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零れ落ち、流れるまま息を吐く  作者: 柊月エミ
第一章 始まりの公園
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弟の誕生日




 約束の夕方5時ちょうどに玄関チャイムが鳴り、すぐさま反応した陽大は玄関めがけ走っていく。

 台所で料理の準備をしていた秋生もすぐ陽大の後に続いた。


「え! 何!?」


 玄関ドアを開けた途端思わず声を上げてしまったのは、大量の荷物を持った柊永の姿に驚いたからだ。


「おかいもの、いっぱーい!!」


 素直に大喜びする陽大は柊永が持つ買い物袋をぽんぽんと叩き始めた。

 柊永はお邪魔しますと一言挨拶し、驚いたままの秋生を気にせず部屋の中へ入ってしまった。



「木野君、これどうしたの?」


 慌てて追いかけた秋生は、大きな買い物袋2つとケーキの箱をテーブルに置いた柊永に尋ねた。

 ちらりと買い物袋の中身を確認すると、すべて食料品のようだ。


「食いもんが足りなくなったら、祝えねえだろうが」


 何か文句あるかとばかりに元々鋭い目で睨まれた秋生は思わずたじろぎそうになったが、今日はさすがに負けるわけにはいかなかった。


「ご馳走するって言ったのは私なのに、これじゃ意味ないよ。それに、こんなに食べきれないし……」

「しばらく買い物しなくて済むだろ。さっさと仕舞わねえと腐るぞ」


 相変わらず乱暴な口調で秋生を脅した彼はケーキの箱に興味津々な陽大を見下ろし、飯食ったらなと頭を撫でた。


「ケーキだけって言ったのに……」


 結局今日も彼に言い負かされた秋生は、1週間は余裕でつなげるだろう食料品を見つめ思わず溜息を零した。

 

 明日の日曜日は陽大の誕生日なので、いつものお礼にご馳走したいから気軽に来てほしいと、秋生は昨日柊永と会った時に頼んだ。

 快く承諾してくれた彼がケーキを用意すると言ってくれ、秋生も抵抗せず一番小さいケーキをお願いした。

 誕生日の料理はすでにさっき仕上げたのに、彼から大量の食料品まで頂いた秋生は結局お礼の意味がなくなってしまった。

 柊永は初めて入った秋生と陽大の家に少しも物怖じせず、中もボロいなと正直すぎる感想を呟いた。


 訪れたばかりの柊永の前におもちゃ箱を持ってきた陽大は、さっそく遊ぶ気満々だ。

 秋生はこの際彼に陽大を任せることにし、テーブルに置かれたままの買い物袋から中身を取り出し始める。

 野菜や肉、魚、果物などバランスよく購入してくれたらしい。

 暑さが厳しい今の季節どうしても傷みやすいので、とりあえず急いで冷蔵庫に納めることにした。

 


 秋生は今回のように柊永に驚かされることも、実は初めてではなかった。

 以前自宅近くの大きな公園へ柊永と共に初めて遊びに行った翌日も、彼は今日のように買い物袋を持ち突然訪ねてきた。

 昨日の弁当のお礼と言い玄関先で唖然とする秋生に買い物袋を押し付けると、あっという間に帰ってしまった。 

 結局食料品なので返すこともできず、翌日彼と会った時お礼を伝えた秋生はもう絶対やめてねと念を押したのに、彼は秋生の話をまったく聞いてくれなかったらしい。

 知り合って3か月ほど経ったので柊永の行動にはずいぶん慣れたと思っていたが、突然今日のように大きな親切をされれば相変わらず戸惑ってしまう。

 

 秋生は初めて柊永と自宅近くの大きな公園に行った時、彼と初めてまともに話した。

 それ以降、彼と会えば少しずつ話すようになった。

 相手が尋ねなければ話さないのはお互い様なので、気になったことは遠慮せず彼に質問した。

 いつも無愛想な表情で言葉も悪い彼だが、秋生が尋ねればちゃんと答えてくれる。

 そして柊永に尋ねられれば、秋生自身のことも話すようになった。

 遊びの合間に学校でのこと、アルバイトのこと、その日にあった些細な出来事など、お互いポツポツと話した。


 秋生はそれでも母のことは何も話せていない。

 積極的に話したいことではなかったし、柊永も触れてはこなかった。


 そして柊永のことも少しずつわかるようになった。

 両親と、9歳違いのお兄さんと暮らしていること。

 彼のお兄さんが今度結婚すること。

 秋生も知ってる彼の友人と、今も高校で一緒のこと。

 彼は秋生達と別れた後、週に3日ほどアルバイトをしてること。

 秋生は以前何も知らなかった柊永と毎日少しずつ親しみ始めた。


 

