ランチ定食のフライに添えられた千切りキャベツについて確認した。
「陽大ビンゴ! よくわかったね」
「太いから。それと、このスープに入ってる野菜も真由ちゃんが角切ったんでしょ。大きさが均一じゃない」
「陽大、野菜なんて口に入れちゃえば全部同じなんだよ。太さや大きさに細かく文句つける性格じゃ、女の子にモテないぞ」
「じゃあ、昨日秋ちゃんの代りに真由ちゃんが作った夕ご飯は文句つけてもいいよね? 何せ口に入れることもできないキャベツ丸ごと鍋だったんだから」
「陽大君、それって結局どうやって食べたの?」
「包丁で切り分けた。でもキャベツは煮え切れてなくて、芯はシャキッてたよ」
「可哀想に…………真由ちゃん、そろそろ秋生ちゃんに習って、ちゃんとした料理作れるようになりなさい」
カウンター席でランチを食べる陽大から昨夜の悲惨な夕食を知った遠山は同情し、ランチ客のはけたテーブルを片付ける真由に向かって苦言を呈す。
「あ、そうだ。陽大君、昨日の夜は真由ちゃんのヘンテコ料理食べさせられたなら、秋生ちゃんは昨日の夜も用事でいなかったの?」
「うん」
「ねえ陽大君、昨日の夜から今日にかけて家を留守にしてる秋生ちゃんの用事って、何?」
「おーい遠山さーん、陽大にまで秋生のこと詮索するのはやめてよ」
遠山は客席の片付けから戻った真由にすぐさま止められても、多少大人げないふて腐れ顔を浮かべる。
「だって仕方ないじゃない、秋生ちゃんに関してはケチな真由ちゃんが教えてくれないんだもの。陽大君、秋生ちゃんには余計なこと聞かないから、私にこっそり教えて」
結局諦めなかった遠山から今日店を休んだ姉の用事をしつこく問われ、陽大は躊躇なく口を開いた。
「秋ちゃんは昨日の夜から柊君の家にいるよ」
「……しゅう君?」
「木野柊永。柊君は秋ちゃんの恋人で、近いうち俺の家族になる人」
「こら陽大、適当なこと言うな。遠山さん、陽大が言ったことは全部デタラメだから、信じちゃだめだよ」
「あら真由ちゃん、陽大君はデタラメなんて言ってないわよ。全部真実じゃない。最近秋生ちゃんの恋人になったあの彼が秋生ちゃんと結婚すれば、陽大君のお義兄さんよ」
当然、遠山の口が自信満々で陽大に加勢したので、ついお手上げ寸前になった真由の口はいったん慎重になる。
「……あのさ、遠山さんも陽大と同じくすっかり早とちりしてるけど、秋生はまだ木野君と付き合ってもないよ」
「え? ちょっと真由ちゃん、秋生ちゃんはあの彼と付き合ってるって、朝私に認めてくれたじゃない」
「嘘嘘、あれは嘘。ごめんね遠山さん」
今朝遠山にだけうっかり白状し今頃墓穴を掘った真由は本気でお手上げとなり、最後はいい加減になる。
もちろん見逃さないのは陽大だ。
「遠山さん、嘘じゃないよ。真由ちゃんは秋ちゃんのこと、俺には隠したいだけ。昨日だって秋ちゃんは柊君の家に泊まったのに、秋ちゃんは遠山さんと一晩中ランチメニューを試作するため店に泊まるって俺を騙したんだよ。当然俺が信じなかったら真由ちゃんは渋々白状したけど、それでも秋ちゃんは具合が悪くなった柊君を看病するだけだって誤魔化して、2人がもう付き合ってることは絶対認めなかった」
「あらあら、真由ちゃんは秋生ちゃんに負けず劣らず秘密主義ねぇ……」
「真由ちゃんが絶対俺に内緒にするのは、秋ちゃんに気を利かせてるんだよ。秋ちゃんが柊君と付き合ってること俺に知られたら、結婚を急がせるから」
「ああ、なるほどね」
「陽大、姉ちゃんのプライベートを勝手に誤解するのはもうやめな。遠山さんもこれ以上陽大に同調しないで。あ、お客さんだ。いらっしゃ――い」
姉と柊永がすでに付き合ってると完全に言い切る陽大はとうとう真由に注意され、再び接客を始めた彼女を視線で追いかける。
「真由ちゃんって俺に平気で同僚の悪口ペラペラ喋るくせに、秋ちゃんのことだけは口固いんだよね」
「でも陽大君は真由ちゃんに教えられなくても確信してるんでしょ? 秋生ちゃんはあの彼ともう恋人同士だって」
「……遠山さん、俺実は昨日真由ちゃんに誤魔化された後、まだ秋ちゃんは柊君に同情段階だって一度は結論付けたんだ」
「あら、そうなの?」
「でもやっぱり秋ちゃんは柊君と付き合ってなきゃ、絶対泊まったりしないよ。それに柊君は正直者だから、最近俺が遊びに行っても秋ちゃんのことばっか考えてる」
陽大はカウンター席で向かい合う遠山に確認され、姉と柊永はやはり確実に恋人同士だと笑って教える。
「陽大君は真由ちゃんや秋生ちゃん本人と違って、彼のことが嬉しそうね」
「うん。戸倉さんには申し訳なかったけど、俺の義兄さんになれるのは柊君だけだから」
「……なるほどね。陽大君が壮輔さんに厳しかったのは、あの彼のせいだったわけか」
陽大が秋生の元夫に全く懐かなかったことを知っていた遠山は、秋生の元恋人が原因だったと今ようやく納得する。
「ねえ遠山さん……秋ちゃんってどうして昨日、柊君の家に泊まったんだろ」
「え? 秋生ちゃんと彼は恋人同士だからでしょ?」
「それは間違いないけど、秋ちゃんが今日仕事休んでまで柊君と一緒にいるのはおかしいよ。そもそも柊君の恋人になったからって外泊するなんて、秋ちゃんらしくない」
「……確かにそうね」
姉と長年一緒に働く遠山に同調されると、陽大の身体はあからさまにソワソワしてしまった。
「また心配になってきた……これから柊君の家行って、2人の様子確かめてこようかな」
「陽大君、やめときなさい。今日秋生ちゃんが帰ったら聞いてみればいいじゃない」
「秋ちゃんは絶対真由ちゃんにしか教えないよ。俺だけいつも除け者」
「あら、私だって同じよ。じゃあ陽大君、除け者仲間の私が明日秋生ちゃんに直接白状してもらうわ」
遠山からさも簡単にそんな協力を得られ、最初きょとんとした陽大はすぐ驚く。
「え? 遠山さん、そんなことできるの? 秋ちゃんって信じられないほど口固いよ?」
「だって私達だけいつまでも除け者なんて、面白くないじゃない? こうなったら秋生ちゃんの口を無理やり開かせてみせるわよ」
真由が客と世間話で盛り上がる最中、内緒話を済ませた遠山と陽大は最後に笑って頷き合った。




