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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
第三章 変  移
40/119

指 輪




「……ごめんね」


 冬休み中の真由が秋生と陽大のアパートに滞在し始めて3日後、夜更かしの真由は最近覚えた酒を呑んだせいでめずらしく早く眠った。

 秋生は3日ぶりに隣の部屋を訪ね、玄関で向かい合った壮輔に弱々しく謝る。

 壮輔は3日ぶりに会った秋生を表情なく見つめ、部屋に戻った。

 何も答えられなかった秋生も壮輔の背中を追い掛ける。


「壮輔、メールしかできなくてごめん」

「理由を教えて。暫く中々会えない理由」


 部屋で佇んだ壮輔の背中にもう一度謝れば、メールでは暫く中々会えないとしか伝えなかったせいで理由を問われる。


「……友達が冬休み中、泊まってくれることになったの。私と陽大だけじゃ心配だから」

「友達って、この前秋生と一緒にいた人?」

「うん、真由。よく話すでしょ? 私の親友だから、いつも心配してくれるの」

「秋生の親友が心配なのは、隣に来た俺?」

「違うよ」

「この前会った時、俺は警戒されたのがわかった。秋生の親友は俺を秋生に近づけさせたくないから、夜もこのアパートにいる。秋生はすごいよ、そこまで心配してくれる親友を持てて。そんな親友を絶対無下にできるはずないから、代わりに俺を蔑ろにするしかない」

「壮輔ごめん。私もしばらく真由の気持ちを優先したい」

「……親友が心配する原因は俺なのに?」

「ごめん」

「今度はいつ会えるの?」

「ごめん、わからない」

「親友の為なら俺に潔く謝れる秋生は、俺を勝手に警戒する親友より残酷だ」


 顔が見えない壮輔の嘆きに、秋生は謝ることもできなくなる。

 それでも壮輔の悲しみを癒すため、彼の背中を抱き締める。


「壮輔、今日は何でもさせて。何でもしたい」

「……俺はクリスマスイブから3日間放っとかれた。今日秋生に何されても癒されない。本当に辛かった…………隣に秋生がいるのに触れなかった」

「わかってるよ、壮輔わかってる」


 壮輔は秋生に3日触れられなくて、心が疲弊してしまった。

 壮輔にとって秋生に触れることは愛するだけではなく、秋生を失わない為の安心でもあった。

 秋生に3日触れられなかった壮輔は今、秋生に抱き締められる背中を震わせながら不安の涙を流す。

 