 テーブルにホールケーキと料理を並べ、3人で陽大の誕生日をお祝いした。

 柊永が買ってきてくれたケーキを箱から取り出すと、一番驚いたのは陽大だった。

 ケーキには大好きな戦闘ヒーローがデコレーションされていたからだ。

 柊永がケーキを購入した店は客の希望があれば好きなキャラクターを描いてくれるらしく、彼は急いで頼んでくれたらしい。

 ケーキの前でぴょんぴょん飛び跳ね大喜びした陽大は秋生がナイフを取り出すと、きらないでーと泣き始めた。

 秋生もどうしようか困ってしまうと、柊永が持ってきたデジカメでケーキを撮り始めた。

 ケーキの画像を陽大に見せた彼はここにちゃんと残ってるから安心して食べろと教えると、ようやく陽大も納得してくれた。

 ケーキを切る前に、3人は陽大を真ん中にして写真を撮った。

 3才の誕生日に3人でお祝いした思い出をいつか陽大が忘れてしまってもいいように、柊永が形に残してくれた。


「陽大、お誕生日おめでとう」


 いっぱい笑っていっぱい食べて、陽大は大好きな柊永と共に今日3才になった。

 


 

 まだ帰らないでと陽大に引き止められた柊永は、誕生日のお祝いが終わってももう少し一緒にいてくれることになった。

 秋生が料理の後片付けをしてる間、陽大は画用紙とクレヨンをテーブルに広げた。


「おにいちゃん、ここだよ。あきちゃんも」


 今まで毎日描いた絵を1枚1枚柊永に見せ始めた陽大は、指差しながら一生懸命説明する。


「いっぱい書いてくれてありがとうな」


 毎日必ず柊永が描かれてる陽大の絵に、柊永本人も嬉しそうに笑ってくれた。

 

