祖母の手編みマフラー
「よしよし、リキは今日もいい子だ」
「ふふ、リキお腹見せてる」
子供達の稽古を終えた洸斉は、今日も道場外で見学していた秋生とリキの傍へ行き、腹を見せて喜ぶリキを思いきり撫でる。
「リキは私が好きみたいだ」
「はい、もちろん」
「私は人間にも動物にも嫌われるのに、リキは変わってるな」
「義叔父さんが勘違いしてるだけですよ。リキは素直なだけです」
確かに洸斉は顔が厳しく身体は骨太なので初対面の相手には怖気づけられそうだが、リキは週に一度会う洸斉にとても懐いてる。
洸斉もそんなリキをいつもいっぱい撫でるほど、やはり嬉しいらしい。
「きっと秋生ちゃんが私に最初から怯えないでくれたから、私は恵まれたんだ。秋生ちゃんのお陰で、凜生と望生も私を怖がらなかった」
洸斉は凜生と望生に好かれたのも、秋生のお蔭だと思っているらしい。
秋生は洸斉の向かいでしゃがみ、リキの腹を一緒に撫でる。
「義叔父さんが最初から私に優しくしてくれたからですよ。それに義叔父さんは私と会う前から私を受け入れてくれたこと、すぐに知りました」
義叔父の洸斉に今初めて告白した秋生は、10年前初めて柊永の実家へ行き、同じく初めて会った洸斉を思い出す。
柊永の家族はその時柊永と秋生の結婚を手放しで喜んでくれたが、本当は柊永の兄にだけ反対されるはずだった。
柊永の兄を事前に説得してくれた洸斉のお陰で、秋生は柊永と結婚に至るまで苦労することがなかった。
無事結婚したあと義姉にこっそり教えられた秋生は、最初から優しく接してくれた洸斉に一層深く感謝した。
秋生に初めて告白された洸斉はめずらしくバツが悪い表情を浮かべた後、すぐに優しい笑みを滲ませた。
「……秋生ちゃんは私の妻に似てる」
「え?……そうですか?」
秋生の顔を見つめながら呟いた洸斉に対し、秋生は戸惑いと共につい訝しがる。
秋生は今まで洸斉の妻と片手で足りるほどしか会ったことがないが、はっきりとした顔立ちの美人で、性格も社交的な女性だった。
秋生とは違い外見も性格も華やかな洸斉の妻だが、洸斉自身は妻と秋生が似てると勘違いしてるらしい。
「周りには優しいのに、夫に一番素っ気ない所」
「………………」
「今の秋生ちゃんは負い目を捨てたから柊永にもずいぶん優しくなったけど、私の妻は一生私にだけ素っ気ない」
「……どうしてですか?」
「秋生ちゃんと一緒だよ。妻はずっと昔、私に負い目を持った。でも秋生ちゃんと違って一生負い目を捨てるつもりがない。私は柊永とは違って一生妻に優しくされない」
秋生は洸斉の寂しさを滲ませる目で見つめられながら、洸斉が秋生に柊永への負い目を捨てさせた心を知る。
洸斉は妻に一生負い目を持たれ続ける覚悟があるからこそ、甥の柊永には自分と同じ覚悟を望まなかった。
洸斉の覚悟は表情と同じく寂しいから、柊永がいずれ寂しくなる前に自ら秋生の意志を変えてくれた。
洸斉から一生負い目を捨てない妻への覚悟を教えられた秋生は、再び負い目を捨てる前の自分を思い出した。
「義叔父さん、私もやっぱり奥様に似てると思います…………私も義叔父さんに負い目を捨てるよう教えられなかったら、多分一生気付きませんでした。だから奥様も私と一緒だと思います。義叔父さんへの負い目を捨てていいんだって、気付かないだけ」
「……私は秋生ちゃんに気付かせたのに、妻には気付かせ忘れてるだけかい?」
「私は多分そうだと思っただけです。でも義叔父さんは奥様に気付いてほしい努力をしても、問題ないと思います」
「確かに秋生ちゃんの言う通りだな。私はこれ以上奥さんに素っ気なくされることはないんだから、当たって砕ければいい…………まあ勇気が出るまで、まだ時間が掛かりそうだけど」
洸斉は負い目を捨てさせた秋生から、今度は妻の負い目を捨てさせる努力を勧められ、弱音を付け足しながらも初めて前向きになった。
秋生がそんな洸斉を嬉しい目で見つめると、洸斉にも同じ目を向けられた。
「私は妻に似てる秋生ちゃんに優しくして、やっぱり正解だったな」
「義叔父さん、私は義叔父さんに優しくされなくても、今と変わりませんよ」
「え?」
「私もリキと同じです。義叔父さんが好きだから、素直に懐くだけです」