「秋生、助けて」

「うん、壮輔おいで」


 壮輔の不安を失くす為、秋生の手は2人のベットへ連れて行く。

 壮輔をようやく安心させる為、秋生の手は素肌を晒し始めた。

 秋生に助けられる為、壮輔は縋りつく。

 壮輔を救う為、秋生は啼いた。




「……くすぐったい」


 長く愛される途中で眠ってしまった秋生は、壮輔の髪で胸をくすぐられ目覚めた。

 まだ一睡もせず愛し続ける壮輔は秋生の胸をくすぐるのをやめ、今度は秋生の腹をなめ始める。


「壮輔、犬みたい」

「俺は犬だよ。もっとなめていい?」

「うん」

「ここは?」

「そこはへそ」

「ここは?」

「かかと。壮輔は変なところなめる」

「犬がなめるのは愛情表現だよ。飼い主の秋生を全部なめる。ペロペロ」

「あーあ、壮輔ワンコのヨダレだらけになっちゃった…………壮輔」


 ようやく秋生は今壮輔になめられてる指の違和感に気付いた。

 壮輔から離した指を目で確かめる。


「壮輔」

「秋生、鈍感」

「これ何?」

「知らないの?」

「ううん」

「じゃあ何?」

「……指輪」

「3日前に渡せなかったクリスマスプレゼント」


 壮輔がいつの間にか秋生の指に嵌めたのは、シンプルなシルバーの指輪だった。

 指輪を見つめる秋生は壮輔からクリスマスプレゼントと教えられたのに、他の予感に気付く。

 いや、秋生は壮輔から嵌められた指輪の意味を最初から悟った。

 それ故に指輪を見つめるばかりで、ベットから起き上がることができない。

 代りに秋生を起こさせた壮輔は、秋生としっかり向き合ってしまった。


「秋生、結婚しよう」






「秋生、どうしたの?」

「秋ちゃん」


 朝食中2人から同時に呼び掛けられ我に返った秋生は、気が付けば箸を止めた真由と陽大に見つめられていた。


「何でもない。今日は何日だったか思い出せなかっただけ」

「それで思い出せたの?」

「えーと……今日は12月28日」

「ついでに今の時間は7時36分…………あ! 今日の占いチェック!」


 真由は秋生に時間を教えたついでに、毎朝習慣にしてるテレビの星座占いを確認し始める。


「あーあ、終わっちゃったよ…………今日の私は占いチェックする前に運悪い」

「真由ちゃん、運が悪いって思い込むと、その通りになっちゃうよ」

「陽大、それは違うよ。朝から今日1日運が悪いって思ってれば、小さな良いことが起きると喜びは倍増する。結果的には運が良い1日になるんだ」

「真由ちゃんって前向きなのか後ろ向きなのか、よくわかんない」


 星座占いを見逃した真由は陽大とお喋りしながら、ついでに芸能ニュースを眺め始める。


「ふーん……秋生、もう結婚だって」

「え?」

「この女優、私達と同い年だよ。よく結婚決意できたよね…………あ、やっぱ出来婚か」


 今日結婚を発表した女優に対し感想を呟く真由に確かに秋生の胸はドキリとさせられ、誤魔化すように朝食を食べ始める。


「真由ちゃん、テレビ消して」

「何で?」

「ご飯食べてる時、テレビ観ちゃだめだから」

「はいはい、わかりました」

「俺、学童行く。秋ちゃん真由ちゃん、行ってきます」

「「行ってらっしゃい」」


 陽大は真由にテレビを消させた矢先、冬休み中の学童保育に行くため家を出た。

 さっそくテレビを付け直した真由は、再び芸能ニュースの後に入ったスポーツニュースを観始める。

 秋生も同じくテレビに映るサッカー選手達の姿に視線を向け、さっき出掛けたばかりの陽大を思い出しながら再び箸を止めた。





 30代男性の常連客である佐川が今日も珈琲店を訪れ、カウンター席でスポーツ新聞を広げ始める。


「ふーん……この女優さん、出来婚だって」

「マジで!?」


 佐川の向かいに佇む店主の遠山は今日一番目玉の芸能記事を指差し、まだ知らなかった佐川を驚かせた。


「うわーショック。俺この女優のファンだったのに……」

「佐川さん、この前はアイドルのファンとか言ってなかった? 何だっけ…………ABC?」

「AKBね。でもそれは去年まで。今はNMB推しだから」

「最近のアイドルは全部アルファベットね。しかも人数が多すぎて、私は誰が誰なのかさっぱりだわ」

「遠山さん世代のアイドルって誰? 郷ひろみとか?」

「佐川さん、ふざけないでよ。私はまだ45歳よ。おニャン子世代」

「まだ45歳ならAKBくらい覚えときなよ…………でも今日結婚発表したこの女優は、いつか必ず離婚するね」

「あら佐川さん、今度はファンの負け惜しみ?」

「アイドル好きの俺は所詮この女優の俄かファンだから、冷静に判断できるわけよ。まだ21歳で、子供作っちゃったから結婚しまーすなんて、完全におままごとじゃん」


 まだ独身の佐川は俄かファンの女優の結婚記事を再び眺めながら、シビアな意見を毒づく。


「大丈夫なんじゃない? 結婚相手は一般人でしょ? こんな綺麗な女優さんを手に入れた男性は一生逃がさないわよ」

「どんなに綺麗な女優だって、いつかは年とって夫に飽きられるんだよ。それにこの女優の結婚相手は一般男性って書いてあるけど、どうせ金持ってるボンボンじゃない? 女優は金持ちとしか結婚しないから」

「女優に偏見持つ佐川さんはやっぱり俄かファンでも悔しいのね…………いつまでもアイドル追い掛けてないで、婚活したら?」

「俺はまだ独身謳歌するよ。今の時代30代で結婚なんてもったいない。いざ結婚したくなったら、秋生ちゃん狙うしね」

「何言ってんの。佐川さんが結婚したくなる頃、秋生ちゃんはとっくに嫁行ってるわよ。うちにね」

「……は? まさか遠山さん、まだ秋生ちゃんを嫁に狙ってたの?」

「もちろん。秋生ちゃんが長男のお嫁さんになってくれるなら、出来婚でも何でもOKよ。ねえねえ秋生ちゃん!」


 接客から戻った秋生はカウンター席に座る佐川と喋っていた遠山から声を掛けられ、傍に近付く。


「はい、何ですか?」

「秋生ちゃん、昨日もクッキー焼いてくれたでしょ? これからうちの長男に食べさせてあげて」

「……店長、優さんはこの前クッキー食べたばかりだと思いますよ」


 最近店で売るクッキーを焼いている秋生は数日前に店で開かれたクリスマスパーティーの時、トランプ大会で勝利した優にクッキーを渡したことを思い出す。


「そうなの。この前うちの息子が秋生ちゃんのクッキーを気に入っちゃって、また食べたいって催促されたのよ。息子は今日も部屋で勉強してるから、秋生ちゃんが直接クッキー差し入れしてあげて。お願い」

「わかりました。じゃあ届けてきます」


 今日も秋生は遠山の願いに笑顔で応えると、昨日焼いたクッキーを手にし店主の家へ向かい始めた。




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