親友の警戒
「最近すっかり寒くなったわねえ……」
「くしゅん」
客席の窓から寒々しい外を眺める遠山の呟きに、秋生はくしゃみで答える。
「秋生ちゃん、さっそく風邪?」
「いえ、ただのくしゃみです。私は丈夫なんで風邪引きません」
遠山に風邪の心配をされてしまいすぐ笑顔で否定したが、おそらく風邪の引きかけだろう。
生まれつき丈夫なお蔭でほとんど風邪を引いたことない秋生も今回太刀打ちできなかったのは、毎夜寒空の公園にいるせいに違いない。
「秋生ちゃん、いくら丈夫だって女の子は冷やしちゃだめよ。今のうちからちゃんと温めとかないと、子供産む時に苦労するんだから」
「はい、わかりました」
遠山の忠告を口ではしっかり受け取っても、申し訳ないが毎夜寒空で過ごすことは変わらない。
秋生も窓から寒そうな外を見つめながら、今夜も会う壮輔を思い出す。
3カ月前から秋生と壮輔は毎週水曜日の2時間、壮輔のアパートで過ごすようになったが、毎夜公園で30分会うのも変わらない。
3カ月前はキスまでしか許されなかった壮輔は、秋生に会えば得意の笑顔も忘れてしまうほど辛抱していた。
今の壮輔は週に一度の2時間と制限はあるものの、秋生を思いのまま愛してる。
壮輔の辛抱を晴らしたと思った秋生だが、今も毎夜公園で会う彼は変わらず辛抱してる。
それどころか以前よりも笑顔を忘れ、秋生を見つめては辛い表情を見せる。
壮輔は秋生を思いのまま愛せる週に一度の2時間があるからこそ、毎夜の30分は秋生にキスまでしかできない自分に堪えてしまった。
そんな壮輔にまた気を遣い会うのを控える発言などすれば、今の壮輔は怒るより落ち込んでしまうかもしれない。
秋生は当然寒い夜の公園に弱音を吐けるはずもなく、これからも毎夜壮輔と会い続ける習慣は変えられなかった。
「秋生ちゃん、冷えに注意した早々申し訳ないけど、うちに行って息子と陽大君連れて来てくれない? 今日はここでお昼ご飯にするから」
「はい、わかりました…………あ、でも店長、電話すればいいんじゃないですか? 私が行くより早いですよ」
「電話はだめよ」
「……どうして?」
「秋生ちゃんがうちの長男に話し掛けられないじゃない。秋生ちゃん、長男のシャイ克服に協力してくれるって言ったでしょ?」
「はあ……はい」
「家に行ったら必ず長男に声掛けて、いっぱい喋ってね。絶対よ?」
「わかりました。じゃあ行ってきます」
以前大人しく女性が苦手な遠山の長男に積極的に喋りかける約束をしてしまった秋生は、遠山から念押しされタジタジとなりながら店を抜け出した。
「陽大君見て見て。リフティング」
「ふーん、すごいね」
寒空の中でも店主家の庭で遊ぶ陽大は競争に飽きた勝が突然サッカーを始めると、つまらなげに見守った。
「陽大君、パス」
「俺はいい…………いて」
陽大はパスを拒否した背中にボールを軽くぶつけられ、勝を睨みつけた。
「陽大君ごめん。でも俺そんなに強くぶつけてないよ」
「痛くない」
「え? じゃあ何で怒るの?」
「触りたくないんだよ。勝君のバカ」
「陽大君、待って」
サッカーボールをぶつけた勝に初めて怒った陽大は庭から去り、勝は戸惑いながら追い掛けた。
偶然2人のやりとりを見かけた秋生は暫し店主家の庭で佇み、再び店主家に向かった。
「あれ? お姉さん」
「こんにちは光君」
ちょうど開いたままの玄関ドアから中を覗くと、廊下を歩く次男の光と偶然鉢合わせした。
「お姉さん、用事?」
「うん、お昼…………あ、ごめん光君。お兄さんいるかな?」
「優? いるよ。ちょっと待ってて」
さっき店主に頼まれたことを思い出した秋生は、律儀にもわざわざ光に長男の優を呼んでもらった。
「優! 大変だ!」
「……何が?」
「鬼ババの店のお姉さんが優に会いに来た」
「光、ふざけないでくれ」
休日の土曜日でも自分の部屋で大学の勉強に勤しむ長男の優は、わざわざ血相変えて部屋に飛び込んだ光に怒りの表情を向ける。
「今日はマジなんだって! お願い優、信じて!」
「もういいよ。しつこい」
最近散々狼少年の光に母親の店で働く女性従業員のことでからかわれ続けた優も、さすがにうんざりし袖にした。
狼少年光はそれでもめげず、今度は机に座る優を無理やり引っ張り始める。
「光、何するんだよ」
「うるさい、俺のせいで優に一生後悔させるわけにはいかないんだよ。さっさと玄関行け!」
