Section2-4 襲撃される病院
世界魔術師連盟付属の病院が襲撃されたという情報は、当たり前だがすぐに本部内に拡散された。
警報が鳴り響き、非戦闘員が慌ただしく避難を始めている。
無論、ついさっきまでその病院にいた辰久の耳にも報告は入っていた。
「鈴理!」
東アジア最大の魔術的シンジケート『黑龍』総帥との大事な商談の最中だったが、一も二もなく飛び出したことは言うまでもない。
部下も契約幻獣も連れることなく魔術で文字通り飛んでいく。やがて黒煙吹き上げる病院の様子が見えてきた。
だが――
「ん?」
辰久は飛行をやめて地面に降り立つ。魔術で大魔術師の長杖を取り出し、目の前の空間を軽く小突いた。
カンカン、と乾いた音が鳴る。
「幻獣の個腫結界じゃあないね。魔術師が張った隔離結界だ」
中からの脱出と外からの侵入だけを遮断する結界。認識阻害など、他に効果がない分だけ強力に作られている。この強度で病院の周囲をまるっと覆っているとなれば、一般魔術師が数十人は必要。それだけでこの襲撃は組織的なものだとわかる。
十中八九、巷で噂の魔術的テロリスト集団――『新生G∴R団』だろう。
「どうして侵入できたのかね? 待てよ、そういやロードリック青年とこの下っ端が昨夜から連絡つかなくなってる話があったっけ」
下っ端魔術師でも『黄座の近衛団』だ。下位組織の『銀湾の柱』などとはわけが違う。連盟総本山への正規ルートくらい知っているはず。ちょっとやそっとの拷問で口を割るとも思えないが、漏れたとすればそこしかない。
爆発が連続する。病院の建物自体はまだ無事のようだが、周辺の道が破壊されている。これでは仮に結界を突破したとしても車両が通れない。
魔術的な遮断だけでなく物理的な遮断まで。援軍や救助を遅延させる手口が入念過ぎる。辰久が潰した『旧G∴R団』は暴れたいだけの単なる無法者集団だったが、今回の組織には頭の切れる奴がいるようだ。真っ先に医療機関を狙う辺り人の心もない。
結界に使われている術式も『旧G∴R団』とはまるで違う。どうやら名前だけ同じの別物だと考えて問題なさそうだ。
だからだろうか、奴らはまだ連盟を――大魔術師を甘く見ている。
「この程度の結界で、おっさんを阻めると思ったら大間違いだぁよ」
破壊するために高威力の魔術を使うまでもない。そんなことをすれば二次被害を出しかねない。
「紘也ほどじゃないが、おっさんもそこそこ結界破りは得意でね」
杖の先端を結界に押しつける。とっくに解析済みの術式に干渉し、即座に自壊するように式を書き換える。
パリン! と病院の周囲を覆っていた隔離結界は呆気なく砕け散った。
「さて……鈴理に指一本でも触れてやがったらタダじゃ済まさねえぞクソ野郎どもがッ!?」
激昂し、辰久は爆壊した道路も易々と飛び越えて病院へと急ぐ。
∞
紘也は母親を乗せた車椅子を押して走っていた。
あちこちから悲鳴と爆発音が聞こえる。混乱する中、看護師たちは患者を連れて一定の方向に移動しているのがわかった。こういう時のためのシェルターかなにかがあるのだと思われる。
紘也たちもその流れに従ってついて行こうとするが――
「ちょっと待って」
急に鈴理が紘也を呼び止めた。
「今、微かに声が聞こえた」
そう言って鈴理は今しがた通り過ぎた病室を振り返った。
「俺は聞こえなかったけど……」
ウロとウェルシュにも目配せするが、二人も聞いていないようで首を横に振った。
「あの病室には魔術の事故で声を失った小さな女の子がいるのよ。ちょっとだけ念話術が使えて、波長の合う人にしか聞こえないの」
「母さんは波長が合うと?」
「よく一緒に遊んでるわ。お人形さんの可愛いお洋服作ったりして」
そういう波長なら紘也には聞こえなくて当然だ。
「取り残されてるのかも。その子、足も悪いから」
「担当の看護師がいるんじゃないのか?」
「わからないわ。見捨てたとは思えないけど……もしかしたらさっきの爆発で……」
表情を暗くする鈴理。そういえば母親を担当している看護師も現れなかった。周りを見ても明らかに手が足りていない様子。想像したくない可能性だが、看護師や医者が集まっている場所でなにかがあったのかもしれない。
「わかった。見てくる」
「私も行くわ。知り合いがいた方が安心するでしょ?」
