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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
第三章 変  移
29/119

新たな誘い



「珈琲店?」

「うん、うちの母親の友達が店主」


 真夏の炎天下がようやく和らぎ始めた夕方4時、ファーストフード店に呼び出された秋生は親友の真由と向かい合った。

 突然真由の口から同じ町内にある珈琲店の話を切り出され、とりあえず首を傾げる。


「それで? その珈琲店が何?」

「何じゃないよ。たった今職探し中のあんたはピンと来ない?」

「……あ、真由もしかして」

「朝9時から夕方6時まで。定休日は水曜日。美味しい賄いランチ付き。給料はまだ詳しくわからないけど、うちの母親が秋生はめちゃくちゃ働き者で気立ても最高って太鼓判押したら、正社員で採用してくれるって」


 真由の言う通り今求職中の秋生が今日呼び出された理由は、真由が職を見つけてくれたからだった。

 正確には紹介してくれた珈琲店の店主と友人である真由の母親が、秋生を大袈裟に勧めてくれたお蔭らしい。

 たった今真由から自信たっぷりの笑顔で聞かされた秋生は、申し訳ないが困った表情を浮かべた。


「ん? 秋生、何で困るの? あんた念願の正社員だよ」

「……真由ごめんね。せっかく私を紹介してくれたおばさんにも本当に申し訳ないけど、その珈琲店では働けない」

「何で!?」

「定休日が水曜日だから」

「あ、そっか。すっかり忘れてた。まだ小学生の陽大がいるあんたは土日休み希望だっけ」

「うん」

「ガク…………はあ」

「真由、本当にごめんね」

「……なーんてね。そんなの私だって最初から覚えてるよ」


 土日は働けない秋生の条件に一度項垂れて落胆した真由は、再び顔を上げニヤリと笑った。


「秋生、とにかく行こう」

「え? 真由どこに?」

「決まってんじゃん。珈琲店」


 今度は突然真由の強引な手に引かれた秋生はファーストフード店から抜け出す。

 戸惑いながらも町内の珈琲店に向かって真由と一緒に歩き始めた。




「あらまあ! あなたが真由ちゃんのお母さんが大絶賛してお勧めしてくれた秋生ちゃんね!」

「……すみません、私は多分普通にしか働けません。それに、元々私はこちらで働くことができないんです。それなのに来てしまって、すみません」


 秋生は真由と共に訪れた珈琲店の女性店主と向かい合って早々、2度も平謝りする始末となる。

 どうやら店主も真由の母親に大変期待させられたらしい。

 最初から期待に応えられないのに店に来た秋生のせいで、結局働けないと断られた店主はあからさまに落胆した。


「そんな……私は秋生ちゃんがすぐにでもうちで働けるように、すっかり準備も整えたのに」

「……準備ですか?」

「若い秋生ちゃん専用の可愛いフリル付き白エプロンでしょ? 若い秋生ちゃんの舌に合うように、賄いランチだって旦那と3日間徹夜状態で10品考案したのよ」


 若い秋生を迎え入れる準備万端な店主を見事に裏切る形となった秋生はハンカチで涙目を拭う店主に見つめられ、どう責任を取っていいものか緊張と戸惑いを走らせる。


「ちょっと真由ちゃん! 一体どういうこと!?」


 店主は目の前でとうとう震え始めた秋生ではなく、カウンター席で秋生と店主のやりとりをのんびり眺めていた真由に向かって怒り始めた。


「まあまあ遠山さん、落ち着いてよ。大丈夫、秋生はちゃんとここで働いてくれるから」

「え!? 真由、私は本当に無理……」

「秋生も心配無用。土日は陽大もここに連れてくればいいんだから」


 怒る店主と共に慌てる秋生も宥めた真由は、最後に秋生をポカンと驚かせた。




「……弟の面倒も?」

「正確には私じゃなくて、私の息子ね」


 とりあえず秋生は真由と共にテーブルの客席に座り直し、珈琲店の店主――遠山とおやま 美智子みちこと改めて向かい合う。

 遠山が笑顔で教えてくれたのは、秋生が遠山の店で働けるように休日は弟の陽大を遠山の自宅で預かるという方法だ。

 ちなみに遠山の自宅は珈琲店のすぐ裏にあり、遠山は夫と息子3人で暮らしている。

 今回陽大の面倒を見てくれるという末っ子の三男は、陽大より2歳年上の同じ小学生だという。


「うちの店はこの町内に住む常連のお客様がほとんどだから、店を開いて20年間ずっと私と夫で細々経営してたのよ。でも今年に入って農業に目覚めちゃった旦那が引退したから、私だけ残されちゃったわけ。さすがに私1人じゃ接客まで手が回らなくて、とうとう先週初めて従業員を募集したのよ。そしたら偶然先週遊びに来た真由ちゃんのお母さんが、同じく偶然先週職探しを始めた秋生ちゃんのことを教えてくれたの。でも真由ちゃんのお母さんは、秋生ちゃんが弟の陽大君を面倒見てるから休日は働けないってすぐ心配したんだけど、だったらうちの息子と遊んでもらえばいいじゃないって話が纏まっちゃったの…………秋生ちゃん、うちの給料は月並みだけど、陽大君に関しては安心できる環境よ」


