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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
第三章 変  移
41/119

謝 罪




「はあ……」


 今日も自分の部屋で机に向かう優はここ数日勉強することなく、クッキーばかりを眺めては溜息を吐く。


「優、いい加減食べないとクッキー腐っちゃうよ」

「大丈夫、防腐剤入れたから」


 優の部屋を覗いた弟の光がまだ食べられる気配がないクッキーを心配し始めても、やはり優は当分食べる気はないらしい。

 優が眺めるだけのクッキーは、数日前母の店で開かれたクリスマスパーティーで秋生から直接貰い、しかも秋生手作りの特別なクッキーだった。


「優がいつまでもクッキー食べなかったら、せっかく焼いたお姉さんがガッカリしちゃうよ」

「そうだよな…………でも」

「……優、クッキー食べちゃったらお姉さんが消えちゃうみたいで、怖いんだね」


 クッキーを今だ1枚も食べてない優は本当は食べたくても食べられない葛藤に悩み、光はそんな兄の苦しい心を悟る。


「そうだ優、そのクッキーは食べちゃって、またお姉さんから新しいクッキー貰えばいいじゃん。きっと鬼ババはあのお姉さんを嫁に狙ってるから、優が鬼ババの店に行ってお姉さんのクッキー欲しがったら喜んで差し出すよ」