「……私が厳しくても?」
「はい。義叔父さんは今まで私に優しくするだけだったけど、これからは厳しくしてもいいですよ」
「それは無理だな…………私は実の娘より義理の娘に甘いんだ」
「私は義理の娘ですか?」
「秋生ちゃん、義理でも私の娘は嫌かい?」
「いえ、義理でも嬉しいですよ。お義父さん」
リキの腹を撫でながら目を合わせた義理の父娘は、自然と声上げて笑い合った。
「お母さーん」
ちょうど着替えを終えた子供達が帰ってきて、今日も秋生は洸斉とのお喋りを終えた。
『もしもし、秋生ちゃん?』
「はいお義母さん、こんばんは」
『忙しい時間にごめんね』
「いえ、のんびりしてましたよ」
『よかった。あのね秋生ちゃん、これから凜生ちゃんと望生君にマフラー編みたいんだけど、いいかな?』
「お義母さんがですか?」
『うん』
「ありがとうございます。凜生と望生はすごく喜びますよ。私もこの前手袋を編んだら、すごく喜ばれました」
『そうそう。私もこの前凜生ちゃんと望生君に秋生ちゃんが編んだ手袋見せてもらったから、マフラー編みたくなったの。それでね、秋生ちゃんに編み方教えてもらいたくて』
「はい、私でよければぜひ。いつにしますか?」
『秋生ちゃんが暇な時でいいよ。私はいつでも大丈夫だから』
「そうですか…………あ、じゃあ明後日の夕方にお邪魔してもいいですか? 凜生と望生が剣道してる間に教えさせてください」
『うん、わかった。ありがとうね秋生ちゃん』
夕食後、柊永の母から電話で頼み事をされた秋生は柊永の実家と剣道場が近い為、凜生と望生の稽古中に訪問する約束をする。
「お母さん、おばあちゃん何だって?」
「お母さん、おばあちゃんのお家行くの?」
凜生と望生はリビングで祖母と話す母が電話を切ると、さっそく祖母との会話内容を尋ねた。
「おばあちゃんが凜生と望生のために編み物覚えたいから、お母さんがおばあちゃんのお家に行って教えるの」
「編み物?…………あ! わかった」
「お姉ちゃん、何?」
「望生、きっとおばあちゃん、私と望生にマフラー編んでくれるんだよ。お母さんは手袋編んでくれたから、おばあちゃんは絶対マフラー」
「マフラー? 本当?」
「お母さん、そうでしょ?」
「さあ、どうだろうね」
祖母が編むのはマフラーだと当てた凜生は母に内緒にされてしまうが、望生と一緒に喜び始める。
「私、マフラーは赤がいいなぁ。手袋が青だから」
「ぼくは手袋が赤だから、青がいいなぁ」
「お前らは相変わらず単純で天邪鬼だな…………秋生、明後日の夕方行くんだろ?」
「うん」
「明後日だけじゃなくて毎週通え」
子供達と同じく秋生と母親の電話にしっかり聞き耳立てていた柊永は、毎週実家に通うよう嬉しそうに強要する。
子供達が剣道の稽古をしてる間に柊永の実家へ寄る秋生は、柊永が毎週通わせたい意図など考えずとも見え透いていて、返事せず流した。
「♪ ♪ ♪」
「……柊永、どうしたの?」
「♪ ♪…………何がだ?」
「今初めて鼻歌うたってたよ」
水曜日の朝、凜生が登校し望生が幼稚園バスに乗ると、秋生はリビングで鼻歌を鳴らす柊永を初めて見てしまった。
内心気味が悪かったが教えてあげると、やはり無意識だったらしい。
今度は初めて柊永の照れ笑いを見てしまった秋生はとうとうゾッとした。
「柊永…………会社行く前に病院行く?」
「病院? どうしてだ?」
「だって、いつもと全然様子が違うから……」
「様子…………ああ、秋生のお陰だ」
とても不気味なだけだった柊永の鼻歌と照れ笑いを引き出してしまったのは、秋生だったらしい。
当然まったく覚えがない秋生は柊永から思いきり抱擁される。
「ありがとな、秋生」
「え? 何が?」
「秋生は今日から毎週俺の実家に通うだろ」
「……今日から毎週? 違うよ柊永」
ようやく柊永から感謝される理由に気付いた秋生は同時に柊永の誤解にも気付き、慌てて身体を離す。
「私は今日お義母さんにマフラーの編み方を教えるけど、毎週じゃないよ。ひと月くらいは通うかもしれないけど……」
マフラーの編み方は難しくないので、柊永の実家に通うのはせいぜいひと月程度と訂正するが、柊永の嬉しそうな表情は変化しない。
