隣
ひと月ぶりに一緒に過ごした真由が明日も来ると言い9時過ぎに帰っていくと、風呂に入った陽大もいつも通り10時前に就寝する。
今夜も陽大の寝顔をしっかり確認した秋生はとりあえずコートを羽織り、部屋を抜け出した。
今夜はアパート隣の公園に向かうことなく、隣の部屋の玄関チャイムを鳴らす。
「どういうこと?」
「秋生、入って」
玄関ドアが開いた途端さっそく理由を尋ねた秋生は部屋の中へ引き込まれる。
壮輔は理由を答えることなくキスし始め、秋生は慌てて止めた。
「壮輔、ちゃんと教えてよ」
「俺が内緒で秋生の隣に越してきた理由?」
「うん」
「秋生の真似した」
「え?」
「秋生だって俺に内緒で、俺の傍に越してきただろ?」
確かに1年4ヵ月前の秋生は壮輔のアパートに通いやすいよう、壮輔の傍に越した。
自分の真似をしただけという壮輔に言葉を詰まらせたせいで、再びキスされ始める。
「壮輔」
「ん?」
「どうして隣?」
「だめ?」
「違う」
「じゃあ嫌?」
「……怖い」
キスの合間に会話する2人は、怖がった秋生の一言でキスが止まった。
「秋生……俺が隣だと怖いってこと?」
「壮輔の気持ちがわからないから怖い。どうして隣なのか、ちゃんと詳しく教えてよ」
「俺の為だよ。秋生に風邪引かせたくないのに、夜公園で会うことは絶対やめられない。せめて秋生と温かい場所で会いたくて、秋生の隣を選んだ。毎晩ここで会えば、秋生は公園より陽大君の傍にいながら風邪も引かない。そして俺は安心できる秋生にもっと安心する」
「それが壮輔の為?」
「……ううん、安心は二の次。秋生の隣が俺の為なのは、毎晩秋生に触れたかったから」
秋生は疑って問い詰めたわけではなかったのに、壮輔は見透かされたと思ったのか素直に本心を告白した。
嘘がばれてしまった子供のような表情を浮かべ、秋生からも目をそらす。
「……今日の壮輔は可愛いね。前は私よりずっと大人だったのに」
「秋生……怒らないの?」
「怒れないことに気付いた。ただ私に触りたくて隣に来た壮輔が、けっこう嬉しかったから」
以前大人だった壮輔よりも今の子供みたいに素直な壮輔を思わず気に入ってしまった秋生は、同じく素直に微笑んだ。
壮輔もまた素直にほっと安心してくれた。
「ふーん……壮輔の部屋は物が少ないから、私の部屋より広いね」
「秋生の部屋はどんな感じ?」
「カーテンは黄色の花柄で、テーブルは白くて丸いの。茶色いタンスもあるよ」
「いいなぁ……俺も秋生の部屋入りたい」
「だめ、壮輔は私の隣だから」
「ケチ」
「……あ、パイプベットが変わった。可愛くなってる」
「うん、秋生と俺の為。可愛いベットだと秋生が気に入っていっぱい乗りたくなるから、俺はいっぱい喜ぶ」
「今日の壮輔は素直すぎ…………でも早く可愛いベット乗りたいな」
今夜は隣に来てくれた壮輔を特別にわざと煽った秋生は、とても喜んでくれた彼の手で可愛いベットへ運ばれる。
秋生と壮輔は今夜初めて30分ではなく1時間離れなかった。
「戸倉さんの営業成績がグングン伸びてる…………あーあ、やっぱり俺はあっという間に越されてしまった」
昼休憩中、オフィスに張られた営業成績表を眺める入社3年目の松田は入社半年の壮輔にあっさり追い抜かれ、落胆するより予想通りの結果に納得させられる。
当の壮輔に視線を向ければ、営業成績などまったく気にすることなくパンをかじりながらパソコンを見つめている。
「戸倉さん、昼飯中くらい仕事やめたらどうですか?…………ん? ジュエリー?」
「……あ、松田君」
2年先輩で3歳年下の親切な松田に背後からパソコンを覗かれた壮輔は、すぐに照れながら閲覧していたジュエリー会社のホームページを閉じる。
「戸倉さん、彼女のクリスマスプレゼントはジュエリーですか?」
「まあ……確かにクリスマス渡すつもりだけど。彼女の誕生日は逃してしまったから」