「新しいクッキー…………でも俺、1人じゃ店行けない」

「優……」

「そうだ。光お願い、付き合って」


 光が同行すれば母の店へ行ける勇気が生まれた優は 今まで1枚も食べられなかったクッキーを素早く食べ始める。


「……優、お姉さんに会いたくて仕方ないんだね」

「よし光、店行こう」

「優、早く行きたい気持ちはわかるけど、ジャージは駄目だよ。ちゃんと着替えしろ」

「……あ」


 普段はきちんとした性格の優は光に指摘され、朝から一度も着替えてないジャージ姿に気付いた。

 光は最近すっかり恋呆けする兄が慌てて着替え始めた姿にさすがに溜息を零し、先に兄の部屋を出る。


「こんにちは、光君」

「……あ、お姉さん」


 階段を下りた光は兄が恋呆けした原因である秋生と今日も玄関で鉢合わせした。




「優」

「あ、光、この恰好で大丈夫かな。おかしくない?」


 暫し着替えに迷った優が再び部屋を訪れた光に自分の恰好を確認してもらう。


「大丈夫、全然おかしくないよ」

「よかった……じゃあ光、店行こう」

「優、わざわざ鬼ババの店行く必要なくなったよ…………本当によかったね」

「……え?」


 光からなぜかしみじみと喜ばれた優は不思議がると、ようやく光の背後に佇む秋生に気付いた。


「優さん、こんにちは。クッキー届けに来ました」

「……あ! 優!」


 光が慌てる中、優は秋生から差し出されたクッキーを受け取ることなく失神した。




「さすがに優には刺激が強すぎたか……」


 失神した兄をとりあえずベットに寝かせた光は、突然秋生を兄の部屋へ連れて行ったことを多少後悔する。

 優を失神させた当の秋生はおずおずと優の寝顔を覗き込んだ。


「光君、本当にお兄さん大丈夫?」

「お姉さん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。優はただの寝不足だから」

「そう…………本当に勉強大変なんだね」


 光は心配する秋生をとりあえず誤魔化したが、最近兄が寝不足であることも間違いではないだろう。

 そして今夜の兄は秋生が訪れた部屋で一睡もできないに違いない。

 今のうちに兄を沢山眠らせることにした光は、まだ心配気に兄の寝顔を覗く秋生の肩を叩く。


「お姉さん、優は俺が見てるから大丈夫だよ。鬼ババの店戻って」

「うん、じゃあ光君、何かあったら店に電話してね」

「わかった」

「……あ、そうだ」


 光と話し終えた後でようやく今日の用事を思い出した秋生は 持ってきたクッキーを優の寝顔の隣に置いておく。


「じゃあね光君」

「お姉さん、ありがとう」


 秋生が部屋から出て行った後、光は再びクッキーの隣で眠る兄を見つめる。


「優、とりあえず望みが叶ってよかったね」





 今日も珈琲店の店主家で過ごす陽大はさっき勝と共に近所の公園へ遊びに行き、再び店主家の庭に帰った。


「あれ? 秋生お姉ちゃんが家から出てきた」


 ちょうど店主家から出てくる姉の姿を発見した勝に教えられ、陽大はすぐに姉の元へ駆け寄った。


「秋ちゃん」

「陽大、どこか行ってたの?」

「公園。秋ちゃんは何でここにいるの?」

「店長にお届けもの頼まれたの」

「何?」

「クッキー」

「誰に?」

「優さん」

「秋ちゃん、優の部屋行ったの?」

「うん、優さんは勉強中だったから」

「秋ちゃんのバカ!」


 陽大に突然怒られた秋生が驚いてる間に、陽大は店主家に入った。


「陽大君、何で怒ったの?」

「……勝君、陽大の傍に行ってくれる?」

「うん」


 秋生は店主家に入ってしまった陽大を追い掛けるわけにもいかず、不思議そうに傍に近付いた勝に頼む。

 勝もいなくなると、店主家に訪れた事情を陽大に話してしまった失敗に今更気付く。

 秋生は仕方なく後悔しながら店へ戻り始めた。





「……今日の陽大はずっと機嫌悪かったね。姉弟喧嘩?」


 今夜の陽大は姉の顔を見たくなくて早く眠ってしまった。

 真由は部屋で2人になった秋生をようやく心配する。


「大したことないよ」

「あんたが大したことなくても、陽大は違うんじゃない?」

「…………」

「陽大があんたに怒ってる理由くらい教えなよ」 


 真由から冷静に問い詰められ、陽大の雑巾を縫う秋生の手は少しだけ諦める。


「私が考え足らずだったの」

「何を?」

「店長から優さんにクッキーを持っていってほしいって頼まれて、優さんの部屋まで届けた」

「……部屋? 玄関じゃなくて?」

「優さんは勉強中だったから、光君が優さんの部屋に連れてってくれたの」

「あの光までグルか…………秋生、それを陽大が知って、あんたを怒ってるってこと?」

「うん」

「……ねえ、あんたは陽大が優君だけ嫌う理由わかってんの?」


 再び真由から冷静に問い詰められ、秋生の手は再び陽大の雑巾を縫い始める。

 真由はそんな秋生を諦め、すでに縫い終った雑巾を手に取った。


「こんな雑巾、わざわざ手縫いしなくても売ってんのに」

「売ってるのは薄いから」

「陽大が掃除しやすいよう考えるあんたは、陽大の為ならとことん何でもするね…………救いの女神の弱点は弟か。堅物で頭のいい男は救いの女神の弟に嫌われたら、救われない」


 秋生にではなく雑巾に呟いた真由は、秋生がすでに店主の長男に恋心を抱かれてると気付いてるから、今日怒った陽大の気持ちも理解してるのだと納得した。

 真由の呟きに特に反応しなかった秋生は雑巾を縫いながら、再び真由に視線を向けられる。


「じゃあ秋生、私が本当は警戒したままの隣の男はどう思う?」

「真由、もう隣の人は気にしないで」

「……びっくりした。秋生がムキになった」


 真由は陽大以外のことでムキにならない秋生から即座に言い返され、心底驚かされる。

 秋生の手は慌てて再び雑巾を縫い始めた。





 深夜12時過ぎ、薄暗い寝室で目を開いた秋生は、隣で眠る陽大と真由の姿をそのまま見つめる。

 暫くして布団からそっと起き上がり、眠る2人を残し寝室を抜け出した。



「秋生」

「……ごめんね、起こしちゃった?」


 初めて深夜12時過ぎて隣の部屋を訪れた秋生はやはり壮輔を驚かせ、玄関ですぐに謝る。


「寝てないよ」

「よかった……少し入っていい?」

「いっぱい入って」


 壮輔はいつも会う10時半に秋生が訪れず諦めていたせいか、思いがけず今夜も会えた秋生にとても浮かれた。

 秋生を部屋の中へ引き入れる手もとても喜んでる。

 秋生は浮かれる壮輔におかしく笑うことなく、壮輔の喜ぶ手に握られた手は同じく喜ばなかった。


「秋生の親友、寝たの?」

「うん」

「秋生、明日からもこうして。親友が寝たら、どんなに遅くても必ず来て」

「わかった」

「秋生が俺に気を遣わない…………嬉しい。秋生、大好きだ」


 暫く中々会えないはずの秋生からすんなり望みを叶えられた壮輔は、とても愛しい秋生を見つめる。

 秋生はとても愛しんでくれる壮輔の目をただ見つめ返すことしかできなかった。


「秋生、ベット」

「うん」

「あ、その前に確認。秋生の指」

「…………」

「……秋生、何で外したの?」


 今朝壮輔に嵌められた指輪をすぐに外した秋生は、今壮輔に予想以上のショックを与えた。

 さっき秋生に浮かれた表情は失くなり、秋生に喜んだ手は強張り、秋生を愛しんだ目はただ悲しむ。

 今でも壮輔をこんなにも傷つけたのに、壮輔に握られない秋生の手は震えながら指輪を返した。


「壮輔、ごめんね…………結婚できない、ごめん」


 秋生は壮輔の胸に指輪を握る手を押し付け、頭を下げて泣いた。

 今とても傷ついてる壮輔が可哀想で泣き、壮輔をとても傷つけてる自分が怖くて泣いた。

 再びごめんと謝罪した秋生の声は震えすぎて、言葉にもならなかった。



「ごめん」


 言葉にもならなかった秋生の謝罪を代りに言葉にしたのは、壮輔だった。


「秋生、ごめん。泣かせてごめん」


 秋生は壮輔をとても傷つけたのに優しい声で謝られ、優しい手で頭を上げられた。

 もう一度優しい手で涙を拭われた秋生は、優しい笑顔で見つめられた。


「待ってる」


 壮輔の優しい声だった。




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