そう言って譲らない鈴理も連れて病室に入ると、そこには本当に五〜六歳くらいの女の子がいた。ベッドで動けずに震えている。泣いている様子だが、声が出ていない。鈴里にはその子の泣き声が聞こえているのだろう。
「もう大丈夫よ、アニーちゃん。一緒に避難しましょう」
鈴理が安心させるように優しく声をかけ、アニーと呼ばれたその子を抱き上げて自分の膝に乗せた。アニーはぎゅーっと鈴里にしがみついて離れようとしない。よほど怖かったようだ。
紘也も昔の柚音を見ているようで表情が綻びそうになったが――
「紘也くん紘也くん、どうぞ! お義母様ほどのバブみはないかもですが、是非あたしに抱き着いてください! 絶対『バブー』って言わせてみせます!」
ウロが両手を広げてバッチコーイと構えていたので、スンと真顔になる。
「馬鹿なことしてないで行くぞ。まだなにが起こってるのかさっぱりわかってないんだ」
「紘也くんのいけず……」
がくりと肩を落とすウロはスルーし、紘也は母親の車椅子を回して病室を出ようとする。だがその前に、白いドレスのままのウェルシュが立ちはだかった。
「……マスター、敵襲です」
鼻をスンスンさせるウェルシュが扉を睨んだ、その直後――
「動くな!」
覆面で顔を隠した怪しい男二人が病室に突入してきた。構えている武器は銃ではなく、杖。連盟の魔術師かと一瞬考えたが、見るからにそんなわけがないと紘也は思い直す。
「この病院は我々『新生G∴R団』が占拠した!」
「大人しくしていれば少しは命が長引くかもな!」
杖の先端には小さな魔法陣が未完成の状態で展開されている。アレなら拳銃のトリガーを引く感覚で魔術を発射できるだろう。
「『G∴R団』だと……?」
聞き覚えがあるような、ないような。そういう場合はだいたい父親関係だと思うので、とりあえず心の内で恨んでおく紘也である。
「(紘也くん紘也くん、どうもあいつらあたしたちを皆殺しにするつもりですよ)」
「(だろうな)」
小声で耳打ちするウロに紘也は頷く。奴らは『命が助かる』じゃなくて『長引く』と言った。それは即ち、最終的には殺すという意味だ。
だったら、大人しくする必要などない。
「お前ら、いいぞ。やってしまえ。死なない程度にな」
「イエッサーッ!」
「……了解です、マスター」
ウロとウェルシュの姿がパッと消える。少なくとも、襲撃者の男二人にはそう見えたことだろう。
「なっ!?」
「こいつら!?」
右の男はウロの拳が、左の男はウェルシュの蹴りが顔面に炸裂する。病室の壁を突き破って廊下まで吹っ飛んだ二人は、大の字に倒れたままピクリとも動かない。死んではいないと思うが、完全に気は失っている。
「……気絶させたら情報を聞き出せないじゃないか」
廊下に出た紘也が男たちを爪先で軽く小突いたが、呻き声一つ上げない。
「あ、じゃあ起こしますか? ここにウロボロス印の強烈な気付け薬があるんですが」
「大丈夫かそれ? 目覚めすぎて廃人になったりしないよな?」
「保証はできませんね」
「やっぱり劇薬!?」
この規模の襲撃をたった二人で行ったとは思えない。他にも仲間が大勢いるはずだ。となれば、避難先のシェルターは既に押さえられているだろう。
「おーおーおー、俺ちゃんの仲間を二人もノシちまってやがる」
ぞわり、と。
紘也の背筋に凄まじい悪寒が走った。
「戦えねえ病人ばっかだと思ってりゃあ、活きのいい奴もいるじゃねえのよ」
弾かれるように紘也は声がする方を振り向いた。廊下の奥から、ドレッドヘアーの男が舌なめずりをしながら歩いて来ている。その斜め後ろには赤い髪をした鎧の男が付き従っていた。
「お前らは……?」
ドレッドヘアーの男からとんでもなく気持ちの悪い魔力を感じる。まるでどす黒く濁ったヘドロだ。一瞬アンデッド系の幻獣という可能性を疑ったが、この魔力は間違いなく人間である。
どちらかといえば、幻獣は赤髪男の方だ。
「俺ちゃんたちのことはどぉーだっていいだろ。どうせ全員死んじまうんだからよぉ。あーでも待て、ぶっ殺す前に一つ訊いておくことがあったな」
ねばつくような視線で紘也たちを舐め回すドレッドヘアーは、次に開いた口でとても看過できない発言をする。
「ここに秋幡辰久の嫁が入院してるらしいんだが、どこにいるか知ってるか?」
「――ッ!?」
やはり、父親関係の厄介事だったようだ。