「え? 逃した?」
「うん、彼女の誕生日は秋だから、まだ入社して間もなかった俺にはさすがに早いと自制したんだ。代わりにマフラーと手袋を渡した」
松田は彼女の誕生日は自制して気軽なプレゼントを渡したという壮輔の話が今一納得できず、隣のデスクにしっかり腰を据える。
「戸倉さん、彼女のプレゼントに自制なんてする必要ないですよ。ジュエリーをプレゼントしたら、いつでも大喜びされますって。女はブランド物やシュエリーに弱いですから」
「そうかな…………彼女も喜んでくれるだろうか」
「戸倉さんの彼女さんは控えめっぽいけど、内心はきっと喜んでくれますよ。ところでジュエリーって何ですか? ネックレス? 指輪?」
「もちろん指輪だよ。高いものは無理だけど、一生に一度のものだから慎重に選ぶ」
「……は? 一生に一度?」
「うん、結婚指輪」
てっきり壮輔が彼女に贈るジュエリーはただのクリスマスプレゼントだと思っていた松田は、壮輔の結婚宣言にポカンと口を開けた。
「……戸倉さん、何歳でしたっけ?」
「24歳だよ」
「そうですよね……俺より3歳年上ですもんね。まだ24歳の戸倉さんは、しかも入社半年…………戸倉さん、さすがに結婚はちょっと早すぎませんか?」
「どうして? 俺は結婚できる年齢だし、もう働いてるから問題ないよ。彼女も21歳だから」
「彼女は21歳…………ねえ戸倉さん、確か彼女さんと付き合い始めたのは入社直後のやっぱり半年くらい前でしょ? 彼女さんだってまだ若いんだから、もう少し落ち着いてからでもいいんじゃないですか? 大きなお世話かもしれないけど、あまり考えもせず結婚を決めてしまうと、後々後悔も出るかもしれませんよ」
「松田君、俺が彼女と結婚するのに何を考える必要があるの? 俺は働き始めれば、すぐ結婚するつもりだったよ。もう入社半年の俺はすっかり遅くなってしまった…………本当は自制したんじゃなくて、この半年彼女と会うことだけに夢中だったから」
「……戸倉さん、どうしてそんなに早い結婚にこだわるんですか? 今は彼女さんと会えるだけで幸せなんでしょ?」
「彼女を逃がしたくないから」
壮輔の早く結婚したい理由をはっきり教えられた松田はさすがに驚かされたが、妙に納得もさせられた。
「一生今の彼女だけと宣言した戸倉さんらしいですね…………俺は応援しますよ。戸倉さん、どうか彼女を逃がさないでください」
「うん、ありがとう松田君」
「でも戸倉さん、プロポーズは慎重になった方がいいと思います」
「え?」
「今まで戸倉さんから彼女さんの話を聞かせてもらった俺が思うに、多分彼女さんはまだ結婚を意識してないかと……」
この半年壮輔の世話役を理由に壮輔の彼女の話も特別教えてもらえた松田は、壮輔と彼女の気持ちに差があることに自然と気付かされた。
松田が曖昧にそれを指摘すると、壮輔自身は気付いてなかったらしく訝しげな表情を返された。
「松田君、どうしてそう思うの?」
「……じゃあ俺もはっきり言います。戸倉さんは彼女さんと付き合うのに1年かかったんですよね? それは彼女さんが1年間、戸倉さんとの付き合いを迷ったということです。半年前やっと決意した彼女さんが簡単に結婚に踏み切れるとは思えません」
「彼女が迷ったのは付き合う前だけだよ。今の彼女は毎日俺といることを望んでくれてる」
「……彼女と毎日会ってるんですか?」
「うん。夜は公園でしか会えなかったけど、この前俺が彼女のアパートに引っ越したから前より長く一緒にいられるようになった」
「…………」
「彼女は俺を望んでる。結婚だって同じだよ」
彼女を逃がしたくないから早く結婚を望んだ壮輔は、彼女が同じく結婚を望んでると信じる。
松田は彼女に対して気持ちが矛盾する壮輔を見つめ、同じアパートに越すほど彼女にのめり込む壮輔を心配すると共に、おそらく壮輔自身は自覚してない不安を先に気付いた。