 秋生は人手不足になった店の事情と、休日は陽大を傍に置ける理由を遠山から丁寧に説明された上、そのまま黙って考え始めた。


「秋生、どうしてまだ悩むの?」


 休日陽大の傍にいる為に平日のみの職を探していた秋生にとって、遠山の店で働けるのは思いがけない幸運に違いないが、真由は中々喜べない秋生に疑問の目を向ける。

 秋生はようやく即決できない理由を話す為、隣の真由ではなく再び遠山の顔と向き合った。


「……私の弟は、息子さんと上手く遊べるかわかりません。今は誰にでも少し閉鎖的なんです」

「秋生、陽大はそんなことないよ。私とちゃんと喋るし、仲良い友達だっているじゃん」

「陽大がちゃんと喋るのは慣れてる真由だからだし、仲良い友達は今までずっと一緒に遊んでた子だから」


 真由の反論を冷静に否定した秋生は、再び遠山に視線を戻す。


「私がこちらでお世話になると、息子さんに不便な思いをさせてしまうかもしれません。結局辞めてご迷惑をおかけする可能性が十分あるので、今のうちに諦めさせていただきたいです。せっかく私に期待していただけたのに、本当に申し訳ありません」

「……ねえ秋生ちゃん、どうしてそんなに簡単に諦めるの?」


 改めて働けない意志を伝え頭を下げた秋生は、逆に遠山から疑問を持たれる。

 思わず頭を上げると、やはり不思議そうな表情を浮かべる遠山と目を合わせた。


「はっきり事情を確認するけど、秋生ちゃんはずっとお母さんに頼らず陽大君を育てて、今はお母さんとも音信不通なのよね?」

「はい」

「職歴は? 今までどうやって陽大君を養ってきたの?」

「……高校は通信制だったので、昼間ドラックストアでアルバイトしました。高校卒業後は、正社員として同じドラックストアで働かせてもらいました。20歳前で辞めてしまったんですけど、それから先週までの1年間はコンビニでアルバイトしてました」

「ドラックストアではせっかく正社員になれたのに、どうして辞めたの?」

「事情ができました」

「仕方なく辞めたってこと?」

「はい」

「先週まで働いてたコンビニは?」

「自分で辞めました」

「どうして?」

「店長に土日も働いてほしいってお願いされたので、お断りしたんです。それでも絶対と言われたので、働けなくなりました」

「つまり、土日働けなきゃ必要ないって見切りつけられたのね」

「……はい」

「秋生ちゃんはドラックストアもコンビニも、本当は辞めたくなかった。コンビニは先週辞めたばかりなのに、すぐ職探し。とにかく仕事しないと、陽大君と生活できないから。そんな仕事に飢えてる秋生ちゃんは今日せっかく土日も安心して仕事できるこの店を見つけたのに、陽大君が少し閉鎖的だからというだけで働くことを諦めた。私は秋生ちゃんと今日初めて会ったけど、全然秋生ちゃんらしくないと思うのは何でかしら…………秋生ちゃん、もしかして陽大君以外に土日働けない理由がある?」

「…………」

「私に言いにくいなら言える人に相談してみるか、やっぱりうちで働けるように少しだけ悩む努力をしてみてくれない? 3日後でも1週間後でもいいから、もう一度返事を聞かせて」


 秋生の働けない理由が弟ではないと悟った遠山から、1週間待ちたいと望まれる。

 秋生は初めて考えることなく静かに頷いた。




「さすが20年あの店続けてるだけあるね…………秋生、遠山さん鋭いでしょ?」


 珈琲店を後にした秋生は再び真由と一緒に歩いて帰り始める。

 真由が感心した通り、秋生はさっき珈琲店で向かい合った店主の遠山にすっかり丸裸にされた気分を味わった。


「……ねえ秋生」

「ん?」

「私はまだ月に一度しか、あんたに会えないんだ」

「……うん、真由はまだ少し遠くの大学生だからね」


 真由の寂しそうな声に答えた秋生は歩きながら、やはり真由の寂しそうな横顔に振り向く。

 小学5年から親友同士の秋生と真由は、高校生になる春に初めて離れた。

 水泳をするため地元で進学しなかった真由は少し遠くの高校で寮生活を始め、月に一度帰省した。

 高校と同じく少し遠い大学に通ってる今は保育士になるべく勉強中で、今も月に一度の帰省を続けている。

 ちょうど夏季休業中でひと月実家に帰省中の真由は、普段月に一度しか会えない秋生に夜しょっちゅう会いに来てくれる。

 

「真由、今日はありがとう」

「何が? もっと詳しく」

「今日は暑いうちから私に会ってくれて、ありがとう」

「夏休み中の私が夜行性なのは、だらけてるからじゃないよ。昼間忙しいあんたとは夜しか会えないからだ」

「うん」

「私が今みたいにほぼ毎日秋生に会えれば、変わったかなぁ……」

「何が?」

「秋生の秘密主義」


 真由にとって親友の秋生は、それでも真由にたくさんの秘密を抱えている―――と、秋生は今初めて真由の口からわずかな不満を伝えられた。


「秋生、今の忘れて」

「……いいの?」

「うん。秘密は教えられるかもしれないけど、干渉するものじゃない」

「真由、カッコいい」


 秋生に干渉しないと名言らしく伝えてくれた真由の凛々しい横顔に、素直に惚れ惚れする。


 秋生は真由と帰り道が別れたあと1人歩きながら、真由におそらく一生教えられない秘密を振り返った。




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