光に背中を押され部屋から出された優は階段からも突き落とされそうになり、仕方なく勉強を諦めそのまま階段を降りた。
「優さん、こんにちは」
「…………」
「あの……どうかしました?」
「……いえ、こ、こんにちは」
「こんにちは。お昼ご飯なんですけど、今日はお店で食べてくださいね」
「……わ、わかりました」
「えーと…………あ、そうだ。毎日勉強大変みたいですね」
「……は、はい」
「今日もずっと勉強ですか?」
「……は」
「頑張ってください。応援してます」
全く予想外なことに昼食を誘いに来た秋生に玄関で喋りかけられた優は最後秋生の笑顔で応援され、おぼつかない返事すら忘れる。
「じゃあお店で待ってますね」
「…………」
「……優、よかったね。俺も嬉しいよ」
秋生が去った後も玄関で佇む優の肩を優しく叩いたのは、当然こっそり見守っていた光だった。
「……光」
「優、何?」
「どうしよう……食欲ない」
「だめだよ優! お姉さんの前で男らしい食べっぷり見せなきゃ! きっとあの優しいお姉さんなら、いっぱい食べる優にニコって笑ってくれるよ」
「ニコ……」
脳内で秋生にニコリと微笑まれた優は食欲を失くすどころか頭をクラクラさせる。
「あーあ、真面目男の恋は重傷だ……」
身体をフラフラさせながら秋生の元へ向かい始めた優を弟として心配げに見守る光は、自分も母親の店へ行くため勝と陽大を大声で呼んだ。
「……陽大、今日も勝君と仲良く遊べた?」
「ううん、喧嘩した」
仕事帰りのすでに暗い帰り道、秋生はやはり昼間見かけた通り陽大の口からも認められる。
今日の陽大は昼食を店で食べたが、その時も勝と口を聞かなかった。
「仲直りは?」
「したよ。ご飯食べた後、光も混ぜていっぱいかくれんぼした」
「そう……よかったね。喧嘩してもまた仲良くなれて」
「勝君は好きだから。光もけっこう好きになった」
「そっか」
「でも優は嫌い」
「……何で?」
「赤くなる。今日もご飯食べてる時、ずっと赤かった」
「陽大、優さんは赤くなりやすいんだよ。そんなことで人を嫌いになっちゃだめ」
「違うよ、秋ちゃん限定だから嫌い」
「え?」
「真由ちゃん、みーつけた」
今日は仲直りした勝と無理やり混ぜた光の3人でかくれんぼした陽大は、自宅アパート前で手を振る真由も見つけた。
「真由、帰ってたの?」
「今日から冬休み。はい陽大、親父の野菜」
「……大根」
秋生は大学の冬休みに入り帰省した真由とひと月振りに向かい合い、陽大は真由から立派な大根のお土産を渡される。
「寒かったでしょ?」
「さっき来たばっかりだよ。でも早く入ろ」
しばし寒い外で待っていてくれた真由に急がされながら、アパートの部屋に向かう。
3人は部屋に着く前、偶然隣の部屋から出てきた男性と顔を合わせた。
「ふーむ……もしかして」
「何?」
「ねえ秋生、隣に越してきた男、刑事かもよ」
作り終えた夕食をテーブルに並べた秋生は、暫しテーブルで肘つき悩んだ真由の推測に首を傾げる。
「何で刑事? きっと普通のサラリーマンだよ」
「普通のサラリーマンがわざわざこんなボロアパート選ばないって」
「じゃあ刑事さんだって選ばないじゃない」
「陽大、まったくピンと来ない姉ちゃんに隣の男が刑事かもしれない理由教えてあげな」
「張り込み」
陽大に答えさせた真由は、ようするに今日隣に越してきて、さっき偶然引っ越しの挨拶をされた男性が本当は隣の部屋に住むのではなく、犯人を張り込みする為に間借りしてる刑事だと推測したらしい。
刑事ドラマ好きの真由はすでに隣の男性に興味津々の様子だ。
「いいから早く食べようよ。いただきまーす」
「秋生はあんな謎のある男だって、どうでもいいんだから……」
「全然謎なんてないじゃない。普通の人だったよ、絶対刑事でもない」
「言い切るね。陽大は? 隣の男、何者だと思う?」
「知らない」
「姉弟揃って無関心かよ…………でも姉弟、注意だけは怠るなよ。隣の男、見た目は爽やか好青年だけど、中身はド変態かもしれない。若い女の秋生はもちろん、可愛い顔の陽大だってターゲットにされるんだから」
「はいはい、わかりました。陽大、戸締りは気を付けようね」
「秋ちゃん、火の元もね」
真由は勝手に興味を持った隣の男性を最終的に警戒し始め、姉弟はとりあえず互いに注意し合った。