 今まで描いた絵をすべて見てもらい満足した陽大は、まだ真っ白な画用紙に今日の絵を描き始めた。


「今日は来てくれてありがとう。ケーキもすごく嬉しかったよ」


 後片付けを終えた秋生もテーブルに座る柊永と陽大に近付くと、改めて彼にお礼を伝えた。

 本当は食料品のお礼も言いたかったが、また同じことをされそうなのでやめておいた。

 柊永は秋生の礼に今日も反応せず、いまだ陽大の画用紙を眺めている。


「どうかした?」


 彼の横顔がいつもと違うように感じ尋ねた秋生は、ようやく視線を向けられる。


「この中には、一度もいないんだな」


 秋生は柊永の答えに一瞬戸惑ったが、すぐに意味を理解させられる。

 柊永は陽大の画用紙に存在しない母親を確認したのだ。


「なあ、いつから帰ってこない?」

「今日は仕事で帰れなかっただけだよ」


 秋生の苦し紛れでしかない嘘は、陽大についた嘘と同じものだ。

 カレンダーを確認しなければ覚えてないなんて、どうしても言いたくなかった。

 秋生の嘘を当然信じなかった柊永は諦めたような息を吐き、近くにあったメモ用紙とペンを手に取り何かを書き始めた。

 秋生も思わず訝しがりながら柊永の様子を眺めていると、彼は書き終えたメモを秋生に押し付ける。


「何?」

「俺の連絡先」


 彼に教えられてからメモに目を落とすと、確かに2つの電話番号と住所が記されていた。


「携帯持ってないんだろ。とりあえず家の番号教えてくれ」


 今度は彼からペンを押し付けられ、秋生は素直に自宅の電話番号をメモ用紙に記した。


 柊永の言う通り、秋生は携帯電話を所有してなかった。

 保育園からの連絡先には自宅とアルバイト先、そして学校の番号も念のため教えてある。

 陽大の緊急時にすぐ対処できるよう携帯電話の所有も考えはしたが、まだ未成年の秋生にとって親の同意が必要と思える契約は最初から尻込みするしかなかった。


「何かあったらすぐ連絡しろよ。必ずだ」

「……でも」

「陽大が熱でも出したらどうするんだ? 急に仕事休めねえだろ。中学の時とは状況が違う」


 秋生は強い口調で言われた彼の反論できない言葉に初めて顔を強張らせた。

 中学の時は陽大に何かあれば、学校を休んで対処していた。

 今はアルバイトとして仕事を持つ秋生にとって、それが一番の悩みでもあった。

 滅多に病気しない陽大でも、いつ何があるかわからない。

 今までは幸い何とかなったが、もし何かあった場合は仕事を休むしかない。

 生活の為に決して職を失えない秋生にとって、ひどく辛い問題だった。


「その時は、俺が陽大を預かる」

「……木野君」

「夜中でも何かあればすぐ駆けつけるし、俺が無理な時は家族もいる」

「ちょっと待って、木野君」


 秋生に構わず話を進める柊永にこれ以上続けさせないため、秋生も最後は強い声で止めた。


「陽大に何かあれば、木野君は学校休むつもりなの?」

「ああ」

「そんな事させられるわけないよ。絶対に嫌だから」


 いつも柊永に流されるままの秋生もきっぱりと拒否した。

 秋生と陽大の問題なのに、学校を休ませてまで柊永を犠牲にするなんておかしい。馬鹿げている。

 ましてや柊永だけでなく彼の家族を巻き込むなど、秋生にとって有り得ない話だった。


 しばし秋生と柊永の間に重苦しい沈黙が訪れた後、再び口を開いたのは柊永だった。


「甘えたことあるのか?」


 それまで顔を背けていた秋生も彼に問われ、再び視線を戻す。

 秋生は再び見つめ合った彼に動揺することなく、ただ訝しがった。


 今まで秋生は母親に甘えられなくても、周りに助けられてきた。

 まだ子供の自分では対処できない状況は今までたくさんあって、どうしようもない時は親友の真由や彼女の両親に助け舟を求めた。

 保育園の保育士もアルバイト先の店長も気に掛けてくれた。

 そして最近の秋生は柊永に甘えていた。

 彼の厚意を受け取れないと断りつつも結局は彼に助けられ、図々しく甘え続けたのだ。

 当の柊永がそんな秋生を一番よく知ってるから、秋生は彼の質問にただ訝しがった。

 秋生に訝しがられた彼はすでに秋生の気持ちも見抜いたのか、更に言葉を続けた。


「陽大の為じゃねえ。あんた自身が誰かに甘えたことあるか?」

「………………」

「辛い時、誰かに泣き顔を見せたことあるか? 寂しくても悲しくても、いつも1人で泣いてたんだろ」


 秋生は彼に再び問われ、今度は訝しがることができなかった。

 今までそんなこと考えたこともなかったからだ。

 陽大がいる秋生には、そんなこと考える必要がなかった。

 陽大のことで精一杯で、毎日やることがいっぱいで、そんなこと思い付く暇もなかった。

 秋生は彼にそんなことを問われなければ、気付くことさえなかった。


「俺がいる」


 迷いなくはっきりと伝えた柊永は、秋生の目だけを見つめた。

 彼の目にある澄んだ黒が、脅える秋生にそらすことを許してくれない。


 公園で再会したもっとずっと前から、秋生はこの目が苦手だった。



「ケンカだめだよ。なかなおりするの」


 いつの間にかお絵描きをやめた陽大は、互いを見つめたままの秋生と柊永を不安そうに心配し始めた。

 

「……喧嘩してないよ。お話してただけ」


 ようやく柊永の目から離れられた秋生は、陽大を安心させるために笑顔を浮かべる。


「ケンカしない?」

「しないよ」


 陽大を膝に乗せ、その身体をぎゅっと抱きしめる。

 それは陽大を安心させるためではなく、今も自分を見つめる柊永から少しでも逃げる為だった。

 無意識に震える秋生には、胸の中にいる弟の温もりが必要だった。




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