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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-02
79/228

Section5-10 封印術式

 待つこと数分。紘也がだいぶ落ち着きを取り戻した頃に、ウロは帰ってきた。

「うぇふう……。ウィル・オ・ウィスプほどじゃあなかったけど、骨と皮ばかりでクソまずかったね。――あっ、紘也くん紘也くん、もう目を開けてもオッケーですよ」

 許可が下りたので紘也は開目した。すぐそこには、いつも通りの少女の姿に『人化』したウロボロスが――シーハーと爪楊枝で歯の間をほじくっていた。

「お前、人に目を閉じろとか言ったくせにやったこと隠す気ねえだろ!」

「な、なんのことかな? あいつはあたしがグショバホーンって殴り倒したんですゲップ」

「語尾を自重しろ! 語尾を!」

 こんな終わり方ではヤマタノオロチが惨めだ。大人しく〈天羽々斬〉で倒れておけば食われることもなかったろうに……いや待て。

「おいコラそこのアホ蛇、お前最初から『人化』解いておけばここまで苦労することも、愛沙やウェルシュが傷つくこともなかったんじゃないか? あ?」

 凄みを利かせて睨んでやると、ウロは慌てふためいたように手をパタパタとさせて、

「そ、そんなことありませんですよ! 八つ頭が弱ってたからできた所業です! まあ、あいつが全快だったとしてもウロボロスさんが圧勝してただろうことは否定しないけどね。それと紘也くん、あたしは由緒正しきドラゴンだからね」

「知らん。てかお前、オロちんとかいう奴とは互角だったんだろ?」

「あー、その話ですか。あの時はお互いに『人化』してましたからね。認めたくないですけど、同じ『人化』した状態なら腐れ火竜の方がちょっとだけ面倒臭かったですね」

「まとめると、その話はなんの参考にもならないと?」

「オゥ! イエッス!」

 ――グサッ!

「ひゃにょわあああああああああああ目からエクトプラズムッッッ!?」

「おっと悪い、手が勝手に」

 わざとらしく紘也はⅤ字に握った右手を擦った。泣き崩れるウロに香雅里と夕亜が歩み寄る。

「ワオ! ウロちゃんすっっっごく迫力あったよ! こうガブって感じで!」

「私は昔あんなのと戦おうとしていたのね……」

 夕亜は本心から感動しているみたいだが、香雅里は先週の学校でのことを思い出しているようだった。確かに彼女はあの時、ウロに『人化』を解けとか言っていた。

「……マスター」

 ヨロヨロと歩いてきたのはウェルシュだった。

「ウェルシュ、気がついたのか。愛沙は?」

「はい。愛沙様も気を失っているだけのようです。ところで、ヤマタノオロチはどうなったのですか?」

「ああ、ウロボロスが喰った」

「……?」

 冗談だと思ったのか首を傾げるウェルシュ。嘘ではないのでこれ以上詳しく教えなくてもいいし、紘也は口にしたくない。それよりも愛沙が無事だとわかってほっとした。

 ――ドサッ!

 その時、なにかが倒れる音を紘也は聞いた。

「え? ちょっと、夕亜? 夕亜!?」

 見ると、香雅里が顔を真っ青にして叫んでいた。その彼女に抱きかかえられている日下部夕亜が、表情を苦渋に歪めて左胸を掴むように押さえている。悲鳴は出していないものの、夕亜の体になにかが起こっていることは火を見るよりも明らかだ。

「なっ!? どうしたんだ。なんでいきなりこんな――!?」

 言葉の途中で紘也は気づいた。夕亜の体に刻まれている封印術式が、ヤマタノオロチを滅ぼしたことで消滅しているのではないかと。

 だが、彼女の苦しみようは異常だ。

 兄である朝彦が駆けつける。彼は香雅里から妹を預かると、無言でその体を入念に調べ始めた。診察は間もなくして終わり、朝彦は深刻な表情で――

「まずい。封印術式が、それの刻まれている臓器ごと消滅しようとしている」

「臓器? なんだよそれ。封印術式ってのはそんなところに刻まれているのか? 一体どこの?」

「見てわかれ、大魔術師の息子」

 冷徹に返された。紘也は今一度苦しんでいる夕亜を見る。顔は不自然に上気し、呼吸が荒い。そんな彼女の手が押さえている場所は――左胸。

「心臓か」

 術式は夕亜の命を蝕んでいる。逆に言えば、夕亜の命を糧に術式は維持されているということだ。そうすることに最も適している場所はそこ以外考えられない。

「ちょいとあんた! あんだけ用意周到に準備してたんだから今の夕亜っちも当然助けられるんですよね!?」

 朝彦に掴みかからんとする勢いで問うウロに、朝彦は苦虫を噛み潰したような表情で首を振る。

「俺は、ここまでは予想していなかった。消えるのは術式だけだと思っていた」

「あんたふざけてると異次元の彼方までぶっ飛ばしますよ!」

「やめろ、ウロ」

 朝彦をぶん殴ろうとするウロを紘也は諫めた。彼を殴ったところで解決はしない。こんな時にウロボロスのエリクサーが残っていれば、と思ったが、恐らく術式の消滅には効果がないだろう。

 ウロが憤激してくれたおかげか、紘也は幾分か冷静だった。

「あんた、どうするつもりなんだよ? なんか助ける方法はあるのかよ?」


「あるとすれば、一つじゃな」


 答えたのは朝彦ではなかった。無論、そのしわがれた声は香雅里でもウロでもウェルシュでもない。

「お爺様!?」

 香雅里がいるはずのない人物を見た驚愕に目を瞠った。

「そんな幽霊を見たような目で……儂、まだ生きとるよ?」

 葛木家宗主――葛木玄永が孫に驚かれたショックで肩を落としていた。その後ろでは葛木の術者である黒装束数人が護衛するように控えている。

「お爺様、どうしてここに? いえ、それより夕亜を助ける方法があるのですか?」

「うむ、あると言えばある。確実とは言わんがな」

 どうも煮え切らない葛木宗主の言葉に皆が表情を曇らす中、朝彦が睨みつけるように玄永に視線を向けて訊ねる。

「教えろ、葛木玄永」

 人に物を頼む態度ではなかったが、玄永はそれを咎めることなくあっさりと答える。

「タツ坊の倅が夕亜ちゃんに魔力干渉するんじゃよ」

「俺が?」

「うむ。術式と心臓の間に魔力を割り込ませて緩衝材を作るんじゃ。ただし、心臓そのものが術式として機能しておった場合は不可能じゃからな。うまく行くかどうかは儂にもわからんよ」

 つまり、紘也の手に彼女の命が委ねられたということだ。失敗すれば夕亜は死ぬ。そもそも成功なんてできないのかもしれない。

 だが、事は既にできるできないの次元ではない。やるかやらないかと問われれば、紘也の答えは決まっている。

「秋幡辰久の息子、いや、秋幡紘也。夕亜を頼む」

 あの冷徹無比な日下部朝彦が紘也に頭を下げた。

「頼まれなくてもやってやるよ!」

 勇ましく言い切り、紘也は右手を夕亜の心臓がある位置――流石に胸に触るのは抵抗があるためその少し上に置く。

 目を閉じ、心を静謐にする。精神を集中。己の魔力を彼女の体へ慎重に流し込む。

 その魔力を見失わないように制御する。心臓へ辿り着くと同時に、明滅するような力の違和感を覚える。

 この違和感こそが『生贄の姫巫女』の封印術式だ。紘也は魔力をコントロールし、術式と心臓にあると信じる『隙間』を探す。探す。探す。

 そして――

「!」

 ――見つけた。


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