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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
第四章 救 い の 手
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残酷な現実




 閑散とした店内で客席を丁寧に拭き終えると、止めた手を合図に視線を窓へ向けた。

 じっと外を見つめながら顔を曇らせた秋生を、カウンター席で肘をついた店主の遠山は静かに見守った。

 ようやく遠山の視線に気付きわずかに動揺を浮かべた秋生は、誤魔化すように遠山の傍へ近寄った。


「じゃあ、そろそろ上がりますね」


 就業時間が過ぎた今一言声を掛けると、今だ秋生を見つめる遠山は笑みを浮かべた。


「お疲れ様。たまには早く行ってあげなさい」


 優しく響いた遠山の言葉に一瞬戸惑い、すぐに視線をそらした。


 

 帰宅の準備を済ませ裏口から外へ出た秋生は、帰路につくため歩き始めた。

 店の前で腕を組む男の前までたどり着くと、一度足を止めた。


 すでに秋生に気付いていた柊永は、静かにその姿を見守っていた。


「よう」

「……うん」


 視線をわずかにそらしたまま彼に短く答えた秋生は、再び歩き始めた。


 

 肩を並べた2人は前だけを見つめ、帰路を歩いた。

 決して触れ合わない距離を保ち、周囲の騒音だけを耳に触れ、ただ互いの歩だけを合わせた。


 始めの短い挨拶以外の言葉はなく、けれど互いに言葉など必要ないことを知っている。

 家までの暫しの距離、隣の彼だけを意識しなければいけない時は、果てなく長く感じるものだった。


 初めて柊永が店を訪れて以来、2人はこうして肩を並べ、共に帰る。

 すでにひと月以上続く共に歩く道は、週に2度ほど彼が店に現れることでふいにやってくる。

 ただ帰路につくため歩を踏む秋生にならい、柊永も隣に並ぶ。

 約束もなく、縛りもなく、けれど家までの距離わずかも離れることはない。

 ただ共にいる以外なにも望まない柊永は、真由の家まで辿り着くと一言挨拶し帰っていく。


 初めて共に歩いた日、秋生は隣に並ぶ柊永に何も言わなかった。

 拒否の言葉を口にすることも、それ以外も、秋生には許されなかった。

 秋生が何も言わないから、柊永は再び店に現れる。

 秋生はそんな柊永に意識だけを向け、視界に入れず、言葉を掛けず、ただ前だけを見つめ歩く。

 それが唯一できる秋生の抵抗だった。






 部屋に響いたノック音に短く返事すると、ドアを開けた真由と顔を合わせた。


「……寝てたの?」


 ベットに横たわっていた秋生はゆっくり起き上がり、その端に座り直した。


「寝てないよ、今帰ったの?」

「うん、ちょっといい?」


 頷くと、傍に来た真由は秋生と並びベットに腰を下ろした。


 普段、特別なことがない限り自室で話すことがない互いだけに、窺うように真由の横顔を見つめた。

 特に表情のない真由はしばらく黙った後、秋生に振り向いた。


「秋生さ……もしかして木野君と会ってたりする?」


 すでに気付いてるのだろう、真由の問いかけにとっさに視線を外した。


「帰る途中、偶然木野君を見かけたんだ。陽大は部活だし、多分あんたの方かと思って」

「……うん」

「会ってるの?」


 正直に肯定し頷くと、わずかに驚いた真由に改めて問われた。


「店に来る」

「……秋生、もしかして木野君とやり直すつもり?」

「そうじゃない……ただ一緒に帰るだけ」


 ただ肩を並べ、共に帰る。

 秋生と柊永に、他には何もない。

 彼が他に何も望まないから、秋生はそれに抗えない。


 首を振り否定すると、真由は脱力するように上を仰いだ。


「……秋生、どうする」


 真由の重い呟きに、再び首を振った。


 そんなこと、秋生自身が一番わからない。

 柊永を止める勇気も、避ける覚悟も何もない。

 未来なく、辛い過去しかない2人が再び共にいる理由など、柊永にしか存在しない。

 

「……どうして……許すの……」


 顔を伏せた秋生は呻くように低く呟いた。

 隣にいる真由に対してではなく、秋生の心の叫びを呟いていた。


 どうして許すの。

 どうして許せるの。

 ずっと憎めばいい、恨んでいればいい。

 再び目の前に現れたどうしようもない女を拒絶すればいい。

 軽蔑し、罵倒すればいいんだ。

 

「……木野君が許すなら、今度は秋生が応えるべきだよ」


 冷静な真由の答えに反応するように顔を上げた秋生は、彼女を見た。


「何でそんなこと言うの……」


 脅えを浮かべた瞳からはすでに止めどなく涙が溢れ、耐え切れず零れ落ちていく。


「木野君のためじゃない、あんたのためだよ。あんたが木野君じゃなきゃいけないんだよ」


 強い瞳で秋生を見据えた真由は躊躇なく言葉を突きつけた。

 真由を拒絶し耳を塞いだ秋生は悲痛の声まで上げたのに、それでも真由は容赦なく秋生の両腕を掴んだ。


「木野君を拒絶できないのは、離せないからだよ。離したら、あんたの心が壊れるからだ」


 濡れ震える秋生の目を見つめ決してそらすことを許さない真由は、秋生にとって残酷な現実を突きつけた。


「彼が許したなら、今度はあんたが自分を許しな」


 とうとうすべての力を失くしてしまった秋生は、真由への抵抗を諦めるように脱力した。

 抗う力を失くした時、親友の言葉は秋生の心に残酷に沁みていった。




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