「大丈夫だ秋生。俺は秋生が毎週通えるように、その気にさせといた」
「……は? その気?」
「とにかく秋生はこれから毎週道場じゃなく、俺の実家通いだ。いいか秋生、帰りは凜生と望生を迎えに行かせるから、秋生は大人しく待ってるんだぞ。道場には絶対行くなよ」
つまり柊永は秋生を毎週実家通いさせる為、まず母親を何かしらの理由でその気にさせたらしい。
そして凜生と望生には剣道の稽古を終えた後、秋生を迎えに実家へ行かせるつもりらしい。
今まで子供達と毎週道場へ通っていた秋生は柊永の素早い手回しで、これからは道場ではなく柊永の実家通いに変更された。
「お義母さん、棒の持ち方はこうです」
「こう?」
「それは反対です。こう」
「あ、こうね。こう」
夕方、凜生と望生が剣道の稽古をしてる間、秋生はリキを連れて剣道場から近い柊永の実家へ行った。
共働きの義兄夫婦が不在の中、編み物初体験の義母にまず編み棒の持ち方から教え始める。
料理上手な義母だが手先の細やかな動作は苦手らしく、ようやく編み棒がちゃんと持てるようになっても今度は毛糸の持ち方でつまづく。
「お義母さん、まず毛糸は左手で持って、棒は2本合わせて右手で持つんです」
「え? え?」
「じゃあ私が後ろから一緒に手を動かすので、お母さんはまず感覚を掴んで下さい」
「感覚? うん、わかった」
何度繰り返しても編み棒と毛糸を一緒に持てない義母は、しまいには秋生から黒子のように手を掛けられ、ようやく編み棒に毛糸を引っ掛け始めた。
「はあ……私は全然だめね。編み物の才能もなかった。凜生ちゃんと望生君のマフラーだったら、私でもどうにか作れると思ったんだけど」
「お義母さん、今日始めたばかりですよ。みんな最初は同じです」
「そうだよお母さん、私なんて見てるだけでチンプンカンプンだった。1時間も頑張ったお母さんはすごい」
秋生が黒子をやめれば編み棒と毛糸の持ち方をすぐ忘れてしまう義母は、結局1時間格闘しても編み方に入れなかった。
秋生は義父と共に、最後は小さく落ち込んでしまった義母を優しく慰める。
「……秋生ちゃん、とうとう気付いてしまったと思うけど、私は料理以外何もできないの。頭が悪くて不器用で運動音痴…………もしお父さんが結婚してくれなかったら社会の役立たずで、とっくに野垂れ死んでたかもしれない」
「お義母さん、私はいつもお義母さんの美味しい料理を食べられて、幸せですよ。お義父さんも料理上手なお義母さんと結婚できて幸せです。ね? お義父さん」
「もちろん。お母さん、私はとっても幸せだよ。お母さんと結婚できて本当によかった」
秋生は義母が料理以外は苦手であることを昔から勝手に気付いていたが、義母は今まで秋生に必死に隠していたらしい。
再び秋生は義父と共に義母を慰めると、ようやく顔を上げてくれた。
「2人共、ありがとう…………ねえ秋生ちゃん、私は凜生ちゃんと望生君のマフラー、ちゃんと編めるかしら?」
「慣れれば大丈夫ですよ。でも今はもう12月なので、次の冬までに完成を目指しませんか? ゆっくり編んだ方が楽しいし、私も一緒に編み物楽しみます」
「……そうね。次の冬までだったら、私でも本当に大丈夫かも。秋生ちゃん、どうかよろしく」
「はい、お義母さん…………あ、そういえばお義母さん、昨日柊永から電話がありませんでしたか?」
「柊永? うん、昨日の夜」
「……何か頼まれました?」
「ああ、そうそう! 柊永が教えてくれたのよ! 秋生ちゃんが私に編み物教えるのすごく張りきってるから、いっぱい教えてもらえって。凜生ちゃんと望生君のマフラーだけじゃなくて、帽子とかセーターも。秋生ちゃん、これからはずっと一緒に編み物楽しもうね!」
「はい……そうですねお義母さん」
今朝柊永が言っていた母親をその気にさせた内容を直接教えてもらった秋生は、やはり柊永の思惑通り毎週柊永の実家へ通うことになった。
「おじいちゃーん、おばあちゃーん、こんにちはー」
「お母さーん、迎えに来たよー」
柊永の実家で1時間半過ごした頃、剣道の稽古を終えた凜生と望生が舞衣子と共に迎えに来てくれた。
秋生は家の前で見送ってくれる義父母に挨拶し、いつものように子供達3人とリキを連れて帰り始めた。




